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無限ワールド  作者: 水原まき
番外編 ②
108/115

グラジオラスの咲く頃に02

グラジオラスが咲く頃に02







 たすけて――――!

 切羽詰まったような何かの叫びに、

「!」

 雪乃の眉が、ぴくり、と動く。

 それは鼓膜を揺るがす『音』ではなく、直接内部へと流れてくる『想い』だった。


 刹那。


 馬の、悲鳴が上がった。

 と同時に、突如としてそれまでの緩やかな走行を崩した馬車が、ガタガタガタ、と大きく揺れた。

 雪乃は即座に反応し、揺れへと耐える体勢に入る。

 だが。

「うわっ!」

「っつ!」

 仕事に集中していたカイキとリュウセイは完全に不意を突かれた形となり、いきなり生まれた衝撃に驚きの声を上げる。

 スピードがあまり出ていない馬車だとはいえ、バランスを崩すには十分な振動だ。

 二人は、倒れこそはしなかったものの、身体を大きく揺らし、持っていた書類が足元に散らばる。

 思わず身を固くさせ、目を見開く二人は。

 そして、馬車が止まったことに気付く。

「ユキ、大丈夫ですか?」

 椅子に両手を付いて身体を支えていた雪乃に、カイキが話かけてきた。

 状況把握ではなく、まず雪乃の身を心配して話しかけてくるあたりが(心配する必要など皆無なのだが)実に彼らしい。

「大丈夫。びっくりしたけど……」

 こくり、と小さく頷いて雪乃は姿勢を戻す。

 彼らとは違い、助けを求める何かの『声』を察知した瞬間に、雪乃の意識はすでに研がれていた。

「何事ですか!」

 揺れが収まったのを確認し、リュウセイが外に向かって声を飛ばす。

『す、すみません……。その、いきなり人が飛び出して来たもんで……』

 驚いたような、困惑したような、そんな声色で御者が答えた。

「人が飛び出して……?」

 眉をひそめるリュウセイは、ちらり、とカイキを見つめる。

「私は外の様子を見てきます。カイキ様はここでお待ちに――――」

 そんなリュウセイの言葉を聞きながら、雪乃はノブに手をかけドアを開けた。

 ガチャ。

「ちょっと!」

 あっさり外へと繋がるドアを開け身を乗り出す雪乃に、リュウセイの批難めいた声が飛ぶ。

 けれど、もちろんそんなものは無視だ。

「あたしが見てくるから、二人はここにいて」

 言うが早い。

 雪乃は、さらりと馬車から降りた。

 バタン、とドアを閉める。

 舗装のされていない砂利道に、やや斜めに止まる馬車。

 突然のことに驚き、未だ少しだけ興奮が冷め切っていない様子の馬たちを、御者の男が落ち着かせようとしている姿を視界の端でとらえる。

 そして。

 御者の言う通り、馬車の通行を妨げるようにして、二つの影があった。

 一つは驚きの表情を浮かべたまま尻餅を付き、もう一つは緊張した面持ちで立ち竦んでいた。

 若い、男女だった。

 歳の頃は二十代前半だろうか。

 薄い茶髪を胸の辺りまで伸ばした、まだまだ幼さの残るものの綺麗な顔立ちの女性。

 すらりとした身体はあまり筋肉が付いておらず、今にも折れてしまいそうなほど華奢だ。

 着ている服装も動き易さを重視しているような、男っぽいシンプルな物でオシャレからはかけ離れているが、綺麗な人が袖を通しているせいか、ボーイッシュ感に溢れていた。

 一方。

 男の方は、彫りの深い顔立ちをした美丈夫だった。

 短く切り揃えられた、金の髪。

 やや吊り目がちな双眸と、スっと通った鼻筋。

 モデルのように長い四肢。

 ほどよく鍛えられ、引き締まった体躯。

 身にまとう衣装はやはりシンプルなものだったが、女性のそれとは異なり上等な生地で作られていた。



 女性は人。

 男性は魔族だった――――



 あまり歓迎出来ない組み合わせなのか、御者の男があからさまに眉をひそめているのが、見て取れた。

「大丈夫?怪我はない?」 

 雪乃は尻餅を付いている女性へと駆け寄り、手を差し伸べる。

