囁く、もうひとりたち16
囁く、もうひとりたち16
な~ん、と子猫が鳴き、擦り寄って来る。
「か、かわい~!」
きゅん、と胸を走る衝撃に、雪乃は子猫を抱き上げた。
ふわふわ毛並みの塊が、ちょこん、と雪乃の両手におさまった。
小さな小さな命の結晶は、ちょっと力を加えれば途端に壊れてしまいそうなほど繊細で、とても柔らかく温かい。
雪乃が、そっと人差指で頬の辺りを撫でると、気持ちよさそうに目を細める。
「大丈夫なんです?それ、野良猫でしょう……」
平気で素手で触り続ける雪乃の無用心さに、カイキが注意を促す。
飢餓状態ではないものの、薄汚れた身体から、野良猫であることは一目瞭然だ。
むやみに撫で回すのは、衛生面でも健康面でもあまりいいことではない。
けれど雪乃は、
「あたしを誰だと思ってるの。たとえ病気を持ってても、あたしには無害なんだから触るくらい問題ないでしょ」
ふふん、と得意げにカイキの言葉を吹き飛ばす。
「…………そうでしたね」
雪乃の特性を思い出し、無用な心配だった、と小さく笑う。
「それに、たぶん一度は病院で見てもらったんじゃないかな、この子」
「そうなんですか?」
「うん。だってこの子、この公園で今話題の子猫だもん。里親募集中、とかなんとかテレビで言っていたような気がする……」
言いながら、雪乃は昼頃に見たテレビの内容を思い出す。
公園に住み着いている親子の猫。
一度保護し、健康チェックを受け、里親を募集している最中なのだ、と女子アナが呟いていたような記憶がうっすらとある。
「この子、別の場所に移動させませんか?こんなところでウロウロさせているのは、少々危ないですし」
人の通りも多く、時たま自転車なども通る場所だ。
一匹の子猫がうろつく場所にしては、危険度が高すぎる。
「そうだね。せっかく危ない中、あたしに会いに来てくれたんだもんね。向こうに行こっか?猫ちゃん」
雪乃が子猫に向かってそう囁くと、にゃあ、と短い返事が寄越される。
「…………?」
困惑するカイキの気配を背中に感じながらも、雪乃はさっさとベンチから離れて行く。
ジョギングコースとなっている道から1本奥の、あまり人通りのない小さな道へと入る。
すぐ傍には腰の高さほどに剪定された垣根が広がり、その奥には青々と葉を茂らせた木々が植えられている。
ここならば、いいだろう。
雪乃は、大人しく掌に乗っている子猫を、見つめる。
「すぐに取ってあがるから、ちょっと我慢しててね」
「な~ん」
「いい子だ」
言葉が伝わっているはずがないのに、まるで理解しているかのようなタイミングで鳴く子猫に、雪乃は笑いかけると、フッ、と息を吹きかけた。
すると。
子猫の身体から、ポロリ、と零れ落ちる『カケラ』がひとつ。
2センチほどの小さな『カケラ』は、邪気に染まることなくキラキラと輝いていた。
はじめて、穢れていない『カケラ』を見た。
やはり生を受けたばかりの命では、邪気を宿してしまう危険性が低くなるのだろう。
「それって……『カケラ』ですか……?」
一部始終を、一歩、離れた場所から見つめていたカイキが、言った。
「そう。テレビに映った時、何か変な感じがしてたんだよね~。あたしの勘が当たっててよかったよ」
イヒヒ、と雪乃は笑う。
「まさか、だから今日この公園に来たのですか?」
「ふっふっふ。もちろん、メインはカイキとのデートだよ?『カケラ』は、まぁ運がよければ手に入るかも?程度にしか思ってなかったし」
「………………嘘くさいですよ」
カイキが、疑心のこもった半目を作る。
「そんな顔しないでよ。アーシェたちが探し出すかもしれない、と思ってたんだけど、この子が来ちゃったんだもん。だからあたし――――!」
拗ねたような表情で憮然と佇むカイキに向けて、言い訳めいた言葉をかけていた雪乃だが、ふと生まれた気配に、ハッとした。
