ゼラニウムの訪問 前編 ~セツナの友~
――――うん。今日もいい日だ。
廊下の窓を開け放ち、目の前に広がる青い空と白い雲、そよそよとほどよく流れる風を素肌に感じ、セツナは大きく伸びをした。
天気がいいと、気分も上がる。
自室の窓を全開にして、外の新鮮な空気を室内へと流す。
日曜日の午前9時。
すっかり上がった太陽が、はるか宇宙の彼方からまばゆい光と熱を放ち、地上を照らしている。
天気予報では、降水確率10パーセント。
気温も、そう上がらないらしい。
過ごしやすい一日となるでしょう、と天気予報士のお姉さんはテレビ画面の中で自信満々と語っていた。
つまり、休みにはもってこいの一日、ということだ。
出かけないのは勿体無い、と思わせるほどの気持ちよさが外には溢れ、飛び出したい衝動にセツナを駆り立てる。
街に、行ってみようか。
急ぎではないけれど、買いたい物のいくつかある。
せっかく恵まれた天気を満喫しないのは勿体無いし、せっかく上がった気持ちを抑えるのも勿体無い。
部屋でゆっくり過ごすのも嫌いではないけれど、買い物がてら街中をぷらぷら歩くのも、嫌いではない。
(あ、でもまだ少し早いか。お茶してから、行こうかな……)
外出の予定を立てたセツナは、ふと只今の時刻を思い出し、そう心の中で呟いた。
街は、動き出したばかり。
今から家を出ても、ほとんどの店は締まっているだろう。
セツナはゆっくり窓を閉め、廊下を歩き出す。
コツコツコツ。
軽快な足元から聞こえる、乾いた音。
ゴミひとつなく磨き上げられた床は、外から入ってくる光を浴びて、キラキラと輝いている。
(綺麗、だな……)
セツナは、素直にそう思った。
そこそこいい素材を使い、そこそこ豪華な佇まいをしている、公爵家の屋敷。
使用人たちがちゃんと毎日掃除をしてくれているおかげで、まるで美術館のような豪華さと清潔さを保っている屋敷だが、ここまで掃除を徹底し、なおかつその清潔さが常に保たれているというのだから、まったく驚愕と感嘆をおくるしかない。
そんな廊下を歩き、何枚かのドアをやり過ごし歩いていくと、ひらけた場所に出る。
目の前には、中庭があった。
セツナは、一瞬考えたのち、中庭へと近付いて行く。
周囲をガラスでぐるりと覆われた、外と繋がる空間。
中庭には世界中から集めた珍しい樹木が十数本植えられ、花壇にはその季節に合った花が常に咲き誇っている。
動物や小人の可愛い置き物や巨大な岩なども飾られ、一息付けるように椅子とテーブルも置いてある。
セツナは、中庭へと繋がるドアを上げた。
――――と。
蠢く人の気配と、かすかだが話し声が聞こえた。
どうやら、奥に先客がいたようだ。
けれど、ここは自分の家。
先客がいようが、気を遣い踵を返す必要はない。
葉が茂る奥の方にいるのか、入口からでは相手の姿は確認できない。
そんなところで一体、誰がいて何をしているんだろう。
セツナは不思議に思いながら、様子を窺おうと、向かう。
だが――――向かって、後悔した。
「そんなツレないこと言わないで、これから俺とデートしようぜ。せっかく天気がいいんだし♪」
軽く弾んだ男の声が、した。
セツナの足が、ピタリと止まる。
その聞きなれ過ぎて、むしろ聞くことを拒否したくなるような声とセリフに、頭を抱えたくなった。
どうして、こんなところにいるのか……。
「もう、いけませんわ。私たちはお仕事中なんですから」
「見つかってしまったら、私たちが罰せられてしまうのですよ?」
誘いを断りながらも、まんざらでもなさそうな若い女の声がふたつ、聞こえた。
メイド、だ。
これは間違いなく、男が仕事中のメイドを捕まえて口説いている最中で……。