「あ。は、はい。大丈夫です。怪我とかは何も……」

 鈴のように可愛らしい声で答えると、彼女はそっと雪乃の手を取り、ゆっくりと立ち上がる。

 その動きを受けて、隣に棒のように立っていた男が、ハッと我に返るような仕草を見せた。

「エミリア。どこか痛む所はないかっ」

 慌てて、彼女に問いかける。

「もう。大丈夫だってば」

 ハラハラと焦った様子の男に、彼女は苦笑を浮かばせながら言った。

「おい、あんたら。いきなり馬車の前に飛び出して危ないだろ。もう少しで轢く所だったんだぞっ」

 御者の男が、苛立たしげに叫んだ。

 怒りを孕んだ荒い声に、びくりと女性の肩が震える。

「それに、大事なお客様が怪我をしたらどうするんだっ」

 責任取れるのかよ! と御者がさらに怒鳴る。

 彼は、カイキの素性を知らない。

 だが一目で上客だと見抜いたようで『身分の高そうな客』を乗せての仕事を邪魔されたことが、よほど気に食わないようだった。

「す、すみません。急いでいたもので……」

 完全に御者の気迫にのまれてしまった、エミリアと呼ばれた女性が頭を下げる。

 が。

 それにムッとしたのは、やはりと言うべきか――――男の方だった。

 彼女の前に立ち、御者との間に入る。

「おい。そんな言い方しなくてもいいだろっ。確かに飛び出してきたのは悪いが、あんたがちゃんと前を見ていれば問題なかったくらい距離があっただろ!」

「何だとっ!俺が悪いっていうのかっ!」

 カッ、と御者の表情に怒りの色が浮かぶ。

「そう言ってんだよっ」

 負けじと、男が叫ぶ。

「ちょ、ちょっと。喧嘩はだめだよ。やめてっ」

 険悪な雰囲気を纏いはじめた二人に、エミリアが男の服を掴み、止めに入る。

「だけどっ」

 振り返る男の声は、不満に満ちていた。

「何だ、お前。人間の女相手にヘラヘラしやがって、気持ちワリぃ。それでも誇り高き魔族の男かっ!」

「ああっ!今、なんつった!」

 再び、男が御者を睨み付ける。

 先程よりも激しい怒りの炎が沸き上がり、今にも殴りかかりそうな勢いがあった。

「ダメだってば!」

 エミリアが、悲鳴にも似た声を上げる。

「私たち、急いでるんだから。こんな所で争ってる場合じゃないでしょ?早く王都へ行こう」

「………………」

 掴んだ服を握り締め、懇願するように言葉を紡ぐ彼女に、彼は押し黙る。

「ちっ。わかったよ……」

 感情を押し殺し、男は呟いた。

 エミリアが、ホッと安堵の表情を浮かべる。

 御者の男は、そんな姿がさらに気に食わないようでチッと舌打ちするものの、さすがにこれ以上、喧嘩を続ける意思はないようで、不機嫌ながら視線を背ける。

 そこを見計らい、

「急いでるなら、この馬車使う?」

 それまで乗っていた馬車を指差し、雪乃はのほほん、と言った。


『は?』

 三人の声は、見事に重なった。



「王都に行きたいんでしょ?あたしたちも王都に帰る途中だから、乗り合いでよければ一緒に乗せてあげるけど?」

 ぽかん、としている三人に、雪乃はさらに付け加えた。

 馬車の借り主であるカイキに何の許可もなく、いつものように勝手に決めてしまう雪乃だが、拒まれることはないだろう、という確信があった。

 まぁ、隣にいる男はもの凄く嫌な顔をすると思うが……。

「あたしの他に魔族の男が二人乗ってるけど、まぁ心配しないで。フェミニストな上司と、そんな上司が大好きな忠犬がいるだけだから。無害だよ」

 にっこり、と笑顔を浮かべ雪乃は言った。

「………………」

「………………」

 そんな雪乃の態度に、二人は戸惑いを浮かべた顔を見合わせる。

 どうしよう。

 雪乃の申し出をどう対処していいのか分からない、そんな様子であった。


 それもそうだろう。

 いきなり乗り合いをススメられ、それじゃあよろしくお願いします、と何の警戒もなく簡単に返事出来るものではない。

 現に、男の方からは微かに警戒の色が滲んでいる。

 魔族と人間という、なかなか珍しい組み合わせをしている自分たちに、気さくに声をかけてくる雪乃が信じられないのだろう。

 

