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三月八日 2

 まだ下に降りたくないという久上さんを置いて俺は久上さんのお父さんの所へ向かうために一階へ降りた。山本刑事と久上さんのお父さんの姿はそこにはなく、…足の踏み入れにくい、明かりのある部屋から話し声が聞こえた。


「どうも。終わりました」


「お疲れ様です冬見君…なら私は少し席を外すとしますか。ごゆっくり」


 洋風な部屋…山本刑事と久上さんのお父さんはテーブルを挟んで、向かい合わせるようにソファに座っていた。大きい薄型のテレビが印象的なリビングだ。山本刑事はよっこらせと腰をあげると、俺とすれ違いにドアから出て行った。


「どうぞ、冬見君」


 右手でソファに座るように促してくる。俺はそれに倣った。


「まず、ありがとう冬見君…娘を発見してくれて、本当に」


 そう言うと、深々と頭を下げた。妻、娘一人を失った親にしてはあまりに立派過ぎて「俺は別に…」と言葉を濁すくらいにしか、できなかった。


「円にも優しくしてくれたらしいね…昨日の昼、電話で聞いたよ。いや実に…楽しそうに話してくれた。私には、家族の会話自体が久しぶりだったからね。…最後に話した会話が、娘の楽しそうな声で、本当によかったと私は思っている」


 長々と頭を下げ続けて、やっと上げた。俺は誘い込まれるようにその顔に目をやると、力なく薄笑っていて…俺なら何もかも失って絶望に打ちひしがれているだろうに、この人は強い人だと思った。


「お察し、します」


「いやいや…ははは、どうしようもない事だよ。君にも、私にもね」


 今にも壊れてしまいそうな大人のプライドの仮面を懸命に被っている。二人を殺した犯人への憤怒や失った事への悲しみが表情の中に微妙に見え隠れしていて、それを表に出さないように努力している事がわかったから、余計にこの人の器の大きさがわかった。


「最後の記憶がお互いにケンカだったり、どんな会話をしたかさえ思い出せないほど過去の事だったりではなくて、それが昨日…だった。鮮明に思い出せるよ。私には、今この家に残っているどんな思い出よりも、一生形見にできる思い出だ。こんなチャンスを作ってくれた君には、感謝してもし足らないくらいだよ」


「そんな…俺は何もしてませんよ」


「いや、十分にしてくれた。全く意図しない事だったとしても、君が紗枝や円にしてくれた親切は私に対してもだったんだよ。確かに、君からすれば感謝されるいわれはないと思われても仕方がないが…すまない。ここは感謝されていてくれないか」


 再び頭を下げる久上さんのお父さん。俺は、この微妙な空気が嫌だったので早々に別の話題を切り出す事にした。


「山本刑事から…話は聞いてますか?」


「あぁ聞いてるよ。何でも…一連の事件は皆、銃殺だそうだね。そうだ、そろそろ刑事さんを呼んでこよう…。私からの用はもう終わった」


 玄関では、山本刑事が開いたままのドアに寄りかかって手帳を睨んでいた。


「ん…と、もう用はすみましたか?」


 言いながらも手帳を眺め続ける山本刑事。失礼な…と俺は思ったが、久上さんのお父さんは気を害した様子はない。ソファに座っていていい、という好意に甘えて、二人より一足先に柔らかいソファに腰を埋めた。


 久上さんのお父さんがコーヒーを振舞ってくれてたので、それを飲みながら…それからは簡単にアリバイを説明する事となった。最初の事件から今日まで。印象的な数日間だっただけに自分でも驚くくらいに詳しく説明できたと思う。しかし、幽の事は黙っていた。何となく言うのが怖かったし、意味がないようにも感じたからだ。しかし、途中で話は色を変えた。


