赤い風船は空を飛ぶ
今日はいつもよりも気温が低いからと言って駆には優しいわけではなかった。
ここ最近は締め切りの事で頭がいっぱいでクーラーのきいた快適な空間にいたのだから自業自得ではある。
「暑い、神様ーあついよー」
嘆いてはみるものも体力を浪費しているだけで、むしろさっきよりも暑く感じる。
頭の先から足先までじわじわと汗が染みでる。拭っても拭って出てくる汗にイライラが増していく。
これは家に籠もっていた方が良かったかもしれないな。クーラーが恋しい。
それでも駆は足を進めるしかないのだ。帰っても案が浮かぶわけないしむしろこの子に会いに行けば何かいい案が浮かびそうな気がするのだ。 家を出てから30分、ようやく病院が姿を表した。
鈴木原病院 ここら辺では一番大きな病院で最近改築したため外装も綺麗にしあがっている
押さえきれずに中に駆け込むとクーラーが効いていてさっきまでのイライラが一気に吹っ飛んだ。
ポケットからさき程の手紙をだす。ポケットに突っ込んだから少しばかり歪んでしまっているが問題ない。
もう一度確認する。ここの病院で間違いない。あとはこの子の部屋に無事たどり着ければ目的を達成したも同然だ。
イタズラな可能性もあるがどっちみち聞いてみなくては話にならない。 駆はまずナースステーションに向かった。正面口から入って右手にあり、そこには若いナースさんが何人もいた。
「ふーはーふーはー」
深呼吸をして頭を落ち着かせる。
さてなんて説明したらいいだろう。「初対面で風船に繋いであった手紙に釣られてやって来ちゃいました!」なんて真実はあまり語らない方がいいだろう。それこそ面会をさせてもらえなくなる。
次はどうだろうか。「俺、クラスメートなんですけどどこに行けば会えますかね?」
これはいけそうだ。だって友達だったらばっちりオーケーじゃないか!これで大丈夫だな!欠点はないはずだ。よし、それじゃー……いやいや、この作戦駄目だ。
だってこの子まだ友達少ないみたいじゃん。学校の友達なんて入院生活中のこの子にいる可能性は少ないな…。
これも駄目だと身内作戦?、それともカップル設定?、あるいは強行突破か?
「きみ、ナースステーションの前でぶつぶつ何してるのかな?まさかどこか怪我してるの?大丈夫?」
後ろの方から綺麗な声が聞こえてきた。
最初は自分ではないと思っていたら背中に視線を感じた。
ゆっくり体を180度回転させる。するとそこには大人な女性という言葉が似合いそうな白衣のお姉さんが腕を組みながら立っていた。
目は綺麗にぱっちりとしていて鼻はすらーっと唇は厚く大人の女性を表現している。肩まである髪は黒いゴムでポニーテールにしてある。 「やっと気づいてくれたわ。先生無視されてるかと思ったわ。」
はみかみながらちょっと前屈みになる。すると腕組みの上にある柔らかいボールがぽよんぽよんと飛び跳ねた。
言い忘れた。この人は爆乳です!!
「おーい、聞いてるかな?」
………おっと、一瞬意識がおっぱいで埋め尽くされていたぜ。危ない、危ない。
「体は大丈夫です。健康そのものですよ」
「そう、それならいいわ。でも理由なしでナースステーションの前でぶつぶつしているなんて変よ。もしかして新人ナースにムラム…」
「違います!!断じて違います!!」 そんな返しでくるとは思わなかった。危うく肯定しちゃうところだったぜ。
「うーん、でもこれ以上は先生思いつかないわ…」
「普通もっとありますからね!そしたらそこら辺の人全員そうなっちゃいますからね!」
「でも今まで話かけた入院中の高校生男子の10人中9人がナースを見るためにナースステーションに通っていたわ」
「まさかの俺が間違っている!?」
「嘘よ」
「嘘なのかよ!」
駆は床に四つん這いに倒れ込む。久しぶりに人にツッコんだせいで体力が一気に削られた。はあはあと息が上がる。
「君だって先生の前で四つん這いになりながらはあはあと興奮を隠しきれていないわよ」 「そうじゃないですからー!!!」
駆は立ち上がって呼吸が上がるのをゆっくりと落ち着かせる。息を深く吐くとさらに楽になった。
「ここまでボケて、それでも立ち上がるとはなかなかね。それでホントの用はなんなの?」
この人とこれ以上関わると目的地につく前にHPが0になっちまう。ここは恥ずかしくても真実を言うのが先決だな。
「実は馬鹿馬鹿しい話なんですが、空から赤い風船に繋がっていたであろう手紙が落ちてきてですね。その内容がこの病院にいる子が友達になって欲しいって言うもので。それでここには605号室に林川風歌さんはいますか?」 恥ずかしい思いをしながら話終え、女性の顔を伺うと呆れた表情をしていた。
頭に手をあててため息を1つつく。
「これで9人目か。あれほどやるなと言っておいたのに……」
「えーっと、大丈夫ですか?」
なにやらその林川風歌さんを知っているようだ。
しかしなぜその名前を出した途端にテンションが下がるんだ…。
林川さんって一体どんな人なんだ??
