第一話 或いは海賊の娘と
●序章
それは透明な五センチくらいの短い棒だった。かすかに青色をしていた。
お父さんがお酒を掻き混ぜるときに使う、ガラス製のマドラーの先っぽみたいな感じだった。
端が革ひもで結ばれていて、首に掛けられるようになっていた。
叔父さんは僕に手渡すとき、
「忘れるなサトシ。いつも首に掛けているんだ。決して手放してはいけない。お前ももう五年生なんだから、言われたことはちゃんと守れるはずだ。この石が持つパワーによって、お前は旅することになる」
そう言った。
僕は首に掛けた。
ちょうどそのとき、リビングの時計が鳴った。
午後三時だった。
第一話 或いは海賊の娘と
気が付いたとき、僕はベッドにいた。
粗く削られた生木で出来た天井。
部屋のドアが開いて、一人の女の子が入って来た。
「あら! 気が付いたのね! どこか痛いところはない?」
首を横に振ってから、
「僕は……?」
「憶えてないのね。あなたは玄関の前で倒れていたの」彼女は続けた。「それで、お母さんと二人で部屋の中に運んだの」
そうか……。
理由が分かったとたん、お腹の虫が、ぐーと鳴った。
倒れてしまった原因は空腹だった。
「パンとリンネギのスープでよかったら持って来てあげるね」
そう言って彼女が部屋から出ようとしたとき、握り拳くらいある大きさの石が、窓から部屋の中に投げ込まれた。
「やーい! 海賊の娘! お前の父ちゃんが船を沈めたんだ!」
子供達の声。一人や二人ではなかった。
「人殺しの海賊の娘は、この町から出て行け! セイナは町から出て行け!」
「海賊の娘は町から出て行け!」
そんなのが暫く続いた後、彼らはいっせいに走り去って、いなくなってしまった。
「気にしないでと言っても無理と思うけど……。食べ物を持って来るね」
セイナ(多分、彼女の名前だ)と呼ばれていた女の子は部屋から出て行った。とても悲しそうな顔をしていたけど、どこか凜としていた。
「しまった!」
慌てて首に掛けてある石を確認した。
「あった! よかった。気を付けなきゃ……」
安心したとたん、また、お腹の虫が、ぐーと鳴った。
◆
「これは何?」
食事をさせてもらい、お互いの自己紹介も済ませた後、彼女の質問は、お父さんからもらった腕時計から始まった。
「これは腕時計。文字盤にあるのは僕の好きなアニメのキャラクターなんだ」
「すごい! 細い針が動いてる! ──うでどけい、あにめ……知らないものばかり……」
きっとそうだと思う。
「サトシ。じゃあ、これは?」
今度は胸のバッチ。
「これはスカイツリー。日本って国の東京って場所にある。僕のお気に入りなんだ」
「すかいつりー?」
「鉄で出来た塔。ひょっとしたら、あの山の高さくらいあるかもしれない」
窓の外を指差した。
「イノ山ね。にほんのことは何も知らないけど、わたし達の町とは、ずいぶん違うみたい」
「うん」
僕は頷いた。
僕が知る限り、ここは過去の時代のイギリスに似ている。まだテレビなんかが発明される以前の。
「にほんからは船で来たの?」
セイナが言った。
「う、うん。そうだね」
説明しても、とても理解してもらえないと思うので、僕は頷いた。叔父さんからもらった石のパワーで異世界を旅してるだなんて、僕だってまだ信じられない。
「お父さんとお母さんは? サトシのこと心配してると思うわ」
「日本からは一人で来たんだ」
「嘘っ! でも、どうして?」
「病気になったお母さんのために薬草を探してるんだ」
「そうなんだ……。早く見付かるといいね」
そのとき、ズボンの後ろポケットのビー玉が、じゃらじゃら鳴ったので取り出した。(僕達の世界では)イマドキじゃないけど、僕にとっては大切な宝物。八個ある。
「見せてもらっていい?」
「うん」
彼女は一個のビー玉を手に取って、
「きれい……。模様入りのビー玉なんて見たことない……」
窓から差し込む光にかざしたりして見ていた。
「よかったら、あげる」
僕は言った。
「ううん。こんな素敵なものもらえない」
「どうして? ご馳走までしてもらったのに。それに、家に帰れば幾らでもある。ほら。あの瓶が一杯になるくらい」
1.5リットルのペットボトルほどの大きさの瓶を指差した。
「ほんとに?」
「ほんとに」
「じゃ、じゃあ、これもらっていい?」
恥ずかしそうに言った。
「一個じゃ遊んでもつまらないから半分あげる」
「駄目! そんなにいらない。でも、だったら二個もらっていい? うふふふ」
「もちろん。あははは」
何故だか声を上げて笑い合った。
「うふふふ。ふふふふ」
「あははは。はははは」
そのとき僕は思った。
セイナのお父さんは海賊なんかじゃない。絶対に。
◆
セイナのお母さんは、最初に見たときから、ずっと暗い顔をしていた。心労で体調を崩しているのだそうだ。
食事を済ませた後、そのお母さんを一人残して僕達は家から出た。
