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陰キャな俺を波乱な高嶺の花は追い回してくる

作者: 天空 宮

 春が終わりを迎えそうになり涼し気な風が吹く今日この頃。

 雲一つ見えない快晴を夕日が色付ける空の下で高校一年生の俺――菊田百きくたももは、一人放課直ぐ下校という帰宅部の日常をなぞろうとしていた。

 そんな河川敷近くのアスファルトを歩いていた途中、後ろから大きな声がした。

 命令口調の女の子の声だ。


「待ちなさい!」


 しかし俺は、この近くに知り合いなどおらず、ましてやボッチな訳で自分が呼ばれているとは思わず足を止めずに下校という行事を遂行しようと歩き続ける。

 すると――俺の前に慌てて走って来て息を乱すシャツの袖を捲った女子高生が、指に絆創膏が張ってある両手を広げて現れ、やっと俺は足を止める。


「待ちなさいって言ってんでしょ!」


 知らない顔だ。

 まぁ、友達も少ない俺が知る顔なんてのも数える程しかいない訳なのだが。

 落とし物でもして、拾ってくれたという所だろうか。


「なんでしょうか」


 ずっと走って来た様子が窺えるほど彼女は僕の前で息を整えるように膝に手を付いていた。

 体力がないのか、そんなに前に落とした物があるのだろうか。

 俺は、頭の中で何を落とす物があったかなと思考を巡らせるが、

 その間に息を整えた彼女が僕に失礼を弁えずにビシッと指を差す。


「あ、あんた――あたしの彼氏になりなさいっ!!」



 後ろでシュシュを使って髪を結い、残った流れるような長い金髪を靡かせる。

 一目で外国人かハーフかと思わせる色白で整った目鼻立ちに加え、170センチの俺より少しだけ小さいくらいの長身と凹凸のはっきりしている豊満そうな胸に引き締まったボディというプロポーション持っている。

 やんちゃさが伝わる口角部に位置する犬歯がチラッと見え、長いまつ毛と切れ長のツリ目の蒼い瞳で俺を睨み付けてくる。

 あまりにも容姿端麗な美少女ゆえに、俺にとっての高嶺の花のような人。


 そんな人の告白紛いの発言に対し、俺は当然のように答えた。


「嫌だ」


 こちらには動揺など一つもなく、あっさりと断ったのだ。


 よくある話だろう。

 俺のような陰キャに学校のグループでやるような告白してこいよゲーム。

 そんなものの標的にされるこちらの身にもなって欲しいというものだ。

 俺は、返答をした後、僅かなお辞儀をして硬直した彼女の横を素通りしようとする。


 しかし、彼女はそこで終わらなかった。


「な、なんでよっ!」


 動揺したままに俺の腕を掴んでくる。

 俺に告白を断られるとは想像していなかったようで、面白いくらいの動揺ぶりだった。


「俺、君のことは好きではないので」


 そもそも命令口調だったり、上級生かもしれないという勘繰りがなければ、敬語を止めたいほどこちらとしては迷惑だ。

 こんな中肉中背、特にかっこいいだとか、かわいいとか、賢いとかでもない、少し天パなだけでありふれたボッチの俺を女子が好きになる訳はない。

 さっさとドッキリでした、とか言ってどっか行ってくれないかな。


 とも思ったが、俺の返事が衝撃的すぎたようで少女は力が抜けるようにその場に四つん這いになってガックリとした構えとなる。

 今の内だと思った俺は、それを放置してそそくさとそのまま家へと帰るのだった。


 これが、俺と彼女の衝撃的な出逢いだった。



◇◇◇



 翌日の朝。

 俺は、俺達家族の家がある団地の三階から憂鬱に降りていた。

 外が曇りで雨が降りそうなのもあるが、それ以上に三つ下の中学生の妹が風邪で学校を休むというので、いいな、と羨ましがっているからだ。



 下まで降り、「はぁ……」と溜息を漏らすのを聞く者がいた。


「あ、やっと出て来た」

「え……!?」


 昨日僕の純情を弄ぼうとした少女が今日はブレザーを着て指の絆創膏を増やし、階段を出て直ぐの所に立っていたのだ。


「な……なんでここにい――」

「あんたを待ってたに決まってるでしょ」

「はぁ?」


 流石のこれには動揺せざるを得なかった。


「じゃなくて、どうやって俺の家の場所を…………」

「あぁ、それね。この前、菊田百を追いかけろ二十四時っていう企画を――」

「ある訳無いでしょっ!」


 てか普通に俺の名前知ってるし……。


「妄想していたのよ! あたしにそんな企画を努めてもらって感激でしょ!!」


 普通以上に迷惑だ……。

 胸を張り本気で言っているような感じを見て、そんな言葉しか思いつかなかった。


「で、なんの用なんだ?」


 もう敬語は無しだ。こんな迷惑野郎に敬語を使っていたと思うと自分が情けなくなる。


「あんた、あたしと付き合いなさ――」

だ」

「なんでよ!」


 予想していた要件に対して即答し、頬を膨らませて睨み付けてくる彼女にそっぽを向き、いつもの通学路を歩き出す。


「あっ、待って!」


 すると、当然のように俺の隣を歩きだす。

 どこまで付きまとえと友人に言われたのだろうか。

 まぁ、そんなに長くやる訳はないだろうし、今日一日無視し続ければいいだろう。


「ねぇ、どうしたらこんないい女の告白を断れる訳!?」


 うぇ……自分でそういう事を言える奴がこの世にいた事に驚くよ。

 まだ中二病の方が可愛く思えるね。


「胸だってちゃんとあるんだけど!」


 少女は俺に向かって胸を強調してくる。

 目に入った豊満なそれには流石に口元を押さえた。

 こんな奴の魅力にニヤけたなんて噂が広まったとしたら自殺ものだ。


「Fはあるんだけど!? てか知ってるでしょ!」

「知る訳ないだろっ!」


 無視を突き通ろうとしていたのに、あっさり目を閉じてツッコミを入れる始末。

 F? F……A、B、C、D…………って、何数えてんだ! 変態か!?


