第37話 その想いを胸に秘めて
私にはあのドラゴン、ヴィーヴルの気持ちが痛いほど理解できた。ボロボロな翼、全身が漆黒に覆われて邪竜に近く成り果てても、約束を守るためずっと彷徨い続けて戻って来た。
たった一つの約束。
死の淵で、眠り場所を決めたヴィーヴルと、それを受け入れた青い花の精霊。
彼らの願いを叶えてあげたいが、このまま邪竜が森に突っ込めば復活した森は再び呪いによって蝕まれてしまう。森に住む精霊はもちろん妖精たちは逃げ惑っていた。
緑の佳人、森の守り手はヴィーヴルを森に突撃させまいと、木の根を使って迎撃する。ヴィーヴルの羽根や胴を貫くが、勢いを止めることは出来ない。喧騒の中、私の心はどこか落ち着いていた。
「……ねえ、アルバート」
「!」
私は急降下してくるヴィーヴルを見つめていた。アルバートは何かを察したのか、口を開きかけたが、結局言葉にはしなかった。
「あのヴィーヴルを救えないかしら?」
「なっ……!」
「ほら、あの時のように。貴方の力を通して、浄化を使えば──」
「駄目だ! そんなことをすれば、サティの体がもたないだろう!」
声を荒げるアルバートに、微苦笑した。
私だって助かれるなら助かりたい。けれど、この体はそんなに長く持たない。石化した影響もあって、体の殆どが軋んでいる。レムルとの戦いで無茶をしすぎたのだ。
「でも、このままだったら、せっかく蘇った森が失ってしまうわ」
「だが……!」
「この領土は私とアルバートが守る場所でしょう?」
この森を再び死の森にしたくない。その思いは一緒だ。一緒に居られるのは短かったけれど、アルバートとの時間はとても楽しかった。この場所を守りたい。私はそっとアルバートの唇に触れた。自分から唇を重ねることはあまりなかったので少し恥ずかしい。
「サティ」
「大丈夫。この体が朽ちてもきっと新しい器が──」
「生まれ変わりなど望んでいない。お前じゃなければ──駄目だ!」
「もちろん。……この体は元々妖精族に進化するためにあるのだから、次に目が覚めれば貴方と同じ妖精族になる」
妖精族になる──可能性があるだけで保証はない。それでも私の身体にアルバートのマナが大量に得られれば、あるいは──なんて賭けどころか奇跡に近かった。
アルバートはグッと歯を食いしばり──抱き上げていた私をそっと青い花へと降ろした。
青い花びらが風に乗って揺らぎ、歌声が森中に響き渡る。祈り。願い。
アルバートは私を後ろから抱きしめ、片手を重ねた。
「……サティ」
その先をアルバートは言わなかった。代わりにあの時と同じ詠唱を口にする。
「起きろ、起きろ──冬の花。芽吹け、芽吹け。祝福の鐘を鳴らして」
「祝福の鐘を鳴らして、春よ、ここに」
「AureusVerr」
「アウレウス・ウェール」
青い花が空へと舞い上がった。
邪竜となりかけたヴィーヴルを優しく包み込むように、春の祝福が全てを呑み込んだ。
***
どろりと漆黒の塊が森に降り堕ちるものの、それを上回る木々や植物の急成長で、森の被害を最小限に抑えていた。拮抗する力。
生と死。
浄化と邪気。
二つがぶつかり合い相殺していく。
その衝撃に、私とアルバートは耐えた。
ピキピキ、と私をかたどっていた体が飴細工のように崩れていく。衝撃が予想以上に強すぎるからだろう。それでも私は手を伸ばした。指先が砕かれ、灰となりかけても。
アルバートの伴侶として、最期まで共に居ようと。
「サティ!」
「え、ちょ……アルバート!?」
アルバートは私を力強く抱き寄せ、胸元に体を押し付けた。
一度だけ私を見つめ、彼の姿は大きく変貌する。黒い獣へと。ヤギのような角、六つ目の巨大な犬型のそれは、私が彼の眷族だと思っていた獣だった。艶やかな毛並みに私は包まれる。
「アルバート、その姿は……」
「これがオレの……本来の姿だ。死を彷彿とするコレは──醜いだろう?」
ギョロリと赤い目が私を見つめる。けれども私は彼に身を預けました。彼の体が少しだけ震えた気がしたが、構わない。
「そんなことない。最初に会った時から、素敵な毛並みだって思っていたし、とても優しいと思っていたの」
「……ああ、そういえばそうだったな」
「それにずっと、名前を聞きたいと思っていたわ」
「アルバートだ、もう知っていると思うが」
アルバートから強い力が溢れ出る。これこそ彼本来の力なのでしょう。
死と冬の妖精王。私には美しい獣にしか見えない。彼の咆哮と共に、浄化が勢いを増した。
誰が死の妖精王と名付けたのだろう。森を守らんとするその姿に、気高い魂を目の当たりにして私は彼の傍に寄り添う。
空から降り堕ちてくる黒い塊は徐々に萎んでいく。それは隕石にも似た石礫となって、森の中心へと飛来した。
「防御、導きの星よ、加護を」
私は残っている力を、衝突を防ぐために使いきった。
視界が傾く中、アルバートの温かな毛並みに埋もれ──意識はそこで途切れた。
次に意識を取り戻すと、巨大なクレーターの傍に私は倒れていた。周囲を見渡すと、深緑色の森が広がっており、被害はこの森の中心だけ。あれだけ咲き誇っていた青い花は散っていた。
地面を抉るクレーターの中心にある漆黒の結晶が、黒い獣の胴体を貫いていたのが見えた。
黒い獣。
流れ落ちる赤い、赤い、血。
頭が真っ白になった。
けれども鮮血は私の頬に飛び散り、生ぬるい血と鉄の匂いに現実だと突きつける。
「あ、アルバート!?」
「…………」
彼のもとに駆け付けようとしたが、先ほどの衝撃で片足も崩れ落ちていた。這うようにアルバートの元へ向かう事しかできなかった。
「アルバート! どうして、貴方一人だけなら避けられたでしょう!?」
悲鳴に近い声。
アルバートの黒くて美しい毛並みに触れると、六つの赤い瞳が私を見つめる。
その瞳は弱々しく今にも閉じようとしていた。
「独りで生きても、楽しくなくなったからな。今更……お前のいない生き方は、考えられない」
「そんなの……私も一緒だよ」
「そうか。……一緒、とは……ぞんがい……悪くないものだ」
「うん……」
意識が朦朧とする中、私はアルバートに寄りかかった。心音がどんどん小さくなっていく。私は頬から涙が止めどなく溢れた。もう拭う力もない。ここで一緒に眠るのも悪くないのかもしれない。そう思った時──。
「なんて好都合なのだろう。お前の魂を回収する手間が省けた」
下卑た声が降ってきた。
かすかに意識があった私は瞼をこじ開けた直後、藍色の外套を羽織った人影が見え──誰だがすぐにわかった。
精霊魔術師レムル。あの狭間から脱出して、私たちを追いかけてきたのだ。
「これでお前の魂を連れ帰れば、因果律の研究が進む」
「……ぐっ」
お読みいただきありがとうございます٩(ˊᗜˋ*)و
明日で完結します。
最後までお楽しみいただければ幸いです!





