第13話 冬と死の妖精王との対話
それから窓から入る太陽の日差しで、私は目を覚ました。真っ先に視界に入ったのはソファから沢山の祭壇を飾る草が芽吹いている姿です。なんという急成長。アンビリバボー。というか切り花だったはずなのに、ソファから生えているってどういう理屈なのでしょう。色々考えてみたのですが、ここは妖精界。そもそも人間の常識など紙くず同然なのです。私は深く考えるのをやめました。やめましたとも。
『元気になった、元気になった。主に報告』
「え」
「毛布が急に喋り出したか!?」と思ったのですが、実は一匹の獣──大きな毛むくじゃらの犬でした。通りで温いはずです。黒くて長い毛は艶があり、ゴールデンレトリバーに似た姿をしているものの普通の犬とは異なり、四つも目があります。モフモフの毛布だと私が勘違いしていただけで、精霊の類だったのです。もうツッコミを諦めました。ああ、でもモフモフは癒されました。
(ん? あれ?)
毛布──黒い犬が離れたことで、自分の服装が以前と違うことに気づきました。刺繍の入った長袖のワンピースは白い絹で作られており、着心地は最高。着替えはいったい誰が──あの男の人でしょうか。だとしたら何というか、恥ずかしさで顔が熱くなります。
(見られた? いやでも……)
『元気ない? 大丈夫か』
くう。と黒い犬は心配そうに私の膝に顎を乗せた。あまりにも愛らしい姿に頭を撫でました。ああ、癒されます。
「心配してくれてありがとう。私は大丈夫よ。……ええっと、ところであなたは?」
『主の影、眷族。お前冷えていたから、温めるのが役目』
「それはなんというか、ありがとうございます」
黒い犬は嬉しそうに尻尾を振ると、ソファの影の中に潜って消えてしまいました。せっかくでしたので、もっと撫でて抱き着いてみたかった。というか私の影に潜ってしまったけれど大丈夫なのでしょうか。いろいろ気になることがたくさんありましたが、自分の置かれている状況を振り返ります。何事も顧みることは大事です。
ぽくぽくぽくちーん。
(──って、癒されている場合じゃない!)
部屋の中をぐるりと見渡します。心なしか最初に見た時よりも部屋の中が明るく、少しばかり小奇麗になっていました。暖炉の火は消えており、薪は墨となって黒焦げでついさっきまで火が灯っていたのでしょう。
(あの男の人と話をしなければ!)
部屋を出て屋敷の中を歩き回っていると、男の話し声が聞こえてきました。
『にしても、アルバートにやっと春が来たんだねー。今回は婚礼の先送りって事で』
『婚礼?』
『彼女は領土の復興に必要なだけであって、花嫁に迎えるつもりなどない』
「ほほう? ではお嬢さんが役立つうちは置いておいて飽きたら捨てるというのかな、僕の子供は?」
「その方が後腐れなくていいだろう」
(……!)
淡々とした言葉が胸に突き刺さりました。ぐさぐさと結構深く突き刺さったのではないでしょうか。しかしそれは仕方がないでしょう。得体のしれない人造人間に親切にする理由など、利用価値があるからに決まっています。それに私にも生き残るという目的があるのですから、私も利用すればいい。
それだけです。
割り切ってしまえばいいのに、部屋に戻ってソファに横になっても胸の奥にある痛みは消えませんでした。やはり私にはシンデレラ・ストーリーというのは縁がないようです。転生してから味方らしい味方がいなかったのですから、しょうがありません。
***
気落ちしていたからか、眠りに落ちた私は半日ほど寝入っていました。再び目を開けた頃には暖炉の炎が緋色に輝き、窓の外は真っ暗です。
「起きたか」
「!?」
唐突に現れた黒髪の男に、私は心臓が飛び出るほど驚きました。だって気配がないんですから。あとノックもなかったですよね。
(心臓に悪い。……って、文句言ったら追い出されるかしら?)
