囁く、もうひとりたち11
囁く、もうひとりたち11
「よし。今日も美味しい」
完璧だ。
雪乃は味噌汁の味見を終え、火を止める。
昼食のメニューは、和食。
豆腐と野菜の入った味噌汁と、ベーコンを敷いて焼いた目玉焼き。
あとは、金目鯛の煮付け。
それに、五穀米を加えたご飯。
なかなか朝食めいたメニューだが、素敵な昼食ではないか。
雪乃はみごとに仕上がったメニューに満足し、エプロンを外す。
ふと時刻を確認すると、11時を過ぎていた。
昼食の時間も迫ってきているのだけれど、疲れが溜まっているのか、約一名、なかなか起きてこない人物がいる。
就寝時間を計算すると、もう10時間は眠っている。
彼の心労を気遣い、もう少し寝かせていてもいいだろう、なんて甘い考えが生まれてしまった結果、こんな時間まで寝かせたままになっていたが、さすがにそろそろ起こすべきだろう。
雪乃は湯呑を3つ取り出し、お茶を注ぐ。
お盆に乗せ、リビングへ。
リビングには、イッサーとカイキがいた。
電源のオンになっているテレビからは、うるさくない程度に絞られた音が、本日のニュースを伝えている。
丁度、公園に野良猫だと思しき親子が住み着いている、というニュースだった。
草でじゃれている生まれて間もない子猫と、それを大事そうに見守る親猫の映像が画面いっぱいに映され、近くの住人たちだろうか……多くの人がその猫たちを、微笑ましそうに見守っている。
ほどなくして映像はスタジオに戻り、余韻の残る若い女子アナたちが可愛い可愛いと黄色い声で連呼しはじめる。
すっかり子猫の話題で盛り上がる空間へと変化してしまっているスタジオを、それまで黙っていたままだったベテランの女性アナウンサーがビシッと言葉を発し緩んでいた空気を締めて、何もなかったかのように、次なる話題へと移行する。
次なるニュースは、季節の花が咲き誇り、見頃になっている、というものだった。
再び映像はスタジオから離れ、美しく咲く花々へと変わる。
なんとも、ほんわかした内容だろうか。
昨日、セツナとともに男たちを完膚なきまでに成敗した雪乃にとって、直後にこういうユルい話題を聞くと、あまりのギャップに何だか頬が緩んでしまう。
「雪?」
くすり、と笑った雪乃に、イッサーが声をかけた。
「あ、ううん。何でもない。はい、お茶」
まさか、僅かに笑った自分の姿を見られていたとは思わなかった。
雪乃はちょっとだけ恥ずかしい気持ちを抱きながら、お茶を渡す。
無言で受け取るイッサーから離れ、雪乃はちらり、と視線を動かす。
イッサーの向かいには、熱心に新聞を読むカイキが座っていた。
テーブルの上には、小説やファッション雑誌が置いてある。
つい先日まで遊びモードでゲームを楽しんでいたのだが、雪乃が不在中ずっと本を読んでいたらしく、今日は起きてからというものずっとこの調子で本や新聞を読み耽っている。
「……あんまり、こっちの新聞なんて読まない方がいいんだけどね……」
カイキの前に湯呑を置きながら、雪乃はボソリ、と呟く。
勉強熱心なのはいいのだが、こちらの知識をやたら詰め込むのは、あまり感心出来る行動ではない。
本来ならば、カイキは知ることの出来ない領域の情報だからだ。
「……ルール違反であることは、理解しています。ですが、どうしてもこの世界の優れた技術や知識を身に付け、それを私の国で役立てたいのです」
新聞から視線を外し、カイキが雪乃を見据え言った。
けれど雪乃は、首を横に振る。
たとえ、自国の発展を夢見るという立派な志を持っていたとしても、情報を得ようとするカイキを放って置くわけにはいかない。
カイキの世界にはあちらのルールや秩序があり、こちらの世界にはこちらのルールと秩序がある。
存在しているものいないもの、存在してはいないもの……複雑に絡み合う理があり、それによって世界は様々な色を持ち構築されている。
安易に、その理を狂わせてはならない。
「わかってるんならいいけど……。あたしとの『約束』を破るようなことをしたら、問答無用で出禁にするからね」
「っ!」
雪乃の確認を取るその言葉に、カイキがハッと表情を固めた。
「そう、でしたね……。すみません。調子に乗りすぎました…………」
瞳を曇らせ、カイキは新聞を置く。
どうやら、雪乃と交わした『約束』が効果を発揮したようだ。
今ではすっかりこちらへ当然のように足を運ぶカイキだが、それは雪乃とある『約束』を交わしているからだった。
もしその『約束』をカイキが破るような事態が生じれば、雪乃は代償を払わせる、と事前に宣言している。
代償がどういうものなのか、カイキに伝えてはいないけれど、それが生易しいものではないことくらい、彼はちゃんと理解している。
「勉強するな、とは言わないわ。でも、ほどほどに、ね」
「それは、なかなか難しいミッションですね」
カイキは苦笑して、湯のみに手を伸ばす。
どの情報が知識として集めていいものになるのか、悪いものになるのか、線引きはかなり難しい。
雪乃自身、どれがダメでどれが良いものか、その境界線がどこで引かれているのか、いまいちわからない。
「そうね。でも、油断しちゃダメよ。あたしがずっと見てるんだからね。危ないと思ったら容赦なく叩くわよ?」
「え……。ユキが、ずっと見てるんですか?」
何故か、嬉しそうな表情を浮かべ、カイキが言った。
「そこに反応する?」
「あ、すいません。つい…………」
カイキはあはは、と笑うと、誤魔化すようにお茶を飲む。
