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授業中、俺はどうやって名迫さんに話しかけるかを考えていた。そりゃもう、ない脳みそを雑巾の如く振り絞って必死に。
マイバイブルであるドキメモなら主人公がヒロインに話しかけられることでフラグが立つのだが……。生憎その可能性はゼロだと断言できる。不思議なことに、俺は生まれてこのかた一度たりともモテたことがないからな。
つまり俺に主人公補正はない。あるのは充血したドライアイと、アイデンティティーの黒縁メガネだけだ。
そんな冴えない男がモテるためには、自ら話題を提供して積極的に挑む他ないだろう。話題ねぇ……。そもそも異性と話したことが数えるほどしかない俺にとって、かなり高いハードルだ。
平然と女子に話しかけられる男ってのは、どういう工夫をしてるのか知りたいもんだ。あいつら何話してんの?楽しそうに笑い合ってさ。女子に「おはよう」って話し掛けたら、周りに誰もいないことを確認した上で無視されたことがある俺からしたらあいつらは雲の上の存在だ。
勿論、ドキメモなら「おはよう」って話し掛けると話し掛けただけで頬を真っ赤に紅潮させて「お、おはよう啓介君……」と返してくれる。あの子たちは万年発情期なの?と思うけど違います。本当に初心で純粋なだけです。寧ろ万年発情期なのは、俺を無視して平然と笑い合ってるリア充(笑)の方です。
しかし悔しいかな現状として、俺は奴らから学ばなければいけない。だからそんな奴らをマジリスペクトした上で、どうすれば名迫さんと話ができるかに全神経を集中させていた。
すると稲妻に打たれたかのように咄嗟に名案を思い付いた。
転校生という特徴を活かそう。
さっきのティッシュの礼とか適当な理由を付けて学校案内を買って出ればいいんだ。流石俺、実に名案だ。これでモテ男への道に一歩近づいたに違いない。
脳内会議が結論に至ったところでチャイムが鳴った。四限終了、昼休みに入る。名迫さんは机の上に可愛らしい水色のお弁当箱を広げ始めていた。
「名迫さんあのさ、ちょっとい—」
「白雪!一緒に食堂行こうぜ!」
俺の声を遮って、女が割って入った。
女の名前は東野茜。曲がった事が許せない正義感が強い性格をしている。その性格を象徴するような短く赤みがかった茶髪と、キリッとした勝気そうな鋭い目が特徴の女だ。
話の腰を折られた俺は仕切り直すべく、一度咳払いをして再び声をかけることにした。
「名迫さ——」
「さあさあ白雪。何時迄もこんなところにいないで早く行こうよ。ここの食堂結構美味いんだぜ?」
「うん、でもちょっと待って茜。前田君が…」
そうだそうだ。一体何なんだこの女は、さっきから邪魔ばっかしやがって。少しは気を遣えってんだ。泣くぞ。
「前田?あぁ、いいのいいの。白雪にあんなゴミムシ近付けちゃおばさんに顔向けできないよ。ほら行こっ」
どうやら東野と名迫さんは顔馴染みらしい。ゴミムシ呼ばわりされたことに動揺し過ぎて、そんなどうでもいいことを考えていた。
因みにゴミムシとは甲虫目オサムシ科の虫の総称だ。何度かこの名で呼ばれたことがある俺は以前自分で調べて知った。どうやら俺はオサムシの仲間らしい。つまりかの有名な手塚治虫の仲間でもある。ゴミムシは漫画界の神。
なんてことを考えていたら、二人は食堂へと消えてしまった。取り残された俺は今日も孤高のぼっち飯。これでモテ男の道から一歩遠ざかったに違いない。
……どうやらこの恋路は相当難易度が高いらしい。そりゃまあ俺みたいなスクールカースト最下層な人間が、白雪姫を捕まえられる可能性なんて元々ゼロに等しいんだろうが、その上有能なボディーガードまでいると来たもんだ。ハードモードを通り越してナイトメアモードとかそんなレベルの難易度だろう。
しかし、だからと言って諦めるつもりは毛頭ない。昼休みが駄目なら放課後。放課後が駄目なら明日にすればいいだけのこと。
不屈のメンタルを持ったゴミムシ、前田啓介様は本人に振られるまでメゲない、ショゲない、泣いちゃダメの精神をモットーにするのだ。いけいけ啓ちゃーん!