この辺りには土壁の家が多い。それが町の中心に近付くにつれてレンガで出来た建物へと変わっていく。
教会のような建物もあった。でも屋根の先端にあるのは十字架じゃない。似てはいるけど、ここは僕が生きていた世界とは違う。
早歩きで進んでいた。
暫くしたとき、突然セイナが立ち止まった。
「何? どうしたの?」
「しっ! あそこ──」
セイナが指差した先に十人くらいの子供達がいた。
「ひょっとして石を投げた奴ら?」
セイナは頷くと、
「どうしよう……。あそこを通らないと行けない……」
そのとき近くの家のドアが開いて、
「セイナ! お入り!」
女の人に呼び掛けられた。
「ありがとう! スヨおばさん!」
僕にも、
「あんたも早く!」
セイナと一緒に僕も家の中に入れてもらった。
「お父さんのところに行くのね?」
「うん」
スヨおばさんの言葉にセイナが頷いた。
「あの子達も決して悪い子じゃないんだけど、あんたのお父さんを海賊の一味だなんて誤解しているのね……。本当に難儀なこと……」
それから僕に向かって、
「この辺りでは見掛けない子ね。服も違ってる……」
「サトシは、お母さんのために薬草を探しに来ているの」
セイナが言った。
「偉いのね。でも、その格好は目立つ……。──ちょっと待ってて!」
スヨおばさんは部屋から出て行った。戻って来たとき、手に服を持っていた。
「息子のお古だけど、これを着て」
「ありがとう」
脱いだ服は、ひもで束ねて、そのひもの端を持って肩に掛けられるように、スヨおばさんがしてくれた。
「その腕に付けているのは何?」
スヨおばさんに聞かれた。
「腕時計です」
「ちょっと見せてもらってもいい?」
外して手渡すと、
「すごく美しいものね。それに動いてる……。目を付けられたりしたらいけないからポケットに入れて隠してなさい」
僕は言われる通りにした。でも、美しいというのには、ちょっと違和感があった。こういったものが溢れている僕達の世界では、あまり使われない言葉だ。綺麗とか格好いいとかは言ったりするけど……。
家から出るとき、
「頑張るのよ。お父さんは絶対に無実だから。裏庭を横切って行けば見付からずに済むわ。あんたもセイナのことを守ってあげてね」
「もちろん!」
頷きながら僕は心の中で答えた。でも、そのとき僕は、ちょっとだけ安心していた。だって、無実だと思ってる人に出会えたのだから。
◆
無事、目的の場所に着いた。
ここにセイナのお父さんが捕らえられているらしい……。
昔、この辺りを治めていた貴族が建てた小さなお城なのと、着くまでの間に教えてもらっていたイメージ通りの小さな城だった。
「ここで待っていて。面会出来る時間は、ほんの少しなの」
そう言うと、セイナは建物の中へと入って行った。
外で待っていると、門番のおじさんが気さくに話し掛けてきた。
「セイナの友達か?」
「はい」
「明日、あの娘の父親の判決が出される。お前はどう思う?」
「え?」
「え? って、判決だよ。もし有罪なら絞首刑にされてしまう。気の毒なことだ」
「え?」
僕は驚いた。スヨおばさんは絶対に無実だと言っていたのに。
「どういうことだ? お前、あの娘の友達じゃないのか?」
だってセイナとは今日知り合ったばかり。お父さんが海賊の一味だと疑われている以外には何も知らない。お互いの自己紹介を済ませた後、少しだけ話してからすぐに家を出たので、お父さんのことを聞くような余裕はなかった。
門番は続けた。
「あの娘の父親は決して海賊なんかを働くような人間じゃない。それに俺は困っているときに助けてもらったことがある。だから辛くてな……」
「そんな人なら、どうして絞首刑の心配を?」
「お前……。本当に何も知らないのか?」
僕が頷くと、
「理由の一つは船長の指輪だ」
「指輪?」
「ああ。最初から話してやろう。指輪の持ち主だった船長の名前はルガで、彼の船の名はハーザ号だ。あの娘の父親は、そこでコックとして働いていた。
だが、そのハーザ号が、突然、消えてしまった。到着の時期を二ヶ月過ぎても船は港に戻らなかった。
ひょっとして海賊にやられたのかもと、みなが心配していたら、そんなときにあの娘の父親一人だけが戻って来て、船は沈んだと言った。本人からもらったという船長の指輪をしてな」
「船長の指輪を?」
「そうだ。その指輪を船長が大切にしていたことは、船長と親しかった人の誰もが知っていた。そんな指輪を人に与えるわけがない、つまりは奪い取ったんじゃないのかと言い出す奴がいた」
「そんな……。どうして……?」
「それが運の悪いことに、その少し前に海賊に襲われた船があって、そのとき海賊の手引きをしていたのが、その襲われた船で働いていたコックだったのさ。もう分かったろ?」
「指輪とコックのせいで……」僕は頷いて、「それで、セイナのお父さんは何て言っているの?」
