雌伏期間
あれから4年程が経ちケイは7歳となっていた。
ケイも最近では言葉もだいぶ上手くなってきており、不足なくコミュニケーションをとる事ができるようになってきている。
……もっともそれでも、まだまだ早口だったり、文法を崩して喋られたりされると、聞き取れなかったり、理解できなかったりすることもよくあった。よって、ケイは何度も聞き直したり、相手の言っている内容をよく咀嚼する為にしばらく間を置いた後に答えを返すといった反応を返した。
それらはケイが村内において少々お頭が弱い子という評価をされるに十分な要素であった。
それに対してケイは、
「ああ! 世間様から生暖かい目で見られまくったりっ! 畜生、古代人の分際で!」
などと変な方向に冗談半分に奮起するという逞しさを発揮していた。
まあ、変に抱え込むよりはマシな反応と言えよう。
もっとも、客観的立場から見れば、周囲が彼について異端視するのも無理もないことであるとケイは感じていた。なにぶん、これまでにケイは自重できずに”色々”やらかしていたのだ。
そのたびにケイは自身の言動について誤魔化してきたが、現在のケイの集落内での評価を一部抜粋すると、
●基本的に頭のめぐりが悪い知恵足らず。
●年齢の割に、凄く大人びた子供。
●何をするか分からない爆弾のような存在。
と、十人十色な印象を抱かれており、なんとも評価し難いものとなっている。
特に一部の大人からは衝動的に泣いたり笑ったりするような衝動的な行動を取らずに、大人の会話に訳知り顔で参加してくるような所が、いささか不気味に感じられているらしい。ケイ本人から見れば、体に引っ張られて、生前に比べてかなり衝動的になったと感じているのだが、たしかに客観的に正直言ってちょっぴりキモい幼児やもしれないなとケイ自身もその意見に賛同せざるえなかった。
むしろ頭の回転が悪いと見なされて良かったかもしれない。これで頭のできまで大人と同じと見なされていたら、本当に可愛げが無さ過ぎるだろう。
そんなケイだからもちろん、子供同士のコミュニティにも上手く入れるわけもない。
なにしろ、子供は異物に対して遠慮がない。さらに言えば衝動的で堪え性がない。今でこそかある程度、過不足なく受け答えができるようになってきているが、当時、型どおりの文法以外はヒアリングが苦手なケイには、文法自体が滅茶苦茶な幼児言葉を話す幼児はまったくもって鬼門であった。しかも、彼等は大人と違ってケイが言葉を理解するまで根気よく待っても付き合ってもくれないのだ。どうしようもない。
よって今現在、ケイは村の子供達の輪から弾き出されている形となっていた。そして、自然と彼の活動範囲は家周辺となり、子供同士のコミュニティーとは疎遠となっている。それは結果としてかつての彼と彼女との遭遇を遅らせることとなるわけだが、その件は今は置いておこう。
ともかく、なんだかんだとケイもこの時代には、頭の弱い子評価も含めてだいぶ慣れた。……本来、彼ぐらいの年齢の子供が行わされるべき子守の仕事が、何故かケイの所にだけは一切話が来ない事には、「あれひょっとして信用されてなくね。ここまで何するか判らない子と思われているとは思わなかったよ」と大層プライドが傷ついてはいたが、それはそれ、これはこれである。
まあ、何はともあれ、ケイはこの古代という時代を徐々に受け入れ初めていた。
◆◆◆
「こらケイティ、いい加減、起きなさい」
「むにゃむにゃ、後、『五分』……」
「『五分』って何よ『五分』って。また訳の判らない事を言ってないでさっさと起きる!」
むにゃ? ああ、朝ですか。ああ、すいません、そろそろ起きますんで筵取らないでください。そろそろ夏だといっても、まだまだ寒いんです。……というか、むしろ季節のわりに夜間の冷え込みが日本よりも大きいんだよな。その分、曇りの日が少ないので日が昇ったら快晴で直ぐに熱くなるわけなんだが。
「……放射冷却とかかね。日本でも冬の夜は雲が少なかったら放射冷却で冷え込んだし」
「ケイティ!」
あ、はーい。今、いくとですよー。
まだ五歳児であるので特に人手として期待されているわけではないが、現代とは違い一人一人に食事の準備などしていられるわけはないので、寝所を出るとさっさと飯食えとばかりに朝食が出てきた。因みに内容は雑穀の粥だ。
「さっさと食べちゃいなさい。そしてそれ食べたら甕に水を足しておいて」
「えー、背が届かないよ」
「踏み台使えばいいでしょ。働かない子に飯はないわよ」
おうおう、これは児童虐待ではなかろうか。警察に連絡だー。
……なんてな。この時代というか現代だって先進国以外なら、これくらいの労働は当たり前だろう。因みに踏み台といってもきちんと工作したようなものではなく、単なる太っとい木の塊というオチであったりします。斧で木を切るだけでできるお手軽アイテムだが、重いのが難点です。……特に幼児にはな!
