下山、できたらいいな
摩訶不思議な謎の光る球体の消失からしばらくの時間が過ぎた。森の中でただただ喚き散らす作業に飽きた俺はとりあえず下山してみることにした。
謎の瞬間移動、または時間移動を経験したらしき状況であり現在位置、日時ともに不明確。このまま座していても助けが来る可能性はなく、食料、水も限りあるのでこの場から動くしかない。
登山者が遭難した際などは下山ではなく上へと上り登山道を探すように教えられるらしいが生憎とこの明らかに原生林らしきこの山を登頂したとしても登山道などある可能性は限りなく低い。
なのでとりあえず川を探そう。そうすれば麓まで辿り着けるだろうし近くに人が住んでいるならば町まで辿り着けるに違いない。そう考え山々の土をひたすら踏みしめ山を下っていく。
もちろん、未悠を置いていくわけにはいけないので担いでいく。しかしながら消防士や自衛隊などの人達が肩の上に怪我人を担ぎ上げる、え~~何て言ったけ? (ファイヤーマンズキャリーです)
まあともかく俺としては怪我人を運ぶにあたってのそれ相応の作法で担いでいきたかったわけなのだがあんなマッスルな人の担ぎ方など出来る自信がない。というかやったことがないのでよくわからん。
かといっておんぶだと気絶した人間相手だとこちらを掴んでくれないので寄りかからせるだけになるから危険である。となると消去法的に俺が取る担ぎ方としてはこれしかない。
「チャララチャチャ~ン、お姫様抱っこおぉぉ~~」
……むなしい。ボケても誰も突っ込んでくれない。まあ空元気は必要ですよ。笑顔は特に笑う所が無くても作ったほうが健康にいいのです。
「しかし、ドラマや小説ではお馴染みの台詞なのだが軽いな」
こいつってこんなに軽かったけ。いやこいつだけじゃない。今、俺はこいつのリュックと銃も持っているのだが案外どうにかなりそうな程度にしか重く感じない。
「まあ女が持てる程度の荷物だってことか?」
どちらにしろこの状況で荷物を捨てるよりは持っていけるなら持っていけるだけ持てた方がいいに決まっているのだが。え、無理に持ってませんよ、たぶん。もしかしたら今、自覚ないけど興奮状態で疲れとかその他もろもろ気づかない状態って可能性もあるけどね。
「その場合はその時になったら考えよう」
さてさて、人里を探さすか。会ったとしてももしここが日本じゃなかったら会話できるかわからんけど。……英語通じるといいな。
下山すべく足を踏み出すと木の枝を踏み砕く「パキィ」という鈍い音が響いた。
◆◆◆
――暑い。
辺り一面に生えている木々はどうみても人が植林してできたようなものとは見えなかった。人の手の入った森は規則正しく整然とある程度等間隔に木が生えたり、その種類も人間が使いやすい木材などに利用できる種ばかりで木々の種類にバリエーションがなかったりするなどと生物多様性という面で非常に乏しいものであったりするものなのだがこれは明らかにその類ではない。
周りに見える木々はそれぞれ乱雑に生えており、その生え方には人の手が入ったような規則性がまるで無い。またそこに生えている木々も樹齢数百年は下るまいと思える立派な物でその遥かな高みまでそびえたつ巨体によって地上に注ぐ木漏れ日はとてもか細い。
そんな多少じめっとする地上には嵐か何かで倒木したらしき横倒しになった苔だらけの幹があり、どう見ても横倒しになってから数十年は経っているように思えた。
周囲は俺が今まで接してきた自然とはまるで違っている。それは人の手の入った人間に使いやすいように飼いならされたおためごかしの自然などではない。そこには現代ではほとんど失われてしまった自然本来の姿たる生命力溢れた猛々しくも美しい野山の姿があった。