「指輪は、徹底した栄養管理によって一人の病人も出さずに済んだから、その感謝のしるしとしてもらったと。だが、船が沈んだ原因は分からないらしい。真夜中のことで、翌日のための仕込みを済ませて、ぐっすり眠り込んでしまっていたそうだ。ちなみに、そのころ近くを航行していた船からの情報によると、当時、ハーザ号が沈んでしまうような大きな嵐はなかったし、またその辺りに、船が座礁するような危険な暗礁もないということだ」
「原因不明の沈没……」
「ああ。これも疑われている理由の一つだ。船の残骸でも見付かれば、少しは分かることもあるんだが……。おい。セイナが出て来たぞ」
◆
「門番のおじさんと何を話してたの?」
帰り道でセイナから聞かれた。
「セイナのお父さんのこと」
僕は答えた。
「そう……。サトシはどう思った?」
「うん。コックだから海賊だなんて無茶だよ。指輪だって、もらえるだけの仕事をしているんだから」
「ありがとう! みんながそう思ってくれていればいいんだけど……」
「大丈夫。門番のおじさんも、この服を貸してくれたおばさんも、無実だって」
「でも中にはそう思ってくれない人も……」
さっきいた、あいつらのことだ。
「心配ないさ」僕は続けた。「あいつらは意味も分からずに、ただ面白がって騒いでるだけなんだ」
そんな話をしながら歩いていたから、あいつらがすぐ近くに立ちはだかっていることに気付くことが出来なかった。
「セイナ。面会の帰りか?」
一番大きなのが言った。リーダーらしい。
「それがどうかしたの?」
セイナが冷たく言い放った。
「え? 何を怒ってるんだ?」
不思議なことにリーダーが少したじろいだ。
「さっき石を投げたでしょ!」
「そんなことをする奴がいるのか? よし! 俺達がそいつを捕まえてとっちめてやる!」
「え?」
今度はセイナが驚く番だった。
「セイナ。俺達を見損なってもらっては困る。俺達が仲間に向かってそんなことをするわけがない」
「だって、いつも意地悪ばかりしてるじゃない! 女の子の髪を引っ張ったり、いきなり後ろから押したり」
「そ、それは……。でも、石は絶対に投げてない! そんな悪さはしないよ。ところで、そいつは誰だ?」
僕を指差して言った。
「し、親戚よ! 暫く、うちでいるの! ね!」
最後の、ね! を、セイナは僕に面と向かって言った。
思わず僕は頷いた。
「お前、名前は?」
「サトシ」
「そうか。俺はカーチだ。じゃあな、サトシ。ちゃんとセイナを守ってやれよ。よし! みんな行くぞ!」
その一声で全員が去って行ってしまった。
「勘違いだったね」
僕はセイナに言った。
「うん……」
セイナは少し落ち込んでいた。
「仕方ないよ。普段から意地悪していたんだから。気にすることないよ」
「うん……。でも、いいの? お母さんの薬草を探さないといけないんでしょ?」
セイナの言う通り、何日もここに留まっているわけにはいかない。
でも、
「もしよければ、今晩だけ泊めて欲しい」
改めて僕は言った。
明日、セイナのお父さんが無罪になったのを見届けてから、この町を出て行きたい。それに僕は“為すべきことをしなければならない”と叔父さんから言われている。
石を手渡されたとき、叔父さんはそう言った。
「為すべきことって?」
そのとき僕は聞いた。
「それは正しい行いのことだよ。ひと言で言えば正義かな。正義を行わないと石のパワーは弱まってしまう。最悪の場合、元の世界に戻れなくなる。心配するな。お前が正義を行っている限り、この石は薬草のある場所まで導いて、そして再びこの世界へと戻してくれる」
「でも、何が正しいのか分からないときにはどうすればいいの?」
「そんなに難しく考えなくてもいい。自分が正しいと思うことをすればいいんだ。だが無茶は駄目だ。力が及ばないと感じたときには逃げることも必要だ。僕はサトシを信じてるから。きっと薬草を手に入れて戻って来る」
そして石を首に掛けて気付いたときには、僕は全く知らない町にいた。
今、僕が為すべきこと。
ひょっとしてそれは、スヨおばさんやカーチから言われた通り、セイナを守ることかも知れない。
◆
日暮時。間近に海を臨む場所。
そこに一人の男が大きな木の幹を背にして地面に座り込んでいた。
ボロをまとった中年の男だった。
彼には記憶がなかった。
自分が誰なのか分からない。どこから来たのか。そして、どこに向かって行けばいいのか。
ここまで歩いて来たが、今いる場所もどこなのか分からない。彼の記憶の中にはない場所だった。
つまり分かっているのは、自分が生きているということだけ。
彼は辺りを見回した。
小さな防風林の中。
街灯の明かりが近くに見えている。
彼は空腹だった。だが、食べ物を買う金はなかった。
ふと立ち上がった。
もちろん立ち上がったところで彼には行く当てがない。
しかしそれでも彼は歩き始めた。
月の光を受け、海は静かに輝いていた。
まるで、ガラス板の上に精密に描かれた絵のようだった。
◆
