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18/41

三月八日 3


 結局昼近くまで一緒にいて、彼女をタクシーで病院に送った帰り頃には正午を過ぎていた。金持ちなのに車を持っていない(というか運転すらできない)久上さんのお父さんには驚かされたが…何はともあれ、今からの時間は夜のバイトまで自由に使える。


 今日、またいつもの調子に朝からバイトがあったならば…まず凍えながら茜さんの車に乗り、釈迦も仏もいないかのように冷たい風で肌を痛めつけられ、無慈悲に重く魚臭い荷物を抱えされられ、店の内外の掃除を終えて…つかの間の休息を堪能するはずだった。なのに、午前中はほぼぬくぬくと過ごす事ができた…第二次大戦中の空襲がなかった日の淡い喜びのような、心身の安息を祝うにはもってこいのシチュレーション。これで暖かければなおいいが、どうもそう何でもうまくはいかないようだ。…明日のバイト、辛く感じるだろ頷るずると休んでしまいたい気を叩きなおすにはそれなりの覚悟も必要だった。


 ―――ダメだ。自分は偽れない。…そんな思考、嘘だから。


 気が楽になった事など、久上さんの笑顔くらいしかない。久上さんと話している間だけ…会話に集中する事で目を背けていた。見たくなかった…しかし、あの部屋には円ちゃんの残り香が所々に残っているかのようだった。それらに気をとられて…久上さんの家を出る時なんか靴を履くのに一分かかった。久上さんは何も言わなかったが…動揺が丸見えだったんだろう。


 ―――とうとう、円ちゃんまで。


 死を、こんなに身近に感じる事になるとは。あんなに明るくて可愛くて姉思いだった…快活な女の子が、たった一夜にして冷たい死体になっている。ここまで世の中が冷たくできているなんて思いもしなかった。


 いつ、どこで、どのように殺されたか…まぁおそらくは射殺だろうが、それ以外が問題だ。犯行時刻は今の所全て朝方…。昨日の昼頃、俺は円ちゃんと会っていたから…少なくともそれ以後。第一…いやいや待て、朝は見忘れたから…物はついでだ、病院の新聞で確かめさせてもらおう。


 門前でうろうろしていた俺は、そう決意すると早足でロビーへ向かった。例によって待合席では老人達がたむろしている。俺は新聞が今日の朝刊に変えられているのを確認して、違う種類を三部持っていった。


「…昨日の奥山刑事の事件、やっぱり銃なんだな」


 山本刑事がやけに詳しく話してくれたが…凶器の事だ。そうだとは言っていないが、話の内容を噛み砕いてみると、奥山刑事、そして円ちゃんも銃殺された事が分かる。


「昨日の警察官殺害事件も一昨日の主婦銃殺事件の凶器と一致。捜査本部は連続殺人事件として捜査を開始したぁ……? おい、ちょっと」


 また大声を出していたようで老人達から注目を浴びる。

 しかし気にする余裕はなかった。


 奥山刑事は胸を撃たれて即死、か。心臓をピンポイントに…相当うまいんだろうな。新聞に目を走らせてみたが、まだ円ちゃんの死の知らせは載せられていなかった。それにしてもこれで三人殺したのか。…いかんいかん、殺人が起こる事に慣れてきてしまっているような気がする。それじゃだめだ、そんな意識じゃ止められるものも止められないぞ。


「あぁぁ、くそ…!」


 急に思い出したように焦りが沸き起こってきて、右手が荒々しく髪をかきむしる。くそくそ、俺のせいだ…。だめだ、こんなんじゃ、止められないぞ。何も、できないなんて。


「ヤロウ…!」


 言っても、むなしさが募るばかり。まるで表面だけ血気盛んなライオンを被って、実は中身は牛でした…みたいな、誰かに演技して見せているような、寂しさ。


「どうしたんだ、そんな声を出して」


 はっとして見あげると、そこには俺に当てつけるような無表情を浮かべて、金髪の若い医師が立っていた。


「なんですか」


「聞いた話だと…また今日の朝方、殺されたらしいな。円ちゃんが」


 何で知っているんだ。まぁ久上さんあたりから聞いたんだろう。久上さんを家に戻らせる時に用意をしたのはこの人かもしれないし、機会は何度もある。…それ以上に気になったのは、まるで他人事のような口調だった。


