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三月七日 2

 借りた本の入った手提げを右手に、コンビニで買ったお菓子を左手に俺は病院の門をくぐった。広い駐車場にはすでに車は何台も入っている。お年寄りの送り迎えだろうか。


「……」


 俺は大股で歩いていた。周りに他の景色もあるだろうが、あまり気にならない。早く、早く久上さんに会いたかった。


「おはよう…久上さん」


 廊下は患者がいないのではないかと思われるくらいに物音を感じなかった。しかしいざ久上さんの病室に入ってみると、胸の前で久上さんはガチャガチャと音を立てて必死になって何かをしていた。どうやらここの病室は防音効果が優れているようだった。


「あ、おはようございます。冬見君」


 笑いかけるような挨拶。俺は唐突に頬が赤くなったのを感じて、口をつぐむ。


「あれ…名前教えてたっけ?」


 慌ててそんな事を口走りながら、目をそらした。久上さんの方は俺に顔を向けているものの、まだ手元のキューブが手放せないでいた。古っ…心の中で呟く。


「昨日自己紹介したじゃないですか。それにしても、こんな早朝にどうしたんですか? その荷物も? ……っ、もぉ、どうして外れないの~…」


「あぁそれか」


 さっそくパズルをやってるとは。やっぱりパズル系は必須なのか。


「冬見君、外せます? 私朝起きてからずっと戦ってるんですけど、全然外せなくて」


「あのね、それは外すんじゃなくて色をそろえるんだよ。ほら、一つ一つマスに色がついてるだろ? 全部色をそろえて、完成」


「えぇ!? それならさっき何回もできたのに…これ、妹に手渡された時遊び方聞いてなかったんですよ。何かこの色といい、形といい、パカでも外せるようなイメージ…浮かばないですか?」


「…はは、大丈夫…みたいだな」


 久上さんは、一瞬俺の言葉にきょとんとするが、顔にふっと陰りが現れた。


「昨日、泣き尽くしましたから。もう、大丈夫です」


「そっか」


 足は大丈夫なのか、と続けたかったが止めた。もっとそんな事よりも言わなければならない事があるからだ。


「ちょっと、いいか。実は…言いたい事があるんだ」


 入室していきなり、ここに来るまで保っていた緊張感が消し飛んでしまっていた。でも、俺は気をしっかり持って、ドアを閉めた後、そこから動かない。覚悟してきたのに…俺の意図を全く知らないような久上さんは続ける。


「何ですか? それって面白い事? 近くに来てくださいよ。ほら椅子に座って」


 何で、そこまで明るくいられるんだ?

 俺が帰った途端姉妹そろって泣いていたのに、どうして俺の前ではそうも強くいられる? 

 わかってる。俺に気遣ってそうしている事くらい。

 思い返す。…俺は幽に何を言われた?

 思い返す。…俺はどういう結論に達した?


「どうしたの?」


 自分の前で急に俯いた俺に向けて、尋ねる優しい声。素だろう。ぱぁっ、とそこにいるだけで回りの人間を明るくしてくれそうな雰囲気を持ち合わせているだけに、逆に思い詰めている俺は、声を荒げた。


「もしかしたら…俺の捨てた銃が、久上さんのお母さんを殺したのかもしれないんだっ!」


「―――え?」


 久上さんは、そこで始めて優しい以外の声を発した。

 低く、低く、何を言ってるのと言いたいように。

 優しく見つめてくれていた瞳が、急速に温度を失う。

 ただ怒りには変わらない。どんどん無表情になっているようだった。


「どういう…事ですか? もう一度言って」


 念を押すように尋ねてきた。その顔に、もう包み込む暖かさはない。


「俺は…一昨日、マンションの屋上で自殺しようと思っていた。…でも、できなかった。自殺未遂って言えばいいのかな。…それで、怖くなって、屋上から銃を捨てた。そして次の日、殺人事件が起きた。久上さんの、母親だよ」