セイナの家で夕食を食べていた。パンとロイイモのスープ。ロイイモはスヨおばさんが持って来てくれた。それは僕達がよく知っているジャガイモの味とそっくりだった。
色々と持って来てくれたのはスヨおばさんだけでなかった。
明日、判決が出される。きっと無罪のはずだ──そう思っている人達が慰労の意味を込めて持って来てくれているようだ。
もちろん僕自身も無罪だと思っている。石を投げ込んだ子供達の他は、誰もがそう思っているのだと僕は感じていた。
それがセイナに落ち着きを与えたのか、こんなことを話し始めた。
「将来、家族で食べ物屋さんをするのが、わたしの夢なの」
「食べ物屋さん? そうか。お父さんはコックだからね」
「あら。わたしも料理するのよ。色々と考えているの。子供の大好きな甘いお菓子、大人のお酒のおつまみとかも。サトシは料理はしないの?」
「卵を焼くくらいかな……」
「それだって立派な料理だわ。今、わたしが考えているのはロイイモ。ロイイモには沢山の可能性があると思うの」
セイナは嬉しそうだった。本当に料理が好きなんだと思う。
そのとき閃いた。
「チップスはどうかな? 知ってる? 薄く切って油で揚げたもの」
「薄くって、どのくらい?」
「このくらい」
親指と人差し指で厚さを表現した。
「そ、そんなに薄くするの?」
それを聞いて、僕は、やった! と思った。
ちょっと前にポテトチップスの歴史みたいなのをテレビで見た。
その番組によると、ポテトチップスは今から百五十年くらい前にアメリカで生まれたのだそうだ。
ある日、フライドポテトが厚すぎると何度も作り直しをさせられたレストランのシェフは、フォークで刺せないくらいに薄切りにして揚げたものをその客に出した。ちょっと、うんざりしてしまったのが理由らしい。
しかしそれは逆にその客を喜ばせることになった。
その後、すぐにポテトチップスは広まった。
──つまり僕達の世界では、ポテトチップスにはそんなに長い歴史がない。だからセイナが暮らしている町には、まだロイイモのチップスが存在していないかもしれない──。
そう思って聞いてみると、幸運なことにセイナは知らなかった。
それで僕は、やった! と思ったのだ。
ひょっとしたらセイナの店が、ロイイモのチップスを、この世界で初めて提供出来る店になれるかもしれない!
「きっとセイナも気に入るよ!」
「そうなの?」
「今から作ってみない? すごく簡単だよ」
「うん。サトシの国の料理なのね。だったら、きっと美味しいと思う」
僕たちはロイイモのチップスを作り始めた。
先ずは皮をむいたロイイモを薄く切って水にさらす。暫く待って水から上げる。そのとき残った水分を布巾を使って取る。
そいつを油で揚げたら後は塩をまぶすだけ。
完成!
最初の一枚を食べてみた。ばっちりだ!
「食べてみて。どう?」
セイナが一枚を口にした。
「美味しい?」
するとセイナは、
「びっくり! 美味しい! すごく美味しい!」
「やった!」
「信じられない! こんな美味しいものが、こんな簡単に作れるなんて!」
「セイナの食べ物屋さんで出せるかな?」
「もちろんよ! 名前はどうしよう?」
「ロイイモを使ってるから、ロイイモチップスかな?」
「じゃあ決定! ロイイモチップス! 早くみんなでお店を出せるといいな!」
もちろん僕はそういう日の来ることを少しも疑ってなかった。
セイナのお父さんは、明日、帰って来る。
そして僕は再び薬草を探す旅へと戻る。
◆
体調を崩しているのを押してセイナのお母さんもやって来ていたのに、下されたのは絞首刑だった……。
執行されるのは五日後……。
たったの五日間しかない。
誰もが無実だと信じていたはずなのに。少なくとも僕自身そう思っていたのに。
本当に嘘みたいだ。
セイナのお母さんを何とか家まで連れて帰って、その後、僕達は途方に暮れていた。誰もが慰めの言葉を口にしたが、しかし判決を覆すことは、ほとんど不可能らしい……。
その内、みんな帰ってしまったけど、最後まで残ってくれていたスヨおばさんは、
「みんな信じてるから。だから気を落とさないで」
そう言ってセイナの肩を抱き締めた。
僕はセイナに掛ける言葉が見付からなかった。僕にも出来ることがあるのなら何でもしたい気持ちで一杯なのに、何をすればいいのか全く分からなかった。
昨日はロイイモチップスを作って喜んでいたのに……。
家の中は静まり返っていた。
そんなとき、カーチがやって来た。誰か一人を連れていた。
「中に入れてくれ。話がある」
「──いいわ」
セイナがカーチを家の中に通した。
「サトシ。お前には紹介しておかないと。こいつはロセ」
さっそくカーチは話を始めた。
「今からセイナのお父さんを死刑にしたがっている人達の家を回って考えを変えるように説得していく。それにサトシも加わって欲しい」
「僕が?」
「そうだ。ここにはロセを残す。こいつがセイナのことを守ってくれる。ロセは話が下手だけど力持ちだ」
