過日
とある田舎の山中の駐車場、そこに車から荷物を降ろす男女二人組みの姿があった。
特に特徴ある二人組みではない。双方とも街中で通りすぎても特に一目を引くような容姿はしていない。取り立てて美形というわけではないが決して不細工というわけではない。その容姿はもし売れないアイドル相手に街角アンケートでどっちが好みか勝負をしたならば数十人に一人くらいの割合でなら投票する物好きもおろうかと言う程度には整っている。曰く2.5枚目と言った程度の容姿である。
その他であえて特徴をあげるとすれば男の方は現代日本人としてはいささか大柄であると言う程度だろうか。もっとも大柄といっても所詮180cmを超える程度、特徴といえば特徴と言えるだろうが少なくとも”現代日本”では特異というほどの特徴ではない。
「山本さんが言う鴨が撃てる穴場は向こうの山の少し先らしいぞ」
「うーん、駐車場から山まで歩く必要があるとは聞いていたけど思ったよりも距離がありそうだね。折角ここまで遠出をしてきたんだから今回の猟はどうせなら大猟を期待したいよね」
「鴨一羽、店で買ったら三千円前後……」
「止めなさいよ。不純な事を考えて物欲センサーが反応しても知らないよ」
「物欲と言えば猟友会の田中さんが卸値だけど猪はキロ六千円、鹿がキロ三千円ぐらいで売れるって言ってたよな。俺らもいずれ散弾銃を買ってやってみるか?」
「日本で猟で儲けようなんて無謀だから止めなさい」
いや、一つだけ現代日本において特異、いやそこまでいかなくとも間違いなく少数派であろう特徴を持っている。それは猟師だということだ。本業ではなく狩猟期間中に趣味で山に繰り出す程度ではあるがきちんと狩猟免許を取得してあるまっとうな猟師、いな狩猟趣味を持つな大変奇特な若者である。
彼等が手にしているカバーに入れられた細長い物体は銃である。それもエアの圧力で弾丸を撃ち出す曰くエアライフルと言われる種類の実銃だ。火薬を使わず威力も熊や鹿などの大型獣を仕留めることは難しいものであるが鳥や狸や兎などの中小獣を撃ち殺すには十分な威力を持つれっきとした実銃である。
彼等は今期の狩猟開放からしばらく経ったある日、いつも彼等がお世話になっていた猟友会の猟師のおじさんから聞いた鴨猟のお勧めの穴場ポイントに行くべくここまで足を向けてきたのだ。
二人組みのうち男の方の名前は伊吹 圭。二十一歳の大学生である。言うまでもないが彼の趣味は狩猟であった。そしても狩猟免許取得2年目のペーペーから脱したばかりのビギナーである。
圭が狩猟などに何故はまってしまったかというと、それは今、隣にいる未悠が元凶であった。圭は小,中までは「イジメ防止と精神の健全性の為」という親の教育方針により柔道をやっていた。それが何故こんなマイノリティーな趣味の道へと足を踏み出してしまったかというとまずは入学した高校に射撃部が存在したのが最初の契機だった。射撃までならマイナーな趣味というLVにギリギリ収まったやもしれない。だが家が近所かつ小中高と腐れ縁が続いた幼馴染(当然未悠のことだ)へと射撃部での話しをしたところマイノリテイーへの道へと誘う台詞が飛び出てきた。
その切欠はこんな台詞だった。
――あ、うち祖父ちゃんの家って猟銃あるよ? ――マジで!?