「やっと喋った! 一人で喋ってたって詰まんないから!」

「てか、君誰!?」


 邪念を吹き飛ばそうと話題を逸らす。


「はぁ~?」


 彼女は、「なんでそんな事を聞くんだ」とでも言いたげな顔で目を丸くしている。


「昨日から色々言ってくるけど、俺は君なんて知らないし、知らない人と付き合う訳はないだろ!!」

「ぐ……ぐぬぬ…………」


 何故か悔し気で少し涙目でもある。

 え、俺ってこんな子と会った事あるか?

 記憶を蘇らせても、こんな金髪の外国人ぽい人と会った事なんて――

 うん、ないな! 会ったことがあったら忘れる訳ない。


「い……一カ月前…………あ、アンタ……あたしの胸を揉んだでしょっ!!」

「揉むかっ!! てか公衆の面前で何言ってんだ!!?」


 既に住宅街に入っており、恥ずかし気に大声で言うものだから周りの学生や社会人などから視線を浴びてしまっており、弁解すべく足を止める。


「だから、責任持ってあたしと付き合いなさい!」

「断る! そんな事を俺がする訳が…………」


 言葉を言い終わる前に俺の記憶の中に思い当たる節が一つあった。


 一カ月前のあの日。

 母さんが夜勤で帰ってこなく、俺と妹は朝寝坊をして走って学校へ向かっていた。

 妹とは途中で別れ、そのまま学校へ向かっていたのだが、

 狭い道から出た角で女子生徒と鉢合わせしてぶつかってしまい、俺がその子を押し倒す形で倒れてしまったんだ。

 その時に確かに左手に柔らかい感触があった気がするけれど、あの日は急いでいてその子を起こしてあげた後、全力の謝罪で謝り、俺の名前を一応教えて立ち去った。

 だけど、その子は何も言わなくて、顔も全然見なかったし、誰だったのか俺は判らなかったんだった。


「もしかして、俺がぶつかっちゃった人…………?」

「そうよ!」


 涙目で同意する。

 顔を赤らめ、羞恥に悶えているようだ。


「その……あの時はごめん。怪我はなかった? 大丈夫だった……?」

「っ……なんなのよ、急に優しくなって……」


 何故か視線を逸らし、自身の髪を弄りながら耳まで真っ赤にしていた。


「ふ、ふん……! たく、普通自分が胸を揉んだ相手くらい調べておくものでしょ!」


 んなわけあるか!


「その分だと、別に怪我とか無さそう。

 じゃあ俺は先に学校へ行くから、君も気を付けて」


 今の言葉でバカバカしくなった俺は、さっさと学校へ行ってしまおうと先を歩きだす。


「ちょ……聞いてたの!? アンタ、責任取ってあたしと付き合いなさいよ!」


 慌てて速歩きになる俺に付いて来る。


「いや、そういうのは長く続かないよ、止めておいた方がいい」

「てか、歩くの速い! もうちょっと気を遣って!」

「気を遣ったら、俺の事を諦めるの?」

「なっ、んな訳ないでしょ……」

「じゃあこのままで」

「な……!?」

「こういうぶっきら棒の男なんか相手にしない方がいいよ。

 俺なんてただのなんの取柄もない普通の男だから」

「そんなの関係ない!」

「だいたい! 君みたいな可愛い子がなんで俺なんかと付き合いたいと思うんだよっ!!」


 足を止め、振り返って少し怒鳴りつける形になってしまう。

 付きまとってくるこの子と早く離れたかった為だ。

 しかし、彼女は黙りこくってまた顔を赤く染める。


「か、可愛いとか…………嬉しい、じゃんか……」


 力のない小声でらしくない態度を取られるので、理性を取り戻す。

 そんなつもりはなかったのに、つい言ってしまった。何をやっているんだ、俺は……。

 まぁ、別にいいか。どうせ今日一日、もしくはこの登校の時間だけの関係だ。


「あ、あたしは……本気であんたのこと、す……き……なんだよ…………」


 小声で聞き取りにくかったけれど、確かに俺の耳に聞こえた。

 しかし、俺はその言葉を信じることなどできない。

 なぜなら、それは全くの理由になっていないからである。

 だが、言われる方も言われる方で辛いものがあり、無言でまた足を進めた。

 彼女も今度は催促のようなことはせず、無言で俺の後ろを付いて来るのだった。



◇◇◇



 俺が通う川之輪かわのわ高校は、普通科のみの私立高校だ。

 東京の大学に何人もの卒業生を輩出している進学校であり、アイドルや女優の卵なんかも在籍している。

 その学校が近くなるにつれて真紅色のブレザーに萌黄もえぎ色でチェック柄の女子はスカート、男子はズボンといった配色の制服を着た生徒達が通学路で見かけるようになる。


 俺のクラスは、一年二組。

 いつも窓際の一番後ろの席で授業を受けている。

 席替えの際、幸いながらボッチには最適の一番角の席を取ることができたのだ。

 くじ引きだったので、当時は心の中でかなり喜んだものだが……。


 まさか……登校してもなお、彼女が俺に付きまとい、視界を遮るとは。


「ここ、君のクラスじゃないんだけど……?」


 他の生徒の視線がある手前、声を荒げはしないが、焦燥感に駆られてしまう。


「まだ授業始まらないでしょ」

「そうだけどね……」


 何がしたいんだこの子は……。

 はっ! そうか、この子は俺にちゃんと告白しているぞと仲間内に知らせる為に俺の所に。

 そこまで真面目じゃなくてもいいと思うけど。


「あたし解ったのよ!」


 なぜか胸を張るので、どうせ碌な事ではないだろうと適当に「へー、何が?」と棒読みの科白せりふを返す。


「アンタ、あたしのことを何も知らないってことよ!」


 そうだよ、名前すら知らないよ! 今気づいたのかよ!