「神崎さんは…円ちゃん達と知り合いなんですよね?」


「あぁ…親父さんを預かってるしばらくの間だがな。寂しくなるな…。それにしても連続殺人か。さぁて、次は誰が殺されるものやら」


 さすがにほくそ笑みはしなかったものの、感情のこもっていない言い方には一発殴っておかない時がすまないくらいに腹立たしさを感じた。…ここが病院でなければ眉間に思いっきりお見舞いしていた事だろう。


「物騒だから気をつける事だ。人気のない夜道には、特にな」


「それは…お互い様ですね」


 あからさまな敵意をぶつけるも、神崎さんはまるで相手にしていないかのようにすっと視線を俺から離すと白い院内に消えた。ガヤガヤという周りの話し声に、まみれるように。


「神崎…か」


 そういえば久上さん達と知り合いだって言ってたな。盲腸だったっけか? お父さんも意外と抜けてるんだな。そんな事も含めて、とにかく、この事件を調べるには久上さんの周りを中心に見て回った方がよさそうだ。人間関係と人間の性格、この二つを押さえないと、次の予想なんてできやしない。


 そうだ。昨日の夜、幽は「俺が信じるから」連続殺人が起こると言った。どういう事だ。俺が原因…なのか? …さっぱりだ。まるで見当がつかない。幽は、ワラ人形とかみたいな魔術的な、呪術的な物が関与してるとでも言いたいのだろうか。…俺としては幽、お前の方がその点怪しい。はっきり言ってこの事件で唯一人間味を帯びていないのはお前だ。


 まるで呪いだ。それ以外に何と言えばいいんだ? 捨てた次の日から身の回りで連続殺人なんて、でき過ぎてる。普通じゃ…ない。


 …呪われているのか? 


 …俺が全ての発端なのか? 


 俺の罪はそんなにまで重い…そう言いたいのか? ……なぁ幽。








 セダンから降りた山本は、やや勢いのある足取りで署に入った。その歩きはしっかりとしていた。昨夜から徹夜で事件の資料を整理していて寝不足である内面を感じさせないほどである。


 山本は、隆史を乗せていた時はあえて通らなかったが…久上宅の近く、正確には家から四十メートルほど右の通りにある電柱に背を預けるようにして今回の被害者、久上円は死亡していた。コンクリートの塀にめり込んでいた銃弾も採取済みである。

 死後硬直の具合から、殺害時刻は今日の午前一時頃とほぼ断定された。

 被害者は今日の午前零時頃、近くのコンビニエンスストアに行くと彼女の父親こと久上孝信(ひさうえ たかのぶ)に言い残していた。帰りが遅いので探してみた所、遺体を発見された。この事件は、証拠らしい証拠がほとんどない。なのに、怪しい人物ならいくらでもいた。その事が山本を焦らせ、浮き足立たせていたのだった。


 そろそろ疲れてきたのか…倒れるようにして自分のデスクにたどり着くと、寝ぼけ眼で机の上を見回した。爪切り、ピーナツの空袋、数日前にカップめんに使った割り箸、自分でも何をかいたのかさっぱり思い出せないメモ用紙…今回の事件のファイルが机の中心に乱雑に置かれていてやっと、これが刑事の机である事がわかるぐらいの酷さだった。この机の主は署を自分の部屋とでも思っているのか…一応、公共の場である。それでも誰も何も言わない理由は、彼がこの署でも実力を伴う古株であったからだ。


 もう長い間ここに座ってきた山本。だが、彼は今、居心地が悪かった。ため息が洩れる。


 背中に横腹に、無数の視線を感じていた。この部屋は二階であり、エレベーターなどという贅沢品が整備されてないので、山本はもちろん階段を上った。…その時も。十三段折り返してまた十三段の計二十六段の間にすれ違った三人の刑事も、皆山本に視線を向けていた。


 誰も挨拶をしない。山本にとってそれは、考えられない事だった。


 しかし何も言えなかった。いつもなら平気に怒鳴って強引にでもさせていたはずだった。しかし、山本は体を包む…無数の冷たい目を感じた。言葉のない疎外。なぜこうにも静かなのか…とても空気が痛かった。いつもなら和気藹々としているはずの室内が、どうして。


「…山本刑事。署長がお呼びです」


 きわめて事務的な撥音で自分を呼ぶ、かつてはきゃっきゃと、うざったいくらいによく笑っていた女刑事も、今は顔も見ようとしていない。…古株という理由だけが、山本の存在を許しているかのようだった。