「あ~。でもまぁ、無理に、とは言わないから。あたしはだた、彼女の方が、何かもの凄く疲れてそうだな~って思って言っただけだからさ。嫌なら、断っても構わないよ」

 雪乃は、肩をすくめてみせる。

 よかれと思っての行動も、受ける本人たちが余計なお節介と感じるのならば、それは必要のないものだ。

「あっ……」

 エミリアが、小さく声を発した。

 どうやら『疲れている』という言葉に反応したようだ。

「エミリア……」

 男の気遣わしげな視線が、向けられる。

「私、早く王都へ行きたい……。一緒に、乗せてもらいましょう?お金ならあるのだし……」

「で、でも」

 エミリアの言葉に、けれど男は渋る。

「それに、この子人間だもん。大丈夫よ」

 ちらり、とエミリアは雪乃を見る。

 雪乃が魔族ではなく人間であるという事実が、彼女へ多少の安心感を与えているようだった。

「っ…………。わかった」

 はぁ、と深いため息を吐いたのち、男が言葉を絞り出した。

「あの。では、お言葉に甘えさせて頂いてよろしいでしょうか?」

 エミリアが、雪乃に話しかけた。

「もちろん」

 雪乃は頷く。

「ありがとうございます。本当に、助かります」

 言うとエミリアは笑を浮かべ、深々と頭を下げた。

 どうやら、雪乃が思っている以上に彼女は疲れていたようだ。

「…………助かる」

 感謝を述べる彼女に、男も囁くような声だったが、礼を言った。

「御者さんも、別にいいよね?」

 黙って見守っていた御者へと、雪乃は声をかけた。

 彼らが馬車の前へ飛び出してきた直後は声を荒らげていた御者だったが、雪乃とのやり取りを見て、すっかり落ち着きを取り戻したようだった。

「……ちっ。金を払うんなら、問題ねぇよ」

 嫌そうな表情を浮かべ舌打ちしながらもそう言って、早くしろ、と言わんばかりに手を振った。

 気分は良くないが、商売のためなら仕方がない、ということだろう。

「じゃあ、連れに乗り合いのこと伝えてくるから、ちょっと待ってて」

 雪乃はひらひらと手を振ると、エミリアたちに背を向けた。

 本当に、事後報告もいいところだ。

 怒るかな~と思いながら馬車のドアを開けると、ニコニコ顔のカイキが深々と帽子を被りメガネをかけた状態で待ち構えていた。

 ちらり、とリュウセイの方へと視線を向けると、冷ややかな片目とぶつかった。

「わお。対照的」

 あまりの違いに、雪乃はわざとらしくおどけてみせた。

「当たり前です。君は、何を勝手にこちらの許可も取らずに決めているのですか?」

 その身勝手な神経が信じられない、とリュウセイは吐き捨てる。

「だいたい、お忍びとは言えこれは王が利用している馬車ですよ?一般人を乗せるなんて、非常識もいいところでしょう。何を考えているんですかっ」

 口調こそ丁寧だが、声音からは苛立ちが込められていた。

 どうやら外での会話は、丸聞こえだったようだ。

「あ。ちゃんと聞いてたんだ。ラッキー」

 しかし雪乃は、リュウセイの苛立ちなどお構いなしに、いちいち説明せずに済んだ、と内心で嬉々として呟き、ここでカイキの帽子着用の意図を、理解する。

 つまりは、王だとバレないための変装だ。

 よく見れば書類なんかも綺麗に片付けられており、二人が加わるには十分なスペースがすでに確保されていた。

 さすがだ。仕事が早い。

「ちゃんと聞こえていましたとも。『上司が大好きな忠犬』あたりも、それはもうばっちりと」

 青い瞳が細められ、全身からピシピシと見えない批難を放ってくる。

「的確だったでしょ?」

 にっこり、と笑みを浮かべ伝えると、

「ぶっ飛ばしますよ?」

 これまたにっこり笑みを返された。

 予想していた通り、リュウセイはかなり怒っている。

 けれどカイキが自身が拒絶していないので全力で追い払うことも出来ず、だけどやはりすんなりと受け入れることも出来ず、雪乃に対してイライラが募っている。

 そんな感じだった。  

「お~怖い怖い。ぶっ飛ばされる前に、二人とも乗せちゃお~っと」

 なんて軽口を叩き、雪乃は再びエミリアたちの方を見る。

「もう大丈夫だよ~。おいで~」

 雪乃は、手招きした。

「あ、はい」

 エミリアは小さく頷いて、男と二人、馬車へと近寄ってくる。

「図体のデカイ男が二人もいるせいで、ちょっと狭く感じるかもだけど、我慢してね」

 雪乃が囁くように言うと、

「いえ、そんなことは。見ず知らずの私たちをこうやって乗せて頂けるなんて……。何とお礼を言っていいのか」

 エミリアは首を横に振り感謝の言葉を述べる。

「困ってる女の子を助けるのは、当然でしょ。さぁ、乗って」

 足元に気を付けてね、と馬車へと乗り込むために必要な段差へと注意を促しながら、雪乃はドアを全開にする。

 ぺこり、と頭を下げてエミリアたちが馬車へと乗り込み、中にいたカイキたちを目にした瞬間、驚いたような表情を浮かべる。

 美しい魔族の男が、二人。

 その圧倒される光景に、不安を覚えたのかもしれない。

 表情を固くしながら、お邪魔します、と小さく呟き空いている席へ腰を落とす二人に、最後に乗り込んだ雪乃が、

「カイくん。もうちょっと向こう側に寄って。狭くて、あたし座れない」

 ぐいぐい、とカイキの腕を突きながら、座る位置をもう少し詰めるように言う。

「え?あぁ、すみません……」

 素直に、カイキが身体を横へとズラす。

「さ~んきゅ」

 軽く言って、雪乃はカイキの隣に座る。

 そして、馬車が再び動き出し、ガタガタ、と微かな振動が生まれた。


 






 続く










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