トレニアに溺れる、蝶03
トレニアに溺れる、蝶03
…………………。
……………………。
「…………」
「…………」
「………………………は?」
長い長い沈黙をたっぷり使い、目をパチパチ、と瞬かせた後で雪乃は声を発した。
「婚約者って…………カイキの?あんたが?」
「あ、ああっ」
まじまじと見つめたまま問い詰めるように聞く雪乃に、レティシアは緊張した面持ちながら、はっきりと肯定した。
――――婚約者。
それは結婚を約束している男女を示す、言葉。
明かされた二人の関係に、雪乃は唖然とする。
カイキとの付き合いも、かれこれ結構な年月が経過しているが、今まで一度たりともそんな存在がいるなど聞いたことがなかったのだ。
それどころか、あんなにモテる容姿を持っていながら、浮いた話しは一切、耳にしたことがなかった。
しかし、少し考えてみればカイキにそういう女性がいたとしても、何ら不思議ではないだろう。
王家の情報を与えるべきではない、という臣下たちの動きが働いていたのかもしれないが、カイキに婚約者が存在しているのとしていないとでは、雪乃が行える行動というものもかなり違ってくる。
(まったく~。ど~してそういう大事なことを一言も言わないのよ、あいつは!)
雪乃は心の中で毒つく。
言いづらい思いがあったのだろうとは予測できるが、自分だけ伝えられていなかったなど、まるで仲間はずれにでもあったかのような思いが生まれる。
「いや、でも婚約者と言っても、親が勝手に決めたものでしかなく………」
「でも、貴女は本気でカイキが好きなんでしょ」
「えっ///いや、そんな…どうしてっ……///」
レティシアは顔を真っ赤に染めて、ワタワタと慌てふためく。
「わかりやす」
恋心を悟られて、恥ずかしそうに身を縮こませる、その初々しすぎる反応に、雪乃はぼそり、と呟く。
(それにしても……。婚約者がいるにも関わらず、あいつはあたしに懐いているのか……)
雪乃は、複雑な思いでレティシアを見つめる。
自惚れるわけではないが、カイキはおそらく自分に想いを寄せているはずだ。
もちろん、雪乃がそれに応えることなどありえるはずもなく、それはカイキ自身も理解しているだろう。
だが彼は叶うはずもない、と承知しているにも関わらず今もなお、行動を共にしている。
カイキにとって、レティシアという存在がどこに位置付けされているのか、雪乃にはわからない。
わからないが、『婚約者』ということを知ってしまった以上、気が済むまで好きにさせておく、という従来の考えは、改めなくてはならないかもしれない。
曖昧な関係を築けば、後々面倒なことに巻き込まれかねない。
色恋が絡んだ騒動こそ、厄介なものはないのだ。
「ゆ、ユキノさんは、私のことご存知だったのではなかったのか?」
内から流れ出る熱を払うように、レティシアが聞いた。
「ないない。まったく知らなかった」
雪乃は、首を横に振る。
おろらく、カイキは意図して隠しているのだろう。
もしも『婚約者』の存在がバレれてしまえば、今まで築いてきた関係に問題が生じ、最悪、壊れてしまう可能性がある、とそう思っているのかもしれない。
しかし、家臣たちもレティシアの名を隠していたことは、ちょっと意外だ。
彼らは何とかしてカイキから自分を引き剥がしたい、と常々思っている。
『婚約者』という名は、使うには持ってこいの武器になるような気がするのだが、過去、そういうネタで批難されたことは、ない。
もしかしたら、レティシアという存在を知られたくない何らかの理由が、あるのかもしれない。
「そう、だったのか……。わたしは、実は以前から窺っていたのです。でも、今までどうしてもお会いする勇気が持てず……」
彼女は、ここで一度言葉を切り、雪乃を見つめる。
「だが、ゴードンさんが暴れた時にご活躍されたと聞き、会ってみたいと思ったんだ」
ゴードン。
その名前を聞き、雪乃は居心地の悪さを感じた。
彼女が、どういう話しを耳にしているのかは知らないが、あまりゴードンのことを掘り返してほしくはない。
「別に、対したことしてないよ……その後のカイキの方が大変だったんじゃないの?」
「それは、まぁ……」
「にしても、カイキの奴おっそいわよね~。いつまでタラタラ仕事やってんのかしら」
ゴードンの話題を終了させるため、雪乃はカイキの名を出した。
「あたしさ~。あいつが待ってて、て言うから大人しくここで待ってるんだけど、もう二時間ちかく経ってんだよね。まだ終わらないのかなぁ……」
雪乃は、ポテチの袋を開けながら不満そうに言った。
すぐに終わる、と言い残し去って行ったカイキ。
仕事を終え戻って来るのを待っている間、ずっとゲームで時間を潰していたので退屈ではなかったが、一時間以上も待たされるとなると、さすがに帰りたくなってくる。
けれど、ここで黙って帰るのは大人気ない行動な気もするし、のちに文句をタラタラと言われそうな気もする。
一見、爽やかなフェミニストに見えがちなカイキだが、意外としつこい一面も持っているのだ。
「だが、カイキ様は王としての仕事をまっとうしているわけだから仕方がないのかと……」
愚痴る雪乃に、優等生なセリフが返ってきた。
「あいつ、今何をやってるの?ややこしい案件がるとも聞いてないし……。じっと待ってるのも飽きたし、いっそのこと様子を見に……」
バタン!