そんな自然の中で俺はひたすら歩き続けた。眼下に広がる斜面を歩幅を小さくして一歩一歩踏みしめて歩く。平地でなく斜面、それも足元が均されていない土地を降りるのは今の俺の状況はなかなかにハードだ。少なくとも俺は人一人を担いで平然と階段を降りるようなツワモノではない。
どれくらいの時間が経ったろうか。草を掻き分け獣道を探し突き進んだ。木の陰から漏れ出る日射しが肌を焼き、辺りを飛び回る虫達が俺の神経を逆撫でさせる。畜生、なんだよこの温度は。こちらとら装備は冬仕様だぞ、こんちくしょう。
二の腕と太ももがパンパンに張っている。正直ここまで抱えて来れたのが信じられない。自分で自分を褒めてやりたいどころではない。数時間前の自分に今の状況を話しても鼻で笑って信じもらえまい。まったく人間やればできるもんだと俺は心の中で一人ごちた。
「まあこいつを置いていくなんて選択肢はないもんな」
既に羽織っていたジャンパーは暑いので脱いで腰に結んである。これで少しはましになったがまだ暑い。周りの木々はつい数時間前までのものとは違い紅く染まった木ノ葉や冬の裸の木立ちではなく青々とした緑色。しかも数ヶ月ぶりに聞く蝉の声が耳に届いている。これを聞き終わってからまだ半年も経っていないということを考えると不思議というか理不尽というかよく判らない気分になる。
道なき森の中をただ彷徨うののなんと辛い事か。ちょっと前に獣道を見つけそこを通るようになって道はだいぶ通りやすくはなったが、所詮は獣道は獣道。あくまで通りやすい地を獣達がなんども通って踏みしめて自然発生したものにすぎない。
つまり別に町や村まで続いているというわけではないのだ。人の作った道なら全ての道はローマに通ずとばかりにどこであれ人里に通じているのだろうが獣道ではそれは期待できないのだった。
指標が欲しい。今の俺には目的地すらない。むやみやたらに森を彷徨ってもジリ貧だ。
危険を承知でなれない木登りをしてあたりを見渡してみたが残念ながら俺が登れる高度からでは周りを見渡しても森の木々しか見えなかった。
俺は当ても無くひたすら低地低地へと足を傾けていった。そんな時だった。
「ん? 何か低い音が聞こえるな」
立ち止まり耳を澄ます。これはもしかして水が落ちる音か? 思わず早足になって音が聞こえるほうへと向かう。近づくにつれ音もはっきりと聞こえるようになってきた。間違いない確かに水の流れる音がする。 さらには水のにおいも漂ってくるようになってきた。そうこう草が生い茂る茂みをかき分け続けると川原に辿り着いた。
「あー、これが音の発生源か」
そこには小さな滝があった。滝前が侵食の為に深くなっているのか周りと比べ色が違う。緑深い森の中を彷徨い続けようやく見つけたごつごつ尖った岩に囲まれた滝壺は何故かとても安心感を感じさせるものであった。
さもあらん、滝も川も人工物ではないが指標、または道を発見したに等しい。今までのように五里霧中の中、当ても無く彷徨うのに比べれば圧倒的に心理的不安は少ない。
「とりあえず木陰に寝かせてっと」
俺は未悠を木陰に寝転がらせた後、近くにある手ごろな大きさの石の上にもう限界だとばかりに倒れるようへたり込んだ。視線を下げると俺の両足がここまでの疲労で生まればかりの小鹿の如くぷるぷる震えているのが見え、思わず口元に笑みがこぼれた。
「うわぁ、情けねえ。こんなことならもっと体を鍛えておくべきだった」
口からは自身をあざ笑うような言葉が出てきたが、それはここまでよくぞ未悠を見捨てずに担いでこれたという自分への賛辞と、この程度で参るような自身への不甲斐なさが入り混じった声となっていた。そんな誇らしさと情けなさという不整合な思い混ざり合い知らず知らずのうちに照れ笑いの表情が生じた。
「情けないがここいらが限界だな。ちょっと早いがここらで野営の準備といくか」
もう限界です。体力的にも精神的にも。
なので休憩! 一心不乱の休憩!!
汗流したい! 水飲みたい!! 横になってごろごろしたい!!!
