真夜中のデンドロビウム
真夜中のデンドロビウム
仕事が終わり、ふと時刻を確認すると、いつの間にか日付が変わっていた。
「ん~~」
身体に溜まっていた疲労を振り払うように、シュウは背筋を伸ばす。
細かな作業に集中していたせいか、昨日から今日へと変わっていたことに、まったく気付かなかった。
長時間、目に力を入れていたせいか、目が痛い。
シュウは、酷使していた目の疲れを拭うように、目元を押さえ軽く揉む。
ゆっくり瞼を上げると、心なしか楽になったような気がする。
シュウは、ふぅ、と息を吐くと、今しがたまで使っていた包丁を洗い、片付ける。
ここは、スノーシェリカ城にある調理室。
中央に置かれているテーブルの上には、大きなザルが三つ並べられており中には皮の向かれた食材が山のように積まれている。
これは、あと数時間後には調理されるものだ。
何とか、時間内に終わることが出来た。
我ながら、完璧な仕事だ。
シュウは満足気に頷くと、エプロンを取り外す。
使い込まれているエプロンは、ボロボロではないものの、そろそろ使用するのには躊躇されるほどのヨレヨレ感が出てた。
替え時か。
シュウはぼんやりと思いながら、エプロンを片手に部屋を出る。
早く部屋に戻って、休みたかった。
明日(正確には今日だが)の仕事は、七時からだ。
城で働く料理人の労働時間は、長い。
そのため『見習い』という立場でしかない自分の仕事終了時間は、さらに長いものとなる。
仕事内容も、一日立ちっぱなしは当たり前。
重い物を持ちながら廊下を疾走したり、食材の皮を剥くために一時間以上包丁を握っていたり。
下ごしらえが主な仕事である見習いは、結構な重労働でかなり体力が必要なのだ。
スノーシェリカ城で働く者は、多い。
魔族、人間問わず24時間誰かが働いている。
故に彼らの胃を満たすため、常に食堂は開いており好きな時間に食事を摂れるようになっている。
城にはキッチンがいくつもあり、料理人とその見習いは交代制での勤務体勢になっている。
朝食と昼食とは違い、基本、夕食は住み込みで働く者たちと夜勤組のみが食べることが多いので、昼間のような慌ただしさはないものの、大量に出る食器や料理道具の片付けをして、次の料理で使う下ごしらえをして、キッチンの掃除をするのは、やはり大変だ。
城での調理というものは、そこらへんの店のキッチンとは、ワケが違う。
同時にいくつもの調理器具や皿が使われ、尋常ではない量の料理が作られていく。
人手は、いつもギリギリだ。
今も、休もうとしている自分とは逆に、他の見習いたちや料理人たちが仕事に汗を流している。
(次の休みは……ゆっくりするか……)
ここ数日のハードさに、身体が悲鳴を上げはじめている。
シュウはだるい足をトボトボと前へ前へと進ませながら、考える。
と。
前方の部屋から、灯りがもれていた。
淡い光は、暗い部屋を照らすために放たれている魔術だ。
あそこは……。
あそこは、滅多に関係者が出入りしない簡素なキッチンだ。
「………………」
シュウは、足を止める。
早く休みたいのは山々だが、その光が気になった。
誰かがいるのか、はたまた単なる消し忘れか。
それを確かめようと、シュウはその部屋へと足を向けた。
すでに僅かに開いているドアに触れ、押した。
中は、目が眩むほど魔術によって生み出された光に満ち溢れていた。
そして、火にかけた鍋の前に立ち、何やら中をかき混ぜている少女が、一人いた。
歳の頃は、十七、八。
腰まである長い黒髪を邪魔にならないように一つに束ね、エプロンを身に付けている彼女は手元に置いていた皿を取り、中の具材を鍋の中へと放り込んで再び混ぜはじめる。
「ふんふんふ~ん♪」
流れる動きで調味料を取り、鼻息混じりに味を付ける。
「…………。何してんの?あんた」
気付けば、声をかけていた。
「ん~?夜食をね、作ってるの♪」