 所長室に着いた山本は、そこでも疎外感を味わう事となった。


「もういい…君はしばらく休め」


 体に合わないくらいの大きな椅子と机に仰け反るようにして座っている、キャリア組の若い男が言う。去年から配属された男で、前の署長は定年で退職してしまったのだ。山本よりも二十五は若いのではないだろうか。若さを示すつやのある肌はニキビを知らず、部屋にこもりっきりで勉強ばかりしていた風なイメージを浮かばせる。年下にもかかわらず、まるで同じ年に話しかけるようなため口。口だけの奴…以前は鼻で笑っていた馬の骨も今では脅威に変わっていた。


「待ってくださいよ署長…この事件(ヤマ)、僕は降りるわけにはいかないんです。やらせてください」


 山本は、もはやプライドはいいと思った。山本の珍しく狼狽した様子に、ニヤリと男は頬を吊りあげる。山本に仕返しをするにはいい機会と思ったのだろう。顎を上げて、ずれてもいないのに眼鏡を指で押さえながら、見下すように言う。


「ダメだ。この事件は、これ以上君に触れさせておくわけにはいかない。上の決定でな。そうでしょう吉永警視?」


 男はくい、と顔を山本から見て左に向ける。来客用の黒い革のソファには見知った顔の男が座っていた。吉永と呼ばれた、山本とほぼ同じ年だろうと思われる男は腕組みをして、


「山本…お前の気持ちは分かるが、殉職した奥山刑事のパートナーだったお前ではダメだ。私情が捜査を乱しかねん」


 いぶし銀の風格はまさしく昭和を生きた刑事である。旧友に同情するような目が、山本の口に反論の言葉を吐かせにくくしていた。


「吉永、僕がそんなヘマをするとでも思っているのかい? バカにするのもたいがいに…」


「上司には敬語を使うものだよ山本刑事。…以上だ。下がってよろしい」


 言い捨てるように言う。山本を見ずに窓の外を眺めているが、目は明らかに笑っていた。


「ちょっと…待ってくださいよ署長!」


 机に乗り出すようにして言う。年老いても鋭さの衰えない眼光は、直視すれば殴られたようなショックを受けるかもしれない。それに若い署長はびくつきながらも、出て行けと促した。


「…納得できる理由をお願いしたいのですが」


 山本は嘔吐しそうな気分で言った。だが、その質問に答えたのは吉永だった。


「なぁ山本…俺もお前も、年を取った。パートナーも失った…それに俺達はもう前線から引かねばならん。若い者も鍛えねばならん。もう、わがままを言う年でもないだろう」


 諦めろ、とでも言いたげな目で、語尾を弱めながら言う。だが、その目は語った。山本も長年付き合ってきた友人のアイコンタクトを逃さなかった。


 ――上の若い連中が、考えの古い古株をどんどん辞めさせていっている。検挙率が高いお前でも、若いエリート出には目の上のこぶ同然だろう。奥山については残念に思う。おそらく、上層部が奥山をお前につけたのは、お前の後をあいつに継がせるためだったのだろうさ――。


「吉永…君は」


「下がれ、山本刑事。一ヶ月、休みをやる」


 山本は横から口を挟んだ口うるさい若署長に睨みを入れた。


「…お前のためだ。許してくれ」


 吉永の声は届かない。もう、山本は扉の向こうへ出て行っていた。


「すまない」


 署長室の寂しそうなノブに、まるで山本に言っているかのように、呟いた。







「昼飯、どうすっかな…」


 病院を出た後、俺はあてもなくぶらぶらしていた。本来なら今からの時間に久上さんの所に行く。しかし今日は予定がくり上がってしまって、昼が手持ち無沙汰になった。いい情報源も思いつかない。夕刊を待つのみだ。今まではどうやって時間を潰していたのだろうか。最近の出来事はどれもが強烈過ぎて、何をやっていたかまるで思い出せない。つまりはぱっとしないんだ。前は何をやっていたかも思い出せないほど、意味のない内容の時間を過ごしていたんだろう。でも最近は逆に疲れているから…ゆっくりしたいのが本音。 


 昼食をゆっくり食べて、残りの時間を図書館で潰そう。そういう安直な考えのもと、ショッピングモールをうろうろしていた。ハンバーガーにしようかチキンにしようか迷っていた時、