なぬ? 生水は危ない? 危険生物? ピラニア、毒虫?
ハハッハハ、頭使うのはそろそろ俺限界なんだぜボーイ。
既に俺の頭はストレスで破裂寸前なのだよ!
つうか瞬間移動とか気づいたら原生林とかなにさ!!!!!!!
俺の頭はそんな怒涛の状況で対応できるようなスペックはねええんだよ!
今すぐ酒持って来い!
そしてその後俺は服をきたままベットに飛び込むのだああぁぁぁっ!
無理だけど。
いやまじでやべえわ。疲労とストレスと空腹で判断力なんて一ミリも残っちゃいませんのです。つうか頭使いたくないわ。戦争漫画とかで敵役の軍隊が士気崩壊した後、馬鹿みたいな策に掛かって負けるのがよく理解できたわ。目先の物しか目に入りません。
というわけで川へと突貫いたしまする。
自暴自棄? この程度の些細なストレス発散ぐらい許してくれたまえよ。
「いざ!!」
俺は靴を脱ぎ散らし靴下を脱いで沢へと飛び込んだ!
「ひゃー、冷てえ!!」
夏の日射しと労働に疲れた足を沢の流れに浸して涼をとる。沢の冷たさが火照った足が気持ちよく全身の汗がスーッと引いていくのを感じる。
「あ~~、極楽、極楽」
あー、生き返るわ。さてさて次は水分補給っと。
ちょっと冷静になった頭で空になった水筒とペットボトルに川の水を汲んでみる。
「……ちょっと飲むのに勇気がいるな」
山の沢の水を飲んだ経験はある。だがそれはその水が安全な水だと確信していたからだ。だが、この川の水が安全かは不明である。この川の上流で川の水を汚すような施設でもないかぎり飲んでも大丈夫だろうとは思うが、そもそも自分の現在位置すらはっきりとわからない俺にはそれを確かめるすべはない。
額に浮かんだ汗を拳で拭い、初めて辺りを見回す。辺りは流れ落ちる小さな滝の音しか聞こえず川の水は見る限り濁っておらず周囲には人工物一つ見当たらない。
「まあ、なるようになるさ」
素人目からだが色も匂いも問題なさそうだし飲んでも大丈夫だろう。つうか心配しすぎだろ。こんな原生林で生活排水なんぞあるわけもなし。というか最初から持ってきた水類はもう全て飲み干したので喉がカラカラだ。
正直辛抱溜まりません。俺は両手で川の水をすくって口に入れた。
「ふぅー、いきかえる」
普通に冷たくてうまかった。川の水はキンキンに冷えていて山道を歩き続けて火照った体には絶えられない美味さだった。
その後、思う存分に川の水を飲んだ後で木陰でごろり。体の節々をマッサージしながらリラックスタイムへと突入する。
「さてと」
腹痛等の体の異常なし。うん、とりあえずは即効性の毒性はないな。なら未悠に飲ませても大丈夫だろ
「このままほっといたら熱中症になるよな」
でも意識がない人間に無理に水を飲ませちゃいけないんだったよな。ハンカチを水で湿らせて口に含ませるしかないか。後はとりあえずは体を冷やす方面で対処するか。そんなわけで俺は奴を木陰に寝転がせた後、靴と靴下を脱がせ、濡らしたハンカチを額に乗せるなど処置を行った。
なにぶん、ものぐさ系女子と化した未悠は自分でやってくれないのである。
「おーい未悠、起きろー、流石にそろそろ温厚な俺でも怒るぞー。楽してないでそろそろ自分の足で歩けー」
ぺちぺち未悠のほっぺを叩く。うーむ、一応反応はあるんだがまだ起きない。ただ顔色は出発前と比べるとだいぶよくなってきている気がするのでそう遠くないうちに起きるかもしれないと希望的観測をしていたりもする。……はやく目を覚ませよ。お前の寝顔なんざ小学生の時に寝坊したお前を起こしに行っていらいなかったんだぞ。慎みが足りないぞまったく。
「もうちょっとで起きそうな気はするんだけどな」
泥のように眠っているわけではなく、ちょこちょこ反応返すし。
しかし、このまま意識を取り戻さなかったらどうしよう。今日のところは危険そうな野生動物にもあってないが未悠を担いだまま襲われたりなどしたら逃げる事もできなかったに違いない。 今日は無事にやり過ごす事ができたが明日もやり過ごすことができるとは限らないのだ。
もっとも野獣の襲撃以前にこんな山深くの中では俺のような素人の手では限界がある。このまま未悠の意識が戻らなかった場合は恐らくは……。
「あああっ~~!! もう止め止め!! 暗いの禁止! ポジティブ、ポジティブ!
