カンパニュラを込めて。…………は色々大変そうである。
カンパニュラを込めて。…………は色々大変そうである。
今年は、ちょっと凝った物を作ってみよう。
ふとそう思った雪乃のバレンタインチョコ作りは、当然のことながら材料と道具の購入からはじまった。
二月に入ったこともあり、ショッピングモール内は至るところにピンクのハートで満ち溢れ、有名パティシエが作ったチョコレートから大手のお菓子会社が出すチョコレートまで、目を奪われてしまうほどの種類が並べられていた。
もちろん、手作りをする者たちに対しての応援も手厚い。
様々なパーセンテージのチョコレートや飾りに使う材料や型が並べられ、おかげで望む物はすぐに手に入った。
ラッピングも、可愛い袋や箱を用意した。
そして、本格的な道具と材料を目の当たりにすると、俄然、やる気は出るというもので……。
チョコ製作は、三日目に突入していた。
予定では三日目ですべてを作り終える予定だったのだが、五種類の味を持ったトリュフチョコが思ったよりも難航してしまい、その他のチョコレート作りが三日目になってしまった。
この調子でいけば、今日中にすべてを作り終えることは、まず不可能だ。
いくら雪乃が料理やお菓子作りに慣れているとはいえ、滅多に触らないチョコレートととなる、やはりどうしても調子が狂い、いつものようにテンポよく、とはいかなくなってしまう。
バレンタインの二月十四日まで、あと一週間。
遅くても、明々後日くらいにはラッピングまで終わらせていた方がいいだろう思う反面で、しかし、チョコを渡す相手のそのほとんどが、こことは別の世界の住人で、中にはバレンタインというイベント自体を知らない者たちもいるという事実もある。
あまり急がなくてもいいのかなぁ、とも思わなくもない。
「今日は、何を作るんだ?」
カウンター席に座り、ココアを片手にこちらを眺めていた遠矢が、口を開いた。
「タブレットチョコを作ろうと思ってね」
答えながら、雪乃はタブレットチョコの型を持ち上げる。
テーブルの上には雪乃が手にしている型と同じ物が五個並べられ、その隣には今からそれに流し込まれるであろう板チョコがまるで書物のように積み上げられている。
「タブレットって……チョコの上に色々乗せるやつ?」
「そう。オレンジピールやナッツをどっさり乗せたやつ」
頷きながらそう言うと、
「へぇ。……ウマそうだな」
遠矢の目が微かにきらり、と輝いた。
ターゲット、ロック。と言ったところか。
無類の甘い物好きな遠矢にとって雪乃のお菓子作りはたまらない話しに違いなく、こうやって意味もなくカウンター席に座っているのも、昨日と同様につまみ食いをするためだろう。
「言っておくけど、昨日みたくバカみたいにつまみ食いしたら、今日は承知しないからね」
動かれる前に、釘を差す。
「え~。少しくらい、いいだろ」
先手を打たれ、ケチ、と遠矢が唇を尖らせる。
「ダメっ。あんたのためだけに作ってるわけじゃないんだからね」
聞き分けのない子どものように拗ねる遠矢へ、雪乃は言葉を強める。
昨日のように、味見と言って十回近くも手を伸ばされたら、作っている方はたまったものではない。
「ちっ。仕方がない。五回で我慢してやる」
小さく舌打ちし、何故か偉そうに言ってきた。
「一回でやめなさいよ」
半目で、雪乃は睨む。
「……うぐ。じゃあ、妥協の三回で」
今度は無意味な虚勢を取り払い、指を三本立て遠矢は懇願するように言った。
「……………………」
「……………………」
(妥協って何だ……)
三回の、どこが妥協なのだ。
はぁ、と雪乃のため息を一つ。
この甘党バカ、どうしてくれよう……。
「……甘い物ばかり食べて糖尿病になっても、あたしは知らないからね」
呆れながら、忠告する。
だが、
「ならないだろ。この身体は」
ぽん、と遠矢は自分の胸を軽く叩き、ケロリとした様子で言い放った。
雪乃の『血』によって、天使でも人間でもない存在へと進化を果たした彼の身体は、もはや普通とは違う。
「あんたに暴飲暴食の気がある理由が、やっとわかったわ……」
雪乃は、呆れた表情で呟く。
