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閑話 転生者、ミレイユ・マルカス

 ミレイユ・マルカスは転生者である。


 ミレイユはこの村の村長の娘として生を受けた。生まれてからしばらくして、村長は自分の娘が言葉を話せないことに気づいたが、村長は彼女を溺愛した。何故なら、ミレイユの前にも彼は子供を三人も受けていたが、残らず3歳を越えずに死んでしまっていたからだ。


 彼は知恵遅れと思われる娘に根気よく話しかけ、言葉を覚えさせようとした。だが、娘は幾つかの単語を話せるようになっただけで、一向に流暢に言葉を話すことはなかった。


 それは、ケイと違って語学の才能を彼女が持たなかった為か、はたまた歳の幼いうちからケイと違い、現地語を効率的な学習法に辿り着けなかったのが原因なのか。それは彼ら二人以外に転生した人間がいないので、再現性もなく検証もできない話だろう。


 彼女は、異文化、異時代、異世界に誰ともまともに話す事ができず、一人取り残された事で心が弱っていた。そして、同じ年頃の子供達が物心付く頃にはミレイユは家の外に出ず、誰とも関わらないように行動するようになっていった。


 ケイと違い、ミレイユが引き篭もりなどという贅沢な行為が許されたのは、父である村長の溺愛と実家が権力者だからこそであった。だが、所詮は古代の田舎の権力者。いつまでも引き篭もり暮らしをさせておくわけにはいかない。勿論、対面的にも親としてもである。


 そこで村長は彼女が五歳を越えた頃、娘を無理やり外に出すことにした。彼女がいくら嫌がっても村長は日が暮れるまで彼女を家にはあげなかった。


 そんなミレイユに対し子供社会は容赦がない。例え村長の娘であっても子供達は言葉が通じない娘をこれ幸いにと虐めにきた。ミレイユはそんな苛めっ子達に対して、開き直って日本語で怒鳴り返したが、それが通じない子供等にとっては彼女を囃し立てる口実が増えるだけであった。


 それに対し彼女は切れた。


 元々彼女は気の長い性質ではない。最初はあまりに幼い彼等の年齢に対して、元大人として配慮をしていたが、次第に調子に乗る彼等に対して堪忍袋の緒が切れた。



――絶対に泣かす



 その後に起こった惨劇はお察しくださいとしか言いようがない。

 嵐が去った後には一人仁王立ちをしている幼女が残っていた。まことに大人気ないしだいである。だがしかし、そこに佇む彼女の顔は非常に満足げであった。だが、そのような一時の喜びも時間が経てば雲散霧消する。激情の波が引いた後に残るのは行き場のない寂寥感だけが残った。


 言葉が通じない世界も、馬鹿な子供達にもうんざりだ。彼女は大きく溜め息をつくと何処か静かな場所に移動して時間を潰そうとした。その時である。彼が彼女に声を掛けたのは。


「おウおウ、お前、ツよいな」

「…………」

「ナあ、あンタがそんちょのむスめって奴か?」


 何やら、おかしな雰囲気をした子供が自分に話し掛けてきた。彼女は言葉が判らないなりに、単語自体は何とか部分的に聞き取れたりするのだが、この子供の発音は村のどの人間よりも異質であった。最初、他のどの人間よりも聞き取り難い発音だと思ったがしばらく聞き続け発音のピントが判ると途端に何故か他のどの人間より聞きやすい発音だと感じるようになった。まるでネイティブの中から現れた、和製英語の発音の人間の如く。


 彼は子供らしからぬ落ち着いた態度でミレイユに話し続ける。


「ああ、言葉、ツウじナい、だっけ?」


 彼はミレイユの顔を興味深げに覗き込みながら一方的に話しかける。そんな彼は、彼女のよく知る人物に、彼はよく似ているように感じた。特にこちらに向ける笑い方などが。だから余計にミレイユはその無駄に親しげな態度にカチンときた。なので、彼女は彼に数少ない彼女が使える単語で彼を追い返そうとした。


「いらない」

「?」

「いらない、いらない、いらない、いらない」


 まるで前世の故郷の人間がひたすら「NO」と連呼するかのような頑なな態度に、流石の目の前の少年も鼻白む。


「ええッツ……ナいかオレした?」

『私に構うなって言ってのよ! バーカバーカ!』


 彼女の言葉を受けて唖然とする少年を尻目に、ミレイユはそのまま脱兎の如く走りだす。走り出してからいったい何歩足を踏み出しただろうか。次第に冷静になった彼女の胸は罪悪感でチクリと痛んだ。


 流石に悪かったかなとミレイユがそろりと後ろを覗き込む。その時、彼女の目に映ったものは、鬼気迫る表情を浮かべ此方を追う男の子の姿だった。


『なんで! えっ、そこまで怒らせちゃったの!?』


 思わず彼女の口から驚愕の言葉が漏れ出す。それに対して少年はもごもごと口を動かし何か言葉を発せようとするが、意図した形を取らせる事ができない。


 それは唐突な出来事に驚愕したからでもあるが、最大の原因は彼が半場日本語を忘れてしまっていたからである。まったく日本語に関わらずに過ごし早や五年以上。彼に語学の才能があったのか、それとも積極的に言葉を覚えようとした結果か、彼は意識せずとも、この村の人間とコミュニケーションがとれるまでに成長する事ができた。


 だがその言語学習は、言わば日本語をこの世界の言葉と置き換えるという方法。別にケイはこの村で使われている言語の文法などを理解しているわけではない。日本人は日本語を話すのに日本語の文章を意識しないように、彼はこの世界の言語を丸々そのまま飲み込んで日本語から延々と置き換え続けた。


 そうすると、そのうち最初は、”なんとなく言っていることが分かる”というレベルだったものが、次第にそこから”なんとなく”が消え、最近では調子がいい時には、頭の中で異世界語から日本語に訳さずに、そのまま言葉を理解できるようになっていく。


 所謂、外国語で思考ができるようになるという事であり、思考が日本語から外国語に入れ替わるということでもある。ケイは最近では夢の中でも日本語ではなく異世界語で会話するようになってきていた。今では意識しないと日本語で思考できなくなりつつある。端的に言うと日本語を忘れかけているのだ、帰国した際に日本語を忘れてしまっていたジョン万次郎のように。


 彼は脂汗を流しながらミレイユを追いかける。彼の中で思考が縦横無尽に横切る。いくら言葉を浮かべても言葉にならない焦燥が、頭の中でぎりぎりと軋みまわる



――あれ、やべぇ日本語が出てこねえ。嘘、母国語って使わなきゃ忘れるのか……。 


――待て、待てよ。早く言葉に出せよ。そうしないとアイツが行っちまうだろ!


――はやく、はやく、はやく。何やってんだよ、ちょっと前まで普通に使ってたじゃないか。



 彼は手で胸を、心臓の辺りをギュっと握り締めた。そして渾身の力を込めて言葉を放った。



『……ぁて、マテ、待て!待てよ未悠!!』



 彼女の足が止まる。そして、彼等の周りの時も止まった。

 森の中で泣き叫ぶ騒々しい虫の音すら、今の彼等の耳には届かず、世界はただただ凍りつく。それは、まさに死んだと思ったものが急に蘇ったような驚き。彼等は驚きのあまり言葉が出ない。目と目が合わさるだけで、二人は何かを恐れるかのように一歩もその場から動こうとしなかった。


 しばらくの沈黙の後、彼女が恐る恐る口を開いた。



『……ひょっとしなくても、もしかして圭ちゃんなの?』



 その言葉を切欠に、止まった世界が動き出した。そして、もちろん、同時に物語もまた同様に動き出す。

 

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