 ちゃんと理解をしているのかは判らないが、「だから、お話しよ」と俺の机の上にバックを置き、少女はまだ空席の俺の前の席に腰を下ろす。


「そこの席の人に迷惑だから、座らない方がいいよ」

「え、うん、そうだね」


 意外にも理解してくれたのか席を立ち、俺の机の真横に立つ。

 聞き分けはいいんだな。告白の拒絶以外は。


 しかし、少女は俺の机に手を付き、胸を寄せてくる。

 何が「そうだね」だったのかいぶかしんでしまう。

 それを他所に彼女のパンチラでも拝むべく、男子生徒が後ろにぞろぞろと移動していくのが視界に入った。


「おい、パンツが見えそうになってる。それはやめろ」


 流石に放っておけず、囁き声で注意。


「え、あ……うん!」


 少女はスカートを押さえると、振り返り睨み付けて牽制。それはそれで可愛いらしく、男子共の顔が和んでいるようだが。

 別にパンチラの為だけじゃなく、こいつはこいつで普通にモテそうだし、そういうのもあるのだろうけど。

 しかし、女子はなぜかスカート短くしたがるし……夏でもないのにそんなにデメリット覚悟でオシャレなんかしたいもんなんかね。俺には解らん。


「あたしのパンツはアンタだけにしか見せないから」


 男子を牽制していたはずの少女が俺の耳元で囁いてくる。

 俺は驚いて身を引くと、そのまま倒れていってしまう。

 だが、なぜか少女も俺を助けようとしたのか追ってきた。


 俺はなんとか床に手を付いて体を支えられたけれど、そのせいで椅子に手を付いた少女の顔が目の前にあった。

 顔を赤くしていると思ったのも束の間、

 少女は、目を瞑ってのキス顔を近づかせてくる。

 おかげで元から可愛い容姿だった焦点が全てピンク色の唇へと集中してしまう。

 俺は、一瞬誘われそうになったが、唇を噛んで理性を取り戻し、


「帰れ!」


 と一蹴し、肩を押しのける。

 すると、不貞腐れた様子で「ぶぅ」と残し教室を後にするのだった。


 俺は、なんとかポーカーフェイスを突き通しながら心を落ち着かせようとしていた。


 あいつ……普通ゲームでキスまでしようとするか!?

 俺がその気だったら、どうするつもりだったんだよっ!


「菊田君……」


 そんな中で俺を呼びかける人がいた。

 学級委員長の日輪恋花ひのわれんかさんだ。

 黒髪のショートボブに前髪を黄色のピンでとめている清楚な真面目女子だ。

 男子には人気みたいで――この前の体育の授業があった日、このクラスの男子数人が委員長って、割と胸があるんだよな~、とゲス話をしていたのを覚えている。


「な、なんですか……」


 それまでの動揺の色を隠せず、あまり話したことのない日輪さんに話しかけられて更に動揺してしまった。


「五組のるなさんとどういう関係なんですか?」


 恐る恐る聞いてくる様子があった。

 五組か……言い方からして同じ一年生らしい。

 しかし、彼女の名前は「るな」というのか。まさかあれだけ近くにいたのに、本人以外から名前を聞くことになるとは。

 まぁ、ただの加害者と被害者です、と言ってしまえば俺の方が加害者にされかねないしな。

 友達というのも違う。俺はあんなのと友達になりたいとは思わない。

 恋人――絶対にない。


「ただの知り合いです」

「あ、あんなに仲良くしていたのにですか?」


 まさか、俺とあいつが不純異性交遊をしているとでも思っているのだろうか。

 ここまで追求されると、こっちもいい言葉が思い浮かばなくて詰んでしまう。


「えっと……そうですよ?」


 突き通そう。俺にできることはそれしかない。

 たく、あいつ……面倒な事を起こしやがって。


「そ、そうですよね。モモく……じゃない、菊田君が女優のるなさんと深い関係なのかと思ってしまいました」


 え……なんかいま下の名前で呼ばれそうになったような。気のせいか?


「やっぱり、不純異性交遊とか?」

「そ、そうです! それです! ダメですよ~……」


 互いに愛想笑いをして「あはは」と茶を濁そうとする。

 この瞬間、不意に互いの利害が一致し、学級委員長は自分の席へと戻っていく。


 それにしても、あいつ女優だったのか。

 この学校ならいても普通だし、あの顔とスタイルだったらモデルとかでも有り得ると思ってたからな。

 まっ、それなら尚更俺が付き合う訳はないな。

 って、俺、なに真面目に考えてんだろうな。気にせずいつもの日常に戻ろう。

 帰ったらちょっと勉強して、ゲームして、漫画読んで、寝て、また明日学校に来る。いつもの日常に。



 しかし、俺のいつもの日常は午前の授業までだった。

 昼休みになると――るな、という名前らしい少女はニコニコしながら教室に入ってきて俺の席へとやってくる。

 なぜか黄色い風呂敷と青い風呂敷に包まれた二つ分の弁当を持って。


「な、何やってんだお前……」

「何って、一緒に弁当を食べようと来てあげたんじゃない。今日はあんたのも特別に作って来てあげたんだから」


 いや、親切心なら帰ってくれないかな……。


「他の席を使っちゃダメなんだよね……」


 朝の会話を覚えていたのか自分がどこに座ろうかとキョロキョロ辺りを見渡す。

 あれだけはしっかり覚えてんだな。告白断ってんのに、全く聞かないのとは違って。


「じゃあここ!」

「はっ!?」


 思わず大声で反応してしまった。

 彼女は、俺の体を自分の体で押しのけるようにして俺の席半分を図々しくも占領したのだ。


「いや、何してんの……」

「は、恥ずかしい……」


 顔を赤らめてモジモジと羞恥している。


 いや、ならやるな! こっちの方が恥ずかしいわ!

 あまり目立ちたくはなく、ツッコむのも容易ではない環境で言葉を飲み込む。

 この場合、俺が床で食えばいい話なのだが、それだと俺がこいつの犬みたいになってしまってムカつくのと葛藤している。


 そんな思惟しいに悩んでいる間に弁当を開けた彼女が箸を使って俺の口元へと運んでくる。


「はい、あーん」

「食うかっ!」

「菊田君……?」


 もう訳分からないくらいに焦って結局大声を出してしまう。

 それで委員長だけでなく、より周りからの視線を浴びてしまい、

 るなさんがあーん……だと!? 誰アイツ、一回くらいなら殴ってもいいかな? 俺のるなちゃんがぁ……。

 と色んな男子の声があり、堪え切れなくなった俺は、慌てて机の上の弁当とるなを持ち教室を出るのだった。



◇◇◇



 学校の屋上。

 昨日より少し雲が出てきている曇り空の肌寒い屋上で昼休みを過ごそうとするのは俺だけだったようで、他の生徒の姿はなかった。

 俺は、一応の為にるなを引っ張り屋上の隅っこへと避難する。



 彼女の腕から手を離すと、疲れた感じで適当に腰を下ろした。

 ここは、屋上の出入り口の側面に位置し、比較的に誰か来ても見えづらい場所だった。

 その点だけに救いを感じ、安心感から息を漏らす。


「あ、悪いな。結構強く腕引っ張っちまった……」


 彼女は、髪を指で弄りながら同じく座る。

 今回はスカートに気を遣ったようで女子座りだが、またしても顔を赤らめている。


「もしかして、痛かったか……?」

「べ、別に……かっこいい、って思った……だけ…………」


 何の話だろう……。

 今の俺の行動に何もかっこいいところなどなかった。

 そうか、ここまでの道中に誰かイケメンに惚れたのかもしれない!

