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第25話 死の森の元凶

「敬語が戻っているぞ」

「あ、ごめん」

「……」


 思わず出しゃばってしまったと、反省するのだが──。「フッ、いやいい」と彼は口元を緩めて綻んだ。その微笑みがあまりにも神々しく「表情筋、生きていたんだ」とどうでもいいことが頭に浮かびました。本当に無表情だったイケメンが急に笑うなんて、心臓に悪い。

 そういえば最初にあった頃よりは威圧感が薄まったような。単に慣れたからでしょうか。


「サティが言うと不思議と出来そうな気がするな」


 色香を伴った笑み。眼の毒以外でもない。本当にいきなりなんてことをしてくれたのだろう。心臓がバクバクとうるさい。ここで名前呼びとか反則っ!


「サティ?」

「アルバート様、それ反則です」

「どれだ?」


 ググっと顔を近づけるアルバート様の無自覚ぶりに私は目を逸らす。もうわざとじゃないかと思ってしまう。


「もういいです」

「そうか?」

「はい。……とにかく《東の森》に行きましょう」

「……わかった」


 手綱を握るとアルバート様は、ふと何かを思い出したように口を開いた。


「森に向かう前に、お前に一つ頼みがある」

「な、なんでしょう?」


 真剣な声に私は思わず身構えました。馬に乗ったままなので彼の顔は見られませんし、さすがに今振り返る勇気はありません。言い淀み、躊躇いがちな吐息が漏れる。


(あ。私のマナの回復待っていたのは、聖女として呪いを鎮めるための生贄にさせるためとか言い出したらどうしよう……)


 ギュッと下唇を噛みしめて身構えます。しかしアルバート様の言葉は私の予想の斜上をいくものでした。


「オレに『様』を付けるのはやめろ」

「ふぇ」


 頼みごとというよりは命令に近い言葉に困惑しました。しましたとも。世間体の問題というよりは、親しくなりたいという解釈でいいのでしょうか。


「さすがに呼び捨ては……」


 番とはいえ、これでは「勘違いだと」いよいよ思えなくなってしまう。

 頬に彼の唇が触れるたびに、熱が上がりそう。こんなにスキンシップする人だったでしょうか。それとも本来妖精たちはこういったのは挨拶のようなものなのかもしれません。日本では習慣にないが海外では割とありえそう。うん、きっとそうでしょう。


「駄目か?」


 急に名をしかも呼び捨てだと意識してしまう。お願いだからこれ以上、勘違い要素を増やさないでほしい。特にキスをするのは……。それとも形だけではなく、アルバート様も少しは私のことを思ってくれているのでしょうか。


「サティ」


 ここぞとばかりに捨てられた子犬のような目は反則だと思うのです。これ絶対わざと確信犯間違いない。無意識でやっているのだとしたら恐ろしい人。


「……………………………………………………アルバート」

「ああ」

(うわあ……。笑顔が眩しい……)


 ふと、私は言葉に引っ掛かりを覚えたことを思いだす。

 そう思いつつも私は気になったので口に出てしまう。


「『オレ』っていう方がなんかしっくりくるけど、もしかしてわざと『私』って言っているの?」

「……まあ、そうだな」

「私の前だったら、『オレ』でもいいけど?」


 アルバートは「そうか」と今までにないほど甘く優しい声が漏れた。

 もしかして今まで無理をしていたのでしょうか。それなら気を遣わせて申し訳ないです。


「お前が良いというなら、そうしよう」

「うん」


 交わした言葉はそれだけでした。けれどアルバートは、どこか嬉しそうでした。再び手綱を強く握ると、方向転換して東の《終わりの森》へと馬を走らせます。


「少し遠いので大地の精霊(エアリアル)たちの力を借りる」

「あ、えっとアルバート。私は何をすればいい?」

「舌を()まないこと」

「うん」

「手綱を絶対に離さないこと」

「うん」

「あとはオレに身を任せ──抱き着いていれば問題ない」

「う。……え?」


 最後のセリフはなんというか心臓に悪い。耳元の近くで、さらっと言うなんてなんか卑怯な気がします。


「どうかしたか?」

「な、なんでもない」


 本人は無自覚でこれです。うん、私の心臓もつかな。

 私のうるさい心臓の音にアルバートが気づいた様子はなく、大地の精霊(エアリアル)を呼び出して風の祈りを唱えました。


「あまねく風よ、集え、集え。祝福を我らに」


 大地の精霊(エアリアル)たちが集まると──風が淡い水色の光を帯びて駆け抜けていきます。その光景は美しく、私は瞬きをするのも忘れて魅入っていました。



 ***



 東の《終わりの森》──落葉樹ミズナラ、ヤドリギの木、モミの木などに覆われており木々に葉が生い茂っていれば、とても美しい緑豊かな土地だったでしょう。しかし、そこには死の気配がありました。木々は黒く炭のように変わり果て、苔も生えない黒い土が侵食している。

 ぶるり、と馬が脅えて近づくことを拒むので、私とアルバートは馬から降りることになりました。本能的に危険だと気づいているのでしょう。可能な限り死の中心となる場所へと近づきます。ぐにゃぐにゃとなにかが這いずる音が聞こえてきて、私も生理的に結構ギリギリです。でもお役目を果たさなければ、という義務感で進みます。


「辛いのなら抱き上げて──」

「それだと何かあった時に動けないのでは?」

「……たしかに。なら手を離すな」


 私の返事を待たずに手を掴み、ずんずんと歩き出した。大股で歩く彼のスピードは速く、途中でつんのめりそうになりましたが、何とかついていけた。たぶん、手の温もりが思いのほか温かくて心地よかったから、離れたくない──そんな思いがあったのかもしれません。


(アルバートの役に立てば、ただ飯ぐらいから少しは好感度が上がるはず)


 森の奥へと進み、()()()あった。

 ゾッとするような寒気と、嫌悪感に私は思わず片手で口を塞ぎました。

 見えたのは黒い泥の塊。それが大地を腐らせ──広がっていたのです。まごう事なき元凶。泥が呼吸をしているように、こぽこぽと音を鳴らしている。


「……あ、アルバート。あれって……生きているの?」


 アルバートは、全てを終わらせていく死そのものをジッと睨んでいました。


「おそらく。……いつからあるのかは覚えていない。しかし、アレは強い思いによってあらゆるものを蝕む。ケガレ、呪い、ヨクナイモノ、(わざわい)──呼び方は様々だ」

「アルバートでも、どうにも出来ない?」


「死の王なら何とかできるのでは?」と思ったからです。私の心を読んだのか、彼は首を横に振りました。


「無理だ。……オレが死の力を使えば、終らせることはできる。だがその場合、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「!」

「再び大地が芽吹くとして数百年以上はかかるだろう。だからその力を使うのは本当に最後だ」


 それは強大な力を持つ故、制御が難しいという事。一度発動すれば周囲全てを灰に還してしまう。だからこそアルバートは、その力を使わずにいた。

 私の持つ権能が役に立つ時です。

 万物叡智(アカシック・レコード)の叡智は膨大。だからこそ意識を集中させて、解決策を見つけ出す必要があります。それは頭の中にある図書館から、関係ある一冊の本を探し出す感覚に近いでしょう。毒性のある泥──その正体は呪い。思念による腐食なら、思いによる浄化をなせばいい。この森を救いたい気持ちはある。あとはぶっつけ本番で試してみるしかありません。


「呪い解きは柊の葉と、私の知っている魔法なら効果が出るかもしれないわ」

「本当か」

「まずは試してみましょう!」


 ギギギッ!

 黒い塊は私たちの存在を察知したのか、黒い何かが動いた。


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