美人さんがこちらの顔をちらりと伺った。
「また、被害者が増えるのか。でもでもこの子なら案外大丈夫なのかもしれないわね……」
「…えーっと、今被害者がどうとかこうとか言ってたような」
「いいえ、この偽善者めって言ったわ」「出会ってからまだ10分たっていない相手から激しく罵倒された!」
「間違えたわ、この技巧者めって」
「なんか変な設定上書きされた!!」
「もういい加減いいかしら?」
「むしろ俺がめんどくさがられている!?」
なんたる仕打ちなんだ。まだ目的地にたどり着いていないのにこの疲労感はなんなんだろうか。 「その子なら知っているわ。まあ、私が担当の患者さんなんだけどね。案内してあげてもいいけどどうする?」
案内して貰えるのはありがたいがわざわざこの面倒な人に頼む必要はないんじゃないか? 優しそうなナースはいっぱいいるんだからそっちの方が――
「ちなみなその子はちょっと特殊な病気だから私の許可がないと入れないから」
「お願いします」
駆は自分の不甲斐なさにイライラしながらも頭を下げるしかなかった。 「私の名前は日岡心よ。日岡先生でも心先生でも好きな方で呼んでいいわ」
駆は2、3歩前を行く日岡の後に着いていた。この人が誘導役というのは癪だが、でもこの手紙の子と会うまでは我慢するしかない。
「日岡先生ですか。俺は佐竹駆。高校2年です。佐竹君でも佐竹さんでも好きなように呼んで下さい」
「佐竹駆君ね。ではよろしくね駆君」 後ろを振り向いて日岡は華麗にウインクした。 もしも初対面だったら惚れかけていたかもしれないが、その中身を知った今では寒気が全身をかけめぐる。
「その反応はちょっと失礼よ。まだまだ子供ね。でもちょうど良かったわ。風歌も駆君とおなじ高校2年生よ」
「えっ、ほんとですか!俺あんまり同い年の友達いないから嬉しいです」
実際には高校1年の時にはそれなりに友達もいた。だがとある事情で引っ越してしまい、前の学校の子とは音信不通でさらに新しい学校には馴染めないままでいるのだ。 「ちょうどいいわ。その手紙のように友達とまではいかなくても少し話し相手になって欲しいの。君ならなんとかしてくれそうだわ」 「えっ、ちょっ、なんとかしてくれるってどういう事ですか?」
「そのままの意味よ。ほら、着いたわよ」
若干話題を逸らされた気がしたが今回はスルーする事にした。
今駆と日岡はこの病院の最上階である6階にきていた。ここは今までとは違っていて病院らしい薬品の匂いがあんまりしなかった。さらにナースの姿はそこにはほとんど見当たらなかった。
その他の階と違ってなんだか違う空間であるそんな気がした。
だから駆は気がつかなかった。
ここがどんな場所なのか。
そして彼女たちがどんな病なのか。まだ知らなかった。
駆は改めて扉を確認した。
自分よりも背の高い扉。この先にこの手紙の子がいると思うとなかなか現実味が持てなかった。
だがふと視線をズラして壁のプレートに目を移す。するとそこには「 605号室 林川風歌」と書かれていた。
それだけでなんだこの先でその子が待っていてくれている気がした。
「それじゃ私は書類の整理でもしてくるから若い衆で楽しんでね。それじゃー」
それだけ伝えると手を振りながら去っていった。
勝手な人だと改めて駆の脳内では悪いイメージが蓄積されたがここまで案内してくれた感謝に取りあえず軽く頭を下げた。
頭を上げるとまた扉に向き合う。 最初はただの興味と執筆のネタ探しのためだったがここまで来るともう止められなかった。
息を大きく吐いて頭をクリアにする。
ついに決心をして扉を2度軽く叩く。
「心なの?そんなノックなんていらないから入ってきて」
可愛らしい女の子の声だった。ちょっと勘違いされているようだがまあいいだろう。扉を開ければすぐに分かるんだし。 意を決して駆は扉を開けた。だがすぐに駆は立ち止まってしまった。
まず目に飛び込んできたのは天井を埋め尽くす赤い風船だ。どこを見ても赤、赤、赤。ざっと50個はあるだろう。
またその先には手紙が付いているものもいくつか見られる。
