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挿入話③ 死人の集う場所




 

 何もかもを拒絶する目で、夜に食われ飲み込まれていく街並みを見やった。ギトギトしたネオンがべっとりと壁や屋根に張り付いている風景は、今すぐにでもなくなってほしいと願わざるを得ないくらい癇に障る。その下で息づく汚い人の流れ。公共の場だというのにバカみたいにゲラゲラ…壊れたラジオでもまだマシな音を出す。ひどい騒音だ。死ね。


「けど…今日でおさらばなんだからな」


 この雑多を目に焼き付けておくのもいいだろう。どうせ今日、俺の視界からなくなる世界だ。冥土の土産に…というのもなかなかカッコいい。ただし、差し出すには粗末過ぎるけどな。


 ふぅ、と一息。数秒前には他人の肺の中にあった空気をまた吸い込む。空気に色がついていたとしたら、ここいらの空気はきっと灰と碧が混ざったような汚らしさだろう。あえて吸って、吐く。人の流れに身を任せるように歩きながらの単調な動作。体の中が毒されていくのを感じた。


「…この通りだったな」


 風の噂で聞いた話。本当にどこで聞いたのか思い出せない。リンドウでは危ない話は全然入ってこないし、俺も普段なら関わり合いになりたくないと思われる内容だった。



 ―――あの大通りの横道にVAINってバーがある。そこにな…―――



 俺は帰宅中のサラリーマン達で溢れかえる大通りを避けるように、脳内の声の記憶に従って横道に入った。…が、数メートル進んだ瞬間、途端にむせ返るような匂いの変化が鼻腔を襲ってきた。刺激臭…というわけではないけれども、何よりもまず吐きたくなるような、純なアンモニアの匂いより性質の悪い、狂わせる香り。


「つぅ…、マジかよ。人が住む環境じゃねぇし」


 細い道だけに、しかも風通りが悪いのか、こもった臭気にあふれていた。化粧品の甘い匂いを空気越しに、全身に擦り付けられる。空気の冷たさに関係なく寒気がした。それ以上にドキドキした。脳みそがドロドロと音を立てて溶け出ていく、体が、犯される感覚。


 …けど、そう感じている自分に気づくとすぐに嫌気がさした。汚い汚い、汚れる、汚らしい穢れ、穢れの毒を肺の中から追い出す。そして手で口と鼻を覆った。意味はないが、こうでもしないと正気を保てそうにない。意志が揺らぐ。同じような匂いの人の群れ。


 悪魔の誘いを振り切るように乱暴に踏み出した俺へ何度も、寄っていきなと声がかかる。無論、それは全て無視した。中には無視した俺へ罵りの言葉をぶつける奴もいた。あぁあ、どうせなら記念にウザい奴を手当たり次第に殴り飛ばしながらいこうか。ここへは、もう二度と来る事はないだろうから。



 ―――そのバーにはな、マジ物の銃が売ってあるんだってさ―――



 思い出す度に、胸が高鳴る。今まで勇気が出なかったけれど、とうとう今日になって踏ん切りがついた。もう死ねる。躊躇なんかするもんか。迷いなんかない…こんな世界に、未練なんてもうどこにもない。


 希望なんざ、あっても仕方ないんだよ。夢も、所詮一時の迷いなんだから。そんなモノに浸れるのは、幸せな奴らの特権に過ぎない。タバコと同じ。体に悪い草なんかに高い金出して、その快楽に狂う。そう…夢や希望は、それこそ持たなければ安定した生活ができていた人達が落ちる、落とし穴だ。罠だマヤカシだ幻だ、社会の上層部が自分をねたまないようにするために策略した民衆への当て付けがましいエサだ…元々、荒れた社会の砂漠に佇む、永遠に手の届かない蜃気楼でしかないのに。