「…わからない。冬見君の言ってる事が、わからないよ」


 は、はは、と壊れたレコードのように声を上げて、頭を抱える。眼は見開いて、笑っているように見えた。


「わからないわからない知らない知らない知らない知らない…そんな事、信じない」


「本当、だ」


 口に鉄錆びの味が混ざってきた…いつの間にか唇を噛み傷つけていたらしい。瞬間、久上さんは両目から溢れるように涙を流し始めた。


「…何で? 何で、冬見君は、それを言いに来たの? もしかしてその両手の物も、その事を言った後のご機嫌取りのつもり? ううん違う、まず言いに来た所から変。そんな事言って、私がどういう反応すると思ったの? 許すとでも思った? 全然考えてなかった? 私の事なんか…。自分のやった事に罪悪感を感じたから? だったら、それは貴方が自分を救いたいだけじゃない。贖罪したつもりになりたいだけじゃない。私の、残された人の気持ちなんか考えてない。冬見君は、自分を守りたいだけで精一杯。言い訳だけ手一杯に用意して、何を考えているのか知らないけれど、のうのうとまた私の前に現れた。…ねぇ、どうして? どうして来たの? …自分のためじゃないって、否定してよ。自分の銃だなんて、そんな事言わないでよ…………!」


 久上さんは睨むような事はしなかった。ただ、言葉を並べて、責める。

 怒鳴られた方がまだマシだった。まるで感情のこもっていない、心から投げ出されていく一つ一つの言葉が、それぞれ針のように俺の体に突き刺さるイメージ。

指に力が抜けて、両の荷物が滑り落ちる。


「久上さん、俺は――」


「黙って…黙って、ください―――――」


 …沈黙が、響き渡った。

 ひく、ひくと横隔膜が震える音。

 耳に聞こえる、シーツに染みこんでいく落涙の音。

 音それぞれが「何で?」と言っているかのようで、言葉以上に痛かった。


「…ねぇ冬見君。何で、自分の銃だって、わかったの?」


 やはりそこに疑問を持ったか。でも気づくのが早い。頭の中は思ったより冷静なようだ。


「教えてくれた女の子がいるんだ」


「女の子…?」


「ああ。幽っていう不思議な子。俺が自殺しようとしていた時に邪魔してきた、名前の通り幽霊みたいな女の子だよ。昨日その子とまた会って、教えてもらった」



 ―――貴方はあのまま、ただ立ち去ればよかった。だけど貴方は自殺から遠ざかった事で、死に恐れを抱いた。貴方は死から逃げた――そして銃を捨てた。だから、貴方の代わりにあの子のお母さんは死んだの。


 場所は関係ない。


 弾はまだ五発残ってる。


 貴方がこれからどうするかは貴方の自由。この町の人が死んでいくのを、このまま眺め ているのも面白いと思う。


 だけど、銃を拾った人にとって、この町にいる誰かが標的。だから、貴方も狙われる事になる。


 この世に『もしも』はないの―――


 聞いた通り、伝えた。印象に残っていただけに、ほぼ間違いない。


「何、それ」


「その女の子が俺に言った言葉だよ。一字一句、そのまま。後、二度会ったけど、その二度とも不思議で…霧みたいに消えて」


「何なのよ…丸きり幽霊じゃないの」


 それには同感…。でも、本当の事なんだからしょうがない。


「冗談じゃ、ないんですか?」


「……ああ」


 こんな嘘みたいな真実しか言えない自分を殺したいと思った。残酷に、惨たらしく。

 でも、逃げるための自殺じゃない。自分から自分への、復讐のための、自殺だ。

 でも、自殺は封印したばかりだ。二度と使わない、使えない禁じ手。

 死は安息じゃない。暗い、暗い、暗闇なんだ。

 そこまで自分を追い込んでいたから、わかる。この世とおさらばするはずの俺は、その圧倒的な寂しさに、恐怖した。


 何で、死ななきゃいけないんだ。

 何で、苦しまなきゃならないんだ。

 まだ、俺はここにいたいはずなのに。


「ごめん。謝っても、何も変わらないけど…謝らせて欲しい。俺、この後そのまま自首してくるから…」


 自首して何の意味があるのかわからないけれど。


「…聞きたい事は、まだありますけど…冬見君」


 俺の名を呼び、自分の目を見ろと促してくる。久上さんはそこで一度言葉を切ると、服の袖で涙を拭い鼻をすすり、言った。俯いてしまいそうなのか、自身は少し上を見上げて。


「私は………っ、……その銃でお母さんが誰かに殺されたとしても、それで冬見君が生きていられたなら………別に、いいと思う」


 また袖で拭う。拭っても拭っても、すぐ流れる。


「ごめん、本当にごめん…!」


 俺の頬を伝った涙が、ポツリと白い床に落ちる。

 いつの間にか、俺も泣いていた。耐え切れなかった…。


「何だ、そうだったんだ」


 久上さんは、ふっと声を優しくさせて言った。


「冬見君は関係ないよ。冬見君は、悪くない。お母さんは死んじゃったし、確かにピストルを捨てたのは悪い事だけど…きっと、捨てれなかったら、冬見君はまた別の日に自殺してたかもしれない。それに…捨てたおかげで冬見君は死なずに済んだんだから。…どちらにしても、どちらかが、いなくなってた。だから、そういう運命だったんだね…」