「大丈夫だって。もしもの時は、俺がちゃんと守ってやる。何なら、俺の屋敷に来るか?一生、守ってやるぞ?」
ややトーンを落とし、口説きモードで囁く。
「やだ、リュード様ったら///」
「もう。どうせそういうお言葉を、私たち意外の女性にも言い回っているのでしょう?」
きゃあ、と黄色い声を上げ喜ぶ女性と、どこか怒ったような女性の声。
しかし、表現こそ違いはあるけれど、心に流れる感情はどちらも同じものだということは、セツナにも何となくわかった。
「そんなことないよ、君たちは特別だって~」
語尾を伸ばし、だらしのない口調で男が喋る。
「くすくす。嘘ね。この前、マリーにだって同じこと言ってましたでしょう?」
「あれ?見られてた?」
小さく笑うメイドに、男が困ったような声で返す。
「オレってば、ずべての女性を幸せにしたいんだよね~。オレには、その甲斐性もあると思うし?」
――――――――――――はぁ……。
セツナは、否応なく耳に流れ込んでくる言葉たちに、ため息を吐く。
こんなところで、一体何をやっているのだ。
セツナはぐっと、力強く一歩を踏み出すと、彼らに近付き、きっと驚くだろうな、と思いながら声をかけた。
「いい加減うちのメイドをナンパするの、ヤメろよな……」
「!」
「せ、せせせセツナ様!」
セツナの一言に、ナンパ男はびくり、と肩を震わせて、メイドは悲鳴に近い上ずった声を発した。
声、だけではない。
セツナの姿を確認した途端、さぁぁ、と血の気を引かせ、立ち尽くす。
当然だろう。
仕事中に、隠れるようにして男と話していたのだから。
セツナにクビを宣告する権利などはないものの、雇用主である父親に告げれば、解雇だって有りうる話しだ。
「あちゃ~。見つかっちゃった~?」
あはは、と笑いながら、男が優雅な動きで振り返る。
ふわり、と風がないにも関わらず、やや癖のある腰まで伸びる金色の髪が、柔らかく揺らめいた。
金色が踊るすぐ下に、顎に向かうにつれ細くなっていくシャープな骨格を持つ頭があった。
タレ目効果で、優しさと親しみやすさを無条件で手に入れているネイビーブルーの瞳。
スっと通った鼻筋の下にある、饒舌に言葉を紡ぐ形の良い唇は、楽しげに口角が上げられていた。
小さい頭と長い四肢。
スラリとしていながら筋肉質な、男らしい体躯と180センチの身長。
上質な生地で作られた服をやや崩すように着こなし、けれど何故かだらしなさはなく、むしろ少年のようなやんちゃさを呼び込んでいる。
首からは、宝石の付いたネックレスを下げ鎖骨辺りをきらめかせ、耳にはピアスが飾られ、輝く金髪も合わさって、とても派手な出で立ちの青年が出来上がっていた。
名をリュード・ベルフェルト・リュミエス。
セツナより三歳年上の、十九歳。
幼少の頃からの知り合いで、つまり幼馴染という関係を築いている相手だった。
申し分のない容姿と、申し分のない家柄を持って生まれたリュードは貴族と思えぬほど気さくで明るい性格をしている。
肩書きに溺れ威張り腐った態度や地位を振りかざすことなど一片もせず、誰にでも愛想よく振舞うことの出来る彼は、腹黒い目的で近付いてくる相手にすらもそれを発揮させ、いつしか手中に収めていく。
友達も多く、年齢に関係なく知り合いも多い。
人付き合いがあまり得意ではないセツナは彼の無駄に溢れる社交性が羨ましく思う時もたまにはあるのだけれど、幼少の頃からはじまり終わりの見えないモテ期は、少々……いや、かなり厄介だ。
おかげで、女性を見れば、口説かずにはいられないナンパ男にすっかり仕上がってしまったのだから……。
幼馴染って、いいですよね。
予想以上に長くなってしまったので、前編と後編に分けました。
ゼラニウムの花言葉は「真の友情」「信頼」「育ちの良さ」です。