「そうそう…事件の事ですがね、昨日鑑識が興味深い事を話してましたなぁ」


 頭の中の記憶を探るように、視線を天に向けながら言う。


「凶器の事です」


「…どんな、事ですか?」


「いやぁその、今回使われた銃は今時珍しい物らしくて。俗に言う不良品って奴です。こっちの方はまた別の知り合いからの情報なんですけど、何でもその銃は中国経由で十数年前までに輸入されていた物で、あまりの性能の悪さに日本側の連中も輸入を拒否、とうとうその銃を製造していたマフィアは製造中止せざるを得なくなった、とか」


 なるほど、だから安かったわけか。買う前は五万以上を覚悟したけど予想外だったよな。


「綺麗な蒼銀色の弾なんですよ。それがまた綺麗でねぇ、犯罪に使うなんてもったいないくらいです。で、興味深いのはここからなんですが」


 そこで山本刑事は話すのを止めた。何かを考えている風だったが、すぐに俺達に視線を戻し、再び話し始めた。


「性能が悪いだけに非常に輸入率も悪いらしいんですよ。最近は安くて性能のいい銃が出回ってますから誰もそんな物買いません…だから売る方も在庫がなかっただろうと思うんです。それにですね、その性能の悪さと言ったら…飛距離こそ普通の拳銃レベルですがね、命中率が悪いんです」

 山本刑事は苦笑した。

「そんなんじゃ誰も輸入しませんよね」


「どういう、事なんですか」


 どこが興味深いんだろうか。ちっとも事件に関係ないように思えるけど。


「あのですね…僕の予想では、犯人は銃器に詳しくありません。なぜならそんな銃を買ったからです。コレクターならまず使いませんし、売る方はさっさと売れない商品は処分してしまいたいと思うでしょう。ですから、買ったのは全くの一般人というのが有力になるの、わかります? 使える銃も二丁に限られてまして、装弾数はどちらも六発。犯人はきっと、弾なんかも最初の装弾数六発分だけしか持っていないと思いますね。一日に一人というのがまさしく節約してる感じがしますし」


 …この刑事、すごいぞ。弾の事が分かっただけで、俺の買った銃やその弾の数まで当ててしまうなんて。


「犯人は一般人なんですか?」


「ええ、おそらく。無差別かどうかは僕もまだ判断できませんが、その点に関しては、ね。勘みたいなものです。気にしないでください」


 中年刑事はコーヒーをグイと一気に飲み干す。ぺろりと唇を舐めた。


「でも…そんな大事な事、俺達に話してもいいんですか?」


「大事ぃ? あっはっは、いやぁ~全然大事じゃないですよ。ただ興味深い話ってだけです。刑事になるとその程度しか面白い話ってないですからね。それに…貴方は犯人じゃないんでしょう? 違いますか? なら、いいんじゃないですかね」


 バカを言え。山本刑事の言い方は…何かを誘うような感じがした。刑事の習性なんだろうか。ボロを出すとでも、思っているのか?


 でも、使えるかもしれない。うまく、逆に誘えば。


「なら興味ついでに聞きますけど、今のところ、殺されてる人の共通点はわかってるんですか?」


「いえ、だから私にはその判断ができないと…」


 だから世間も無差別と言ってるんじゃないですか、とため息混じりに言う。


「ありますよ。共通点。というか、一連の流れが」


 あまり予想したくなかった内容だけど。でも一番有力なのは間違いない。


「へぇ…何です?」


「…俺が考えるに、今までの被害者は全て久上さんに関係しているという事です」


 俺は昨日、最初の現場で分かった事を二人に伝えた。久上さんの母親が頭を撃たれた時近距離だったために、殺し損ねたが…犯人は久上さんの顔を見ている可能性があるという事。奥山刑事は何かを知っていて、それを確かめるために自ら夜のデパートに行き、殺されたという事をだ。


