第30話 彼女の目覚めない世界で・後編
「妖精界ならマナが満ちているからエー……彼女もすぐに妖精に体が作り替わる。魔術師の話だと私たちと同じ人の姿のまま背中に羽が生えるらしい。通常ならもう羽根ぐらい生えていると思うけれど?」
「……そんな兆候はない」
絞り出すように言葉を呟いた。ミデルは予想通りと言った顔で仰々しい態度でため息を吐く。
「まあ、だろうね」
(ミデルの話が本当ならば、マナの枯渇しているオレの領土に来たせいでサティはマナの回復が遅く、そして強大な魔法を使ったため身体に負担を強いてしまった?)
アルバートは歯を食いしばり己の無力さを呪った。
サティは死なない。そう思って、願って、楽観的に目が覚めるのを待っていた。だからこそミデルの言葉が胸に刺さる。
「君のところは、つい最近までマナが枯渇していた死の森だ。そんなところでよく無事だったものだね」
「何とかする方法があるのか……」
「たとえばマナがもっと溢れている私の──」
「僕の屋敷に連れてくるといいよ」
唐突に現れたのは金髪の少年──妖精王オベロンだ。
音もなく、気配すらなく。
「オベロン」
「あー、オベロン。今大事な──」
「話は聞かせてもらったけど、ミデルの屋敷でアルバートの番を静養させるってのは無しだ」
「!」
「ちょ、オベロン?」
アルバートは目を見開き、それに対してミデルは慌て出す。
「アルバートの所からミデルの屋敷は距離があるだろう? 番は出来るだけ離れない方がいいしね。ボクら妖精の愛し方は、人のそれとは違って加減なんてしないし、極端だ。人間界から連れ去ってくるぐらいの強行に走るし、なんら媚薬を使ってちょっかいを出す」
(そこまでしないが……)
(オベロンの発想が一番怖い)
少年の姿だが、その燃えるような紅玉の瞳でアルバートとミデルを見据えていた。けして大きな声ではなかったのだが、それでも彼の存在を二人が無視することは出来なかった。
先に白旗を上げたのはミデルだ。
「オベロンの屋敷なら環境的に一番いいだろうし、アルバートのところも近い。なにより私も顔を出せる。まさに見事な折衷案だよ」
「一応これでも妖精界を取りまとめるのが役割だからね」
オベロンは「へへん」と無邪気に胸を張った。
「それで、アルバートはどう?」
オベロンの挑発的な言葉にアルバートは眉間にシワを作り黙った。数秒ほどの沈黙──いや葛藤の末、彼は渋々頷いた。
「……眷族を供につけること。なによりサティが承諾したらだ」
「もちろん、オッケーだよ。いやー、我が子が、こんなにも誰かに固執する日が来るなんてね」
「…………」
「じゃあ、ボクはティターニアに報告してくるよ。彼女もサティに会いたがっていたし」
オベロンは軽業師のようにくるりと宙を舞うと、パッとその場から消えてしまった。相変わらずの神出鬼没ぶりだ。
「では私も一度自分の領土に戻って準備をするとしよう」
「お前に会わせるとは、一言もいっていない」
「そうだね。でも同じ屋敷にいるんだ偶然、再会することだってあるだろう」
アルバートは踵を返すとその場を後にした。幾分か時間を食ってしまったと舌打ちをする。
苛立たしい感情は未だ胸の奥に燻っており、彼自身もうまく制御ができないでいた。
(──なぜオレはこんなにも気が立っている?)
いつから心が乱れ苛立っただろうか。アルバートは自分の事を顧みて、サティの存在が大きくなってからだと気づく。だからこそ硬く目を閉ざしたまま眠る彼女を見るたびに胸がざわついた。極めつけはミデルが彼女を『十三番目』ないし『エーティン』と呼ぶだけで、不快だった。
(彼女をモノ扱いされたから。……それだけか?)