次に目に入ったのはこの部屋の構造だ。部屋自体はどこにでもある広めの病室なのだが設備されているものが変わっていた。
扇風機が部屋の四隅にとベッドの両脇に2台。正面にも扇風機が1台と1つの部屋に7つもの扇風機が設置されていた。 そして最後に見たものからは目を離す事ができなかった。
ベッドの上に美少女が座っていたのだ。
小柄な体型で髪は染め上げられたように白く、それが扇風機の風によって気持ち良さそうになびいている。
顔は体型に合わしたように幼い顔をしているが目はぱっちりと大きい。 肌は髪に負けない程染め上げられた白色で日に一度も当たった事がないように見えた。 水色の水玉のパジャマを着ていて袖から出る手は持っただけで折れてしまうように細い。足は見えないが手と大差はないだろう。
そんな少女がベッドの上にいるのだ。見るなという方が無理である。
しかしその少女はどう見ても高校2年には見えない。せいぜい中学生がいいところだ。でも日岡は高校2年だと言っていたし………。
とそこで駆は閃く。そしてそのまま考えついた事を言う。
「君は風歌さんの妹さんか何かかな?もしくはこの病院でいつも遊んでもらっている女のこ―――――」
しかしそれ以上は声にならなかった。いや、いきなり飛んできた枕が顔面に直撃してその続きを阻止したのだ。
「ふん、なんて失礼な。私のどこからどう見たって高校2年生に見えるでしょ!!むしろ私はそれ以上の妖艶さを身に付けているけどね」
ベッドの上の少女は作業を中断して小ぶりな胸を突き出してそのように主張した。
「そんな事を言ってお兄ちゃんを困らせようとしているんだろ?もしかして風歌お姉ちゃんの真似をして遊んでいるのかな?風歌お姉ちゃんは君から見るとそんな風にみえ――ぐほっ―」
「だから私がほんとに本物の林川風歌なの。妹でもなんでもなくて私が風歌お姉ちゃんなの!」 今度は見舞いようの林檎が額を直撃。予想はしていたもののあまりの速さに体が反応出来なかった。 たぶん鏡で確認すれば真っ赤に腫れているだろう。
林檎を拾いつつ風歌であると主張する少女へと目をやるとなぜか涙目になっていた。どうやら必死さのあまり出てきたらしい。
そういうところが外見と同じく子供っぽい。しかしそこまで真剣に言われると、もしかしたらほんとにこの子が手紙の風歌さんなのかもしれない。
「えーっと、君がここに入院中の林川風歌さんでありますか?」
「だからそうだっていってるでしょ。うー、すごい屈辱を味わったわ」 拗ねた顔を見せてくる。その顔は可愛らしくドキリと胸が跳ねた。
しかしここまで言っても主張し続けるんだから彼女はほんとに風歌さんらしい。とりあえず弁解をしないければ。
「えーっと、間違えてごめん。ちょっと想像と違って混乱しちゃって」 「ふん、もういいわよ。こんな事も許せない程子供じゃないしね」
そっぽ向いてしまったがどうやら許してくれたようだ。
「それで今さらだけどきみは誰なの?急に人の病室に入り込んで挙げ句の果てに私を子供扱いしたあなたは?」
………まだ根に持っていらっしゃいました。でもこれ以上誤っても先に進めなそうだ。だからそこはスルーする。
「この手紙便箋をみせれば分かるかな?これをたまたま見つけて、この文の相手がとても気になってここに来た。」 ポケットに入っていた便箋を手渡す。すると風歌は目を見開いた。
「まさかこの赤い風船作戦の最初の1つ目でうまくいくなんて思わなかったわ」
「えーっと今なんて?」 「だから私の『お友達作り大作戦〜赤い風船編』で飛ばした風船の手紙を辿って君が来てくれたの。そしてこの作戦の成功第一号が君なのよ。嬉しいでしょ?」
「いやいやいや、嬉しいとか嬉しくないとかの前にまさかその友達を増やそうみたいな作戦は他にもあったのか?」
「おー、言ってもいないのによく分かったわね。この赤い風船編は3回目の作戦で1つ目は〜窓からお手紙落下編〜で2つ目は〜ネットのチャットで呟こう編でそれぞれ」「もうよく分かりましたからそれ以上は結構でございます……」
なんて事だ。あの切なさを感じるあの文章は演技だっていうのか!なんて女の子なんだ!