「お父さんを死刑にしたがっている人達って?」
セイナの顔色が変わっていた。
「ハーザ号と一緒に沈んだ乗組員達の家族だ。そして、彼らの訴えを後押ししたのが市長らしい。どうやらセイナのお父さんを見せしめにして海賊達に圧力を掛けようとしている」
「お父さんは海賊なんかじゃない!」
セイナは半ば叫ぶように言った。
「分かってる。しかし市長には関係ない。この機会に海賊達に圧力を掛けることが出来ればそれでいいんだ」
「分かった。僕も行く」
「うん。お前はこの町のことを知らないだろうから俺と組む。二人一組で回るつもりだ。仲間はお前を入れて十七人だから、ロセをここに残しても八組出来る」
「わたしも連れて行って!」
セイナが言った。
だが、
「駄目だ。娘のお前では相手の気持ちを逆撫でしかねない。安心しろ。俺達が絶対に説得してみせる。彼らが死刑を望まなくなれば市長の思惑も通らなくなる。それに、お前にはお母さんの世話があるだろ」
◆
僕はカーチと一緒に外に出た。
「もうみんな、それぞれに家を回り始めている。これから俺達が向かうのは、鍛冶屋のターギさんのところだ。ターギさんの二番目の息子がハーザ号に乗っていた。ターギさんは職人だけに気難しいと聞いているから言葉には気を付けてくれ」
ハーザ号と一緒に沈んでしまったのは、船長を含めて全部で十八名だそうだ。彼らの家族を五日間で説得しなければならない。八組でするにしても結構大変なことだ。
ターギさんの家に向かって歩いている途中でカーチが言った。
「お前。セイナの親戚なんかじゃなくて、お母さんのために薬草を探して旅をしてるんだってな」
「誰に聞いたの? ひょっとしてスヨおばさん?」
「悪いが情報源は明かせない。この町で起こったことは、だいたい俺の耳に入ることになっている」
ターギさんの家には三十分ほどで着いた。ターギさんの仕事が一段落するのを待ってカーチが説得を始めた。
だが、
「言わんとするところは分かったが、コックの奴は海賊に違いない。第一、船が沈んだ原因が分からないというのは、どう考えてもおかしい。その上、船長の指輪までしていた。疑うなという方が無理だ」
ターギさんは考えを変えようとはしなかった。
「でも本人を知っている人達は、絶対に海賊を働くような人間ではないと言っています。失礼だけどターギさんは、その人のことを何も知らない。知ってる人が言うことの方が、知らない人が言ってることよりも正しいとは思いませんか?」
カーチは説得を続けた。
「確かに理屈はそうかもしれん。だがな……」
「絞首刑が決まったコックにはセイナという娘がいます。まだ僕達と同じくらいの子供です。お母さんも今回のことで体調を崩しています。だから考え直して欲しいんです」
「僕は旅の途中で飢えて倒れていたところを、セイナとセイナのお母さんに助けてもらいました。そんな優しい人達の家族が海賊だなんて僕には思えません」
カーチに続いて僕も自分の気持ちを訴えた。
「お、お前。倒れていたのか? それは聞かなかった……」
カーチが驚いた。
「息子は、あれが初めての航海だった……。それだけに不憫でな……。
悪いが帰ってくれ。言っておくが何度来ようとも無駄だ。他もきっとそうだ。大切な家族を失っている。それが誰のせいであっても、絶対に罪は贖ってもらう」
最後にターギさんは言った。
仕方なく僕達は次のところに向かった。
彼女は副船長だった人の年老いた母親で、独り暮らしをしていた。彼女はカーチの話を聞いて、「うんうん。そうかい、そうかい」と肯定的な返事をしてくれていたが、しかし最後の最後に、
「うんうん。そうかい、そうかい。でもね。海賊の一味のコックは、ちゃんと罰を受けないとね」
そう言った。
◆
男は記憶を失ったままだった。
彼は思い返した。
意識を取り戻したとき、自分は海岸の岩場に倒れていた。
それは夜のことだった。目の前は海で、反対側は高い崖になっていた。とても登れそうにはなかったが、朝になると登って行けそうな場所を見付けることが出来た。
幸い怪我はなかった。
夜の間、ずっと考えていた。けれども自分が誰なのか思い出すことは出来なかった。どうしてこんなことになってしまっているのかも、もちろん分からなかった。
それから色んな場所を彷徨うようにして歩いて、幾つかの町を通過した。
畑から盗んだ野菜で飢えをしのぎながら……。
そんな生活を続けていた。
一体、私は誰なんだ……。
擦れ違う人達から自分が誰なのかを教えられることはなかった。誰も自分のことを知らないようだった。
それは、とある木陰で休んでいるときに聞こえてきた。近くにいた年寄り達の世間話だった。
「生き残っていたコックの絞首刑が決まったらしいな」
「例のハーザ号か? やっぱり海賊だったんだな」
「ああ。近々、市庁舎の前の広場で公開処刑されるらしい」
──ハーザ号……。
その名前に反応した。
どこかで聞いたような……。コックが処刑される……?