止めよう、考えても仕方が無いことで悩んでも仕方が無い。
俺は背中のリュックを下ろして地面に腰をおろして横になった。しばらくぐだっと寝転がっていたがしばらくすると自身が空腹を感じていることに気づいた。
「これは鴨をさっさと捌いちまった方がいいやもしれんな」
一応腸抜きは終わっているのだがこの暑さだと腐るやもしれんしな。貴重な食料でもあるし、なにより食べ物を粗末にするわけにはいかん。命を奪っておいて駄目にするなんてのは酷い冒涜的行為だ。というわけで羽根をむしって調理にかかことにするか。
ぶちりぶちりと羽根をむしりとる。屋外での作業だったが作業自体は結構快適だった。いつもは寒いベランダにでて作業しているからなそれに比べれば寒くないだけいささかましだ。あらかた羽もむしり終わり続いて産毛を焼く段になったので火をつけようとしたところでふと考える。
「100円ライターは節約するべきだよな」
なにぶん補給がきかないゆえ。そして幸いにもライターの代用になる品を俺は持っていた。
「たしかリュックのなかにほとんど趣味で買ったメタルマッチが入っていたはず」
なんのかんのとつらつら考えながら俺はリュックの奥のほうにしまっていた黒い棒、メタルマッチを取り出した。
メタルマッチとはマグネシウムを固めたもので火打石の強化版みたいな存在だ。この黒い棒の部分、マグネシウムの部分を鉄の板でこすると約数千度の火花が飛び出て火を起こすことができるのだ。しかも湿っても使える上にこれ一つで数千回は使用できるという実に粋な品物である。ある意味、ロマン装備だ。
まあ買ったのはいいけど数回使っただけでリュックの中にお蔵入りになっちゃったんだけどな。なにせ火を付けるだけなら100円ライターの方がずっと楽だ。使いこなせていればなんか玄人っぽくて格好良かったんどね。
ではこのメタルマッチの使い方を実演してみよう。さて、火起こしの基本は、小さな炎からだんだんと大きな炎にしていくことである。その為には火口となる燃焼物がいる。
という火口を用意すべくその辺の枯れ枝をナイフで削り、おがくずみたいな粉状の物を量産します。次にそれを薪の傍に盛った後メタルマッチを擦って火の粉を作り火口に引火させます。最後に息を吹きかけて引火した火を大きくして火口に付いた火が薪に引火するのを待ちます。
はい、焚き火の完成です。
目の前で煌々とメラメラ火が付いてますね。上手に付きました~~。
まあライターなら一瞬だったろという話なのだがな。このとおりメタルマッチというのは結構手間である。特に火口を用意するのが面倒くさい。
メタルマッチの付け方にも結構コツがいるしなぁ。それで結局買ったのはいいけどリュックにお蔵入りになってしまったのだ。ライターなんざ所詮100円で買えるし仕方がないね。
もっともこれはこれでライターより長く使えるんだし文句言っても始まらないわな。さてと続き、続きと。鳥を火で炙って産毛を焼いて、頭と足を切り落として……っと。だんだんお店で見るローストチキンのような姿になってきたな。まあまだ内蔵が残ってたりするが。
「ふっふっふ、俺のバードナイフが火を噴くぜぃ!!」
腹が減っては戦は出来ぬ。
俺はそのまま解体作業を続行し続けるのだった。