1-12 初めてのダンジョン探索 【中、その3】
突如、ぼくらの体は一瞬の浮遊感に襲われた後、徐々に速度を上げて落下しはじめた。
「絶対に手を離しちゃダメよ!」
エレーナさんが必死な表情を浮かべて言った。
「わ、わかった!」
もちろんぼくにも余裕はない。
「あんた、何とかして落下を止められない!?」
「無理だと思うッ!」
「チッ、なら、着地の衝撃をなくすことは!?」
「それも無理ッ!」
「ったく、ほんとに役立たずね」
「エ、エレーナさんは、何とかできそう?」
相変わらず人任せな自分の頼りなさに落胆しつつも、ぼくは尋ねた。
「何とかするしかないでしょッ! このままじゃあんたも私も死ぬわよ。……《ケルパー・フォルテ》」
エレーナさんの体が一瞬だけ白い輝きに覆われた。
「振り落とされないように、しっかりと手を掴んでなさい」
言われ、エレーナさんの小さな手をぼくは固く握り締めた。
「ど、どうする気なの?」
「決まってるでしょ? 跳ぶわよ。だから遠慮せずに掴んでおくのよ」
「と、跳ぶッ!?」
「そうよッ!」
先ほどからぼくらと共に落ちている地面が割れたことによってできた岩塊にエレーナさんは目をつけて、近場にあったそれに足を乗せ、大きく跳躍した。
落下に逆らって動いたことで、エレーナさんに引っ張られているぼくの体は重力に襲われる。
思わずぼくは手を離しそうになったけれど、エレーナさんが力強くぼくの手を掴んでくれたので、離ればなれにならずに済んだ。
「まだまだいくわよ」
言葉通り、エレーナさんは次々と岩塊を蹴り、上へ上へとぼくらは進む。
けれど、
「このままじゃ、ちょっとまずいわね」
「何か問題があるの?」
先ほどからの激しい動きに耐えられなくて、ぼくは目を閉じている。だから現状がよくわかってない。
「そうよ、元々私たちがいた場所に戻れないのはあんたも分かってるでしょ? 落ちている途中に良さげな隙間があればそこに飛び込もうと思ってたんだけど、ありそうにないわね。一体どこまで落ちるのかしら」
エレーナさんは、上へと上がるためにではなく、着地時の衝撃を減らすための跳躍に切り替えたようだ。
動きに激しさがなくなったので、ぼくは目を開け、周囲の様子を探る。
周りは岩塊ばかりで、エレーナさんの言うような飛び込める空間は確かにない。
「ぼくの魔法を壁に撃って、無理矢理隙間を作ってみる?」
「随分強引な手段ね。それができたら苦労はしないんでしょうけど……いえ、やっぱりそれだとまずいわね。無理に作った空間がダンジョンのどこかに通じてたら良いけど、そうじゃなかったら地上に戻るのは絶望的になるわよ。やっぱりこのまま落ちるのが一番マシかもしれないわね」
そのとき、何かが砕け散るような轟音が鳴った。
「この音って、もしかして、岩が砕けた音……?」
「多分そうね。もうすぐ着地よ、気を抜かないで」
少しでも着地の衝撃を抑えようとしてか、エレーナさんは岩塊を次々と飛んだ。
やがて地面が見えてくる。岩塊が砕け散った跡がそこら中にある。
「地面に着くわよ、注意して」
「わかった」
とはいえ、エレーナさんが落下の勢いをほとんど相殺しているため、特に構える必要はないだろうとぼくは判断する。そもそもエレーナさんに引っ張られている状態で、ぼくにできることなどない。
エレーナさんは、すたっと華麗に地面に降り立ち、続いてぼくの腕を力任せに引っ張り、無理矢理ぼくの着地を成功させた。
「ふう、何とかなったわね」
エレーナさんが安堵からかため息を漏らす。
一方、エレーナさんに腕を強く引っ張られたことで、ぼくは肩を痛め、苦痛に顔を歪める。
けれどエレーナさんに腕を引っ張られていなかったら全身を地面に打ちつけていたかもしれないので、不平は言えない。
「いたたたた……。エレーナさん、助かったよ」
「それぐらい我慢しなさい。……さて、これからどうしましょうか」
周りを見てみると、1か所だけ通路のようなところがある。
「やっぱり、あそこを通るしかないのかな?」