「でも、久上さんの、お母さんは…!」


 たまらずに俯く。涙が、止まらなかった。誰からここまで優しい言葉をかけられたのは…久しぶりだった。


 我慢できなくて久上さんに近づく。…久上さんは、拒まなかった。


「本当にっ………ごめん!」


 地面に額をつけて土下座した。すぐさま涙は鼻の頭を伝い、床に落ちていく。

 ―――自分をここまで嫌いになったのは初めてだ。


「俺は……!」


 涙を隠すような事はしない。久上さんの前だからこそ、そんな風に強がって自分を偽ってはいけない。それが言い訳じゃなく、心からの誠意だと信じてほしくて。

 ―――全部周りが悪いんだと思っていた。

 家が貧乏な事も、母親が死んだ事も、父親があんななのも、友達らしい友達が一人もいないのも全部周りが悪いのだと確信めいた考えを持っていた。自分の周りには自分を苦しめるか、逆に迷惑ばかりかけてしまって居場所をなくしてしまう…そんな人達だけだった。  自分は神様に嫌われているんだと、信じて疑わなかった。

 それがどうだ。

 俺は…たとえ直接的ではなくとも、この女の子の母親が殺される原因を作った。俺が、苦しめているんだ。


「警察に……言わなきゃ」


 しかし、


「そんな必要、ないよ」


 久上さんはわずかに涙声を伴って言った。


「冬見君は悪くない。悪いのは、ピストルを拾って使った人です。せっかく死なないでよかったんだから、貴方がわざわざ出向いてまでして警察の人の厄介になる事、ない。冬見君、人は誰でもね、罰は受ける事ができるんです。でも…罰を受けた事では、罪の記憶は消えてくれない。きっと本当にすまなく思ってくれるなら、それだけで、私も貴方も十分。受けているとわかっている罰は、お互いの気休めにしかならないんです。本当の罰は受けてずっと後になって気づく…そういうモノなんですから」


 この言葉に…やっと、彼女の顔を見上げた。


「お父さんの受け売りなんですけどね、冬見君…」


 とても昨日母親を失ったとは思えないほど慈悲に満ちた微笑だった。頬には赤い、涙の川の跡を残している。これ以上の涙を堪えるためか、唇を噛んでいた。


「久上さん…俺…」


「いいえ、ありがとう。これで、私も自分の中で整理がつけそうです」


 ―――冬見君の前で泣きたいほどに泣けば、それだけ彼が傷つくから。

 そんな思いやりが目に見えるほどに、精一杯笑っていて――――


「ごめん…ごめん…!」


 何度弁解の言葉を言っても、涙が止まらない。

 生きる事を諦めた俺が生きているなんて、何て不条理。

 俺は、最低なんだ。

 だから、俺の命なんて…価値らしい価値はないはず。

 いや……俺は、あの時にすでに死んだ(・・・・・・・・・・)。


 この子のためなら死んでもいい、笑ってくれるならどんな事でもできる…どこかの映画で聞いたようなセリフだ…ふと脳内の考えにそう思った。でも、その物語が例え作り物だとしても、そういう言葉が出てきてもおかしくない状況だったとしたら。『物語』は所詮作り物だけど、幻想を見せてくれる。しかし、現実でもその幻想は起こらないと決まっているわけじゃない。


 久上さんの言った通り、『もしも』はないと言った幽の言った通り、これが。俺が生きて、久上さんの母親が死んで、さらにその殺人を続けるという出来事が、運命なのなら。

 逃れられない、と幽は言った。

 それは死からか。それとも運命からか。

 なら俺は、そのどちらともに抗わなくちゃいけない。そんな運命を野放しにしておくわけにはいかない。久上さんを、これ以上悲しませちゃいけない…。

 だから、決めた。この子の母親を殺した、俺の拳銃を拾った奴を見つけてやる。久上さんのために、仇を討ってやりたい…!