 いいぞ、そのまま心酔してしまえ。そして、さっさとそっちへ行くのだ。


「ねぇ、早く食べよう?」


 さも当然なのだが、こいつって結構……っていうかかなり可愛いんだよな。

 ちょっと見つめられるだけで胸がトクンって言うからやりづらい。


「あっ……」


 だけど見てみると、俺が持って来た弁当は――自分の黒い風呂敷に包まれた弁当とこいつの黄色い風呂敷包まれた弁当だけでもう一つの青い風呂敷の開けていた方を教室に忘れてきてしまった。


「ごめん、お前の教室に忘れた……」

「……いいよ、そもそも弁当二つもいらなかったよね。あたしこそごめん……」


 項垂れる少女を見て、居たたまれなくなった。

 ――ただ、それだけだ。


 俺は、るなの持って来た黄色い風呂敷の弁当を開ける。


「え……食べてくれるの!?」


 教室で食わないという態度を示していた俺を思い出し唖然していた。

 しかし、俺は俺で弁当の有様を見て唖然する。

 焼け焦げた卵焼き(?)やウインナーソーセージ(?)、緑色の液体にまみれたごはん、そして何故かこれだけ無事な俺の嫌いなトマト。

 世紀末らしい弁当だが、俺は覚悟を決めるように唾を飲んでがっつき始めた。


「あの……そっちは失敗作で、あたしが食べようとしていたから……美味しくない、と思う」


 モジモジしながら視線を逸らす。


 やっぱりコレ、こいつが作ったのか。

 どうりで指に絆創膏が増えているはずだ。

 女優ってそういうのいいのか、という疑問は今は置いておいてた方がいいか。


「うっせ、お前は俺のを食べろ。

 俺の母さんが作ったやつだ。ありがたく食せ」

「え、くれるの? 本当に!?」

「だって、お前の分が無いだろ。食わねえと午後腹が鳴って笑われるぞ」

「……ありがとう!」


 つぼみが花咲いたような華やかな笑顔で感謝されてしまう。

 綺麗な顔立ちが相まって、面倒なことに俺が見惚れてしまうものだった。


 う……俺、何やってんだろ…………。


「彼氏のお母様の初の手料理……」

「おい、そういう言い方やめろ! 俺は彼氏じゃねえっ!」



 互いに弁当を食べ終わると、再びモジモジしだす。

 催促されているような気がして、さっさと済ませようと明後日の方を向きながら切り出す。


「その……美味しかった!」

「でも、それは失敗作で…………」

「お前が頑張って作ったってのは解ったよ。だから、俺にとっては美味かったんだ。

 うちは、もうずっと親が母さんだけだから、弁当作ってくれんのも稀でさ。いつもは俺が妹の分も一緒に作ってんだ。

 だから、お前が弁当作ってくれたの、本当に感謝してるんだ」


 無言になったかと思えば、なぜか目に涙が滲んでおり、手で口元を押さえていたので心配になる。

 何かまずいことを言ってしまったのだろうか。


「ど、どうした……?」

「だって……あんたが偉いから…………」

「意味わかんね……」


 なんだかんだ俺のこと、こいつに話しちまったな。

 結果的に俺が勝手にこいつの思い通りの事をしている。

 俺の良心も大概だ。


「お前、名前何て言うんだ?

 うちの学級委員長から『るな』っては聞いたけど、それ合ってんのか?」


 呼び捨てとか勘弁だから苗字を教えて欲しい、という俺の本心は隠しておくことにする。

 言ったら、隠しそうだから。


「あ……あたしは、桃井ももい・フローレス・ルナ

 月って書いてルナって読むの。可愛いでしょ?」

「かわ……さぁ……?」

「え~可愛いよぉ!

 それとね、あんたももって言うでしょ? あたし桃井! モモが同じなんだよ、運命だよね!」

「いや、全く解らん!」


 俺も少し思ったけど……。

 てか、これだと桃井さんって呼ぶのも抵抗ができる。

 名前呼びも抵抗あるけど……。


「ねぇモモ!」

「はっ!?」


 抵抗無しに呼び捨てだと……!?


「モモのお母さんの弁当、すっごく美味しかった!

 今度、教わりに行っていい?」

「ダメだっ!」


 こうして波乱な昼休みは終わった。

 その後の桃井さんは、いそいそしい足取りで自分の教室へと戻っていくのだった。

 教室に寂しげに残った弁当は、結局俺が持ち帰ることになり、空いた時間で食して後日弁当箱だけを桃井さんに返すことにした。



◇◇◇



 小雨が降りだした肌寒い夕方。



 放課後は、桃井さんは俺に「じゃあね」と言い残して先に帰ったので一人で家に帰って来た。

 別にいつも通りだし、むしろ他の人達に一緒にいるところを見られなくて安心したくらいだ。


 帰った後は、非番な母さんが妹の風邪の看病をしており、今日は俺の家事の出番も少なそうである。

 それならばさっさと自分の世界に入ろうか、と少し濡れた制服を着替えてグレーのトレーナーにハーフパンツ姿となり、リビングに漫画を持ってくると――家のインターホンが「ピンポーン」と音を奏でる。