「でしょうね。何が起こるか分からないから、まだ気を抜いちゃダメよ。私が先導するから、あんたは後ろからついてきなさい……と言いたいところだけど、ちょっとだけ休憩しましょうか。さすがに少し疲れたわ」
ここに来るまでに、弱い魔物とはいえ連戦を繰り返し、それからキュクロープスを倒し、そして今の落下を和らげる行為と、全てエレーナさん1人で成し遂げたのだ。疲労が溜まるのは当然だろう。
それに初めてのダンジョン探索でぼくの神経もすり減っている。
先を急ぐより、ここは休息を取るのが得策だろう。
そう判断したぼくは、
「だね、ちょっと休もうか」
エレーナさんとぼくはどちらともなく地面に腰を下ろした。
「《アセール・ヴァッサー》」
魔法で水を作りだし、返り血や埃・泥のついた顔をエレーナさんは洗った。
「さっきも思ったんだけど、それ、便利な魔法だね」
さすが異世界だ。魔法を使えばこんなに簡単に水が作れるなんてとぼくは感心する。
「もしかしてあんた、この魔法を知らないの?」
「えっ? うん……」
信じられないものを見たというような表情をエレーナさんは浮かべる。
「明かりの魔法も水を作る魔法も使えない……あんたよく今まで生きてこられたわね?」
この世界には昨日来たばかりだから、と言えたら良いのだけれど、俄には信じ難い話であるわけで。それに異世界から来たということは秘密にしておいた方がなんとなく良い気がする。
というわけで、その場を取り繕うような苦笑いをぼくは浮かべた。
「没落貴族、というわけでもなさそうだし。……まあいいわ。誰にだって知られたくないことはあるものね」
それにしても物を知らなすぎなのよ、とエレーナさんんは独りごちる。
「はあ……あんたも顔を洗いなさい。埃とか泥とか色々ついてるわよ。《アセール・ヴァッサー》」
途端、空気中に水泡が現れた。
礼を言ってからぼくは顔を洗う。
「ねえ、何か音がしない?」
エレーナさんがぼくに尋ねる。
顔を洗いながらぼくが、
「……音? 別に聞こえないけど……」
そう言ってから耳を澄ましてみたけれど、依然としてぼくには何も聞こえない。
「やっぱり何か聞こえるわ。羽音みたいな……。あっちの方からよ」
エレーナさんが指差しているのは、辺りに唯一ある通路だ。
卓越した身体能力を持っているエレーナさんだからこそ聞こえるのか、凡庸な聴力のぼくには何のことだかわからない。
「どうする? 向こうに行ってみる?」
「……ッ! 音が近づいてくるわ、注意してッ!」
ぼくを後ろに下がらせ、エレーナさんは抜刀する。
ぼくは耳を凝らした。次第に「ブウウウン」という音が聞こえてくる。
音の発生源が複数あるのか、いくつかの羽音が重なって聞こえる。徐々に音が大きくなる。こっちに近づいてきているようだ。
「かなり多そうだけどッ!」
切迫した表情でぼくが言う。
「そんなの分かってるわよッ! 来たわッ!」
通路から出てきたのは蜻蛉のような魔物だ。それらが一気にこちらの空間へと雪崩れ込んできて、あちこちに散らばる。かぞえようにも数が多すぎて、枚挙にいとまがない。魔物の翅は全部で4枚あり、赤色・青色・緑色の個体がいる。
「リベールラ! 単体だとそんなに強くないけど、これだけの数だとかなり厄介ね」
エレーナさんは顔を顰めた。
どうやら魔物の名称はリベールラというらしい。
ぼくを壁際に避難させ、エレーナさんは戦闘を開始する。
まずは、自身の方に迫ってきていた十数のリベールラにエレーナさんは向き合う。一の太刀、二の太刀と振り、確実に1匹ずつ仕留めていく。
小さい故に小回りが利くリベールラは、速度を活かして次々とエレーナさんに襲いかかる。
けれど迫ってくるリベールラを焦らず堅実にエレーナさんは斬っていく。
ぼくの方へと来ていた個体は、エレーナさんを脅威と認識したのか、ぼくの方へ行くのを止め、エレーナさんの方へと向かう。
「これじゃ切りがないわね……」
また1匹リベールラを斬りながらエレーナさんが呟いた。
キュクロープスとの戦闘で魔力を激しく消費したからなるべく温存したかったけど、とエレーナさんは独りごちる。