だが、どうして自分はそんな船の名前に反応したのだろう……?
そんなことを考えながら、知らず知らずに自分の右手の中指の付け根を擦るように触っていることに気が付いた。
何故、指なんかを……? しかし記憶を失う前の私は、しょっちゅうこうして指のこの部分に触れていたような……。ひょっとして怪我でもしていたのだろうか……? 傷は残ってないみたいだが……。
◆
一人の考えも変えることが出来ずに、とうとう最後の日になってしまった。
このままでは明日、セイナのお父さんは殺されてしまう。
中には考えを変えてくれた人もいた。しかし、次の日には再び元の考えに戻っていたりして、計画は少しも上手くいってなかった。
それで、僕達は急遽、市長に直接訴えに行くことにした。
これはカーチが言い出したことだ。
「このままじゃ駄目だ! もう今日しかない! 一発逆転を狙って、今から二人で市長に直訴しに行こう!」
最初の家を訪ねようとしていたとき、突然カーチが言い放った。
「え? でも市長は……」
それを聞いて僕は戸惑った。
「ああ。しかし、このままじゃ駄目なのは明らかだ。だが、市長一人を説得出来れば何とかなるかもしれない──よし決めた! 行くぞ!」
カーチは駆け始めた。
──市庁舎に着いたとき、僕達はへとへとになっていた。
聞くと市長は外出中で、暫くは帰って来ないらしい。
僕達は市庁舎の前で待つことにした。
二時間くらい後、市庁舎の玄関に横付けにされた馬車の中から市長が現れた。
「市長! ハーザ号に付いて聞いて頂きたいことが!」
市長に駆け寄りながらカーチが訴え掛けた。
ところが市長は、お付きの人間に僕達を追い払うように命じた。僕達は彼らに肩を掴まれてしまった。
振り解こうとしていたとき、僕のポケットから腕時計がこぼれ落ちた。
全員が注目している中、幸い腕時計は僕の靴の上に落ち、そのまま靴紐に引っ掛かって、壊れずに済んだ。
市長が市庁舎の中に消えてから、僕達は解放された。
「くそっ!」
怒りを吐くかのようにカーチは言った。
「大丈夫?」
「ああ……。でも、さっきのは何だ?」
「さっきのって?」
「ポケットから落ちたやつだ」
僕は再び腕時計を取り出してカーチに手渡した。
「ひょっとして……これは時計か……? すごく小さい……。こんなもの、どうしてお前が……? 俺は知ってるが、時計なんてこの町のほとんどが見たことないはずだ……。力のある貴族でさえ、なかなか持てないんだぞ……」
「僕の国では普通なんだ。ほとんどの人が時計を持っている」
「とても信じられない……」
カーチは腕時計を耳に当てて、
「いい音だ……」
そのとき、さっきの奴らが市庁舎から出て来て、
「来るんだ。市長が話を聞いて下さる」
そう言った。
◆
ところが、何故か市長室に入れてもらえたのは僕一人だけだった。カーチは部屋の外で留められた。
市長室には僕と市長の二人だけだった。
「コックの助命を頼んで回っているのはお前達か?」
開口一番、そう言われた。そして、
「本当に、あのコックが無実だと信じているのか?」
「はい」
僕は頷いた。
「では、その根拠を言いなさい」
「海賊などする人ではないと誰もが言っているからです」
「しかし、お前達は、ただの一人も説得することが出来なかった。──そうだね?」
「……」
僕は言葉を失ってしまった。
「ところで君は何か面白いものを持っているそうだ」
「面白いもの?」
「ほら、さっき落としたじゃないか。もしよかったら、今、見せてもらえないか?」
僕はポケットから腕時計を出して市長の机の上に置いた。
市長は、暫くの間、手に取って、
「ほほう。これは素晴らしい……。これは本当にお前のか? ひょっとして盗んだのではないのか?」
「そんな! 違います!」
「これと引き替えなら、処刑を延期しても……」
「中止は出来ないんですか?」
「それは不可能だ。しかし、一日くらいなら、この私の権限でね」
「一日だけ……」
「そうだ。一日だ。それ以上は市長の私でも出来ない。もう決まってしまったことだ」
一日……。たった一日……。
「どうする?」
「渡すのは明後日でもいいですか?」
「私を信じられないか。よろしい。それまで、こいつに包んでおきなさい。もう落としたりしないように」
革で出来た小さな袋を渡された。そして、
「帰ってよろしい。では明後日」
そう言われた。
市庁舎を出てから、市長から言われたことをカーチに話した。
全部を話し終えると、
「あいつらは、いつもそうだ! 欲しいものを取り上げるばかりで、与えるとなると、ほんの僅かだ!」
カーチの目が怒りで燃えていた。
「ごめん……。僕がもっと粘って死刑の中止を説得するべきだった……」
「そんなの無駄だ」
「え?」