未悠の父の実家は農家だった。実家の農家は叔父が継いだがそこは未悠の家から駅一つ分しか離れておらず実家から直に育てた野菜を持ってこられることもあれば忙しい時は未悠達弟一家が援軍に行く事もままあった。
そんな未悠にとって勝手知ったる父の実家だが山近くということもあり野生動物による畑への被害がある。そのため祖父の代から猟銃片手に山に入って猪や鹿を間引いたり周辺に罠を仕掛けたりすることを当然の如く行っていた。
未悠の祖父の家の農家のように直々に猟銃を持ち出して害獣を退治するというのはことさら特殊というわけではない。彼らのように山の農家の方々が害獣退治の為に狩猟免許を取得して畑を荒らす鹿や猪を狩るという家はわりかし現実に存在している。田舎の農家では都会よりも猟銃や野生動物というものが身近なのだった。
後日、圭は未悠の祖父の家を訪れ実物の猟銃に触れる機会ができた。未悠の叔父が見せてくれたライフルを前にして圭はその虜になった。勧められるがままにライフルを手に取ってその生々しさと重量感に直に触れ、圭は強い憧れを感じた。それは言うなれば、物語の侍や騎士に憧れるような、ショーウィンドウに飾られたトランペットを物欲しげに見詰める貧しい少年のようなそんな心の底にしまい込んでいた童心のうずき。その時の圭はそんな憧れの目で目の前にあるライフルを見詰めていたのだった。
その後、幸運な事に偶々その翌日は近くの森で猟が行われるという情報を圭達は聞く事ができた。山から猪が降りてきて畑を荒らしていたのだ。未悠の叔父は近所の狩猟免許を持っている農家のおじ様達(兼猟友会の皆様)と共に猪狩りに出る予定だったのだ。
圭はもちろん見学できないかと未悠の叔父に尋ねた。そしてそれに対して未悠の叔父はあっさり了承した。その時のおじの様子は大変上機嫌だった。現代においては動物を殺すことは忌諱されがちである。誰だって引かれるよりも尊敬されるほうがいい。
そんなふうにあっさり同行を許可された圭に未悠は不満顔だった。かく言う未悠も幼少の頃は狩りに連れて行くよう祖父に駄々をこねたことがあったのだ。流石に大きくなった今でそんなことを言うことはなくなったが幼馴染がかつての自分ができなかったことをやろうとしているというのは少々面白くなかった。結局、未悠も圭と一緒に見学に加わる事となった。もちろん圭達は未悠の叔父から勝手に動かない、銃の前に立たない、大声を挙げないなどの約束事を守れるならという条件ではあったが。
猪狩りは早朝から始まった。圭達はハンターとしてはまだ経験の浅い未悠の従兄と共に後方に配置された。しばらくは山の中を猟犬を連れた猟師の方々が探索していたが次第にほうぼうに散らばった猟師達から地に残されている猪の足跡の情報が無線で入ってきた。未悠の従兄の方はまだ勉強中で出来ないそうだが一人前の猟師ともなると足跡だけで獲物の位置や数を推測することができるらしい。
しばらくの間、無線で位置取り、配置決めなどが行われていったがそれからしばらくして、ついに狩りを詰みに持っていくことにしたらしく猟師達は猟犬を解き放った。興奮した犬達は咆哮を発しながら獲物に向かって駆けて行く。瞬く間に猟師たちを残して風の様に目の前から消え去ってしまったが猟師たちは犬達を見失うことはない。首につけた鈴の音が犬達の位置を教えてくれる。
猟師達と圭達は猟犬を追いかけ山の斜面を上下に掛ける。流石に猟師たちは何度もこのやりとりをやっているだけに健脚である。山の起伏に対してしっかりとした足取りで少しも速度が衰える事を知らない。対して圭達は彼等の背中に付いて行くのやっとだった。息は荒く心臓は張り裂けそうだった。顔にかかる冬の冷気が少し前まで痛いくらいだったはずなのに今はそれがやけに気持ちいい。
――パァーーン!!
