十月下旬のカミングアウト
十月も半ばを過ぎて、吹く風に季節の移ろいを感じさせられる今日この頃、私は友人に告白をせねばならなくなっていた。
さっき〇ィキで調べたところによると、「カミングアウト」と言う言葉はアメーリカのゲイが使い始めたのが語源らしい。それまで隠していた自らの出生や性癖を明かす事、と言う意味だそうだ。
今日私は友人に昨晩の出来事について説明しなくてはならない。そしてそれをすることは、私の秘密を話すこととイコールでもある。これまではその場しのぎ的な言い訳によって彼女を誤魔化してきたのだが、昨晩の事はもはや決定的だった。もう全てを話すしかない状況まで追い込まれたのだ。
そんな事を考えながら校内を歩いていると、私の足は通いなれた部室の前へとたどり着いていた。
永風乱大学付属学園の部室棟二階最奥にある一室、そこが私が所属する部活動――正確には同好会活動――が行われる場所だ。半年間も通い詰めていれば、考え事をしながら歩いていても無事にたどり着くものらしい。
ドアプレートに「学園生活サポート部」と書かれているのを一瞥すると、急に鼓動が早くなるのを感じた。
(いよいよ、この時が来てしまったか……)
土壇場になって胸中から臆病風が吹きあがって来るのを自覚したが、そんな風を吹き飛ばすかのような強い強風が校庭から私に吹き付けてきた。部室棟二階は吹きさらしのボロアパートのような構造になっており、ブレザー一枚では肌寒かった。
その寒さに背中を押されるかのように、私はドアをノックした。ドアノブには「本日活動休止」と書かれたプレートが掛けられていたが、昨日私の元に届いたメールを信じるのなら、彼女はここにいる筈だった。
果たして、部屋の中からは返事が返って来た。
「いるわよ、入って」
招きに応じてドアを開けると、そこには見慣れた光景が広がっていた。
部屋の中央に置かれた長机は横向きに置かれており、左右は資料を入れたロッカーと本棚に囲まれている。そのため机左右の幅は人一人がようやく通り抜けられるくらいの広さしかないので微妙に不便な構造だ。その机の奥には日当たりの良い窓が設けられており、刺す陽光は肌寒い気温を和らげてくれている。しかし玄関側の机の席に座る人がいる際、その人は窓から差し込む日光に容赦なく晒されて無駄に眩しい為、来客時にはいつもカーテンが引かれるのが常となっている。とにかく微妙に不便な構造なのだ。
その微妙に不便な部室の主は、私の訪問を確認すると、椅子から立って部屋奥のカーテンを引き始めた。
艶やかな黒髪が夕日を受けて黄金の光を返している。この部屋の主であり、この部の長でもある美しい女性――龍道寺弓削が言葉を発した。
「今日は皆は来ないから、二人きりよ」
返す言葉を選んでいる内に、嫌な間が生じてしまった。しばし室内は居心地の悪い空気が流れたが、良いタイミングで部屋の隅に置かれたティファールの魔法瓶がゴポゴポ言い始めた。恐らく弓削が紅茶を淹れるために沸かしていたのだろう。
「丁度いいわね。お茶、淹れるわ」
「あ、うん……ありがとう」
弓削は無類の紅茶好きだ。季節を問わず部室棟一階の水飲み場から水を引いてはこの部屋で沸かした紅茶を楽しんでいる。
運ばれてきたティーカップに口を付けると、芳醇な香りが口いっぱいに広がった。
「ありゃ、いつもと味が違うな」
「お父様がお土産で買ってきてくださったの。イギリス産よ」
「へぇー。いつものも美味いけどコレも中々渋くて良いなぁ」
お世辞ではなかった。
「貴女も違いが分かるようになってきたわね」
弓削が淑やかに微笑んでカップを口に運ぶと、室内は穏やかな沈黙に包まれた。
校庭からはサッカー部が彼らの友達をボウンボウン蹴っている音や、テニス部の皆さんが掛け声を上げながらランニングしている音が聞こえる。どうということもない放課後だ。いつもであれば私たち部員はこの部を頼ってやってくる依頼人を待ちながら、銘々に好きな小説やら雑誌を読んだり、学園の課題をやっつけたりしながら時間を潰す。それが、私たちサポート部の日常だった。
「もう半年になるのよね……貴女がここに入ってから」
おもむろに弓削は席から立ち上がり、部室奥へと向かっていった。何をするつもりだろうと不思議に思ったが、弓削は構わず話を続けるようだった。本題に入る前に何かしらのクッションを挟むつもりなのだろうか。
「色々あったわね」
「う、うん」
弓削は部屋奥の子棚にしまわれていたファイルケースを取り出した。あれは確か「活動記録ファイル」だ。
彼女はしばらくそのファイルをパラパラ捲っていたが、やがて一つのページで指が止まった。
「貴女が入部してから起きた最初の事件――『パンツ飛翔事件』ね。貴女のお陰で事件が余計こんがらがったのよね」
「あー……まぁそうとも言えるな」