「あいつは時計が欲しかっただけだ。ちくしょう! 市長の説得は最初から無理だったんだ……。でも、時計はいいのか?」
「うん」
僕は頷いた。
「そうか……。しかし、この一日は貴重だ。一つ思い付いたことがあるんだ。だが、その前にこのことをセイナに教えてやろう!」
「時計のことは内緒にして欲しい。セイナが気にするから」
「分かった。少しも助けにならなくて本当に済まなかった」
「そんなことない。ここに来たのだってカーチのお陰だ」
カーチが少しだけ笑顔になった。
僕達は一度、セイナの家に戻った。
言うまでもなく、セイナは喜んだ。
「ありがとう! 本当にありがとう!」
「ごめん。たったの一日だけど……」
僕は言った。
「ううん。今日までわたしは、明日こそ奇跡が起きて、お父さんはきっと助かると、そう信じてきたの。その明日を、もう一日与えてくれて、本当にありがとう。本当にありがとう」
◆
男は記憶を取り戻していた。
道を歩いているとき、馬車に轢かれそうになったのが、そのきっかけになった。
慌てて避けたとき、転んで頭を道に打ち付けてしまったのだが、そのお陰で彼は記憶を取り戻すことが出来た。
──そうだ……自分は……自分はハーザ号の……。
そして今、一生懸命に歩いている。
歩き始めてから半日以上が過ぎていた。
船で働いていたコックの命を救うために──。
彼は、あのときの年寄り達の話を忘れずに憶えていた。
──コックが海賊などとは有り得ない。
彼は無実の人間を見殺しにするわけにはいかなかった。
市庁舎までは、まだかなりの道のりがある。
しかし歩くしかなかった。
本当なら馬を借りたいところだが、今は無一文。
指輪があれば金の代わりになるだろう。皮肉なことにその指輪はコックに与えてしまっていた。
「駄目だ……」
道端に崩れるようにして座り込んだ。
もう限界か……。
彼は心のどこかでそう感じていた。
寒空での野宿で体力を消耗してしまっている。食べ物だって……。こんなに、あばらが浮き出てるじゃないか……。
この辺りに知人はいない。もう少し先まで行けば友人の家があるのだが……。
道を歩く人間は私が近付こうとすると、みんな避けて行ってしまう……。
仕方がない。今の私の風貌といえば、まるで物乞いか何かのようだ……。
「あと少しだ」
彼は再び歩き始めようとした。
だが、
彼はもう立ち上がることさえ出来なかった。
◆
朝早くにカーチが来た。
処刑の前日。こんな日にも空は晴れ渡っていた。
カーチはセイナに向かって言った。
「俺達に考えがある。明日、必ずお父さんを助けてみせる」
「ありがとうカーチ」
セイナが答えると、
「礼なんかいらない。仲間だから当たり前だ。今から全員でその計画を練る」それから今度は僕に向かって、「今日と明日、セイナはお前が守って欲しい。この計画は、この町に住む俺達でないと駄目なんだ」
「分かった」
「じゃあサトシ、頼んだぞ!」
カーチが出て行った後、セイナはお父さんのための差し入れの料理を作り始めた。今日だけは差し入れも許される。これは昔からのこの町の決まりだった。しかし面会出来るのは今日が最後だった。
セイナのお母さんは、もうベッドから出られないくらいの状態だった。
僕達が家から出ても、会う人はみんな言葉を失くして、ただ挨拶をするだけだった。
日が暮れてカーチが再びやって来た。仲間の全員を連れていた。
「準備は整った。絶対にお父さんは死なせない。俺達を信じてくれ」
「うん」
セイナが言った。
断言していい。そのときのセイナの目は、意地悪な男の子達を見ていた、以前の目とは違っていた。
夜。誰かが歌っているのが聞こえてきた。
隣の部屋──セイナの声だと分かった。
僕はベッドの中で耳を澄ませた。
もしも本当に神様がいるのなら
鷹の目でわたしを見付けて欲しい
白鳥のように舞い降りて来て
わたしの心に鳩のような安らぎを与えて欲しい
わたしの心に鳩のような安らぎを与えて欲しい
◆
当日の朝は曇り空だった。
カーチは今朝は一人きりでやって来た。
「もう計画は始まっている。セイナ。絶対に、お父さんを殺させたりしない。サトシ、今日もセイナを頼む」
それだけを言ってカーチは去って行った。
セイナのお母さんは今日も床から離れることが出来そうにない。でも今日はスヨおばさんがいてくれる。息子のシナも一緒だった。今、僕が着ているのは、彼のお古だ。
「計画って?」
スヨおばさんに聞かれた。しかし僕もセイナも、カーチからは何も聞かされてない。
ただ一言、昨日の夕方、カーチは僕にこんなことを言った。
「長く引き止めてしまって悪かったと思っている。だけど明日の成功だけは見届けて欲しい」
セイナのお母さんの世話をスヨおばさんにお願いして、僕達は処刑が行われる広場に向かった。心配だからと、シナが付き添ってくれた。
広場には大勢の人間が集まっていた。