「百、出てー」


 俺と妹の部屋から母さんの指令が聞こえ、「へーい」と返事をして玄関へと向かった。

 宅配でも頼んでいたのかな、と傘や靴が端に敷き詰められた狭い玄関の扉を開く。


「はーい」


 すると――そこにいたのは、桃井さんだった。


「……はっ?」


 ストーカー行為がまだ続いていたのか、と驚愕して固まる。

 未だ制服姿の桃井さんは、悪びれる様子もなく、俺の顔を見てしてやったり顔をしていた。

 イラついた俺は、無視して扉を閉めようとする。

 これ以上彼女にもてあそばれるのは嫌だった。


「ちょ、待ってモモ!」

「呼び捨てにするなっ!」

「え、あ……うん」


 恥ずかしさから咄嗟の反応をしてしまい、扉を開け直し、くわっと言い返す。


「で、何の用だよ……」

「うん、隣に引っ越したから挨拶しようと思って!」


 意味を理解できずに一瞬の硬直。

 頭を悩ませるように訊くことにした。


「ちょ……待て。もう一回言ってくれるか?」

「そこの向かいの部屋に越してきたのよ」


 そう言って桃井さんは、何かをくれるつもりらしい紙袋を右手に持ち替え、もう片方の手で当然のようにうちの向かいの扉を指差す。

 確かにそこには桃井と名札が張ってあった。

 俺は信じられずに家の扉から出て『桃井』という札をこれでもかと凝視する。

 しかし、変わらず『桃井』と書いてある。


「なんで!? 今日の朝は何も張ってなかったはずのに!」

「今日引っ越してきた!」

「…………は、え、なんで……?」

「モモともっと一緒にいたいから」


 赤らめた頬に手を置き体を左右に揺すって羞恥しているようだ。


「いや、意味解らん!」


 真顔で思考停止気味に言う。


「偶にあたしが手料理作ってやるからな!」

「いや、意味解らん!」

「あ、でも、夜這いとかは大人になってから……。鍵だけは渡しておいた方がいい?」

「いや、意味解らん!」

「代わりに今度デートしよっ!」

「……俺は、彼氏じゃねえ――――っ!!」


 俺の悪運も尽きてしまったようだ。

 桃井さん――正直、桃井、と呼び捨てにして下に見てやりたいくらいお怒りものだが、

 こいつが来てから、嫌な予感が警笛を鳴らしっぱなしである。

 これだけ拒否し続けているのに、こいつはなんで俺のもとから離れようとしないのか。

 まったく理解に苦しむ所業だ。



◇◇◇



 次の日、雨が滂沱となって外がうるさいまでになった。

 かくいう俺は、妹の風邪を貰い部屋で寝込んでいる。

 まさか貰い風邪なんてなるとは思わなかったけれど――昨日おとといから、俺の周りをうろつく面倒屋がいるから、なっても仕方はないか、と諦めてさえいる。

 母さんも妹も、続けざまに病人が出て憐れんではいたが、看病する訳はなく、妹も今日は学校へ行っている。

 昨日の時点で結構治っていたみたいだし、あいつはまぁ、大丈夫だろう。


 とはいえ、俺の風邪がそんなに辛いものかと聞かれれば、そこまでではない。

 熱はあるけれど、もう高校生。風邪にも慣れた感があって、ちょっと寝れば大丈夫なはずだ。

 それならばと、こういう休みの日に桃井さんをどうにかする策を考えてみようかね。



 いつの間にか寝ていたようであり、近くで物音がして目が覚める。

 体を起こそうとすると、額に冷たく重い、更には何故かびしょびしょに濡れた物があるのに気付いた。

 目の下まで水滴が垂れてくるくらいに水分の取れていない濡れタオルだった。


「おわっ! 何だコレ!?」


 誰もいないはずなのに、こんな物があって体を起こす。


「あ、起きた?」


 俺の部屋に堂々と入ってきている桃井さんの姿があった。

 両手には、うちの大きめの皿に乗っかったまだ皮が残っている変な切り方をされたリンゴ。

 また、悪びれもしない笑みは通常運転である。


「何やってんだ……?」

「何って――看病しにきたに決まってるじゃん」


 なんでこいつ、普通に家に入って来れてんだ?


「てか、お前、学校はどうした!? もう昼近くだぞ!?」

「え、サボったけど?」


 なぜサボっているのに普通みたいに言ってんだこいつ……。


「俺は風邪だけど、お前は休む理由はないだろ」

「女優の仕事が入ったので休みます! いつも通りよ」


 なんつー羨ましいいつも通りだ。

 俺も使ってみたい理由だな。


「はい、あーん」


 膝立ちをし、また昨日のようにリンゴを刺したフォークを差し出してくる。


「あのな…………つーかまぁ、ありがたいんだけどさ……一つだけ言っていいか?」


 桃井さんは、惚けた様子で「ん?」と首を傾げる。


「濡れタオルがびしょ濡れだ。これはもっと絞ってくれ」

「うん、解ったわ」


 俺が額のタオルを渡すと、あっさり了承して台所の方へと向かっていく。


 あいつ、俺といて本当に楽しいんだろうか。

 風邪の看病なんて、ただ面倒なだけだろうに……。



「はい、じっとして寝てなさい」


 桃井さんは俺を寝かせようと倒し、今度はちゃんと絞られたタオルを額へと置く。


「お前、俺みたいな愛想が悪い男といて楽しいのかよ……」

「うん。モモのこと、好きだから」


 こいつ、もう「好き」って言うことに抵抗が無くなってきてんな。

 それはそれで問題だけど――たったそれだけの理由でこんな俺に心酔するかね。

 まったく、理解不能だよ……。


 俺だけ恥ずかしくなり視線を逸らす。


「何かして欲しいことある?」

「へ……?」

「なんでもしてあげるよ」

「別に無いよ。

 それより、お前は学校に行けよ。ここまでお前に迷惑掛けるのは釈だしな」

「迷惑なんて思ってないよ。モモの役に立てて、あたしは嬉しいんだから」

「ほんと、意味不明だよなお前」

「モモって……あたしの事、どう思ってるの?」


 もじもじしながら口元に手を置き、チラチラとこちらを見てくる。


「俺は、お前が期待しているような答えは出せないぞ。

 胸揉んで好きになったなんてどこのエロゲーか知らないが、俺は何もしてないのに――」

「む、胸を揉まれたから好きなんて、言ってないしっ!」


 腕を上下して慌てて反論してくる。

 病人の前で大声まで出すので、呆れものだが。


「そうだったか?」

「最初は、その事について一発ぶん殴ってやろうかと思ったけど……」


 まぁ、普通のリアクションならそうだよな。

 俺もそれだったら素直に殴られたと思うが……。


「その機会が友達に話しかけられたりして潰れ、

 次に見た時には通学路で転んだ小学生を介抱してあげてたり、一人で教室の掃除をやってたり、団地周辺の草刈りなんかもやってて――自然と目で追ってたのよ」


 ……別にそんな大層なことはしてないように聞こえるのは俺だけだろうか。


「あたしの事、全然知らないってのは解ってる。

 まだちゃんと逢うのも三回目だし、これから時間をかけて教えるから……少しは意識して欲しいの。あたし、頑張るから!」

「お前がなんでここまでするのか、意味が解らないよ。

 けどまぁ、俺にも非はあるし、勝手にしろよ。どうせ、俺の事を知っていく内にいなくなるのはお前の方だろうからな」

「それはないわよ。

 あたしが告白するまで――あんたの事、ずっと見てきたんだから。

 そ・れ・に、いま勝手にしていいって言ったよね?」


 なんか悪寒のする言葉が聞こえたような……?