病気にもならず健康体でい続けられるということは、健康維持のための努力をしなくても問題ない、ということで、それは時としてひどく怠慢を呼び込むようだ。
逆にイッサーは、食にほとんど興味がない。
四、五日食べないことなどザラにある。
「それより、今年は何人に『義理チョコ』を渡すつもりなんだ?」
妙に『義理チョコ』を強調した遠矢が、話題を変えてきた。
その質問に、雪乃はしばし頭の中でざっと数を計算し、
「……百人くらい?」
首を傾げながら答えた。
「ひ、百っ!多すぎだろ!」
遠矢が、驚いて叫び声を上げる。
そうかな?と雪乃は内心で思う。
なんせ、色んな世界にいる人たちに贈るのだ。
ざっと考えて百人なので、この先増える可能性があるのだが、それを口にすると遠矢の機嫌が悪くなるような気がするので、言わないでおこう。
「日頃、色々とお世話になっているからねぇ」
「なるほど。迷惑料ってことか……」
納得したように、遠矢が言った。
「感謝よ、感謝っ」
迷惑料とは、失礼な男である。
「でもさ、百人分も一人で作るとか、結構大変じゃないのか?」
ココアを飲みながら、遠矢が聞いてきた。
確かに、百人分の義理チョコを作るのは簡単なことではない。
「一人じゃないから大丈夫よ」
キッチンから大きめのボウルを取り出しながら、答えた。
は?と遠矢が怪訝そうな表情を浮かべた瞬間、
「ママー。できたよ~」
軽やかで弾んだ声が飛んできた。
声がした方へと視線を送れば、桜色のエプロンを着こなした水守がパタパタとキッチンへと走って来る。
「え。お前手伝うの?」
「うん!そうだよっ」
にこにこ、と満面の笑みで水守は大きく頷く。
すると、後ろで一つにまとめているエメラルドグリーンの髪が大きく揺れ動く。
「親子二人で、仲良くチョコレート作りするんだよ。ね~♪」
雪乃が明るい口調で水守に同意を求めると、
「ね~♪」
こてり、と首を傾げ、可愛らしい笑顔を浮かべ水守も返す。
よほどチョコレート作りが楽しみなのか、やる気満々だ。
そんな水守の様子に、
「やっぱお前も、女の子なんだなぁ……。間違って、変な物を入れたりするなよ~」
ニヤリ、と揶揄するように遠矢は口角を持ち上げた。
「むっ。みもり、そんなバカ矢みたいなバカ、しないもん!」
水守はお餅のように柔らかな頬を膨らませると蒼穹の瞳を尖らせて、キッ、と遠矢を睨む。
「だ、誰がバカ矢だっ」
ガタン、と遠矢は椅子から立ち上がる。
「だって、ママがいつもそう呼んでるもん!」
そう水守が答えた瞬間に、遠矢の黒い眼がギロリと動き、雪乃をとらえる。
「おい、コラゆきっ。オメーが変な呼び方すっから、すっかり覚えてやがるだろっ!ガキになんつーこと覚えさせてんだっ」
「何をそんなに怒ってんのよ……」
怒り心頭な遠矢の様子に、雪乃は水守の方へと近くとスっと腰を落として目線を同じ高さに揃える。
そして、
「水守ちゃん。バカ矢って呼んでいいのはあたしだけだから、もう言っちゃダメだよ?」
優しく、伝えた。
「そうなの?」
きょとん、とした曇のない瞳が雪乃を映し込む。
「そうなの♪」
にっこり笑う雪乃に、
「違うわぁぁぁ!お前が勝手にバカにして呼んでんだろっ。お前もヤメろよ!」
遠矢の絶叫が降り注いだ。
びくり、と水守の肩が震える。
「ちょっと~。いきなりにバカみたいな音量で、バカみたいに叫ばないでくれる?」
片耳を押さえ、うるさそうに雪乃が立ち上がる。
突然の咆吼に、雪乃は対して驚かなかったものの、水守にとっては神経を震えさせるには十分な音量なのだ。
「お前がワザとらしくバカバカ連呼するからだろっ」
ギロリ、と遠矢の双眸に険しさが宿り、怒りの筋がうっすらと額に浮き上がる。
「はぁ?何のこと。あたしは、思ったことを素直に口に出しただけですけどぉ?」
尖れた眼差しに臆することなくそれを正面から受け止めて、雪乃はふふん、と軽く鼻で笑い飛ばす。
「テメ。バカって言うほうが、バカなんだからな!」
ずいっと雪乃へと詰め寄って、さらに声を荒げる。
「あんたは小学生か」
『バカ』発言に異常なほど反応を示す遠矢に、雪乃は呆れる。
と。
「……作らないのか?」
伸びやかで静かな声が、ガチャガチャした空間の中に染み渡った。
遠矢から視線を外し振り向けば、イッサーが壁に背を預け立っていた。