△
勝負の放課後、先手を取ったのは東野だった。
「白雪、学校案内してやるよ」
ニシシと笑い、白い歯を見せて可愛らしく誘っていた。顔馴染みである東野からの誘いを名迫さんが断る理由はない。
「本当?ありがとう、助かるわ」
予想通り笑顔で答えていた。これでは益々俺が話しかける理由がなくなってしまう。
どうする?便乗するべきか?「俺も一緒に案内してやるぜ。さぁ行こう」とできる限りの渋い声を駆使して。東野にぶっ飛ばされそうだな。奴はよく朝礼で表彰状をもらっているからな。やたらと強そうだ。何部か知らんけど。
「さっ、早く行こうぜ。隣でブツブツ言ってる気持ちわりぃゴミムシのことなんか放っといてさ」
東野は汚物を見るようなジト目でこちらを一瞥し、名迫さんの背中を押して教室を出て行く。その去り際に物凄く鋭い目で睨まれた。まるで獅子が獲物を探すかのような鋭い眼差し——野獣の眼光。俺は奴の親の仇か何かなのか……。
もうとっくに分かっていたことなのだが、名迫さんと東野は七年前から友人関係にあるようだ。クソ羨ましい。
俺にもそんな展開ねーかな。実は七年前結婚を約束した女の子が成長して会いに来てくれたとか。俺は気付いてなかったけど、向こうは気付いていて言い出す機会を模索してるとか。
こういう妄想で幸せに浸っていると現実との落差で死にたくなる。一人取り残された教室で飲むジンジェエールが、少ししょっぱく感じるのは自然の摂理。俺は悪くない。泣いちゃダメ。
そもそも落差を埋めるのが俺の目標なので、今惨めなのは仕方がない。ただ待つだけではこの落差は決して埋まらないのだから、手段を選ばず機会を増やさねばならんのだ。
……そんな今の俺にピッタリな方法がある。
尾行することだ。
尾行なら二人に迷惑がかかる心配もないし、名迫さんの情報を得ることができる。まさにWIN WIN。一石二鳥。やったねたえちゃん!
そうと決まれば善は急げ、レッツラゴーと行きたいところだがそういう訳にもいかない。あの有能なボディーガードにバレてしまったら、今度は今朝のような軽い懲罰で済まないからな。本人からの鉄拳制裁は勿論のこと、学校の処罰もそれなりのものになるだろう。だから今回は慎重に行わなければならない。
そもそも尾行というものは二種類存在する。一つは赤の他人を尾行する場合だ。この場合は無難な服装で適当な距離を保ち、人混みに紛れ堂々と歩いていればいいだけなので殆どノーリスクと言える。
しかしそれとは違い、知人を尾行する場合は難易度が跳ね上がる。まずリスクの高さは前述の通りだが、知人を尾行する場合は決して見つかってはいけないためコソコソとしなければいけない。それは周りから見て明らかに不自然なのは言うまでもないだろう。
特に俺のような普段から悪目立ちしている人間がこうして廊下の隅で隠れていたりすると、
「そんなところで何をやっているんだ前田」
必ず不審に思う人間が現れる。例えばそう、担任の若野とかね。
「ま、まだ何もしていませんよ先生」
若野はカッターシャツの襟を掴んで俺を泥棒猫のように持ち上げた。その持ち方マジで首締まるやつだから無理っす先生。
「まだ何もしてない。……ということはこれから何かしようとしていたんだな。それは担任として止めねばならんな」
「生徒の自主性の芽を理由も聞かずに摘むのは教師としてどうかと思いませんか先生」
「思わんなぁ。何故なら今お前は間違った道に進もうとしているからだ」
いや、もう既に進んでいるか…。と考える素振りをして、若野は本気で苦しそうにする俺から手を離した。
「まだ何もしてない生徒に疑いの目を向けるのは教師としてどうかと思いませんか先生」
「思わんなぁ。何故ならお前は前科持ちだからだ。大方今朝の状況から察するに名迫の尾行でもしていたんだろう」
「先生!!」
「なんだ、そんな大きな声を出さなくても聞こえている」
「この目を見てください!この少年漫画の主人公のような瞳を!この目を見てまだそんなことが言えますか!」
俺は充血したドライアイをここぞとばかりに爛々と輝かせた。ついでに鏡で練習した爽やかアルカイックスマイルも披露。キラッ☆
結果、露骨に舌打ちされ、笑顔は一瞬で死滅した。
「残念ながら、私には賭博で負けた狂人のような目にしか見えんな。それに信じて欲しいなら何をしてたか説明しろ」
「そうやって他人を疑ってばかりいるからモテないんですよ」
「ッ!!!」
拳骨が降り注いだ。当然の報いとは言え、目が星になりそうなほどの勢いで殴るとは相当図星だったと見える。若野は怒りを表すかのように目を赤く光らせていた。豪鬼かよ。怖すぎんよ。
「口を慎め。次はないぞ」
「すみません…」
次はないって一体何がないんだ……。次は命でも取ろうってのか……。
「ま、お前みたいな奴でも私の可愛い生徒の一人だ。私の目が黒い内は法を犯すような真似はさせんよ。絶対にな」
そう言って若野は俺のデコにスッと指を近付けて、
「追加の制裁だ」
「いだっ!!」
思いっきりデコピンを食らわせた。さっきの拳骨より痛い。痛いという感覚を通り越して最早熱い。火傷負ったんじゃねーかってレベル。
俺は痛さのあまりデコを押さえ、意味不明なダンスを踊るかのようにその場でヘドバンをしていた。
「利き手じゃないだけ感謝しろ。今度このような現場に遭遇した時には手加減しないからな」
去り際の若野の一言は、退学という最大限の罰よりも重くのしかかった。これで利き手じゃないとかあんた職業間違えてますよ…。地下闘技場とか超人オリンピックに興味ありませんかね。
そんなことを考えていたら若野はおろか、名迫さんの姿すら見えなくなり、後に残されたのは立ち尽くす俺とその一部始終を見て愛想を尽かす数名の生徒のみだった。