違うとアルバートは頭を振った。
ずっと一人で生きてきた彼にとって初めて隣に居続けた存在。眷族ではない大事な──。
(──サティ)
アルバートはいつの間にか足早に回廊を駆け──走り出していた。外に出ると乗って来た馬に乗ることも、魔法で移動も頭から吹き飛んでいて、一刻も早く彼女の傍に戻りたいという衝動にかられる。気づけばアルバートは本来の姿、六つ目の獣となって野を駆け、丘を越え、空を飛んだ。風のように黒い獣は自らの領土に帰った。
***
丘の上に若草が風に揺れて出迎える。
周囲の森から春の香りが届く。
ボロボロだった屋敷もコボルドたちの修繕によって以前よりも立派になった。アルバートははやる気持ちは抑えきれず、家に入ると真っ先に彼女の眠っている寝室へと向かう。
ガチャ、と重々しい扉の向こうには四つの支柱に支えられた大きなベッドが見え、そこにサティが眠っている。彼女の頬には紋様が描かれたガーゼが貼ってあった。他に外傷はない。「んー」と寝返りを打つ仕草にアルバートは微苦笑した。
(ああ、番とは自分の帰る居場所のようなものなのかもしれないな)
彼女の傍に居るだけで、先ほどまであった苛立ちが嘘のように溶けて消えていった。
獣の前足で彼女の手に触れたくて、ベッドの上に乗るとギシ、と軋んだ。
「ん……」
微かにサティの声が漏れた。身じろぎする彼女は再び寝返りを打ち、ベッドに上がり込んでいたアルバート──六つ目の獣を抱きしめる。いや、正しくは寄りかかったというのが近いだろう。
「サティ、目覚めたのか?」
そう声をかけるが彼女は「あったかい」と微笑み、寝息を立てている。アルバートに頬を摺り寄せており、彼女的には抱き枕のつもりだったのかもしれない。ただアルバートにとっては彼女の思いがけない行動に、数分ほど思考回路が固まっていた。
(ああ、現実か。……寝ている時ですら予想の斜め上を行くな)
彼女の鼓動が伝わってくる。その音を聞いているうちにアルバートも眠気が襲ってきた。円卓会議から休まずに駆けてきた疲れが出たのと、サティの寝顔を見たら緊張が解けたからなのかもしれない。
「ああ。お前の傍は温かい。オレはお前を手放したくない。……これから先もずっと傍に居てくれないか? ……サティ」
「……ふふっ。…………いーですよ」
寝言だ。それでもアルバートは嬉しくて唇が動いた。
「サティ、愛している」
アルバートはそのまま寝入ってしまうと、コボルドたちはせっせと毛布をもう一枚持ちだしてきて、主人にそっとかけたのだった。
『ぽかぽかなのー』
『あつあつなのー』
『はっぴーなのなの』
そう呟きながら屋敷に住まう者たちは、微笑んだ。
***
一方。
様々な岩が大地から突き出したような形で存在する丘。その周囲には若草色の草原が広がっており、精霊たちの姿もちらほら見える。
ここは丘の妖精王、ミデルの領土だった。
連なる丘の上に石造りの城が聳え立っている。彼は人間の文化や歴史を好み、時折人間界に遊びに出ては、その時の流行ものを妖精界に持ち帰っていた。それゆえ人間の暮らしサフィール王国でいうならば、王族に匹敵するほどの豪華絢爛な城をドワーフに頼んで作らせた。
十字型の設計に、二重の螺旋階段、中世風の装飾も多く使われ、部屋は二百以上もある。客間にはソファと暖炉のみだが、小綺麗で赤い絨毯も新しい。そこに黒いフードを被ったままの客人がソファに腰を下ろしていた。あからさまに場違いな格好だったが客人はもちろん、遅れて部屋にやって来たミデルも気にしてはない。
「……なぜそのようなお姿で?」
「別に構わないだろう。会議にエーティンも出席するかもしれないと思い、姿を変えたのが無駄だった」
五十過ぎの初老の男は一瞬で消えてしまった。代わりに少し尖った耳の青年が佇んでいた。淡いエメラルドグリーンの長い髪、長身で、彫刻のような整った顔立ち、外見だけなら十代後半のエルフ族の美男子に近いのかもしれない。しかしエルフと異なるのは背中の羽根だ。若草色の美しい蝶の羽根が広がる。服装もいつのまにか変わっており、黒の燕尾服がやけに似合う。
「……それでミデル様。十三番目に会う算段はついたのですか?」
「オベロンの屋敷で、偶然を装って会うのなら問題ないだろう」
ミデルが答えると、黒いフードを被った精霊魔術師レムルはソファから勢い良く立ち上がった。
「あの領土でないのならどこでも構いません。ふふふっ、これは喜ばしいことです!」
「それは構わないが、本当にエーティンとして蘇ることができるんだろうな」
歓喜に声を上げていた精霊魔術師は、ピタリと固まった。
「ええ、もちろんです。この指輪を左薬指に嵌めたら、エーティン様は必ずお戻りになります」
矢継ぎ早に意見する魔術師に、ミデルは満足そうに微笑んだ。古代文字が彫られた金の指輪。滑らかでシンプルだが美しい。
「そうか。それは楽しみだ。できるだけアルバートとは争いたくはないからね。だが──」
冷ややかな視線、いや殺気に満ちた目でミデルは魔術師を見据えた。
「次に失敗をしたら、どんな手を使ってもエーティンを取り戻すし、お前も殺す」
先ほどと声のトーンも笑みも変わらないのに、それはどんな脅迫めいた言葉よりも背筋が凍るものだった。魔術師は「わかっております」と頷くしかない。たとえ、その約束を破ろうと腹のうちで決めていても、この場を乗り切るために嘘を吐いた。
(チッ。これだから頭の悪い妖精は……。造られた命など偽りでしかないというのに。どうかしている)
魔術師は頭を下げミデルの機嫌を損ねないように言葉巧みに取り入り、オベロンの屋敷に同行することを許可を得るのだった。
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