第23話 お屋敷での日常③
「へ?」と、思わず変な声が出ました。あれだけ一緒に話しておいて、今更その質問がくるなんて普通思わないでしょう。六つ目の獣の潤んだその瞳に、私の身体は硬直しました。たしかに口を開けたら、その大きな牙で私なんて一口で食べられてしまうでしょう。けれど──。
「いまさらの質問ね。毎日、話ができて仲良くしているのに、怖いわけないでしょう」
生前は猫派だったけど、犬もあながち嫌いじゃない。そう思えるほど、最近はとても可愛らしく見えます。やっぱり尻尾が素直だから余計にそう感じるのかもしれません。
「……そうか」
目を伏せて素っ気なない言葉でしたが、彼の尻尾は嬉しそうに揺れているのが見えました。その後他愛のない話に花を咲かせました。朝から贅沢なものです。
この数日で屋敷の中も急ピッチで修繕が進んでいるようで、妖精たちの数も増えました。いつものように長湯をした後、脱衣所へ戻りました。
(あ、そういえば、彼の名前……なんて言うのか聞き忘れちゃった。アルバート様の眷族だろうけど、妖精犬かな。ヘルハウンドやブラックドックとは雰囲気が違うし……)
「アルバート様に尋ねてみるのも良いかもしれない」と思いながら髪を乾かし、身支度を整えるのでした。
***
少しばかり涼んでから脱所から出ると、アルバート様が待っていた。今日は深緑色の燕尾服姿で、直視できないぐらい似合っています。謎の威圧感は健在だけれど。
「遅くなりました」
「……敬語はいらない」
「え?」
アルバート様は、そっぽを向いて彼は歩き出してしまう。
小声だったので、聞き取れなかった。これはもしかして、なにか失礼な事をしてしまったでしょうか。それでなくとも、朝風呂から上がるのをいつも待ってくれているのは、申し訳ないような。
謝罪をした方が良いのかも。しかし理由がわからずとりあえず謝るというのはその場しのぎになりかねない。あれこれと考えている間に、前を歩いていたアルバート様が立ち止まりました。
「朝食の後は中庭の手入れか?」
「はい。アルバート様から頂いた『世界樹の種』を撒いてみようと思います。ちょうどコボルトさんたちが貝殻を拾ってきてくれたので、石灰を作って肥料として試してみようかなって」
「貝殻を?」
「ええ、酸性土壌は植物によってあまりよくないため、酸度が中和できる石灰を混ぜると弱酸性で肥沃な土壌になって植物が良く育つようになるのです」
「ふむ……?」
「あ、ええっと、その要は大地に栄養が足りないのかもしれないので、試してみるってことです」
「そうか……」
『サティ。準備できたのー』
『はやく、はやくなのー』
「もう、朝ご飯を食べた後でって言ったでしょう」
コボルドたちは待ちきれなかったのか、私を呼びに来てくれたようだ。私はアルバート様に会釈をして、庭に向かおうとしたのだが彼に腕を掴まれてしまう。
「え?」
「…………」
「アルバート様?」
「サティとは……」
「あ。その伯爵家にいた時の名前なのですが……」
彼は私の申し出に大層驚かれているようで目を大きく見開いて数秒ほど固まっていた。
妖精界には妖精界のルールがある。私は異世界の記憶もあるから、どうしてもそちらの常識に引っ張られてしまう。人間の常識などここでは通じない。名前に関してタブーなどあるのかもしれないと身構えた。しかし──。
「サティと言うのだな。……今後は名で呼ぶ」
「え、あ、はい!」
そう告げると自分の部屋に戻り、アルバート様は朝食には顔を出しませんでした。
(なにかやってしまった!?)
朝食のパンとスープを食べながら私は何が悪かったのか振り返ります。気の緩みもあったのかもしれません。仲良くなろうと思った結果、アルバート様に名前すら名乗っていなかったということを今更ながらに気づいたのですから……。自分の迂闊さに溜息しか出ません。
よく考えれば入浴で仲良くなったのは六つ目の獣さん──つまりアルバート様の眷族なだけで、アルバート様と仲良くなったわけではないのです。それに前は食事はもちろん会話する時間も多かったのに、最近ではどんどん減っており、会話も長く続かないで終わってしまう。そもそも名前が知らなくても今まで会話が成立していたことを思い出して更に凹みました。
(責務もろくに果たせず、お荷物が悠々自適に過ごしているから不満があるのかも。どちらにしても領土回復したら私は用無しなのだから、必要以上に仲良くしないよう一線を引いているのかもしれないわ)
自分でそう結論づけて凹んだ。最初からここには長く居られない分かっているのだから、さっさと自分の役割を終えてここを出て行こう──そう自分に繰り返し言い聞かせます。
『サティ、元気ない? いっぱい食べるの』
『朝から食べないと、力でないって、聞いたのー』
「心配してくれて、ありがとう」
食事を運んでくれるコボルトに礼を述べた。確かに食べないといざという時動けません。私はパンを口の中に放り込むと、スープと一緒に無理やり飲みこみました。
最初に出された料理よりも、味は格段に美味しくなっていて感動しました。日に日に屋敷も修繕されているので、本当にお屋敷の一員のような錯覚を覚えてしまいます。私は領土復興のため、ここに置いてもらえているだけなのに。
(妖精界の大地に石灰が効果的か分からないけれど。何らかの成果を出さないと……)
突然、ノックも無しに部屋の扉が乱暴に開いた。アルバート様の姿を見て安心した直後、
「サティ。今日の午後、領土を見て回るのだが来るか?」
「!」
彼の言葉に、私は耳を疑いました。その提案は私がずっと望んでいたものでした。
「え、いいのですか?」
「……ああ、お前のマナもだいぶ回復したようだしな。本当はもう少し時間をかけようと思っていたが──」
「そんなことありません。やっと役に立てるのですから」
アルバート様は何処か複雑な顔で「そうだな」と言葉を呟く。
私は「ようやく領土の現状を知ることが出来る」ということで頭がいっぱいでした。暢気に考えていて、なぜアルバート様が私の体力の回復を待ったのか、その理由をあまり深く考えていなかったのです。





