第31話 思い合う気持ち
寒くて、死にそう。
周囲は猛吹雪で、轟々と地鳴りのような音が響いて、その場から離れようにも手足が凍えて、動けない。「死ぬかもしれない」そう思ってうずくまっていると、ふわふわの生き物が私を包み込んだ。とても温かくて、優しくて、心音がトクン、トクンと耳に心地よく聞こえる。
私が抱きしめると、そのふわふわの生き物は一瞬だけ身を固くしたけれど、少しずつ力が抜けて抱き返してくれた。たったそれだけのことなのに安心する。
いつの間にか吹雪が消えて、地鳴りも遠のき──春風と青々とした若葉が周囲に広がっていく。
「……お前の傍は温かい」
そう誰かが呟いた。聴き慣れた声なのに誰なのか思い出せない。
気づくとふわふわだった抱き心地が消えて、岩のような硬さへと変わった。頬をすり寄せてもふわふわでも柔らかくもない。
(でも、心音は変わらないのよね。なんで?)
「オレはお前を手放したくない。……これから先もずっと傍に居てくれないか? ……サティ」
(アルバートの声? すごく優しくて、ほしい言葉をくれるなんて……)
不思議に思いながらも私はその心音を聞こうと体を預けた。ああ、もしそう思ってくれるのなら、くすぐったぐいけれど、嬉しい。
「……ふふっ。…………いーですよ」
ポロリと言葉が出た。これが現実だったらどんなに幸せだろう。
心地よくて、微睡んでいると声が聞こえた。
『体が壊れ始めたのに、暢気に何を言っているの?』
『そもそも、あなたの役目はもう終わったのでしょう』
それは酷く意地悪な──けれど、真実だった。
幸福だと思った夢の揺りかごが、崩壊していく。
目を覚ましたくないと思いながらも、私の意識は浮かび上がり──。
***
見覚えのある天井、視界は霧がかっているのか非常に悪い。夢心地なのもあるのでしょう。
(ここは……)
私は《東の森》に視察に行ったことを思い出した。そしてそこで青い花の精霊の呪いを解いたことも。思い返せば無茶をしたものです。
今の私の体はホムンクルスなのですから、圧倒的に肉体の強度に欠けている。それなのに──いえ、それだからこそ、アルバートの力になりたかったのかもしません。
「ん?」
寝返りを打とうとしたところで、自分の体が動かないことに気付く。ようやく視界がクリアになっていき──私は目を見開きました。
「!?」
今まで眠っていたのが嘘なくらい、目が覚めました。ええ、覚めましたとも。アルバートが私を抱きかかえたまま寝ているのですから!
(なにがどうなって、こんなことに!?)
なんとか彼の腕から抜け出そうと試みるものの、抱き枕よろしくがっちりとホールドされている。間近で見るアルバートの寝顔は少しだけ子供っぽく、可愛らしい。瞼を閉じ、安心しきっているからだろう。急に抱き着かれていることを意識して心臓の鼓動が跳ね上がる。
「あ、アルバート、起きてください」
そして出来るなら放してほしい。そう思いながら彼を起こそうと声をかけました。全力で。
「…………んん」
パッと目が覚めたアルバートは私が起きていることに気付いたのか腕の力を強め、抱き寄せる。近い。そして離す気ないわ。この人!
「え、ちょ……アルバート!?」
「オレは起きていない」
(いや、はっきり口にしているけれど!? それ寝起きの人が絶対に言わないセリフぅ!)
子ども染みたことを言い出した。すっぽりと彼の腕の中に囚われてしまっているので、じたばた足掻いてみるも、びくともしない。
「ふぬぬぬ……!」
「あまり暴れるな。頬の亀裂が広がるだろう」
「あ」
アルバートは掠れるような声に、私は体の力が抜けてしまった。この状況に関していろいろ思う所はありましたが、それでも彼に心配をかけてしまったことは申し訳なく思う。
「……ずっと眠り続けていたから心配した」
「そんなに寝ていたの?」
「そうだ……。ずっと……目を覚まさなかった。……それにお前を狙っている連中もいて不愉快だ」
「ねら? ええ!? 私、命を狙われている!?」
「違う。……番が他の者に取られそうになったら不愉快になるだろう」
「え」
それは完全に予想外の言葉だった。少し頬を染めたアルバートの反応に、私の思考回路は停止しました。完全に私の脳味噌は混沌の渦の中です。
(んん? これってもしかして嫉妬? いやいやでも)
もしかして私が眠っている間に、アルバートは私に対して恋心──もしくは好意的な感情が芽生えたのだろうか。少女漫画のような展開を想像し、すぐに頭を振って否定する。そんなご都合展開などそうそう起こる訳がありません。ありませんとも。
「……お前の体が脆いことをもっと配慮すべきだった」
「いえ! あの時、私たちは最善を尽くしたでしょう。だからアルバートが謝ることは無いわ」
「なら、お前もオレに謝るのは無しだ」
「……うん」
フッ、と笑う彼は目を細めて私を見つめる。こんな風に穏やかに笑う人だっただろうか。不思議と互いの距離が近くなって、自然と唇が重なり合う。幸せ過ぎる──というかこれは夢ではないかと思うほど、甘々の展開です。どうしたのでしょう。いつもなら怖くて聞けないことも口に出来そうな気がした。
「アルバート。……私、この屋敷に居てもいいの?」
「当然だ。お前はオレの番なのだろう」
「!」
「愛している」
「!!」
至極真面目に答えてくれた。しかもさらっと愛の告白に胸がキュン、と高鳴る。しかしアルバートの吊り上がっていた眉は八の字に代わり、私の顔を覗いた。
「……それともミデルの元に戻りたいのか?」
急に視線が鋭くなり、不機嫌さが復活しました。ええ、威圧が半端ない。心なしか抱きしめている腕に力がこもっているような──。
「ここに居たい。アルバートの隣にいたいわ」
「……そうか」
安堵して緩み切った笑顔は反則すぎる。凄まじい破壊力です。
「暫くはマナの供給もかねてお前の傍にいる。番なのだから、これからは一緒に寝ることにしよう」
「え!?」
「……いやか?」
そんな子犬のような目で見ないでください。というかそんな特技どこで覚えてきたのですか。属性は寡黙系不器用ツンデレだったのに、甘え上手なワンコ系にジョブチェンジしているなんて。ぐるぐる脳内が困惑していましたが、「いやじゃない」と私は口をついて出ていました。
その反応にアルバートは蕩けるような甘い笑みを浮かべる。うわあ。色気が──ずるい。本当に。
(ああ、やっぱり私はアルバートが好き……)
いつの間に彼を思う気持ちが芽生えていたのだろう。思えば彼は最初から私を大事にしてくれた。それをいろんな理由で、義務とか預言の娘、聖女だからとこじつけようとしていた。
でも今は違う。アルバートだから、森をなんとかしたいと思った。彼の居場所を守りたい──そう心から思ったのです。
(うわぁああああああ。自覚するとものすごく恥ずかしい……!)