「ねぇ、だから、私はもう許すよ。でも円には…言わないでおいてください。…傷つきやすい子だから」


「ああ、うん」


 とりあえず、この場には居ていい雰囲気のようだ。緊張が切れた時、ふと思い出した。


「そうだ、退屈かなと思って本借りてきたんだよ。入院の間、暇だろ? …よかったら」


「うん見せて。そっちのお菓子も」


 バレてたか。

 久上さんは俺から二つの荷物を受け取ると、真っ先にお菓子の方をガサゴソやり始める。俺はその様子を見ながらそばの丸椅子に座って、その様子を眺めた。しかし、女の子って甘い物が好きなんだな。覚えておこう。女子に甘い物は必須、と。


「このチョコレートは二つありますけど…もしかして円の?」


「ああ、昨日はほしがってたしな。久上さんが一個もあげないから、買うはめになったのを忘れないように」


「わかってます…あれはあれで反省してます。たぶん今後も直らないと思いますけど」


 ダメじゃないか、とツッコみたくなるけどあえて我慢する。


「そうだ、今日円ちゃんは来るの?」


「来ますよ。円は今日は演奏会だってんですけど…お母さんの事で中止になってしまって。お昼頃には来ると思います」


 ちょっと会えないかもね、と教えてくれた。


「お葬式はいつ?」


「お父さんが捜査のための検死に時間をかけていいと警察の方に言ってしまったので、お通夜はなし、明後日そのままお葬式です」


 俺の話に付き合うつもりなのか、久上さんはお菓子をいじるのを止めて向き合った。


「…そっか。俺も、行くよ」


「ありがとうございます。お父さんも円も、喜ぶと思います」


 そう言うと、また笑ってくれた。でも、それを向けられると照れ臭い。まだ直視するには馴染まないとダメみたいだ。


「ちょっと、トイレ行って来るよ」


「はい。じゃあ私は冬見君の持ってきてくれた本を見てます。…ごゆっくりどうぞ」


 ゆっくりしないよ、と言い返したくなった口を我慢してつぐみ、俺は苦笑しながら病室を出た。


「ふぅ……」


 廊下に出た途端、体の中に溜まっていた緊張感やらが口から吐き出されていく感じがした。それをイメージさせるほどのため息…次は、空気が抜けた隙間を埋めるために今度は大きく吸う。胃が風船のように膨らんで、内側から体を張らせてきた。


 気が抜けた、そんな言葉が似合いすぎるくらいの疲労に、胸を撫で下ろす。


 よかった。謝ってよかった。もしも黙ったままだったなら、一生俺は後悔していただろう。たとえ、自愛だと言われても。黙っているより、白状した方がよっぽどいい。

 でも、罪悪感は残る。それはきっと、白状しようがしまいが残る事は変わらない。それはどうしても背負わなくちゃいけない罪の十字架なんだろう。

 それくらい、背負ってやるさ。久上さんの仇を討つには、そのチケットを持っている事が最低条件なんだから。


 でも、これで対等。


 犯人とも、自分とも、幽とも…そして久上さんとも、俺が行動していく上で関わっていく人達とは、これでともに運命に立ち向かう共同体になった。まだ弾は五発残っている。五人の命が、これから左右されてくる。一人でも多く救う…いや、被害が出る前に犯人を捕まえるんだ。別の見方で言えば、犯人でさえも俺の捨てた銃を運悪く拾ってしまった…狂気を持たされてしまった、ある意味被害者とも言える。


 でも、どうすればいい…。俺がやろうとしている事は、警察よりも早く犯人を捕まえるという事だ。向こうは人数も情報収集力も上で、捜査の進め方もプロ。待て、警察が敵というのは間違いだ。むしろ協力しなければならない。…だけど、協力できるのかが疑問だ。


 もっと言えば、俺が何か干渉した事によって警察が俺を変に疑えば、捜査を進めるどころか逆に滞らせてしまう可能性だってある。俺の動きも制限されてしまうかも…つまり、協力のポジションは取りたくても取れない。あくまで俺独自で動くしかないんだ。

 でも、警察の能力はどうにかしてあやかりたい。…協力ではなく、利用できれば一番いい。できれば犯人も一人で捕まえられるなら、自分の尻拭いをするという事で俺のけじめもつけられる。何にせよ情報だろう。殺人の情報としては新聞がいいな。

 幽の話を信じるならば、この街で殺人は起きる。


 その足跡を追って、追い越して、迎え撃つ。…それしかない。


「病院のロビーで朝刊があるだろう…よし」


 意気込む。方向性は決まった。後は動くだけだ。


「でも、まずトイレだな」


 そろそろ悲鳴を上げかねない下半身に突き動かされて、俺は男子トイレに向かった。



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