雑穀の粥をよく噛み締めながら味わい(米じゃなくてもよく噛めば甘くなる!)食べ終えた後、外に出る。朝の静謐な空気は俺の肌に当たり少し肌寒かった。この時代、日が落ちたら眠り、日が昇るころに起きる。つまり、この時代の早朝は5時とかそこら。現代のような朝日が昇って数時間温まった後の空気などとはわけが違う。あんなのこっちではお昼前ってもんよ。おお、寒い、寒い。
さぁ、川までひとっ走りして水を汲んでこよう。
川まで走りついた俺は、覚悟を決めて川の中に足を突っ込んだ。早朝の川の水は一際冷たい。身を切るような冷たさだ。ああ、もうこれなんとかならないのかね。川に足を突っ込まずに水が汲めるようにして欲しいものだ。桟橋を作るとか井戸を掘るとかしてくれないものだろうか。
「おっとと、欲張りすぎた。一杯過ぎて水が漏れまくる」
土器の甕の水は、ただでさえ、ちゃんと防水できていないというのに俺が歩くたびに口の端から溢れ出ていた。甕の中に汲んであった水は家に帰る頃には三分の二程に減っていた。減った分は重たかっただけのくたびれ損である。俺は少々ぐったりとしながらも、それから何度も家と川の間を往復した。
「水汲み、終わったよー」
「はいはい、ご苦労様。じゃあ、今日は特にあんたにやらせる仕事はないから、遊んできていいわよ」
「よっしゃ!」
ふははっは、こういう自由時間があるのが子供特権ですよね。まあ、単純に農業ノウハウが確立されてないので仕事が少ないということでもあるが。
……何故か畑の雑草を抜いたら怒られるだよね。絶対に抜いたほうがいいと思うんだが。親父に訳を聞いても、雑草を抜かないのが常識だとしか言わないし。今度、祖父ちゃんの家に行った時、理由を聞いてみよう。
「あ、『ピカボンタ』が来たぞ」
「なんでえ、『バイピカボンタ』だけじゃなくて、今日は『ピカボンタ』も来たのかよ」
「ほっときなさいよ、『ピカボンタ』達なんて」
うえ~、嫌な奴等に出会ったものだ。まあ将来的には村の仲間となるわけなのだから、いつまでも関係を結ばずにはいけないのだが、個人的には同世代の人間よりも年上の人間のほうが話しやすい。まだ理性的なのだから。
なお、『ピカボンタ』っていうのは悪口だ。和訳できない悪口である。あえて言うならキ○ガイとかドジなんかを混ぜたような意味だろうか。まあ、民族特有の言葉って色々あるよね。例えば、韓国とかだと、韓国訳されたヤクザ映画がアホ、馬鹿としか悪口を言わないので言葉が幼稚だと思われるらしいです。あちらの方が悪口の語彙が多いらしいので。
ちなみに世界最大級の罵声レパートリーを擁する言語はイタリア語らしいよ。なんでも100種類近あるらしい。まあ、イタリア語、韓国語がどうのこうのという以前に日本語が罵倒語が少ない言語なだけだったりするわけなのだが。
などと俺が思索に耽るという現実逃避に明け暮れているうちに、村の悪餓鬼どもは俺への関心が失せたらしく、なんやかんや悪口を言いながら他所に行ってしまった。
なんだかなー。
「まあ、好都合だったわけだけどな。ところで、いつまでそこにいるんだイコトイ?」
俺はジト目で草むらを見つめる。草むらからは馬の尻尾が生えていた。勿論、人の髪、それも野郎の髪だ。そしてその、尻尾が生えた草むらは俺が話しかけた事で観念したのか中から人間を生み出した。
「ううう、怖かったよぉ」
草むらからオドオドした俺と同じくらいの少年少女が飛び出してきた。男の子の方は、俺と違ってその性格から狙われてしまっているイコトイ君(五才)である。
「まったく、お前は俺と違ってその臆病なところを直せばイジメられることはないと思うぞ。どおれ、ここはおじちゃんが度胸試しに木登りを教えてやろう」
「いいよ! というかおじちゃんって何さ!? 同い年だよねケイ君!?」
「ははっは、反応いいな。これは確かにイジメがいがあるわ。可愛いぞ、こやつめ」
俺がからかうと「なんでだよ」とばかりに気勢をあげる今世の幼馴染。まったく、普段からこれくらいガッツをあいつらに発揮していればイジメられることもなかろうに。なんというかコイツは多分に人見知りというか内弁慶な気質があるな。
「ケイちゃん、キモイ。わたし、ケイちゃん、お稚児さん趣味、ある、思わなかった」
「誰がお稚児さんじゃ、冤罪止めい」
「冤罪、本当? 疑問ある」
「ねえねえ、『お稚児さん』とか『冤罪』って何?」
「忘れろ。この世界に存在させてはならない『十字架』だ」
「ああ、また判らない言葉言った!」
むむむ、現地語難しい。日本語から翻訳できない単語とか多いし。……最近、イトコイが一部、日本の単語覚え始めているけど。
「いいから、どっか遊びに行こうぜ。川原なんかどうだ?」
「うん、それがいいかも。それにしてもミレイユもだいぶ言葉が流暢になったよね。昔は誰とも口を利かずに隅っこにいたのに。……仲良くなってみると意外と気が強かったけど。まったく最初、ケイが彼女を連れて来た時は驚いたよ」
「……そうか」
驚いたか。それは俺も同じ、いやそれ以上だと思うぞ。
「うん! あ、茸発見。ちょっと待ってて」
そういってイトコイは木陰の奥へと進んでいく。その背中を見つめながら、思わず胸のうちなる内心が零れる。
「……俺も最初、口が聞けない子だと思っていたから驚いたよ」
まさか、こんな近くにいようとは。
俺は口を開き、彼女に向けて言葉を紡ぐ。この世界には間違いなくないであろう言葉を。
『……まったく逃げろと言ってたのに戻ってくるとは自殺主義者め』
『嘘つきのケイちゃんには言われたくないよ。というか前世のことなんて今更でしょ』