トレニアに溺れる、蝶06
トレニアに溺れる、蝶06
突如、響いた叫び声に、雪乃はゆっくりと首を巡らせ声のした方――――入口へと視線を注げば、髪を結い上げ、ぴしっと身なりを整えたいかにも気の強そうな女性が立っていた。
「今の発言は、聞き捨てなりませんね。私たちの中に犯人がいるだなんて、言いがかりも甚だしいわっ」
四十後半の容姿を持つ女性は、ややつり目がちな双眸をスっと細め、雪乃を睨み付けてきた。
「また新しい登場人物とか……。誰よこの人?」
自分に注がれる敵意まるだしの視線や怒号をまったく気にもせず、雪乃はカイキに向き直り尋ねる。
今日は何だか、色んな人物と遭遇する日だ。
「あ、えっと……。彼女は先ほど伝えたこの部屋を管理している五人の内の一人で、責任者のミレニアと言います。何か話しが聞けるかと思い呼んだのですが……」
カイキは軽い紹介を交えながら説明すると、小さく苦笑した。
呼んだはいいが、登場早々、声を荒げるとは思ってもみなかったようだ。
「あぁ。つまりあたしがメイドを犯人扱いするもんだから、気に入らないってわけね」
お冠の理由に気が付いて、雪乃はパチン、と手を合わせる。
だが。
「失礼な。私は、気に入らないから言っているわけではありません。私たちは、カイキ様にお使えすることに誇りを持っています。そんなことをするはずがありません。勝手なことを言わないで頂きたいわ!」
雪乃の言葉でさらに気分を害したのか、ミレニアは力強く言い放った。
感情的ではない、と言っているが、どう考えても感情的に断言しているとしか思えない。
雪乃は目を細め、ミレニアの方へゆっくりとした足取りで近付いて行く。
「な、何ですっ」
いきなり、自分の方へと近付いてくる雪乃に、ミレニアは訝しげな表情で身構える。
彼女は、己の言葉が矛盾だらけだということに、気付いていないようだ。
「身勝手で失礼で能無しなのは、そっちなんじゃないの?」
ミレニアの目の前で立ち止まり、ずいっ、と顔を近付けて、雪乃は言った。
「の、能無しですって!」
カチン、とミレニアの表情の中に再び怒りが宿る。
「ええ、そうよ。証拠も何もない状況にも関わらず、感情論だけであたしを犯人だと決め付け……むしろ犯人にしようとしているんでしょ?有能なわけがないわ」
「くっ……」
迫る雪乃の迫力と的を射た言葉に、ミレニアは返す言葉も見つからず唇を噛み締める。
「あたしを犯人扱いしたいなら、その薄っぺらい口をぺちゃくちゃ無駄に動かすんじゃなくて、証拠を持ってきてからにしてくれないかな?」
ぽん、と肩に手を置いて、うっすらと笑いかける。
その微笑みの中には相手を挑発し、揶揄する色がありありと浮かび上がっており、ミレニアの気をさらに荒立てるには十分だった。
馴れ馴れしくも肩に乗っている雪乃の腕を、パシン、と払う。
「せいぜい、余裕ぶっていなさい。絶対、証拠を掴んで貴女を捕らえて頂きますからっ」
キッ、と鋭い視線で雪乃を睨み付け言い放ち、全身に怒りを宿した状態で、失礼します、と頭を下げて部屋から出て行った。
「お、怒って行ってしまった……」
レティシアが、どこか唖然とした様子でぽつり、と零す。
雪乃にとって、魔族ああいう態度は珍しくも何ともないが、レティシアから見れば、珍しい物に映ったのかもしれない。
「ゆ~き~。話を聞くために呼んだ、と言いましたよねぇ。怒らせてどうするんですかっ」
カイキが、雪乃の行動を責め立てる。
せっかく呼んだというのに、何の情報も得られないばかりか相手を怒らせて帰してしまった。
一体、何のために呼んだのかわからない。
彼が不機嫌になるのも、無理はない。
「だって~。ムカついたんだもん」
けれど雪乃は、しれっ、とたいしたことではないように、返した。
「『だもん』って、貴女一体いくつ何ですか……」
「永遠の十八歳よv」
瞳の中にきょるん、と星を宿し、語尾にハートマークを付けさせ雪乃が言った
「それは知ってます。って、そうではなく、もしまた装飾品がなくなってしまったら、貴女のせいになるかもしれないのですよ?」
ふざける雪乃に、カイキが詰め寄る。
彼女が部屋を出て行く間際、吐き捨てたセリフが蘇る。
少しでも違和感のようなものを雪乃に感じれば、それを無理矢理『証拠』と成して捕まえようとするに違いない。
そうなれば、さらなるいざこざに発展するのは必至だ。
「いいのよ、それで」
心配するカイキの感情を払うように、雪乃はヒラヒラと手を振った。
「どういうことです?」
カイキが、首を傾げる。
「真実を引きずり出すには、色々準備がいるってことなのよ」