でもだ!ここで頑張らなくては原稿の案なんて一つも思いつかないだろう。だからここは我慢我慢。
「それでなんだけど君の名前はなんなんだ?君君言っているのにはさすがもう疲れちゃった」 「それはそれはすみませんでした。俺は佐竹駆だ。高校2年で林川さんと一緒だ」
「さたけかけるね。さたけかける、さたけかける………」
風歌はそのままぶつぶつと駆の名前を呟く。心なしか笑っているように見える。
「よし、佐竹駆!今から私はあなたの事を駆と呼ぶわ。だから駆は 私の事を風歌って呼ぶこと!いい?」
「ちょっ、いきなり呼び捨てで呼び合うのかよ」
「別に同じ年なんだし問題ないでしょ。しかも私がいいって言ってるんだから決まりよ、駆。それじゃ、私の名前を言ってみて」
風歌は体制を変えて駆に正面で向き合うように座り直す。そしてビシッと人差し指を駆向けてきた。
駆は久しぶりに呼ぼうとしている同年代の子の名前を小さく呟く。
「ふ、ふうかっ」
「声が小さいわ!」
「くっ………ふうか、風歌!」 自分の顔が熱くなるのを感じながら俯きながらも懸命に風歌の名前を叫んだ。
これ以上は無理だと感じながらもとりあえず風歌の顔色を伺ってみた。 するとそこには一瞬ではあったが満面の笑みの風歌の姿がいた。
しかしその笑みもすぐに元に戻ってしまった。「そ、それで良いわよ。オーケーよ」
風歌は扇風機でなびく髪の一部を掴み、いじりだした。そんな笑顔も出来るのか。
それが見れた瞬間先程まで感じていたここに来た後悔は薄れていた。
風歌はなんとかいじいじが治まって、今は冷静さを取り戻していた。
「ほ、ほんとに言うとは思わなかったわ」
「今なんて言った?よく聞こえなかったんだけど………」
「べ、別になん言ってないわよ。勘違いしないで」
ぷいっと頬を赤くしながらまたそっぽを向く。
しかしこう何度も同じ事をされると、もうそれが悪意とかが籠もっているわけではない事が分かってきた。
駆は「性格が難で中身と性格が合わない悪の女」までいっていた風歌の評価を「棘があるけど可愛らしい面もある女の子」に変えたのだった。
「……それで自己紹介も終わたけど具体的にはこれから何をすればいいのかな?」
そういうと風歌は顔を輝かせるわけではなく、なぜか決まりが悪い顔をした。その後口を開けたり閉じたりを繰り返して何かいうのを躊躇しているようだった。
だがそれも長くは続かず具故知なく小さな口を開いた。
「……まだ私の事で話していない事があるの。もしかしたらこれを聞いたら駆とは会えなくなるかもしれないの。でも今言わなきゃいけないの。だからもしもこの話を聞いて私と会うのに嫌気が差したらその時は何も言わずに帰って構わないから」
「えっ、ちょ、それってどういう事だよ、風歌」
聞き返すと風歌は辛そうに我慢するようになぜか優しく微笑んだ。
「聞けば分かるわ。駆、さっき出会ったばかりだけどとても楽しかったわ。ありがとう」
風歌は何を言ってるんだ?本当にさっき出会ったばかりだぞ?風歌に会うために手紙を元に来たのに急に何をいっているんだ?