この気持ちを伝えたら、アルバートはどう反応するのだろう。今すぐに口にしたいけれど、起きたばかりでアルバートの真っ直ぐで熱量のある思い同じ答えられる器用さと、度胸はなかったのです。うう、ヘタレ。
***
目覚めて数日後。
アルバートとの距離感が可笑しい。彼の目の届く場所から離れると、慌てて探しに来る。その姿は鬼気迫るものがありました。過保護すぎる。
(私が居なくなってしまうと思っている? それともまた倒れると思っているのかな?)
心配性だというのだが、アルバートは聞いてくれない。
私の寿命が短いと知ったからなのだろうか。彼は私が延命できるように、妖精王オベロンの屋敷で静養出来るように手配してくれたのだという。そのことは本当に感謝しかない。不器用キャラから、甘え上手ワンコ系アンド過保護溺愛にシフトチェンジしたのには、今でも驚きです。
私もアルバートのことが好き。けれど一歩踏み出せないのは、タイミングがつかめないのもあります。まあ、ほぼ私が意気地無しなだけなのだけれど。告白ってどうすればいいのだろう。確か……イベントの時なんかがいいかもしれない。
そもそも今は延命が必須だという結論に至るのでした。
(マナが満ちた場所だからこそ肉体の変化が起こるのに、追手に追われた時に魔法を駆使。マナが回復して既に無茶な戦いに古代魔法を使用……うん。自分を大事にしないとダメだわ。告白する前に生き残らなきゃ)
妖精に進化して、本当の意味でアルバートの隣に立てたら、私も自分の気持ちを彼に告げよう。
逃げじゃない。そう気持ちの整理とかもろもろです、うん。そう固く決意をして、私はキュッと唇を閉じたのでした。
***
アルバートの執務室には壁に大きな地図が掛けられている。魔法の地図で彼の領土の様子が地図に現れるのだという。少しずつ領土は復興し、地図の色合いが淡い緑色に煌めいていていく。アルバートは、日に日に領土に戻ってくる妖精や幻獣たちとの顔合わせを行っていた。私は執務室の窓側にあるソファに、ちょこんと座っているだけのお飾りである。
(何もしないのが心苦しいっていったら編み物や珍しい本を貸してくれたのだけど、番として全く役になってない気がする)
「サティ、今日の午後にオベロンの屋敷に行く。ティターニアもいるだろうから、顔を合わせておきたいのだが構わないか?」
妖精王と妖精女王。
妖精界を支える存在である二人の来訪に、緊張で体が硬くなってしまう。そんな私にアルバートは心配そうな顔をするので、慌てて笑みを張り付ける。
「うん。ちょっと緊張するけど大丈夫」
「なに、二人ともお前に会いたがっていたし、別段恐ろしくもない。オレを怖くないといったお前なら余裕だろう」
はにかむように笑う姿は、私の知っている仏頂面のアルバートではない。本当に私が眠っている間に、本当に何があったのだろう。それとも元々こういう人だったのだろうか。私はしどろもどろに答えるのが、精一杯だった。
「うん? ええっと、今日はその屋敷に泊まらないのよね?」
「ああ。マナが馴染むかどうかもあるからな。あくまで下見だ」
「そっか。私としてはここを離れたくないから嬉しい提案だわ」
「一時的に静養だけだ。すぐに戻ってこられるし、戻ってくれないとオレが困る」
「!」
ストレートな物言いに、頬の熱が上がる。
(あれれ? アルバート、聞いている私の方が恥ずかしいのだけれど)
「あの二人に会う上で、お前はオレの傍を離れてはいけない」
「う、うん」
やけに念を押すような言い回しだ。何かあるのでしょうか。
「もしかしたらミデルが顔を出すかもしれない。お前を返せといちゃもんをつけるかもしれないので、サティはオレの番だと見せつける必要がある」
「なるほ──ン? 見せつける?」
「そのため、サティはオレの膝の上に座ってもらう」
「なるほ──って、えええ!?」
アルバートが壊れた。そう思った瞬間でした。ええ、そう思いましたとも。