突然の声かけに驚くかと思いきや、黒髪の少女――――ユキノは平然とそう答え、こちらへと振り向いた。
「俺が近くにいること、気付いてたな」
「ほほほほ。当然でしょ」
にやり、と可愛さのカケラもない、むしろ彼女の意地の悪さを現すようなそんな笑みを刻ませて、得意げに言う。
「……それより、あんた何でこんな時間に料理してんだ。夜食だったら、いくらでも食堂にあるだろう?」
シュウはユキノに近付きながら、問う。
料理好きな彼女が食事を作っていること自体は何の疑問もないが、夜食くらい食堂で済ませた方が色々と効率がいいと思うのだが……。
そんなシュウの言葉に、
「あたしもそう言ったのよ?だけど、どうしてもあたしが作った物が食べたいってワガママ言うからさぁ……」
ユキノはやれやれ、と眉をひそめた。
その口調や放たれた言葉の内容に、シュウも眉根を寄せる。
自分用に作っているわけではない。
しかも彼女に『ワガママ』と言わしめる人物がこの城にいるとすれば、それはただ一人しかいない。
「あんた、あの方に料理を作ってんのか……」
シュウは、渋い顔で呟いた。
「ん?そうだよ。野菜スープをちょっと。何でも、仕事が行き詰まってるんだってさ」
表情を曇らせるシュウに気付いているのかいないのか、ユキノは相変わらずの鍋を回している。
彼女が、王であるカイキと仲がいいのは知っている。
巷でまことしやかに噂されている『王は人間の娘にご執心』というのが、実はこの人物だということも、理解している。
けれど、だからと言ってこうも簡単に王が食する物を作っていいのだろうか?
料理人見習いである自分ですら、王が口にする物には未だ触れられないでいるというのに……。
親しいというだけで、こうも易々と、自分がなかなか辿り着けない場所に立っている彼女。
妬みやヒガミはないけれど、僅かに羨ましさが生まれる。
「ねぇ。シュウちゃんは、もう仕事は終わったの?」
そんなこちらの葛藤など露知らず、ユキノが問うてきた。
「ああ……。終わって、部屋に戻るところだったんだけど」
光が見えたから、覗いた。
シュウは、そう付け足した。
「そかそか。シュウちゃんも、頑張ってるんだねぇ。エライエライ」
うんうん、と何故か感慨深そうにユキノは頷く。
その姿は、まるで子どもの成長を実感し喜ぶ親のように見え、シュウは眉間にシワを刻む。
確かに、自分が料理人見習いとしてスノーシェリカ城にいられるようになったのはユキノの計らいがあってのことではあるのだが、こういう言い方をされると、釈然としない。
「そーだ。せっかくだし、シュウちゃんもいる?今日の朝食にでもしたら?」
ユキノは言いながら、魔術の力で揺らめいていた炎を消した。
ゆらゆら、と白い湯気が舞い上がり、いい匂いがシュウの鼻腔を刺激する。
料理人見習いから見ても、それはとても美味しそうに見えた。
「カイキ様の分じゃないのか?」
「さすがのカイキも、これだけの量、一人では食べきれないでしょ」
あははは、と笑う。
当然のように王の名を呼び捨てにする彼女。
何度も耳にしているが、やはりどうも慣れない。
慣れないが、呼び捨てにされることを当の本人が良しとしてうるのだから、シュウにはどうしようもない。
「……じゃあ、頂こう」
「ん。鍋、ここに置いておくから好きなだけ食べてね」
深い、スープ用の器に野菜を入れながら言った。
その後に、スープを注ぐ。
色鮮やかな野菜と肉が、バランスよく注がれている。
ユキノは、トレイに器と飲み物、そして飴を二個乗せる。
どうやら、これが夜食メニューらしい。
「あ、それと。あたし、シュウちゃんに渡したい物があるのよね」
さっそく夜食を届けに行くと思いきや、ユキノは手を止めて切り出した。
「渡したい物?」
訝しげに反芻するシュウに、ユキノは笑みを浮かべながら棚の方へと移動して、中から紙袋を取り出す。