行ってみるか、と雪乃が言い終えるその言葉を遮って、激しく部屋の扉が開き、
「ユキ!いますかっ!」
青年の大声が響き渡った。
扉が開いたと共に、飛び込んできたのは、誰でもないカイキだった。
彼は、はぁはぁ、と息を切らし、肩を上下に揺らしていた。
ひとつに結われ、しっぽのようにたれている赤銅色の髪。
整った顔立ちを持つ美形の青年――――カイキは、オレンジ色の瞳で、雪乃を探した。
いつも人あたりのよさそうな笑を貼り付けている顔は、深刻そうな表情が刻まれていた。
「そんなに慌てて、どうしたの?」
部屋を出て行った時とあまりにも違うカイキの様子に、雪乃は首を傾げる。
「あ、ユキ。本当にすみませんが、ちょっと問題が起きてしまって長引きそうなのでもう帰って頂けませんか?緊急事態に――――――――って。え!」
ぴしりっ。
ソファで寛ぐ雪乃を見つけ、大股で近付いてきたカイキは、その向かいに座るレティシアを視界にとらえた瞬間、そんな効果音が聞こえてきそうなほど完璧に、固まった。
「お~。固まった固まった~」
まるで、マンガの一コマでも見ているかのようなカイキの姿に、雪乃は面白そうにパチパチと手を叩く。
「あの、カイキ様……?」
硬直してしまったカイキに、遠慮がちにレティシアが呼ぶ。
「な、何でここに君がっ」
何とか硬直状態から復活し、動揺しながらも口を開くカイキは、この場にいるのが耐えられないのか、一歩、後ろに下がる。
その姿は、浮気を彼女に見つかって狼狽する彼氏のように見え、雪乃はおかしさのあまり思わず失笑しそうになり、なりながらも何とか堪える。
吹き出さなかった自分を、褒めてやりたい。
「彼女、あたしと話しがしたかったんだって~」
にんまり、と雪乃はイイ笑顔を浮かべる。
「そ、そうなんですか……?」
頬を引きつらせ、カイキが言う。
「あんたに婚約者がいたなんて、知らなかったよ~。しかも、こ~んなに可愛い子だなんて。何で隠してたりしたのよ」
完全にスイッチの入った雪乃は、からかいモードでカイキに問いかける。
「べ、別に言う機会がなかっただけで、隠していたわけでは……」
「ほんとに~?」
にやにや、と緩みきった表情で疑心のこもった視線を注ぐ。
「ほ、本当ですって。そもそも『婚約者』という関係だって本人の意志とは関係なく、親が勝手に決めたことなんですからいちいち話題にする必要はないと思っていたんです」
ワタワタと慌てふためきながら弁解のごとく言い放ったカイキの言葉に、レティシアの表情がかすかに曇るのを、雪乃は視界の端でとらえた。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
3話にして、やっとカイキの登場ですね。
慌てて入って来た彼に、ようやく物語がスタートする感じなので、もうしばらくお付き合い下さい。
では、4話でまた!