「勉強は褒められないけど、街の中を見て回るのは構わないわよ」
「え?それって……」
「今日は特に予定もないし、昼からどっか行かない?」
お日柄もよく、遊びに行くにはもってこいの日だ。
雪乃がそう遊びに誘うと、カイキは驚いた表情を浮かべ、
「い、行きます。行きたいです!」
こくこくと首を忙しなく縦に動かす。
「じゃあ、決まりね。そろそろ昼食の時間にするから、遠矢くん起こしてくる」
雪乃はそう言って立ち上がり、リビングの横にある階段をやや駆け足で登って行く。
2階には、それぞれの部屋とゲストルームが設けられている。
カーブのかかった階段を登り、廊下の一番奥が、遠矢の部屋だった。
ノブに手をかけ回してみると、ガチャガチャ、という音が鳴り、開放を拒絶される。
鍵が、かかっていた。
雪乃は、ため息を吐く。
何故、このような面倒臭いことをいちいち、するのだろう。
(思秋期でもあるまいに……)
施錠したところで、その効果がないことくらい、承知しているはずなのに……。
雪乃は力を込めて、ノブを握る。
(解除)
心の中でそう呟くと、カチリ、と小さな音が鳴った。
雪乃は、ドアを開けた。
遠矢の自室は、男の子らしい空間になっていた。
床にはセットされたままのゲーム機やマンガが置かれ、テーブルの上には空になったペットボトルや菓子パンの袋が放置されたままとなっている。
この部屋に唯一ある本棚の中には、下段にマンガと本が乱雑に詰め込まれ、上段にはアニメキャラである男性のフィギュアたちが綺麗に並べられている。
増えてるな。
なんて思いながら、雪乃はベッドに大の字で眠っている遠矢を見る。
こちらの侵入にも気づかず、寝相で乱れた薄い布団をかけてスヤスヤ眠っている遠矢は、なんとも隙だらけでマヌケな姿を披露している。
「遠矢くん、起きて」
ベッドに浅く腰掛けて、声をかける。
「……ぐ~…………」
けれど、外部からの刺激が弱すぎたのか、遠矢は相変わらず口をだらしなく開け、寝息をたて続ける。
本当に、疲れているようだ。
普段の、生意気な瞳は瞼によって固く閉じられ、未成年の幼さがより一層、濃く浮き上がっている。
「珍しく、気を張ってたのかもね……」
雪乃は遠矢の黒髪を撫でながら、ぽつりと呟いた。
アーシェミリアと二人っきりで『カケラ』を探し回ることは、雪乃が考えているよりも心身に深い疲労を与えているのだろう。
その時。
ブブブブ……ブブブブ……ブブブブ。
聞きなれた鈍い音が、雪乃の鼓膜に届いた。
振り返りテーブルの上を見てみると、携帯電話が鳴っていた。
雪乃はベッドから離れると、何の躊躇もなく着信者の名を確認する。
画面には意外にも
『アーシェミリア』
と記されていた。
(へ~。番号、教えたんだ)
ちょっと、驚いた。
『カケラ』を共に集めるにともない番号を知っているかいないかでは、かなり効率が違ってくるのだが、すでに教えていたことに驚きを隠せない。
さすがの遠矢も、そういう判断はちゃんと出来るようだ。
渋々と番号を教えている遠矢の姿が、簡単に脳裏に浮かび上がるけれど……。
ブブブブ……ブブブブ。
雪乃が苦笑している間にも、携帯電話は鳴り続けている。
急用でも、あるのかもしれない。
雪乃は、通話ボタンを押す。
「もしもし。アーシェ?どうしたの?」
窓際へと移動しながら、雪乃は言った。
『えっ……。ゆ、雪乃、さん……ですか?』
当然のことながら、予想外の人物の声を受けたアーシェミリアが、驚いた反応を示す。
「うん、あたし。遠矢くんはまだ寝てるから、用があるんなら代わりにあたしが聞いとくよ?」
伝言役をかって出ながら、雪乃はサァァァ、とカーテンを開ける。
遮断されていた日の光が、室内を照らし出す。
ついでに鍵を外し窓を開け、換気もはじめる。
『いえ、あの、本日は何時頃そちらに行けばいいのかお窺いしたくて電話しましたのでできればカズ……ご本人とお話しがしたいのですが?』
「今日の予定?まだ決めてなかったの?」
代わってくれ、と申し出るアーシェミリアに、しかし雪乃は平然とスルーして話しを続ける。
『あ、はい。何となく午後から、とは伝えていたのですが……』
なるほど。
曖昧な約束しかしていないため、遠矢はこんな時間まで寝ているというわけか……。
「そうねぇ……だったら……」
雪乃は、考えるような口ぶりを見せる。
今から起きて朝食がわりの昼食を済ませ、支度を整えるとなると、一時間はかかるだろう。
「じゃあ、1時半に来てくれる?」
アーシェミリアの要求に応え、遠矢に代わる気などさらさらない雪乃は、本日の予定を勝手に決める。
この時間ならば、無理なく準備は出来るし『カケラ』集めをはじめるのも決して遅くはないだろう。
『い、1時半、ですか……?』
けれど、遠矢の確認もなく決めた雪乃に、アーシェミリアの困惑した声が聞こえた。
彼女としては、やはり本人と会話をして決めたいようで、雪乃の申し出を了承するか、迷っている様子である。
「うん。それまでにちゃんと遠矢くん用意させておくから。1時半でお願いね」
ここでグダグダと会話を伸ばして決断が遅れるなど、時間の無駄遣いだ。
『わかりました。では、1時半にそちらにお伺いいたします……』
あまり乗り気ではないような口調だったが、遠矢に電話を渡す可能性がゼロなのだと察し、アーシェミリアはようやく頷いた。
「ん。よろしくね~」
ばいばい、と別れを告げて雪乃は電話を切った。