真冬の凍った小川を連想させる銀糸の髪が煌き、全身から冷涼とした空気を放つイッサーの容姿は、それまで苛立っていた遠矢の気持ちから熱を奪い去り、雪乃をハッとさせるには十分な効果を持っていた。
「いけね」
雪乃は、しまった、とばかりに呟いて肩をすくめる。
今は、遠矢とじゃれ合っている暇はないのだった。
「さ~。水守ちゃん、チョコレート作りをはじめようか」
「あ、うん!」
気を取り直した雪乃がそう言うと、水守は大きく首を縦に振る。
「ったく。何だよっ……」
二人仲良くキッチンへと戻っていく姿を眺めながら、不完全燃焼を拭えないでいる遠矢は、やや不満そうに呟きながらも、かと言ってそれを解消する術があるはずもなく、渋々とカウンター席へと座り直す。
「ママ。なにをすれば、いいの?」
手を洗い、準備万端、と佇む水守が聞く。
「まずはチョコを溶かさないといけないから、チョコを適当にな大きさに割ってボウルに入れてくれる?」
大きめのボウルと板チョコを水守の前、カウンターへと並べ雪乃が指示を出す。
「わかった~」
元気に答えると、水守は積み重ねられている板チョコを取り、包み紙をビリビリと破っていく。
そして、その小さな手でパキンパキン、とチョコを割っていき、ボウルの中へと放り込む。
一枚目を割終え、二枚目を割る。
パキパキと割っていく水守の傍で、雪乃はオレンジピール、クルミ、アーモンド、カシューナッツを並べはじめる。
「お前って、意外にこーいうイベント好きだったりするよな……」
はりきって百人分の義理チョコを用意しようとしている雪乃に、遠矢は呆れたような、感心するような、そんな口調で言った。
「あら。そのおかげで、あんたはあたしの手作りチョコを食べられるんじゃないの?」
「まぁ、そうなんだけどさ……」
苦笑交じりにそう零すと、遠矢はボウルへと手を伸ばし、割れた板チョコをヒョイっとつまみ上げ、あっ!と目を剥く水守を視界に捉えながらも、口の中へと運ぶ。
パリパリ、と咀嚼音が響く。
「……それを味見するかなぁ」
まさか板チョコそのものを食べるとは思っていなかった雪乃は、呆れる。
てっきり、オレンジピールやナッツに溶けたチョコを絡めてつまみ食いをするのだろう、と思っていたのだ。
しかも、ちゃっかり大きめのカケラを選んでいた。
「……いいだろ、食べたかったんだから」
チョコが口の中に残った状態で、遠矢が返す。
「……あと、二回だからね」
再度、釘を差す。
「言われなくても、わかってるよ……」
ちょっとだけ嫌そうな顔をしながらぶっきらぼうに答えると、遠矢は残っていたココアを一気に飲み干し、やおら椅子から立ち上がる。
そしてそのまま戸棚の前まで移動すると扉を開けて、中からココアを取り出す。
どうやら、二杯目を作るらしい。
「あ!いいな。みもりも、ココア飲むっ」
はいはい! と小さな手を元気に挙げて、作って作って、と水守が遠矢に向けて連呼する。
「あ?飲みながらチョコ作る気か……?」
「みもり、トーヤと違ってきようだから、へいきだもん!」
「おれの名前すらまともに呼べないくせに、誰が器用だって?」
なんて言いながらも、遠矢は水守用のコップを取り出して、冷蔵庫から牛乳を用意する。
彼女は牛乳たっぷりが好きなのだ。
「遠矢くん、水守ちゃん。ココアを飲むのは結構だけど、それも使う予定だから、お願いだから全部、飲まないでね……」
マグカップへ容赦なく投入されていく粉の残量を危惧し、雪乃は呟いた。
何だか、今日も予定通りには進みそうもない気がしてきた。
百人分を作る!と意気込んだものの、もしかしたらとんでもない選択をしてしまったかもしれない、と雪乃はすっかり板チョコ割を止めてしまっている水守を眺めながら、ふと思ったのだった。
おわり
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
バレンタイン小説パート2でした。
バレンタインの話しって、嫌でも甘さが加わるはずなのに、ウチのはまったく甘さが加わらなかったな……(^_^;)
恋愛要素ゼロだから、仕方がないか。
カンパニュラの花言葉 『感謝』