「どうしたんですかぁ?」


 車道の方から声が聞こえた。車から声をかけてくる知り合いはいな…って山本刑事。


「いえね、ちょっとお茶でもどうです?」


 いつもよりも馴れ馴れしく言ってくる。裏があるんじゃないかと不安になった。


「野郎二人でですか? …できるなら断りたいんですど。何か聞きたい事でも?」


 小躍りしてしまいそうな内心が悟られないように、さも自然に、迷惑そうに言う。カモがネギを背負って現れた…とまでは言わないけれども、刑事と昼食が向こうから来てくれるとは好都合だ。しかも向こうから誘ってくる…つまり俺は招待される側だ。下手に出てくれるならそれでかまわない。気を使ってくれればくれるだけ心理的に有利になれる。


「じゃあいいですよ、じゃあそこの喫茶店で」


「あ、そこは高そうだからダメです。…んと、じゃあハンバーガー屋にしましょう。だいたい、若い奴がいいのを食べつけると将来ろくな事ありませんよ? 後、自分のは払えますよね? すいませんねぇ、最近の公務員、給料が安くって」


 前言撤回。まったく下手に出てない。ハンバーガーくらい奢ってもらいたいものだ。…とは言っても相手は五十ちょっと。お金がないのは後々不便だろうから嫌味事は言わないでおいた。外見のみすぼらしさからも、この人から奢ってもらってはいけないという第六感的な遠慮が勝手に働いたからだ。


 ハンバーガー屋に入り、俺は注文したダブルバーガー一個とテリヤキバーガー一個、ポテトL、アップルパイとウーロン茶の乗ったお盆(やけ食いだ)を持って近くの席に着いた。遅れてきた山本刑事はハンバーガーとコーヒーだけという貧相なメニューを満面の笑顔で持ってくる。そこまでお金がないのか。可哀想なので一品分けてあげたくなった。しかし現実は非情なんだ。生存競争のため、資本主義によって殺された牛達その他に報いるためにも、俺の金で買った商品は俺の腹に収まらなくてはならない。…そんな屁理屈を頭の中で繰り広げている俺は、ようはお腹が空いていた。


「少ないんですね」


「ははは、どうも最近太りすぎでね。しっかし冬見君はよく食べるんですねぇ」


「俺はちょっと頼みすぎたかもしれないですね。入るかどうか」


「若いうちは質より量ですよ。食べたもん勝ちです」


 俺はダブルバーガーの包装を解きながら、さっそく何が聞きたいのかを尋ねた。


「冬見君の一日のスケジュールですよ。月から日まで。起きてから寝るまで、教えてください」


「…うんと、朝は基本的に五時起床です。五時半に家を出て…着いたと同時に、俺がバイトしてるリンドウっていう居酒屋の店主の軽トラに乗って居酒屋の料理の買出し、かえって来るのが七時半頃で、そこから店内外の掃除をして九時に午前中のバイトが終了。それから十時までうろうろして…図書館や本屋が開いたら立ち読みに行きます。たまに映画とか行きますけど…たいがいが本ですね。とにかく夜のバイトは七時からなんでその時まで時間を潰します。で、夜のバイトは客が全員帰るまでですけど。早くて二時、遅くて三時ですね。それからすぐ帰って睡眠…と」


「不健康な生活してるんですねぇ」


「余計なお世話です」


 警察手帳に時間表でも書いてるらしく、さっきから線を何本も引いたりしている。ダブルバーガーを咀嚼しながらその様子を眺めていると、


「あれ…第一の事件の発見時刻は六時四十分になってますよ?」


「寝坊したんです。まぁ店主からは事故に遭遇したといってうやむやにしたんであまり怒られなかったんですけど」


「はい…で、次。この人に見覚えはありませんか?」


 机の上に広げた現場やら人物やらの写真…俺と、俺の家の写真もある。その中から一枚取り出すと、俺に見せ付けるように言った。


「え? この人…」


「この人が奥山の遺体の第一発見者なんです。見覚え…ありますか」


 …あるよ。あるに、決まってる。いつも会ってる、この顔。…小さい頃から知ってる。


「疋田正子さん六十才。発見時刻は午前三時頃十分。こんな時間に何やってるんでしょうねこの人、居酒屋の帰りに見つけた…と言ってましたねが」


「知ってます。うちの居酒屋ですよ、それ」


 何で…? 噂話が大好きなあの人の事だ、俺達に黙ったりなんてするはずがない。疋田さんなら死体を発見した日には色々な人に話してまわっているだろうに。でも事件のあった日、特に変わった様子はなかったし…故意に黙っていたのか? そういえば昨日もやけに早く帰ってたしな…。

 でも故意に?

 …なぜ?