忘れもしない事件だ。「校庭に女子のパンツがどこからかともなくヒラヒラ飛んでくる」と言う出来事が何度か続いたんだよな。私たちはそれを調査することになったんだっけ。
「次は――『スケバン抗争事件』か。あったあった……もうなんだか懐かしいな」
これに関してはよく覚えていない。多分あんまり出来の良い事件ではなかったんだろう。なんだ出来の良い事件って。
「この半年間に色々な事が起きて、私とても充実してたわ。どんな偶然か知らないけど、貴女が来てからの依頼はそれまでより一層……なんというかドラマチックだった気がするのよ」
思い出とするには早すぎる期間だったが、確かに色々起こった半年間だったので、弓削がそう語るのも無理はない。
「でも、昨日みたいな事は今まで一度もなかった。少なくとも、私も目の前では……」
私は彼女の話が核心に迫りつつあるのを確信した。
「昨日の事件を名付けるなら……そうね、『黄金少女事件』ってとこかな」
来た。
昨日起こった事件が切っ掛けで、私たちは今までの関係ではいられなくなってしまったのだ。しかし個人的にはこの事件が一番出来が良いと思う。なんだ出来の良い事件って。
「桜、貴女は昨日私に言ったわよね。『後で全部説明する』って」
弓削は真っすぐ私の方を向きながら、言葉を続ける。
「説明してくれるのよね? 昨日貴女と私を襲った怪物のこと……そして、貴女のこと」
入部した時から、いつかこんな時が来る可能性があるとは思ってた。出来る事なら、話さずに済ましたかったが、もはや、そんな余地はどこにもないのだ。
昨日、決定的に現実では起こりえない出来事が発生し、私たちはそれに巻き込まれたからだ。
私はティーカップを机に置き、弓削の方を仰ぎ見た。
「ああ、説明するよ……実は――」
言葉が止まった。
彼女の背中には夕日が後光みたいに差していて、その表情が逆光のせいで伺えなかった。
つくづく構造に欠陥のある部屋だ。神秘的なまでに美しいその光景を拝み、ここに来て「怖い」と言う感情がまた湧き上がって来たのだ。
……しかし、私は既に昨日『全て話す』と言ってしまっていたのだ。
「実は?」
「……」
こんな時、なんとなく頭の中に浮かんでくる言葉がある。
賽は投げられた。
覆水は盆に返らない。
私たちが乗った列車は途中では降りられない。
諺、金言、名言には力があると私は思う。
そして――こんな言葉もある。
男に二言はない。
私は息を大きく一つ吸い、告白した。
「実は私――いや、俺は男なんだ」
部室の時間が数秒間停止した。
「……は?」
何言ってんだコイツ、と言う語気を感じさせる「は?」だったので、俺は補足することにした。
「体は女だけど、心はそうじゃないんだ」
「それって――」
弓削は目をくりくり動かして、頭の中で適切な言葉を探しているようだったので、俺は再度フォローを入れた。
「いや、その……生まれつきの、そういうものとかじゃあない。何と言うか……そう、簡単に言うなら俺は『憑依系TS娘』なんだ」
「ひょ、憑依系……? てぃいえす? どういうこと?」
一部の界隈の人にとっては分かりやすい言葉のハズなのだが、弓削には伝わらなかったようだ。
「分かった。一から全部話す――ハッキリ言って、すっげぇ長くなると思うけど……いいか?」
本当マジで長くなる予定なので、俺は断りを入れずにいられなかった。しかし弓削は意に介さず、簡潔に返事を述べた。
「構わないわ。今日は皆は来ないもの。ゆっくり聞かせてちょうだい」
「よし。それじゃあ――っと、その前に一つ言っておきたいことがある」
本題に入る前に、非常に大事な補足をしておかなければならないことを俺は思い出した。弓削は小首をかしげて話の続きを促している。
「いいか、この世界には常識では考えられない非科学的な出来事が数多く存在する」
「……は?」
「俺はそれを実際に体験してきた。そこのファイルには残っていないが、『時間停止男』や『恩を仇で返す宇宙人』や『数十メートル離れた所から精液をぶっかけてくる変態手品師』とか、そういうオカルティックな奴らが出現し、R15くらいのエロ指数を持った怪人も登場する。これは、そういう方向性の話なんだ」
「な、何を言っているの?」
「俺たちはいくつか事件を解決してきたわけだが、決して『探偵モノ』ではないことをここで断っておく」
「誰に!?」
弓削の軽快なツッコミが部室に響いたが、俺は満足していた。これはすごく大事な事実だ。そりゃ出来れば俺だって知的かつ鮮やかに事件を解決してみたいと思ったことがある。しかしそんなことは土台俺の頭では不可能なのだ。
「前置きが長くなったな。そろそろプロローグを終わらせようか」
弓削がゴクリと唾をのみ込むのが見えた。
「俺の本名は……猿山桜じゃあない」
「え……?」
「本当の名前は猿山太志って言うんだ」
見計らったかのようなタイミングで風が吹き、窓がガタガタ震えた。来たる冬の季節の訪れを感じさせる、十月下旬の出来事だった。