「……」
彼は不満そうに眉をやや吊り上げる。盗み聞きしたことに気づいたのでしょうか。それとも何か癇に障ることをしてしまったとか。ここにしばらく置いてもらうのなら、早めに謝っておいた方が良い。そう思ったのですが──。
「……っぁ」
まだ喉の痛みが引かず声が上手く出なかった。弁明しなければと焦って無理やり声を出そうとした瞬間。
「無理に喋るな。悪化するぞ」
「!」
「ゆっくり落ち着いて喋れば出るはずだ」
低い声は怒っているような語気の強い口調でしたが、単にぶっきらぼうなだけなのかもしれません。私は感謝の言葉を彼に伝えた。
「ありがとう……ございます」
「少し話がしたいが、いいか」
「はい……」
彼は私と向かい合わせになるようソファに腰を下ろしました。向かいにソファなどなかったはずですが、いつの間にか出現したようです。しかも焦げ茶の質の良さそうな革で作られたソファは座り心地がよさそうでした。
この方との対話は非常に大変でした。というのも話をしている間に、私がうたた寝をしてしまい、その度に話を中断させてしまったからです。どうにも体がだるくて、喉の痛みも回復せず、彼の名前を聞くことが出来たのは、その日の空が白む頃でした。
彼の名はアルバート。このノックマの丘に住む冬と死の妖精王だそうです。皮肉を込めて冬を取って《死の妖精王》ともいわれるらしい。妖精寄りと言うよりは精霊──つまりは万物であり神に近い存在で畏れられるのだとか。
確かに彼から威圧感のような、ただならぬ雰囲気はあります。もっともアルバート様の姿が森で見た時よりも輪郭がぼんやりとしており、喉の次は視界にも悪い影響が出ているようです。そんな状況下でも私は会話を続けます。それは私が生き残る上で大事なことですから。
「それで冬と死の妖精王が私に頼みとはなんなのでしょう?」
「ここは私の収めている領地なのだが、ある危機を迎えている」
「危機……ですか? 屋敷や身の回りの世話をしてくれる執事やメイドさんがいないということでしょうか?」
「まあ、それも問題だが……。それもこれもこの領土が疲弊しているのだ。そこでお前の力を借りたい」
領土が経済的に疲弊している、という訳ではなく領土そのものに問題が起こっているという事なのでしょう。しかしそれを聞いても、私がどう貢献できるのかまったくわかりません。
「ええっと……その領土の回復に、私はどのように貢献すればいいのでしょうか?」
「そうだな」
生贄だと言われたらどうしよう。それとも奴隷としての労働力を求められたら──。そんな不安な事ばかりが脳裏に過ったのですが、彼は淡々と説明し始めます。
「貢献の前に、まず事の経緯を説明しておこう」
「あ。はい。お願いいたします」
「幽世と人間世界の均衡が揺らいだせいで、妖精界に大きく影響が出ている。それを改善するため妖精王たちは、それぞれに伴侶を得ようと画策し始めた。中には特定の国の人間に花嫁候補者を提供しているらしい)
(それ、多分というか、確実に我が祖国サフィール王国です!)
「伴侶とはいかなくとも、……お前には、ある程度の期間……その私の傍にいてくれないか?」
「ん? ある程度? いるだけ……ですか?」
「ひとまずはそうだな。それだけでも効果は出ている」
正直言って信じられない言葉である。「私、役に立っています?」と口にしかけて黙った。いやだって死にかけの上、寿命二年未満の人造人間ですよ。
私が躊躇っていると、彼は唇を固く閉ざして何か思案しているようでした。癖なのでしょうか。反応も薄いので、彼がどう思っているのか数日出会ったばかりのたばかりの私では理解が及ぶはずもなく──沈黙の時間が続きました。
もっともアルバート様の目的は、領土の回復。私を傍に置いておきたいのも好意的なものではなく、責務に近しいのでしょう。
「ええっと、この屋敷に置いてもらえるうちは、好きなことをしても……いいのでしょうか?」
瞳孔が開き、凄まじい圧が向けられますが耐えます。命かかっているので耐えますとも!
「好きなこととは、なんだ?」
「ええっと……その……庭いじり……ガーデニングです」
「……は?」
低い声に身が縮み上がりますが、花好きをアピールするチャンスです!
「私は花を育てるのも、見るのも好きなのです。だからできるのなら庭の隅っこでいいので、何か植えてもいいですか?」
「……本気か?」
「はい! むしろ伯爵令嬢の時はあまりできなくて──」
「かまわない」
「え」
「問題ない。好きにしろ」
(あ、そっか。単にいるだけでいいのなら、何をしてもかまわないってことね。うんうん、お互い住み分けをしておくのは大事だものね)