 ―――もう、疲れたんだよ。


 それに、たまたま蜃気楼じゃないマジの夢や希望があったとしても、ごくごく稀だ。たいてい俺達はその叶った人の話を聞いて、自分じゃ真似できないなと思うだろう。当たり前だ。無意識にわかってるんだ…それがどんなに危険な賭けで、自分の人生を棒に振りかねないバカな行為かを。だからこそ英雄視されてもしかないのだけど。でも腹立たしくなるんだ。叶うとわかっているなら誰だってやる。ああくそ、俺もそうすればよかった。そんな明確な後悔を味わされる。悔しい、あぁそんな話聞かなきゃよかった、もしも聞かなければ…俺はてめえの人生を賭ける事ができない臆病者で、選択肢に気づけなかった敗北者だって…気づかずに、いられた。


「ここ、か」


 横道の最奥。高そうな金色のドアの上には、ピンクのネオンライトがうねり、一筆書きにVAINを(つづ)っている。細い道の突き当たり…そこの一角だけ避けるように…やけに人気がなかった。


「よし…」


 からんからん、と店内のドア上、安い真鍮(しんちゆう)の鐘が身を震わせた。それ以外音を立てる物は何もない。ちょうど目の前に当たるカウンターで、この部屋で唯一の人間が…バーテンらしき誰かが静かにグラスを拭いているだけだった。床には幾何学模様の絨毯が引かれ、椅子は高級感あるスツール、カウンターはグラスを置く所だけ大理石で、椅子のデザインに合わせるように、それ以外は同じ木色をしていた。


 あれ…と、気づく。

 外の化粧品のような臭さはまるでない。

 今までその外にいた自分の服にまとわりついてる少量しかあの匂いの影はなく、店内は薄く香水を含んでいた。挙動不審に部屋を見渡している俺へ、物珍しい物を見るような視線を当ててくる。


「あら、いらっしゃい。可愛い顔ね貴方…食べちゃいたいくらい♪」


 言葉の内容に似合わないゴツい声。光量の少ない部屋なだけに、もう少し近寄らないと顔がはっきりしない。…でも、その輪郭はわかった。顎のがっしりとした、立派な肩幅を持っていた。俺は俯きながら席へ座る。


「…貴方が、伊勢光彦さんですか?」


「やぁんそんな名で呼ばないで…私、本名嫌ってるの。ママって呼んで」


 喉仏の他にも何か詰まってるんじゃないかと思うくらいにどぎついガラガラ声で言う。磨き終えたグラスを背にある透明な棚に宝石のように置くと、カウンターに肘をついて俺を見あげる眼差しで見つめてきた。その睫毛(まつげ)ときたら、まばたきの度にマスカラがばちんばちんと音を立ててしまそうなほどだった。洋館の女主人のようなけばけばしい服装で、パットで不気味に膨らむ胸が怖い。その手入れされ尽くした金髪を愛おしく撫でながら「何がいい?」と聞いてくる。俺はメニューもよく見ずにウイスキーとだけ答えた。


「子供がお酒なんか飲んじゃダメでしょ。わかるわよ私には。十八十九ってとこかしら?」


「そんな良心的な店じゃないくせに」


 この年になって子供扱い。少し苛立った。俺の怒ったような返答に伊勢は苦笑し、グラスに茶色い液体を注ぐ。しかし勝手に水割りにした…あまり強い酒が飲めない俺としては、それはありがたかった。でも礼を言うのは負けたような感じがして嫌だった。俺は胸の前に置かれたグラスをじっと見つめて、その事を言うか言うかまいか躊躇していた。伊勢はその俺を観察するように見つめてくる。工事現場で怒鳴り散らしている姿が似合うだろうに、酒売りのオカマはむずがゆくなるような微笑を浮かべて言った。


「どうしたの貴方。わけがあるなら聞かせてもらえるかしら?」


 迷子をあやすように言う。言葉に機会を得たような感じがして、俺は顔をぐっと上げた。


「この店で、本物の銃が買えると聞いたんですが」


 沈黙が、店内を支配したように感じた。伊勢はすぐには答えようとはせず、頬を少し緩ませて首を傾けた。


「何の事かしら?」


「銃を…買えると聞いたんですが」


 繰り返した。しらばくれる気か、と目に力を込めて。


「…もう強情なコねぇ。うふ、でも好きよそういうの。私は可愛いと思うわ」


 はぅ、と肩の力を抜いた伊勢はうっとりと何かを思案する風に照明を見上げた。顎を支える右手の人差し指がせわしなく頬を撫でる。その人差し指だけが、わずかな動揺を表現してるようだった。少しだけ奇妙で、気狂いを想像した。