「今度の円ちゃんの殺人は二つの殺人から急に距離が遠ざかりますけど、どうでしょうか」


「ふぅん…悪くないんじゃないですかね」


 つまらなくも面白くもない、といった感じに山本刑事は言った。しかし少し思案げに俯いているのを見る限り、何かしら考える所はあったようだ。


「だからですね…いや、昨日朝、第一の現場をうろついてたのは。何やらおばあちゃんに話しかけられたらしいですね。誰ですかその人」


「…何で知ってるんですか」


「まぁ色々ありましてね。そうそう、刑事の真似事はどうかと思いますから…止めといてください。後々面倒な事になると僕らも困りますから」


 全然注意する気なんかない感じで、形だけの(ことわ)りを入れるだけだった。


「さて、もうそろそろ行かないと…いやはや、ご協力ありがとうございます」


 話し始めて各々がゆっくりとコーヒー二杯…約一時間が経過していた。顔も見ずに言うと、ソファから立った山本刑事は小さく会釈をした。


「それでは私はこれで。そうだ、冬見君はどうしますか? また私の車で家まで送りましょうか?」


「いえ、自分で帰れます。山本刑事こそ、スピード違反しないように気をつけてください。行きの時、飛ばしすぎでしたから」


「かぁ~、言いますねこの。最近の若いのは口が達者だなぁ」


 わはは、と笑い声を残すと山本刑事はそのまま部屋を出て行こうとするが。


「刑事さん…一刻も早く犯人を。どうか」


「はい…わかってますよお父さん」


 山本刑事は久上さんのお父さんの祈るような声に立ち止まると、同情するように言った。


「私も、同じ気持ちですから」







 山本刑事が帰った後、俺は気が抜けたサイダーのような目で開いたままの玄関のドアから外を眺めていた。朝八時。人の家に上がり込むには少々早過ぎる時間とも言える。ようやくと外の暗みがなくなってきたような時間帯で…窓から外を覗くと通学途中の高校生の姿が見受けられた。


「…っ」


 眩しくて、目を細める。心の中に浮かんできた強い感情を、唇を噛んで堪えた。


 一時期は強く憧れた…人生で一度の高校生というもの。完全に諦めざるを得ない遠い夢でなかったがため、手が届かない事実が辛かったのを、覚えてる。死のうと思ったきっかけも、それだった。どうして他人が簡単にできているような事が、自分にはできない? 何で俺だけ…という矛盾と現実が、俺を何度も傷つけてきた。


