第21話 お屋敷での日常①
パーティーから数日経った──ある朝、アルバート様は突拍子のない提案を私にしたのです。屋敷の生活にも慣れてきたと思っていた矢先のことだったので、衝撃でした。
「ええっと……。アルバート様、もう一度言って頂けますか?」
寝起きで頭が働いていないのだと思いたい──いえ、思いたかった。私の体に宿るマナが不安定なのは前々からアルバート様も知っていました。それもあって入浴場を真っ先に修繕してくれたことは嬉しい。それに薬草風呂とは贅沢の極み。ここまでは本当に感謝しかありません。本当によくしてくれています。
でも──、でもですよ!
「なにを固まっている。一緒に入るぞ」
「!」
「な、なんで混浴なんですか!?」と叫びそうになりました。これはツッコんだ方が良いのでしょうか。それとも種族の違いからくる認識の違いと判断した方がいいのでしょうか。うう、後者のような気がします。一緒に入るという行為を回避するためにも手段は選んでいられません。
「あの……なぜ混浴という結論に至ったのか、その経緯を教えていただけますか?」
「番と一緒に入るとマナの回復に効果があると、ある魔導書に書いてあったので試してみようと思ったのだが──なにかまずかったか?」
「あ……えっと……」
アルバート様は至極真面目に答えました。一体どんな魔導書にそんな文面が書かれていたのでしょう。私だったら暖炉に投げ捨ててしまいたい。というか、この方にそんな本を誰が渡したのか──。
「……ちなみにどんな魔導書なのか見せていただけますか?」
「ああ。これだ」
ぽん、と彼は手のひらに突如分厚い本が出てきた。まるでマジック──いえ、本当に魔法を使ったのでしょう。種も仕掛けもないのですから。
そんなことを思いながら、私は黒い表紙の分厚い本を手に取りました。思ったよりもずっしりとしている。著者は|アンブロシウス・メルリヌス《魔術師マーリン》。タイトルは「夫婦良好関係マニュアル」。うん、捨てていいと思います。むしろ今からでも暖炉に投げ入れたい。
(完全にR指定が付く内容なのだけれど!)
「……どうかしたか? やはりなにか変なのか?」
アルバート様は本当にずっと寝てばかりだったので、その辺の知識は疎いのでしょう。たぶん。心なしか、しょんぼりしていて眉が少し下がっています。ギャップ萌え。背景に子犬が見えます! ここはどうにかしてアルバート様を傷つけずに、言いくるめしかない。
「えっとですね、その……入浴といってもバスタブは狭いですし、別々に入った方がいいと思うんですよね。いやー狭かったので、一緒には入れないなんて残念です」
「浴槽はドラゴンぐらい余裕で入る大きさだから安心しろ」
「!!?」
墓穴を掘った。そうですよね、屋敷なのですから個室にあるバスタブではなく、入浴場の規模をもっと鑑みるべきでした。私の馬鹿っ―――。
***
脱衣所が男女に分かれていたのが不幸中の幸いでしょうか。西洋の大衆浴場をモデルにしたのか、彫刻やレリーフなど凝っていました。昔はここにたくさんの妖精たちが居たのでしょうか。屋敷の中もお城のように広い──気がします。とりあえず、この難関を乗り切ったら屋敷の探検をするのもいいかもしれません。
(浴槽は広いはずだし、湯煙であまり周りは見えない──はず!)
