1
朝、目が覚めるともう一人僕がいた。それは何の比喩でもなく、妄想でもなく、気だるそうに、けれどしっかりと僕を、僕が見ている。朝の光がカーテンを開いている窓から入ってくる。僕は思わず目を瞑る。彼も同じように眩しそうにした。
「おはよう」
僕は僕に向かって言った。もう一人の僕も「おはよう」と言った気がする。
僕が二人いることを除けば、何の変哲もない朝だった。いつもなら、お母さんはキッチンで朝ごはんを作ってくれているだろうし、お父さんは重い目を擦りながら新聞でも読んでいるだろう。だから僕も早く起き上がって「おはよう」と両親に言いたかった。けれど、僕はそうすることが出来ないで、ただじっともう一人の僕を見ている。
僕はもう一度布団に入り直し、十数えた。彼が消えるとは思わなかった。けれど、何かが変わるんじゃないかと思った。彼がいたところにはお父さんとお母さんがいて、優しい顔で僕を起こしてくれるんじゃないか。そうでなくても、せめてどちらかはいてくれないだろうか。だって、そうでなくては、僕がこの布団から起き上がる意味なんかないんだから。
当然のように彼はいる。それを見て、僕はもうどうしようもないことを悟る。
「君は僕?」
それだけが小さな子供部屋に空しく響く。不思議とゴミ収集車の音や廃品回収のアナウンスも聞こえない。本当に、ただ「君は僕?」という問いだけがこの部屋を駆け回っていた。
僕はそう言ったきり、黙って彼を見つめた。彼も僕を見ている。その時間は僕の気持ちとは裏腹に充実したものだった。何時間でも、何日でもこうしていられるような、そういった充足感があった。きっと、そうしたとしても、誰も僕を止めたりはしないだろう。
玄関のドアが叩かれた時、僕は、我に返った。本当にもう何時間も彼を見ている気がしたけれど、実際のところ、ほんの二三分だった。
僕は玄関の方に向かおうとはしなかった。ドアの向こうに誰がいて、どんな顔をしていて、どんな言葉が投げかけられるか、わかっていたのかもしれない。だから、僕はその場でじっとして、彼を見ていた。やっぱり彼も僕を見ていた。けれど、彼の顔はついさっきよりも、ずっと青白い顔をしていた。
僕だって本当はわかっているんだよ。もう、取り返しのつかないことになっているってことくらい。でも、僕はここを動けないんだ。君と違って。君はいいよね。僕と同じなのに、僕には出来ないことが出来るんだから。僕はずっとこのままだよ。一生僕は君を見ていなくちゃならないんだ。僕が言いたいこと、わかるかい?君は僕の分も行かなくちゃいけない。僕の分も歩いてくれなくちゃ、困るんだ。いいかい?僕の分も……ね。
彼は僕に向かってそう言った。言ったような気がした。布団の横に置いてある目覚まし時計が、律儀に七時を告げる。僕がそれを反射的に止めた後、玄関の向こうから声がした。僕はそれに耳を貸そうとせずに、視線を彼から、僕以外誰もいない六畳一間に移した。絶望しなかったと言えば嘘になるかもしれないけれど、本当に何も感じなかった。それが絶望からきたのか、ある種の了解からきたのかは、今の僕にもわからない。
「南さん、いるんだろう?すいませんね。こんな朝早くから。なにぶんせっかちなもんでね。やっぱり人として、借りたお金は返さにゃいかんですよ。期日はとっくに過ぎてるんですよ。せめて利息分だけでも持って返らないと、今度は僕たちが南さんみたいにお金借りなくちゃいけなくなっちゃいますよ。だから、早く開けてくださいな」
かけ布団を握り締めて、僕は何をしたかったのだろう。そうすることで、救われると思っていたのかもしれない。助かるかもしれないと思ったのかもしれない。
僕は振り返って彼の方を見た。けれど、そこにあったのは姿見で、彼はいなかった。
朝の光が僕をはやし立てるように照らす。僕はそれに応えるように、恐る恐るながら、玄関に、一歩一歩近づく。
「早く出てこいって言ってんだろ。いい加減、こっちだって頭きてんだ」
怒気のこもった声が、僕にぶつかってくる。泣き出したいくらいの恐怖が部屋一帯に広がる。僕はこのまま消えてなくなってしまいたかった。