 桃井さんは、俺の被る毛布を捲り、ずけずけと敷布団の中に入ってくる。


「おま、何して……!」

「知ってる? 風邪ってうつすと治るらしいわよ」

「逆に風邪が悪化するわ!

 てか、お前に風邪をうつしたくないんだって!

 俺のせいでお前が風邪になったらそれこそ俺のせい――」

「あたしが風邪になったら、看病してよ。

 うちは一人だから、モモが来てくれたら寂しくなくなるから」


 初めて見る布団の中で覗ける桃井さんの上目遣いは相当な威力があり、熱が上がってしまった気がした。

 元から可愛い顔を上から見ることで、俺の方が居たたまれなくなってしまうほど。

 更には俺のトレーナーを掴み、猫のようにも思える。

 俺は、息を呑み、理性を保とうと頭の中で葛藤していた。

 それほどまでの儚くも愛おしいくらいの強烈な威力が俺の視界に映りこんでしまったからだ。

 

 俺は、桃井さんの両肩を掴む。


「桃井……さん…………」

「モモ……」


 俺を見つめる視線が淡く輝き、美しいまでになっている。

 まるで宝石のようで、優しく扱わないと傷付いてしまいそうだ。

 だが――


「出てけ」


 俺は、全ての邪な気持ちをぶん投げるように桃井さんを布団から出す。


「なんでよー!」


 本人は、「ぶぅ……」と頬を膨らませて嘆いているが――実際のところは俺も精一杯だったのを理解して欲しい、と心の中で思うのだった。


 お前は、俺にとって高嶺の花くらいに可愛いのに、そんな事をするから面倒なんだよ……。


 その時、ズガーン、と大きな雷の音が鳴った。

 近くに落ちたようで、もの凄い大きな音であり、男の俺でさえ起き上がり部屋の窓を見てビビるくらいだった。


「今の――」

「きゃあっ!!」


 そうなれば女の子の桃井さんは、それ以上に恐怖し、咄嗟に俺の体に抱き着いてきた。


「おい、大丈夫か?」


 その目には涙が滲み出ており、俺の背中にしがみ付く手が強く握り締められているのを、胸の柔らかさの奥で薄く感じた。

 桃井さんは、俺の問にかぶりを振って答える。

 声も出ないらしく、いつもは何かしら叫ぶ桃井さんがらしくない態度で少し不思議に思ったが、

 胸の圧が強く、それどころでもない。

 俺の胸板で彼女の胸の曲線が歪む柔らかさがあり、自然と俺の顔の熱が上がる。

 引き離そうとしても――再び鳴る雷の音で逆にしがみ付く力が強まってしまう。


「むーんーっ!!」



 俺は、仕方ないからと桃井さんの後頭部を優しく撫でる。


「……大丈夫だ」


 昔、俺の妹も雷に怖気づいていたのをこうやって宥めた記憶があるな。

 あの時も今も、まだ小さくて、こいつみたいにくっ付いて胸なんか当たりはしなかったのだが。

 たく……強きで、諦めが悪くて、一つの事以外見えてない感じで、料理が下手で――雷が震えるくらい苦手か。

 たった三日で俺もこいつの事を少しずつ知っていってんだな。

 本当に、厄介な相手に好かれたようだ。


 この分だと、ゲームっていうのは、俺の勘違いなのかもしれないな。

 こいつを観察してもその友人の影はないし、どんな時もこいつの顔は本気のようだ。

 それに、ゲームだってんだったら、ここまでする必要はない。

 風邪の介抱なんてのは、この歳からすれば面倒すぎるし、

 弁当を作った時も、指を怪我してまで…………。

 諦めが悪いのは、俺の方なのかもしれないな。


 つっても、俺がこいつに恋する気は――


「モモ……」


 雷が暫くおさまり、顔を上げる。

 未だ涙目で、うるうるした眼差しを向けられ、俺は固唾を呑んでしまう。

 いま俺がこいつに掛けて上げられる言葉が果たしてあるのだろうか。

 これまでこいつを否定し続け、告白も断り、その後は自由にしろとないがしろにしている俺に、何か言ってやれる言葉なんてあるんだろうか。


「お前さ、もしかしたら俺が告白を断ったから俺に付きまとってんじゃねえか?」

「へ……?」


 潤んだ瞳は真直ぐに俺を見る。

 戸惑った様子で服を掴んでいたはずの手で口元を押さえている。


「ならお前、俺と付き合え――」

「えぇっ!!?」


 驚愕し、キョトンと腰を抜かしている。

 そこに追撃するように俺は彼女の両肩を掴むと、緊張した様子をしていた。


「そして、別れてくれ!」

「…………はぁ?」


 呆れながらに緊張した肩を下ろす。


「俺がお前の告白にオーケーを出したってことになるから、お前のプライドも守られるだろうし。

 そしたら、もう俺に用は無いだろ。

 だから、別れて終わりだ。桃井さんも俺も、もういつもの日常に戻ろう。

 俺は何もない高校生活を。桃井さんは、女優活動の一環で高校生活をする非日常へと」

「嫌!」


 桃井さんは、イラついた様子でそっぽを向く。

 俺は九分九厘当たっていると思ったのだけれど、なにか怒ることなんてあるのだろうか。

 桃井さんは、良くも悪くもプライドが高く、フラれた事実を有耶無耶にしたい一心で単独行動に出たとしてもおかしくはない、と思ったのだが。


「でも――」

「ん?」

「今、あたしに告白したよね!?」

「へ?」


 かと思えばいつもの調子に戻り、強気な態度で顔を近づけてくるので俺の方が引いてしまう。


「じゃあ! 今からあんたとあたしは、恋人同士って事でいいんだよね!」

「い、良い訳ないだろ!