市庁舎の正面に壇が作られ、輪のあるロープが下げられていた。
僕がいる場所からはカーチ達の姿は見当たらなかった。
その内に辺りが、ざわつき始めた。
見ると衛兵に連れられて、手を体の後ろで縛られたセイナのお父さんが──。
セイナの表情が引き攣って固まった。
衛兵によってセイナのお父さんの首にロープが掛けられた。
その直後に市長が姿を現した。市長は集まった人々を一回り見渡すと、一枚の紙を広げて、そこに書かれてある文章を読み上げ始めた。
それは、セイナのお父さんが犯したとされる罪と、そして裁判の様子の説明だった。
しかし市長はそれを最後まで読み上げることが出来なかった。まだ読み上げている最中に紙片を奪い取られてしまったのだ。
奪ったのは一人の子供だった。勿論、カーチの仲間に違いなかった。
「あいつを捕らえろ! 早くしろ! 早く!」
カンカンになった市長が怒鳴り散らした。
衛兵と市長の取り巻きが動き始めた。すると、どこからか子供達が現れて、彼らに飛び掛かった。紙片を奪い取った仲間を逃がすために。
しかし、全員、取り押さえられてしまった……。大人が多過ぎたのだ……。
カーチ達が市長の前に引き摺り出された。
「何なのだ、お前達は? ──ひょっとして、コックの助命を頼んで回っていた……。成程。こいつを最後まで読み上げないと処刑が出来ないと考えたのだな? 確かに田舎ではそういうこともある。だが、私は市長だ。市長の権限は、こんな紙切れに左右されるほど小さくはない! こいつらを牢に放り込んでおけ!」
市長の一声でカーチ達は連れて行かれてしまった。
「中止しろ! 無実なんだ! 罪のない人を殺してもいいのか!」
最後まで抵抗を止めようとしなかったカーチの叫びが虚しく響いた……。
「全員、配置に戻れ!」
市長が命じた。
──もう駄目なのかも……。
僕はセイナの顔を見ることが出来なかった。
そして処刑が再開されようとしたとき、再び辺りがざわつき始めた。
人々を掻き分けるようにして幌付きの馬車が近付いて来た。
その馬車から一人の男が降りた。その人は大声で言った。
「市長! 処刑を中止しろ! 私はミフサだ! この町の発展に少なからず貢献して来たと自負している、大船主のミフサだ! 少しでも私を敬う気持ちがあるのなら、この処刑を止めてくれ! 彼の無実を証明する! ──見付けたんだ! ハーザ号の船長が生きていたんだ!」
「これはこれは、ミフサ様。ご機嫌よう。ハーザ号の船長がですか? しかし、その彼はどこに……?」
「馬車だ! 誰か船長が降りるのを手伝ってくれ! 酷く弱っているから丁寧にな!」
近くにいた人達が馬車の中から一人の男を降ろした。ボロボロになった服を着ていた。
「かなり様子は違うがハーザ号の船長に違いない!」
「確かに! 間違いない!」
彼らは言い合った。
「船長! 君の船のコックだった男が海賊などではないことを、今ここで説明してくれ!」
ミフサの言葉を受けて船長が語り始めた。しかし、体の弱った船長の声は小さく、僕達には聞き取れなかった。それで間に入った人間が、全員が聞こえるように大きな声で言い直してくれることになった。
「コックがしていたあの指輪はどういうことです?」
誰かの質問に船長が答えた。それを間に入った人間が、
「指輪は進呈したそうだ! 船に貢献した、お礼だった!」
「船はやっぱり沈んだんですか?」
「そうだ!」
「原因は?」
「酷い衝撃を受けて船の橫腹に大きな穴が空いた! 海水の浸入を防ぎ切れなくなって、船長は全員の船からの退去を命じた! 甲板に上がったとき、そこにいた全員が巨大な鯨を見た! 沈没の原因は、恐らくその巨大な鯨だ!」
「鯨……」
「鯨が……」
「そうか……。鯨に追突されて……」
そして僕は、これ以降に起こった全てを死ぬまで忘れることは出来ないだろう。
近くにいた誰かが話した。
「俺達は無実の人間を殺そうとしていた……」
「あの子達が邪魔をしなければ、もう処刑が行われて、取り返しが付かないことになっていた……」
「それに処刑は一日延期されている。そうでなければ昨日の内に……」
「コックの縄を解いてやれ! 早く解いてやるんだ!」
ミフサが市長に向かって命じた。
セイナが僕を見てニッコリ微笑んだ。涙を一杯に溜めた目で微笑んでいた。
そのとき誰かが大きな声で言った。
「おい! ここにコックの娘がいるぞ! 道を空けてやれ! ほら! みんな道を空けるんだ!」
すると父親と娘の間に真っ直ぐな道が開けた。
大勢の人達に囲まれたその道を、セイナは父親に向けて両手を差し伸ばすようにして駆け始めた。
本当に、そのときのセイナの顔といったら!
第一話 或いは海賊の娘と 了
この作品は、「小説家になろう」と「カクヨム」の両方に掲載させて頂きたいと思います。