振り向いて、垣根の向こう、木々を睨み付ける。
「ユキ?」
不思議そうな、カイキと問い。
「出て来なさい」
固く、絞った声で、雪乃は垣根の向こうに潜む気配に向けて、命ずる。
「……………………」
雪乃の言葉に、ゆっくりと姿を現す、白。
この暑さだというにも関わらず、全身を白のコートで包み込み、仮面を付けたその人物は――――。
「あんたね。遠矢くんの見つけた『カケラ』を横から掠め取った奴って」
なるほど、遠矢の言っていた通りの男だ。
「……………………」
雪乃の質問に、しかし仮面男は何も発することなく、雪乃の方へと視線を注ぐ。
目的は、言うまでもなく雪乃が今持っている『カケラ』だろう。
「我々に、何か用でもあるのか?」
雪乃の対応から、瞬時に味方ではない、と判断したカイキが間に割り込んで無粋な視線を遮断させ、警戒心むき出しの口調で言った。
「……………………」
しかし、仮面男は微動打にせず無言で佇むのみ。
「彼の目的は、あたしから『カケラ』を奪うことだよ」
代わりに、雪乃が答えた。
「でも、あんたには渡さないわ。どうしても欲しいのならば、実力行使ってことになるけど……どうする?」
感情の一切を外へもらさない仮面男に、雪乃はにやり、と笑う。
一度手にした『カケラ』を渡す気など、毛頭ない。
遠矢の時のように、簡単に奪われてしまうようなヘマも、しない。
そちらが来るのであれば、相手になる。
雪乃の挑戦的なセリフに、カイキも警戒心を強める。
最初に動いたのは、仮面男だった。
一歩、後ろへと下がり、くるりと身を翻す。
そのまま、スタスタ去って行く。
白い背中が、木々の間に埋もれゆく。
「あっさり帰っちゃった……」
完全に気配が消えてから、雪乃がぽつりと零す。
一戦交える覚悟すら決めていた雪乃は、相手のあまりにも潔のいい退却に、拍子抜けしてしまった。
「追わなくて、よかったのですか?」
それはカイキも同じらしく、どこか間の抜けたような声で聞く。
「あ~。うん、まぁ……いいんじゃないの?」
よくわからないが、ともあれ戦わずに済んだのだから、良しとするべきだろう。
「あの男、一体何者でしょうか……」
カイキは仮面男が去って行った方向を眺めながら、質問を続ける。
全身を隠すように羽織った白のコートと顔までも仮面で隠すという風体の異様さもさることながら、その身に纏う妖しさに、カイキは気付いていた。
彼は、人ではない、と――――――――。
「今、ここで議論しても答えなんて出ないと思うけど?」
雪乃は手をヒラヒラ振って、どうでもよさそうに言った。
「いつもより、興味薄ですね……?」
カイキは雪乃へと視線を移し、意外そうな顔を作る。
一瞬とはいえ、喧嘩を売られかねない状況にあったのだ。
相手の素性が気になるのが普通ではないのか、とカイキは雪乃の淡白さに困惑しながら具申する。
「そう?考えても答えの出ない無駄な問答に、エネルギーを使いたくないだけよ」
やはりどうでもよさそうに、雪乃は返す。
「なるほど」
妙に納得した様子で、カイキが頷く。
「……………………」
それで納得されるのも釈然としない思いが生まれる雪乃だが、本来、ナマケモノ体質である自分の、らしい言動として考えてみると、何ら不自然ではない発言だと言える。
「さて、と。これでやっとソフトクリームを買いに行けるわ」
気を取り直し、奪われずに済んだ『カケラ』をポケットに入れながら、雪乃は垣根に背を向ける。
「えぇ。まだ食べる気ですかっ」
おさまらない雪乃の食欲に、カイキが本日二度目のセリフを驚きを交えつつ言い放つと、子猫がにゃあ、と鳴いた。
雪乃が公園に来たのには、理由があったのです!雪乃サイドは、これで終了です。
この後、雑木林で遠矢と遭遇し『カケラ』を奪われます。