「でも、今はもう昔の事だ。今は今でやる事がある」


 たくさんの未練を抱えても前に進む。それで…それでいいじゃないか。


「そこにいたんですか? 冬見君、朝御飯一緒に食べます? 朝早かったですし、もしかしたら食べてきてないんじゃないかと思って」


 松葉杖でひょっこひょっこと現れたのは久上さんだった。泣き止んだようで、瞳にも力が戻っていた。松葉杖も使い始めたばかりのわりには…なかなか安定している。


「食べてきたけど…う~ん、何で腹減ってんだろ?」


「じゃあ一緒に食べませんか?」


 それは魅力的な申し出だ。もちろん、断る理由は俺にはなかった。


 久上さんが隣、お父さんと向かい合わせるようにして朝食を囲んだ。メニューは簡単にトースト、ハムエッグ、味噌汁(唯一和風だ)、コーヒーだった。


「へぇ…おいしいな、この味噌汁」


 自然と褒めの言葉が出た。とても舌当たりのいい濃さとダシが、いつもいい加減に作っている俺の味噌汁とは大違いだ。


「ちゃんと炒子(いりこ)からダシを取ってるんだな。この年でやってる奴がいるなんてなー…」


「よくわかりますね…自分で作ったりとかするんですか? それにいつ頃から?」


「うん。俺の場合はバイトに間に合わせるために速さ重視だから。味付けも味噌オンリー。母さんが俺が小学校辺りの頃に死んでるから、その時からなんだ」


「…ごめんなさい」


 まずい事を聞いてしまったと思ったのか、謝る久上さん。


「いや、別に気にする事じゃないぞ。昔の事だからな」


 ずずず、と味噌汁を喉に通した後、バターが溶けて染み込んだトーストにかじりついた。こちらもおいしい。やっぱり使ってる材料の質が違うな…。


「君は、どこでバイトをしてるんだったかな」


「リンドウっていう居酒屋です。そこの店長が幼馴染というか姉代わりで、よくしてもらってるつもりですが」


「父親は生きてるんだろう? 彼は働いてないのか?」


「母さんが死んだ時から徐々に飲んだくれてきて…今じゃ、全く」


 父も娘も何で答えにくい質問ばかりなんだろう。…こういうクセでもあるんだろうか。


「それにしても、いつ頃帰って来たんですか? 外国にいたんですよね?」


「いや、円から電話があってね。妻の事の知らせを受けたのがその日の夜だ。どうしても仲間にすぐに飛行機を手配してもらったが運悪く席が空かなかった。ロンドン空港でとうとう七時間も待つはめになってしまったよ」


 ははは…と意味もないのに疲れたように笑う。


「私は、音楽のために色々な物を捨ててきた時間、物資、知らない所で私のために苦労していた誰かなどをね。それこそ数え切れないくらいだ。それはわかっていた。家族を置いて一人で外国にいたんだよ。それくらい覚悟の上で…私は音楽という人生をかけた命題に取り組んできたつもりだった。でも、私は、過去を振り返ってみれば後悔ばかりだ…」


「本当の罰は、受けてずっと後になって気づく、ですか?」


「紗枝から聞いたのか。はは、その通りだ。最愛だからこそ見落としていた。失って始めて気づくんだ、心の中がぽっかりと空いてしまって…大切なものをなくした後に残る、どうやっても埋まりそうにない空虚。人が絶望する唯一の理由は、それなんだよ。本当の罰は、受けてずっと後になって気づく。そしてその時、人は、自分の罪を本当に理解する事ができる。私はそう思ってる」


 言葉が終わる。俺達は沈黙していた。俺も含めて、それぞれが言葉の意味を咀嚼しているようだった。


「そうだ冬見君。明日妻の葬式をする予定だったんだが…円も一緒に弔ってもらう事にしようと思っている。よかったら、君も来てくれないか?」


「俺…ですか? 別にいいですけれども」


 そうか…ありがとう、と言い残すと食べ終わった食器をそのままに、早々にリビングを去っていった。居たたまれないようでホッとしたような、そんな感じがした。


「すみませんね。何度も、何度も」


「謝る必要はないだろ? 人が死んだらそういうもんさ。きっと」


 俺達は食事を終えると、誘われるままに久上さんの部屋に向かった。


「今日の昼頃にはまた病院に戻らないといけないんですけどね」


 悪戯っ子っぽく舌を出すが、いかんせん堂に入ってない。普段から円ちゃんや茜さんくらいにやんちゃオーラが出てないとそのパフォーマンスを極めるのは難しいだろう。極められるのも困るんだけど。何とも言えないギャップが俺としてはいいと思う…って何考えてるんだ俺は。


 勉強机付属の椅子の他に座る物がないので、一人だけ立たせるわけにはいかない…無言の利害一致で二人してまたベッドに腰掛けた。


 ベッドに沈み込んでいくと同時に、会話する声も小さくなっていった。顔を合わせるのも少し気恥ずかしい。なのにすぐ隣に座ってしまったものだから、もう少し座る時に離れておけばよかった…と後悔する。近ければ近いほど、数時間前にあった出来事を思い出してしまうからだ。しかし一度意識してしまうと、金縛りにあったかように動けない。久上さんも同様のようで、俯き気味な横顔からは、こちらを窺うような視線がちらちらと向けられる。


 そういえばあの時は雰囲気に流されてやってしまったけど、よくあんな事ができたよな。久上さんの気をさらに逆撫でするような結果になっていたら、もうこの家には俺はいなかったかもしれない。


 さっきまでは久上さんのお父さんが一緒にいたから普通に会話できた。だけどいなくなった途端に、これだ。二人である事を意識してしまうと、どうしてもさっきの出来事が何度も脳裏に再生されてしまう。あぁぁくそ、何で抱きついたりしたんだ…Hugって言うんだよな、ああいうの。ほ、抱擁? だぁ~、最低だ俺…。