 俺と一緒で事件に関係している事を知られたくなかったとか? 俺の場合は、銃殺と分かって…もしかしたら自分の銃かもしれない、という後ろめたさがあった。なら疋田さんはどういう意図で?


「…もしやとは思ったんですけどね。ビンゴですか」


「どういう事ですか?」


「…どうもこの事件は、被害者、容疑者、発見者共々…事件に何かしら関係のある人物ばかりなんですよ。ある意味共通点ですね。だってほら第一の事件は久上さんの奥さんが亡くなられて発見者が冬見君。第二の事件、奥山の時は発見者が冬実君と親しいご老人。しかも奥山と前日に、冬見君と久上紗枝さんは会っている。第三の事件の久上円さん殺害では、発見者は久上紗枝さんの父親でしたが、前日、前々日と円さんに冬見君は会っている。…どう思います? 冬見君と久上紗枝さんを中心にして事件がまわってると思いませんか?」


 確かに。でもそれはある意味仕方がない事だ。なぜなら普通、自分が助けた人ならばお見舞いに行くだろう。偶然そこで奥山刑事達に会った…それは久上さんに事情を聞くためにいたのであって、言わばそこで鉢合せになるのは必然だったわけだ。姉を心配して病室に来る円ちゃんと会うのも必然。そこに疑問は何も介入しないはずだ。疋田さんの事はさすがに驚いたが、それ以外は別に不思議でも何でもない。


 …本当にそうだろうか。わずか三日に、これだけの関係を持ち、その関係者が殺されていくのは異常ではないか? 必然そうに見えて、実は何者かに引き寄せられているような。


 ごくん、とよく噛み砕かないままに飲み込んだダブルバーガーのパンが、喉に引っかかっているようにゆっくりと食道を下っていく。その息苦しさと同時に、胃が縄で縛られたように収縮する。歯を食いしばって吐き気を懸命に抑えるが、決してむせたんじゃない。純粋な、吐き気だ。


「…案外すぐに捕まるかもしれませんねぇ~、犯人」


 なぜか俺をじぃっと見つめながら言う。その瞳は俺を笑うように光っていた。


「何でそんなに楽観的にいられるんですか? 貴方の部下が殺されたってのに。それに名目上守らなくちゃならない市民も危険に晒されてるんですよ?」


 俺の言った事がそんなにまでつまらなかったのか、至極退屈そうな目で俺を見つめる。山本刑事窓外に目をやって、思い出したように呟いた。


「…だからでしょうかね。もう僕はこの事件には刑事としてじゃなく個人で動いてますからね。上からも目立つ行動は取るな、と言われたばかりなんですが…僕は犯人のツラを拝みたいがために調査してるんです。他人がどうなろうと、僕の知った事じゃありませんね」


 警察官ならぬ言い草だ。腹を立てないわけにはいかないだろう。…それは久上さんをも守らないという意味合いにもなる。


「…クズみたいな人ですね」


 …一緒にいるとむかついてくる。調子を狂わされる…このクソヤロウ、なんて事を言いやがるんだ…冗談でも言っちゃいけない事だろう。他人が死んでもいいなどと、よくもそんなふざけた事を。自己中心的にもほどがある。


「おや、もう帰るんですか?」


「食欲がなくなりました」


 俺はまだ手もつけていないテリヤキバーガーやらをお盆からゴミ箱へ流し落とすとそのまま店を出た。しかし…自分でやっておきながら、不思議に思った。普段の俺はこんなに気は短くないぞ? そんな自分でも釈然としない不可解を抱えて。


「はぁ…」


 体の中のわだかまりを吐き出す。タバコの煙のような息が空へ消えた。その行方を追って…少し反省する。気分が悪かっただけについイライラに任せてしまった。思いやりを忘れてしまっていた。山本刑事がああ言うのもわかる。自分の同僚が殺されたんだぞ? 恨んで当然だろう。


「でも…謝れないな」


 それだけは譲れない。






 ハンバーガー屋の店内では、去っていく冬見に見送りの視線をやっている山本の姿があった。


「ははは…だから僕って嫌われやすいのかなぁ」


 くいと一口、コーヒーを喉へ傾ける。久上宅で飲んだコーヒーの方が断然おいしかったのだろう。普段ならの見慣れてるはずの安いコーヒーの味に思わず顔をしかめた。


「明ちゃん。もしかして、あの子は…」


 山本にとって懐かしい面影の後ろ姿が雑踏に、飲み込まれるように消えた。



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