 別れるって言ってんだから!」

「あたしは、別れないからっ!」


 血迷った……この状況は、こいつのペースになるじゃないか。

 でも……マジか。別れるという要求を受け入れないのかこいつは。

 もっと慎重に言うべきだった…………。

 けれど、何故だろう。俺の中でほっとしているような部分がある気がする。気のせいだろうか。


「モモ、大好きだよっ!」


 思い切った桃井さんの顔が一気に近くなる。



 ――桃井さんの唇が俺の頬に触れた。



 戸惑うのも束の間であり、桃井さんは涙の晴れた睨みつきで宣言する。


「絶対、逃がさないからね!」


 俺は唇が振れた頬を押さえ、余計に動機が高くなってしまうのを静かに感じていた。

 顔が真っ赤なのは俺だけではなく、桃井さんもであり、互いに恥ずかしい動機を沈めるまでギクシャクした空気を過ごしたのであった。



◇◇◇



 次の登校日の曇った朝。

 俺が団地から下りていくと、また鞄を持ち、壁に沿うように立つ桃井さんがいた。

 俺を不貞腐れたような顔で見つけると、「遅い!」と近寄ってくる。


「また待ってたのかよ……」

「当たり前でしょ、あんた、あたしの彼氏っていう自覚あるの?」

「無いよ。俺は彼氏じゃありませーん」


 そう言って通学路に入るのに対し、隣を付いて来る。


「ちょっとー!

 ふふっ、モ~モ!」


 強い物言いが飛んでくるかと思えば、笑って俺の名を呼んだ。

 俺が外で呼び捨てにされると恥ずかしがるのを解った上で。


「お前なぁ……せめて君とかさんとか敬称を…………っていうか苗字で呼べよ」

「モモ君かぁ! うん、いいよ!」

「あっ、こら!」


 お茶目な笑みを見せたかと思うと、今度は俺の前を早歩きで行く。

 俺はそれがわざとだと解ってはいても、訂正しようと追いかけるしかないのだ。


「ねっ、モモ君もあたしを名前で呼んでよ!」

「はぁ? 呼ぶわけないだろ! それより、名前じゃなくて菊田――」

「えー、ルナって呼んでよぉ! つまんない!」

「つまんないってお前なぁ……」

「それより、早く付いてこないと皆の前で呼び捨てにしちゃうよー」


 面白がるような笑顔で振り返る。

 思い通りになるのも嫌だけど、今は言う通りにするしかなかった。

 これからも振り回されると思うと憂鬱だが、案外彼女と一緒にいるのも非日常という気がぐれに興じられるのかもしれないと少しばかりの期待を持っているのかもしれない。

 まるで、昔の――子供の頃の自分に戻ったように。



◇◇◇



 桃井さんは女優関係で俺とのコンビが揃うことも疎らだったけれど、学校に来るといつも俺の近くにおり、いつしか俺と彼女が付き合っているのではないかという噂が広がっていった。

 そのおかげで俺も嫌な視線を受けることが増えた。

 本当に最高である……。


 依然、俺と彼女の中は変わっていない。

 俺は相も変わらず誘惑に負けずに恋人同士になるのは拒んでいるものの、なんだかんだ脅迫紛いなことを言われて結構良いようにさせられている節がある。

 それであいつも見惚れる笑顔を振舞うので、こちらは何も言い返せていない状況だ。


 俺も俺でいい加減強く拒否しなければ、と紺色の体操服で熟考しながら四校時目の体育の授業終了後にサッカーで使った赤いロードコーンを用具入れに戻し教室に帰ろうとしていると、

 用具入れの裏で何やら揉めている声が聞こえ、気になって見に行くことにする。



 いたのは、髪の毛を茶色に塗り手繰った長身で大柄の、耳にピアスを付けた色黒の男にナンパを受けている桃井さんだった。

 桃井さんは、いつもの強気が消えるように男に逃げ場を失くされて縮こまっているようだった。


 たく、あいつら何やってんだ?

 まぁ、あんなチャラくて喧嘩っ早そうな奴は桃井さんの好みじゃないだろうけど。

 ……って、なに俺、あいつのことを解ったようなこと言ってんだ?

 はぁ……やめやめ、放置して今後の動向を――


「なぁ、いいじゃん!