「ったく、仕方ないわね。《ケルパー・フォルテ》! これで一気に片づけるわ」
エレーナさんの体が、一瞬だけ白い輝きに覆われた。
魔法を使ったエレーナさんは、一気に魔物の殲滅を狙う。
魔法で動体視力までも強化されているのか、1匹ずつではなく複数をまとめて斬れる剣筋にエレーナさんは刃を滑らせる。
エレーナさんが刀を振るうごとに、多くのリベールラが蹂躙されていく。
リベールラたちも負けじと果敢に攻めるが、エレーナさんの剣技の前では為す術もないようだ。時間が経つにつれ、リベールラの数は猛烈に減っていく。
戦闘開始から十分少々が経過した。生き残っているリベールラは後僅かだ。
エレーナさんはとめどない汗を掻き、顔には疲労の色が滲んでいる。
エレーナさんが刀を振るう。
リベールラが地に落ちる。
残るは後1匹だけだ。
これをエレーナさんが倒せば、いっときの平穏が訪れるのだろうか。
最後の1匹が、エレーナさんめがけて飛んでいく。
肩で息をしながら魔物を注視し、エレーナさんが刀を振るう。
はたして刃はリベールラを斬り、エレーナさんは魔物の殲滅に成功する。
戦闘の間、またしてもぼくは何もすることができなかった。念のためにダガーを抜いたは良いけれど、使う場面は訪れず、エレーナさんと魔物との戦闘をただ眺めているだけだった。
「またお荷物になっちゃったね」
表面は穏やかに、だけれど内心は申し訳なさと悔しさで一杯にしながらぼくは声をかけた。
けれどエレーナさんは軽口を叩く余裕が残ってないのか、ぼくの方を一目見てからその場にくずおれた。
「エレーナさん? 大丈夫ッ?」
ダガーを鞘に直して、慌ててエレーナさんの方にぼくは駆け寄る。
「……魔力を使いすぎたわ。少し休めば大丈夫よ。それよりあんたは怪我とかしてないわよね?」
苦しげにエレーナさんが言った。
「エレーナさんのおかげで傷ひとつないよ」
「そう、なら良かった」
そこでエレーナさんが噎せた。
「エレーナさん、ほんとに大丈夫?」
そのとき、魔力回復ポーションを持っていることをぼくは思い出した。瓶の蓋を外し、エレーナさんに差し出す。
エレーナさんは中身を一気に飲み干し、空き瓶をそこいらに放った。
「助かったわ、ありがとう。まさか私が使う羽目になるとは思ってなかったけど、あのとき買っておいて正解だったわね。……さて、そろそろ行きましょうか」
「えっ、もう行くの? 少し休んだ方が良いんじゃないかな」
「そう休んでばかりいられないわ。ポーションも飲んだことだし、問題ないわ」
確かに先ほどまでの苦しそうな表情をエレーナさんはしていない。けれど行動を開始するには些か早いようにぼくは思う。ポーションを飲んだからといって、魔力が即回復するわけではないだろうに。やはりここは休息を取るべきだ。
「エレーナさん、やっぱりもうちょっと休もうよ」
「何言ってるのよ? あんたは何にもしてないんだから、別に疲れてないでしょ? 私が大丈夫だって言ってるんだから行動するわよ。それに、ここにいたら安全っていう保証はどこにもないんだから。だったら、動けるときに動くのが良いと思わない?」
「確かにそうかもしれないけど……」
「だったら良いじゃない。さ、行くわよ」
そう言って、エレーナさんは立ち上がった。血で汚れた刀を懐紙で拭い、佩刀する。それから通路の方を目指し、エレーナさんは歩き出す。
渋々ぼくもそれにならった。
通路は、人が一人通るには申し分ない広さと高さだった。ただどうにも長く、先が見えない。
エレーナさんの明かり魔法を頼りに、ぼくたちは歩を進める。
しばらく歩くと、ようやく通路の終わりが見えてきた。
通路を出ると、そこには開けた空間があった。
「最悪ね」
通路を出たところで、エレーナさんが毒突いた。
エレーナさんの発言の意図を探るべく、ぼくは通路から顔を出し、空間の内部を見た。
そこには――。
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