「何です、そんな含みのある言い方……。もっと分かりやすく説明して頂けませんか?」
意味深な発言にとどまる雪乃の言い方に、カイキはちょっと不満を示す。
「そのうちわかるから、気にしない気にしない」
にっこり、笑う。
「何だかイヤな予感しかしないのは、気のせいですかね……」
雪乃の浮かるイイ笑顔を受けて、カイキは不安げに呟いた。
*** ***
スノーシェリカ城から南に下った場所に、ひっそりと息を潜めていながら濃密な闇を抱えたスラム街は広がっていた。
その中の細い路地を、雪乃は歩いている。
前へと進む度、足元の空気が掻き乱されてホコリが舞い上がる。
掃除など行われるはずもなく、汚れやゴミが目立つ空間は、早々に退散したい気分にさせ、自然に雪乃の足を早くさせる。
かなり前に廃屋と化したアパートは太陽の光りを遮り空気の循環を悪くするだけではなく、無言の圧迫感のようなものを与える。
さらに手当たりしだいに建てられ好き放題に使われている家屋はまともな手入れをされることなく佇み、老朽化の激しい家々にも関わらず、人の気配に溢れている。
殺風景で、殺伐としたスラム。
今、雪乃が歩いている場所はスラムの中央付近。
ここまで足を踏み入れると、周囲に潜む人たちも、より濃いものとなってくる。
血気盛んな連中はもちろんのこと、精神面で難ありな連中もゴロゴロしているのだ。
面倒な相手に絡まれる前に、さっさと本日の用事を済ませよう。
雪乃はそう思い、さらに歩調を早めようとした矢先、
ガシャン。
「きゃあ。危ない!」
背後から激しい音が響き、女性の悲鳴が聞こえた。
「…………。大丈夫?」
わたわた、と慌ただしく動く気配を感じ、雪乃は足を止めて振り返った。
「す、すまない。こういう場所ははじめてで、慣れてなくて……」
近くに転がっていたゴミ箱に躓き体勢を崩していたレティシアは、動揺しているような、恥ずかしそうな、そんな表情で返しながら急いで倒したゴミ箱を元に戻す。
その身分が故に、スラムに足を踏み入れたことなどないレティシアは、スラムの状況をその目でマジマジと見せつけられ、あまりの荒み具合と治安の悪さに衝撃を受けているようだった。
「だから付いてくるなって行ったんじゃない……。今頃後悔しても、もう戻れないわよ?」
雪乃は小さく嘆息し、言った。
足でまとい、とまではいかないが多少の影響は出るだろうと予想していた通り、スラムに入ってからのレティシアは周囲の雰囲気に呑まれガチガチに緊張していた。
上流階級の中で生活しているレティシアにとって、街のごくごく一般的な生活ですら驚愕の状態だと言うのに、スラム街の現実など衝撃と恐怖の対象でしかない。
生気が失われ害のない状態の魔族や人間が道端に座っているという光景は、なかなかに受け入れ難く、それはもはや別の生物にしか見えないかもしれない。
「すまない……。話しでは聞いていたが、まさかこんなにヒドイ状況だとは思っていなくて……」
まざまざと見せつけられたスラムに、レティシアは難しい表情を浮かべ、瞳を曇らせた。
「そう。なら、今日来てよかったじゃない。これがスラムの現実なんだから、目を逸らさずちゃんと見ることね」
雪乃は手をヒラヒラさせながら言うと、再び歩きはじめる。
「…………ユキノさんは、こういう場所にはよく来るのか?」
後ろから、聞いてくる。
迷路のように入り組み、行き止まりの場所も多い道を迷わずスタスタと進む雪乃は、どう見てもスラムに足を踏み入れ慣れている者にしか思えない。
「知り合いが、ここで商いやってるのよ」
「えっ。商い?こんな場所で?」
驚いたように、聞き返す。
「商いって言っても、趣味でやってるようなもんなんだけどね……」
「なかなか勇気のある人なんだな……」
レティシアは、感心したように言う。
「偏屈なだけよ。真面目に商売しているようには思えないしね」
雪乃は、肩をすくめる。
「でも、ユキノさんは何故スラム?城で起こったことと、何か関係があるのか?」
レティシアは、何故雪乃がスラムに来たのかまったく検討が付かないようで、不思議そうに首を傾げる。
雪乃の目的は、他でもない。
城で起きている金品の紛失騒動。
それの手がかりを掴むため、スラムに入ったのだ。
「ちょっと聞きたい話しがあるのよ。……ああ、見えてきた。あの店よ」
雪乃は、ようやく姿を現しはじめた奇抜な建物を指差した。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
まだまだ終わる気配がありません!
それどころか、雪乃はレティシアを伴い本編で登場したスラム街へ向かっちゃいました。