 今日学校終わったら遊びにいこーぜ! その後、もっといい事、教えてあげるからさっ!」

「い、嫌っ!」


 男のクソみたいな言葉と桃井さんの腕を掴もうとするのを見て俺のどっかの線が切れた音がした。


「お前ッ! 俺のルナになに手ェ出してんだッ!!」

「なっ、お前――菊田!?」

「モモ君…………」


 気付いたら声を荒げて男と桃井さんの間に入っていた。

 思わず「俺の」や、「ルナ」と呼び捨てで呼んでいたりしたが、状況が状況だけに気にしている余裕はなかった。

 焦燥感に襲われた俺は、桃井さんの腕を掴むとこちらを見て離さない彼女を引っ張りながらその場を去ろうとする。


「おい待てよ菊田ァ……。

 お前なんかがるなと釣り合う訳ねーだろ。さっさと俺によこしてどっか行けよ」


 ゲスの笑みで背中を向ける俺に言い放ってくる。

 俺もそれくらいは自覚しており、むしろそれを思い知らされる毎日だった。

 だけど――


「言わないと判らない奴は面倒だよな」


 俺は、桃井さんから手を離し、用具入れの裏に置いてあったロードコーン二つに嵌められたトラバーを持つ。

 少々太いが、長物には違いないし、両手で持てば使えないこともない。


「ルナに近づくな。

 こいつの邪魔をお前なんかがしていい訳ないだろ」


 もう彼氏面を貫く勢いがあり、それを考える思考をも無くし、

 肩には力を入れず、下腹部に力を入れ、無駄な思考や呼吸を止めて目の前の相手と向き合う。

 中学まで剣道部で主将を務めた経験がここで生きた。


「……何も持たない相手に武器持つとか、それでも男か!」


 動揺しながら引きつった顔で苦し紛れの言葉を漏らす。


「なんでもするさ。お前から彼女を守る為なら!」

「く……へっ! やってらんねーぜ。勝手にしてろ!」


 男はそう言ってカッコつけるように手をポケットに入れて校舎の方へと戻っていく。

 それを見送った後、俺は、トラバーを地面に落とした。

 あれだけの事を言っておいてなんだが――正直中学以来にこの剣道の自然体の姿勢を持ち出したけれど、不安と緊張から何もなくて済んだという安堵が手足を震わせていた。

 俺がゆっくり胸を撫で下ろしていると、ぼそっと桃井さんの声が聞こえてくる。


「か、かっこよかったよ……モモ…………」


 顔を赤くしながら口元を手で隠し、チラチラと俺の事を見るので、正気に戻されてしまう。


「……余計な事じゃなかったか?」

「ううん、怖かった。

 だから……助けてくれて嬉しい」


 微かに微笑む姿は儚く、今にも泣きだしそうであった。


「だけど、あれだからな! 俺は体育の授業の終わりで用具入れに片付けに来てて、別にお前の事を付けてきたわけじゃないし。

 あと、呼び捨てにしたのは勘弁しろよ。こっちだってお前の事を助けるのに必死だったから――っ!?」


 必死に言い訳をしている最中、俺の口を塞ぐように背伸びをしながら唇を交わす桃井さんが俺の眼前に在った。

 俺の初めての――ファーストキスを奪われた瞬間だった。


 寄りかかるように胸の上に乗せられた両手と、突き出すように来た瞼が閉じられた美顔の中央少し下に位置する唇が俺へと触れる感触があり、それが夢ではないのだと証明する。

 これだけはしてはいけないと意識していたはずなのに――俺は、無意識に瞼を閉じることを尊んだ。

 まるで、ずっと自分自身も望んでいたことのように本能に誘われていくのだった。


 太陽が照り付ける今日、用具入れ裏にある葉っぱを生い茂らせた樹木が日光を阻害すると共に、俺達のキスを優しく隠してくれていたのであった。


 胸を触ったくらいで好きになるはずがないと豪語していた俺ともあろう者が、この日初めて自覚する。

 元々、引き付けられてはいた。

 自覚したくはなかったというのもあるかもしれないが、それを恋だとは思わなかった。

 しかし、俺は今日、キスを通じてルナという少女を好きになってしまっているのだと自覚することになるのだった。



 俺から離れ、瞼を開く少女は視線を逸らすものの顔を真っ赤にしていた。

 思い切りの良さはこいつの良いところではあるが、流石に恥ずかしすぎたのだろう。無言を呈する俺を前に彼女も何も言わない。


「その、臭くなかったか……俺、体育の後だったし…………」


 先に口を動かしたのは俺の方だった。

 彼女を好きなのだと自覚して色んなことが頭の中を転がって最初に出て来たのがそれだった。


「その、あ、あたしも口臭いかもって思って……息止めてたから、わかんないです…………」


 彼女も羞恥のあまり適当な敬語になる始末。

 自身の髪まで弄り出し、動揺を気付かせないようにするのに必死みたいだった。


「全然臭くなかったよ!」


 咄嗟に否定する。

 何故か自分でも解らないが、まるで最初に逢ったばかりの感じで口調が砕けている。

 俺は息を止める間もなかったので、彼女の花のような香りが入って来たのを感じていた。


「あ、ありがと……ございましゅ…………」


 ございましゅ? 赤ちゃんにでも戻ったのかな……。

 それより、これじゃあ会話が成り立たなくて何時間でもこうしていそうだ。

 俺は恐る恐る初々しい心持ちで一緒に昼休みを過ごすのを誘うことにした。


「そろそろ教室へ戻ろう。

 次昼休みだけど、一緒に弁当食べる……?」

「う、うん! じゃあ屋上で待ってるから」

「お、おう!」


 意味は不明だが、自覚した途端に彼女を見る目が変わったように愛おしく思ってしまう。

 上目遣いには前に思ったよりも迫力というか、超ド級感があって、

 可愛すぎんだろ……。

 と心の中で叫んでしまった。

 俺が彼女を前に抵抗としてできたのは、視線を逸らすことだけだった。


 俺は、いそいそしい足取りで教室へ戻っていく彼女を見て呼び止める。


「待って!」


 首を傾げて振り返る彼女は、「何?」と言って近寄ってくる。

 未だ顔に熱が帯びているのを気に掛けている時間はなく、出る限りの勇気を振り絞った。


「……いま言っておかないと、当分言えなくなると思うから…………」

「へ?」

「る……ルナ…………俺も、す、好きだからな……」


 面と向かって言うのは流石に恥ずかしすぎたので俺の視線の先は彼女の足元にあり、表情を窺うこともできなかった。

 しかし、その反応は直ぐに判る。


 ルナは俺に近寄ると――俺の体を抱きしめた。

 彼女の柔らかい体を感じ唖然していると、顔の横で努力が結実したように叫ぶ。


「あたしも、好き!

 モモ、大好き! 大好きだよぉ!」


 歔欷きょきして俺の背中に回す腕の力が強まっていく。

 それに驚いて俺の緊張も解け顔が綻んでしまうが、俺もそっと彼女の背中に手を回す。

 俺を求めてくれるような嬉し泣きを愛おしく聞きながら。

 こうして好きな人を支えていられる時間を尊ぶように。


 ここまで容姿端麗――卑小な俺にとっての高嶺の花が傍にいてくれる。

 それはきっととてもありがたくて運が良すぎることなんだろう。

 自分でもチョロいとは思うけども、今ならあいつが言葉にして伝えてくれた事は全部真実なんだろうと思える。

 いつかは愛想を突かれる可能性も無きにしもあらずだが、俺は、もう少しだけ彼女に素直になろうと思う。

 ルナ――この呼び方もおいおいしていこうという心構えだ。

 しかし困ったな。これじゃあ、俺も本気を出して彼女に釣り合う男になるしかないのだと覚悟するしかないじゃないか。

 俺とルナの未来――予想もできない波乱から始まった関係だけれど、その先があるのなら、俺はそこを目指して歩んでいこう。

 もしも、あいつがこれからも相手が俺でいいと思ってくれるのなら。



 この時の俺は、ルナに夢中で彼女以外目に入っていなかった。

 俺へ向けられる波乱が一つだけなんて決まっている訳ではないというのに。


「ここが、モモちゃんが通う高校かぁ……!」


 校門で川之輪高校の校舎を見上げる少女が意味深な科白を呟いていた――。

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