私はタオルを巻きながら、覚悟を決めて入浴場の扉を開きました。予想外だったのは、天井が崩れて露天風呂になっていること──ではなく浴槽に幻獣たちが湯に浸かっていたことです。
「…………」
五秒ほど硬直したのち、私は扉を全力で閉めました。はい、閉めましたとも。なんでしょう、見なければ良かったと心から思います。
人魚に、水棲馬、それと見慣れない何か──黒くてとても大きな犬、いや狼でしょうか。いえヤギに似た捻じれた角、六つの赤い目に尾の長いのが狼とは言えないでしょう。新種の妖精でしょうか。深く考えてはいけない気がします。
『入浴、気に入らないのー』
「え?」
ふと私の目の前にコボルトが姿を見せました。
「あ、コボルトさん。もしかして入浴場の修繕を?」
『イエッサー、楽しかったので頑張りましたのー』
「なるほど……。それはお疲れ様です」
『王様、張り切ってた。ツガイ、大事するゆうてたのー』
『王様、ニヒル・アドミラリ、ポーカーフェイスなだけなのー』
『サティ、大切に思ってますのー』
うう……。そう言う「大事に」とか「大切」などという言葉は本当に勘違いするので、やめた方が良いと思います。うん。
私はコボルトと会話をしたのち、入浴場の扉を──ゆっくりと開きました。湯気で良く見えませんが、幻獣が自由に湯に浸かっています。やはり幻ではありませんでした。それにしてもさっきより増えていません?
「ああ、花嫁が来た」
「マナが安定してないネ。でもいい匂い」
「だから薬草の湯にしたんでしょ」
幻獣たちは湯に浸かりながら暢気に話をしていました。どうやら私のことはすでに噂になっているようです。敵意は感じられません。そのことに私はホッとしましたが、妙な事を口走っていたような? 私のマナっていい匂いなのでしょうか。自分では全く分からないのですよね。
「なにしている、体が冷えるから早く湯に浸かると良い」
「!」
低い声をだしたのは、大きな犬でした。アルバート様の影に潜った四つ目の犬よりももっと大きい──いえ狼が近いかもしれません。あれ、でも狼ってヤギのような角ないですよね。それに六つ目で凛とした姿は気品すら感じられます。彼もアルバート様の眷族でしょうか。六つ目の獣は私をジッと見つめています。睨んで──いるわけではなさそうですね。もう犬なのか狼なのかわかりませんが、危険はなさそうなのは有難いです。
「ええっと、髪と体を洗ったら入りますね」
湯には様々なハーブが入っていた。ローズマリー、ラベンダー、カモミール……独特ですが好きな香りです。
「ハーブバス。それもこんなにたくさんいれて贅沢です」
嬉々として喜んでいると、コボルトたちが「体洗いっこする」「背中洗う」「体洗え」「体、きれい、きれい」と入浴場に入ってきました。私もコボルトたちと一緒になって、髪と体の洗いっこをすることに。コボルトたち、小さくてかわいいですね。
それから湯船につかる頃には、幻獣の姿は殆どいなくなっていました。
私はタオルを頭に乗せると、ゆっくりと湯船に浸かりました。お湯の温度は心地よくて「ふはぁ」と吐息が漏れます。伯爵家では、バスタブは各部屋あるもののトリア姉さんの嫌がらせのせいで、週に二度湯船に入れたらいい方でした。残りの日は、シャワーかタオルで体を拭くという涙ぐましい努力の日々。今思い返すと虐げられ過ぎませんかね。
ともあれやっぱり転生してもお風呂は心地よいですね。生き返ります。日本人はお風呂好き。転生しようが魂に染みわたっているのでしょう。
後ろで水棲馬がずっとこっちを凝視しているのですが、溺れさせないですよね。自宅の浴槽で溺れて死ぬとか嫌すぎる。あ、もしかしてこういう事も考えてアルバート様は混浴を? ……って、肝心アルバートルバート様の姿はありません。
(それはそれでホッとしたような……)
「熱くはないか?」
唐突に聞かれたので、「ひゃ」と変な声が出た。先程の巨大な犬、狼? いえ獣が心配そうにこちらを見つめていました。
「え、あ。はい、ちょうどいいです。近くに源泉でもあるんですか?」
「そうだ」
間近で見ると獣には六つの目がありました。とても大きなザクロ色の瞳、艶やかな黒い毛がとても綺麗です。巨大な獣は二メートルほどあり、ゆっくりと体を動かすと、私の隣に座って湯に浸かります。長い尾は私を守るように円を描くように湯に浮いている。
(守ってくれているのでしょうか?)
ふと六つの目が私へと視線を向けてきました。尾が少しだけ反応して湯の中を泳ぐように揺れています。その姿は微笑ましい。