圭達が必死に猟師の背に向かい駆けている間に狩りはもう山場を越えていたらしい。林の奥から猪の鳴き声と鈍い銃声が響いた。
銃声の元へと辿り着いた時にはもう猪は事切れていた。倒れ付している猪を前に圭と未悠は「おおおぉぉ」と感嘆の声をあげた。圭達が辿り着いた頃にはもう血抜きが始まっており、結局圭達は猪が走る姿を見る事はなかった。だが死んだ猪の体に触らせてもらった際に感じた暖かな体温の印象深さが圭の心に深く刻まれた。
その後、内臓を出し沢で洗ったり解体小屋で皮をそぐ作業まで見学させてもらったが圭はその作業を気持ち悪いと思う事はなく、むしろ原始的な喜びが呼び起こされ狩猟への憧れを強めていった。
大学進学後、憧れが冷め切れなかった圭は衝動に突き動かされ圭は未悠と一緒に狩猟免許の資格を受験し共に受かった。圭にとっても未悠が共に狩猟免許を取ったのは意外だったが、その実、猪狩り見学の直ぐ後、未悠は射撃部に入部し高校三年の頃には男女問わず部で一番のクレー射撃の名手に上り詰めており射手としては今では圭より上手である。あれだけの腕があるなら狩猟に手を出そうとするのも不思議じゃないかと圭は納得するのだった。
その後、直ぐに圭と未悠は銃を購入する事にした。だが銃といっても実銃ではなくエア・ライフルである。
圭としては以前に見学させてもらった猪猟の時に使用されていたライフルを圭は使いたかったのだが残念ながら日本では散弾銃を十年所持した経験がなければ使用できないことになっていたので買う事はできなかった。
圭はその事に少し不満を感じているが、これは仕方がないことだ。それだけライフルという代物は危険な存在なのだ。例えば散弾銃の場合あるていど距離をつめないとほとんど標的に当てる事はできないのだが、ライフルの場合はある程度練習すれば数百メートル先の標的に当てる事ができる。また威力も凄まじく頭部や心臓にクリーンヒットしなくとも場合よっては死亡する事もある。治安維持上の観点から見てそう易々と持たせていいものではない。
そうなると散弾銃かエア・ライフルのどちらかを買う事になるのだが圭はエア・ライフルを買う事にした。エア・ライフルといっても狩猟用のものは威力が高く人の指や小動物の頭蓋骨を打ち抜くほどの威力があり、鳥やウサギ・狐などの中・小動物を狩ることができる。圭の価値観としては散弾銃のような近距離で多数の小さい弾丸を散開発射する銃よりもエア・ライフルのような長距離から単発で獲物を仕留める銃の方がロマンを感じて好みだった。そして何より空気銃なら射撃部でも使用していたので使い慣れていた。
圭達の居た射撃部は主にビームライフル競技(光線銃と光センサーを使用した射的競技)を行っていたが一部の上位者は実弾を使用する空気銃を用いたエア・ライフル競技に出る事も許可していたのだ。
因みに未悠が買ったのは近くの銃砲店で中古で数万で買った単発式のエア・ライフルだったが圭が購入したエア・ライフルは未悠の従兄のそのまた友人から売ってもらった輸入物である。しかも持ち主が趣味で色々カスタマイズしてあったなかなかの業物だ。そんな業物を何故手放さなければならなかったかというと、その兄の友人が最近結婚することになったらしいのだが相手の女性が狩猟趣味を嫌がり嫌々手放すことになった為らしい。まあ、よくある話であった。
勿論、中古とはいえそれなりの価格だったので高校時代から大学までの間に貯めていたバイト代のほとんどが消えてなくなってしまったのだが銃の性能を考えればむしろ得した買い物だった。
その後、圭と未悠はその年の秋,冬の狩猟期間、思う存分狩猟を楽しんだ。また、狩猟をする年齢層は基本的に年配者が多いので二人とも周囲の狩猟趣味の人間や猟友会の人達に可愛がられた。(未悠は特に)
しかし、世間においては狩猟趣味はやはり一歩引かれることが多かった。特に女性受けは最悪だった。男性ならある程度共感をもらえることもあったのだが……。圭としては大学の他の友人にその趣味を理解はしてもらえなかったのが少々不満であった。
因みに未悠は狩猟趣味があることを秘密にしているので大学内での変わり者という評価は圭一人が受け持っていた。彼女は圭と違って自身を客観視できるのだ。
まあ、様々な紆余曲折はあったものの圭達の趣味として狩猟は深く根付いた。そして二年目の秋も同様に満喫し、その後も多少世間から認知されずとも気にせず楽しみ、そのまま現代社会でくらしていくはずだった。
――だがその日、圭は日常から足を踏み外すことになる。