「あ、あのっ」


 先手を打ったのは久上さんだった。いや先手って、別に戦略ゲームじゃないって。


「う…うん?」


 自分で言って自分で赤面してしまうくらいにマヌケな高い声で返事をする。もう少し続くかと思われた沈黙に、少しひびが入った。


「何か…話しませんか?」


「うん。何を?」


 う…む。また会話が止まってしまった。だめだ、これならお父さんがいた方がまだマシだった。ティーセットをシルバートレイに用意して持ってきてくれないかな…今すぐに。


「冬見君の、こ、ころもの頃の事とかっ」


「…ころも?」


 子供、の事を言いたかったのだろうか。それとも別の事を? そう思って久上さんの顔を覗くと、失言してしまいましたという「あっ」と言う感じだった。呆然と開かれた口元が、閉じる機会を待っているようにやわやわと動いている。スイッチには十分だった。


「…ぷっ、ははははっははは! な、何だよ『ころも』って…! ぶぁはははは…くくく、ひぃひ、息できねぇ…!」


 パンパンに膨れた風船が割れるように、口から緊張があふれ出ていく。


「初めて会った時から思ってたんだけどさ…はぁっ、くくぷ、もしかして天然ってクラスメイトから言われてた? 言われてたろ!?」


「え、ぇえ? 何で…!?」


「わかるって、もう滲み出てるよ全身から! はははははっ!」


 こんな貴重な人種がいたなんてな…今の今まで見落としてたかどうかは知らないけれど、久上さんはもう天然で決まり! ミス天然の誕生だ。…嫌な称号だな。


 なかなか笑いが収まらない俺に釣られて、ついには久上さんまで笑い出す。ひとしきり笑って肺が酸欠を訴え始めた頃、息を整えて言った。


「やっぱり、緊張し過ぎんの、疲れるって。確かに最近は色々あったかもしれないし、これからも起こるかもしれない。けどさ、せめて何もない時くらい、自分を休めてあげないと持たないよ。何もない時くらい…な?」


「…うん」


 人が死んだ日。それも、家族が死んだ日。そんな日に楽しそうな顔をするのは不謹慎かもしれない。だけど、死人を思う事ができるのは、それは生きている人あっての行動だ。


 死んだ人は、戻らない。どんな事があったとしても絶対に、それだけは変わらない事実。だからこそ、生きている人が不幸せであっちゃいけない。自分を悲しみで苦しめたところで死んだ家族は誰も喜ばないし、何も変わらないんだから。


「…泣いて解決する事なんて何もない。悲しい時こそ泣くな」


「冬見君、それ」


「あぁ、円ちゃんに教えてもらった。まぁ意味は少し違うけど…結果はさ、一緒だろ?」


 今ではもはや、その言葉でしか彼女のとの思い出は語ることはできないけれど。


「…そう。円が」


 嬉しそうな…懐かしいものを見るような目で、部屋の何もない空間を見つめる。

 形はないけれど、でもそれは俺達にとって確かな力になった気がする。その時言った本人はこういう結果になるとは考えてなかっただろうけど、結果は結果だ。その過程がどんなだって関係ない。だって今、こんなにも心強い。なぜなら円ちゃんが残した言葉はそのまま…自分だけが生きていてすまない、と思って自責している久上さんを励ます、死者からのエール…許しになったからだ。


 朝日が久上さんの背に差し、影を部屋に垂らしている。もちろん彼女の黒髪にも。春らしいさっぱりとした日光が綺麗な黒髪に触れて、光の跡を残している。空気中のわずかな塵が、小さな小さな蛍のように思えた。


 やっと久上さんも、心から力強く微笑もうとしてくれている。それだけで、ありがたい。今はこれ以上、いや今はこれでいいんだ。今は、これ以上は望まない。だから、


「病院に戻る時、手伝うよ」


 そっと肩を抱く。今度は振り払おうとはしなかった。


「うん…」


 布越しに感じる華奢な体。心も体も壊れやすい…女の子。


 守りたいと思った。久上紗枝とは、そんな女の子だった。



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