「今度いつ会えるかわからないから、ちょっと早いけど誕生日おめでとう、ってことで」
はいプレゼント、と特に綺麗に包装されていない無地の袋をシュウへと渡す。
「ぷ、プレゼント……?」
目の前にある紙袋をマジマジと眺めながら、シュウは驚いた様子で呟く。
誕生日プレゼント。
それは、誕生日にあたる対象者にお祝いの品として贈られる物――――
そんな物が眼前にあり、それどころか自分へと贈られた物だという……。
あまりの衝撃に、受け取る、という行動を忘れシュウは立ち尽くす。
「そうだよ。あんたの誕生日、もうすぐじゃん。てか、早く受け取りなさいよ」
受け取る素振りも見せず固まったままでいるシュウに、腕を伸ばしたままのユキノは器用に片眉を上げ、ちょっとだけ怒った口調で言う。
シュウは、ハッとする。
贈らせたプレゼントに触れようとしないなど、拒絶しているのと同じではないか。
「あっ、ああ……。その、ありがとう……」
ぎこちなく礼を伝え、急いで受け取る。
さほど大きくもないシンプルな紙袋は、軽かった。
けれど誕生日プレゼントなど貰ったことのないシュウにとって、それはとても重く異様な存在感を放っていた。
「な、中を見ても?」
自分でも笑ってしまうほど、よくわからない緊張が走り出し思わずどもる。
「どうぞ」
ガサゴソ、と中を取り出すと、ブラウン色の布が出てきた。
広げると、それは大きなポケットが二つ付いたエプロンで、シュウは目を瞠る。
「エプロン、ボロボロになってきてたでしょ?」
ユキノが、言った。
「何でエプロンのこと……」
「この前、仕事中のあんたを見つけてね。その時、汚いエプロンしてるなぁと思って……。あ、もしかしてもう新しいの買った?」
「いや、まだだ。今度の休みにでも買おうと思っていた」
シュウは、首を横に振る。
買い換えようとしていた矢先の、プレゼント。
あまりのタイミングの良さに、シュウは苦笑する。
まるで、自分の心を見透かされているかのような、そんな錯覚を覚える。
「ありがとう。さっそく使わせてもらう」
ぽん、とエプロンを叩きながら言う。
値段はよくわからないが、生地から推測してけして安い物ではないだろう。
「ん。それで真面目に仕事に励めよ」
ユキノはプレゼントの成功に満足しているのか、満面の笑みを浮かべながら頷く。
「んじゃ、あたしはコレを届けに行くから。シュウちゃんも、朝早いんだからもう寝なよ」
カイキへと届けられるべく、今か今かと静かに待ちわびている夜食の乗ったトレイを持ち上げ、ユキノは母親のような口振りで言った。
そう言えば、日付が変わってかなり時間が経っている気がする。
ユキノとここでダラダラと会話をしていたせいで、さらに時刻は深いものとなっているだろう。
そう時刻を認識した途端、何だか睡魔が襲ってきた。
「じゃあな。カイキ様の仕事の邪魔、するなよ……」
「失礼ね。あっちが絡んでくることはあっても、あたしが絡むことなんてないわよ」
「どうだかね……」
何て会話を最後に送り、シュウは部屋を出る。
うっすらと淡い魔術の炎のおかげでやんわりと明るい廊下を、自室へと戻るため歩く。
大きな窓から夜空を見上げると、漆黒の中に宝石のような星々が輝いている。
あと数時間もすれば朝が訪れ、慌ただしい見習いとしての仕事がはじまる。
ユキノに言われたからというワケでもないが、ダラダラと起きていては仕事にも支障が生まれるし、身体にもよくないだろう。
シュウはエプロンを胸に抱き、足早に歩を進めた。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
今回は、以前の番外編(トレニア~)に少しだけ出てきたシュウ視点のお話し。
ぶっきらぼうだけど、真面目で仕事熱心な彼でした。
デンドロビウムの花言葉 『まごころ』『思いやり』『わがままな美人』他