「えぇ…でもすごく質の悪いコでね。もう上の方も製造中止を決め込んじゃってるようなものよ。今じゃ近くの組の若い衆も持っていないくらい…」


 伊勢は空いている左手の人差し指を俺の前でピンと上を差して、


「一枚でいいわ。私に言わせれば、あれくらいのじゃじゃ馬さんも嫌いじゃないんだけどね」


 そう言うと、奥の部屋に艶やかにハイヒールの音を響かせながら入っていった。俺は水割りを二三口ほど飲み、焼けるような喉に少しむせた。咳がようやく静まった頃、片手にティッシュケースほどの大きさの箱を持って出てきた。


「うふふ、銃の名前なんてどうでもいいわよね。六発はサービスよ。それとも貴方には一発で十分だったかしら?」


 からかうように言う。しかし、意味がわからなかった。


「何でそんな事を聞くんですか」


「いやねぇ~最近多いのよね自殺志願のコって。ほら、首吊りとかリストカットとか…無駄に痛くて苦しいじゃない?」


 今での微笑が嘘のように、楽しげに言う。これ以上の楽しみはないと言わんばかりの笑みだ。アハハと高笑いすらした。


「たいていのコはね、キレイに死にたいのよ。体のコンプレックスとか…若い女の子男の子には理由は色々あるわ。でも心や体を問わず、自殺するのは傷つけられた事が理由なのは間違いないでしょう? だからね誰でも、キレイ、がいいのよ。そして苦しみから逃れるためなんだから飛び降りもダメ。そしたら自然にこういうトコに集まってくるのよね…貴方みたいな目をしたコが」


 挑発するような視線を俺の上半身を舐めるように這わす。


「うふ…ねぇ可愛コちゃん、どうせ死ぬんならさぁ、ちょっとくらい私に貴方を味見させてくれない?」


「嫌です。…それに、そんなつもりはありませんから」


 自殺を知られたくなかったので嘘をついた。こんな奴にバレたのが悔しかったからだ。


「へぇ…じゃあ何人分(・・・)?」


 とうとう瞳に悪意が滲み出てきた。俺という人間の中身を丸裸にしようと企むような。


「どういう事ですか」


「貴方頭良さそうに見えて察しが悪いのね…まぁいいわ、ボク? 拳銃買いに来る人っていうのはね、自殺か強盗か観賞用か殺したい人がいるかのどれかって相場が決まってるの。でも貴方は強盗しそうな顔してないし、かといって部屋に飾ってニヤつく人種にも見えない…それで自殺じゃないっていうなら用途は殺人しか残ってないじゃない?」


 おかしくてたまらないように、左手で狂い笑いを浮かべる顔を隠した。それでもその手の隙間から悪魔のような笑みと堪え声がもれる。何がおかしいのかと、俺は怒鳴ろうかと思った。しかし思うだけで、目の前の狂気に肝を潰されていた俺には無理だった。


「この世から消しちゃいたいくらいキライな人がいるって事よね? あはははははははははははは…! ははは…はぁ、まぁ恨みを晴らすには、確かにこの銃はおあつらえ向きよ…そういう意味じゃね。安物の銃、安物の弾で嫌いなコの顔を撃ち抜いてやるの…死んでほしいブタ野郎なんかに高いお金払う事ないわ。お安く、お手軽に奪ってやるのよ」


 おかしくておかしくてどうしようもないらしい。饒舌に、吐き捨てるように言った。

 付き合いきれない。俺はポケットから一万円札を一枚無造作にテーブルに置くと、置かれたケースを掴み、水割りを一気に飲み干して席を立った。伊勢は何も言わなかった。ドアの近くまで言った時、初めて彼は口を開いた。


「明日からの朝刊、楽しみにしてるわ」


 俺は悔しさに睨み付けたい衝動を抑えて、その代わりにドアを、壊しそうな力で閉めた。




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