駆はその文句を吐き出そうと口を開けようとした時、風歌が話し出した。風歌の病気について
「私のね病気についてなの。自己精神隔離病、通称トリプルS、No.00012、風下少女、これが私のかかっている病気よ」
その声は恐怖に震えているかのようであった。さっきみたいな風歌の自信溢れる性格は今は微塵も感じられなかった。
「そ、それはどんな病気なのんだ?」
気が利いた言葉も考えられず、ただただそんな聞くべきでない言葉しか出てこなかった。
扇風機は風歌の髪をなびかせる。それはなぜか風歌をさらに儚げに見せた。
風歌は風をもろともせず大人びた微笑みを絶やすことなく言い切った。
「私は風を体に感じないと死んでしまうの」
「………えっ?」
風歌は何を言ってるんだ?風に当たらないと死んでしまう?意味がわからないぞ。
頭をいつも以上に回転させりがどうして理解が追いつかなかった。
しかしさすがに言葉の意味ぐらいは分かる。
その言葉の意味ぐらいは。
「……死んじゃうのか?風歌?」
すると風歌はまたまた儚い笑顔をする。
なぜだかその笑顔を見るだけで泣きそうになった。
「簡単には死なないわ。ただ風に当たらなくなると身体が拒絶反応を起こすの。ひどい発作が続いて、最終的には死んでしまう可能性が高いって」
いまさらながらに気づく。夏だからだとばかり思っていた扇風機は風歌の命を守る物だったのだ。
これだけの風を感じなければ風歌は死んでしまうのだ。
「……それでその病気は治るのか?というか一体なんなんだよ、その病気」
「こんな馬鹿みたいな話信じてくれるんだ…。駆は優しいんだね。それともただのお馬鹿さんかな?」
くすりと風歌は笑う。そんな笑顔も今は無料している気がする。
そりゃー普通ならこんな話信じない。ましては今日会ったばかりの人の話なら尚更だ。
だけどその儚げな微笑みがこの話はホントだと語っている気がした。
「この病気はね、名前の通り精神が大きく関係しているの。
例えば交通事故にあった人がその恐怖や痛みを忘れられずに、別に足に異常が見られないのに動かないなんて事があるって聞いた事がない?」
「そんなような事はテレビで見た事があるような気がするな」
「この病気はねそれのさらにイレギュラーなものなの。
私のある記憶に精神が反応して身体に大きな枷をかけるの。このように風を感じなければ死んでしまうように……」
風歌はそのまま小さく俯いた。そのせいで表情が見えなくなった。
それにしてもこんな病気があるなんてまったく知らなかった。あんなにも明るい女の子をこんなにしてしまう病気があったなんて。
わき腹をぎゅっと強く摘む。 こんなにも無知な自分に腹がたって仕方なかった。
そしてこの怒りはそれだけではない気もした。きっと今もなお嫌なものから目を反らしている自分に腹がたっているのだ。
父親から逃げるそんな自分に……。
「それは治す事が出来るのか?多少なりとも緩和出来ないのか?」
部外者が最低限関わっていいのはさっきの所までだったのかもしれない。逃げるならさっきの所だったのかもしれない。 だけど無意識の内にそんな言葉が出てきた。自分は馬鹿だなと感じながらそれでも続けた。
「今日会ったばかりの俺だけど何か出来ないのか?何かしてあげられないのか?」
風歌は微笑み続ける。その微笑みは消える事はなかったが風歌は小さく顔左右に揺らす。
「治療法はあるの。あるけれどそれはとても難しいの。だってその私の記憶の中の不安を全て取り除かなければならないの」
「…それってそんなに難しくないんじゃ……」 「ううん、難しいの。気持ちっていうのはそう簡単には変わらないの。しかもそれがその人にとってトラウマならばなおさらね」
「……」
反論する事も出来ずただただ口を紡ぐしかなかった。
それもそうだ。もしそんなに簡単に治るなら風歌はここにはいないはずだし、友達を求めて風船を飛ばすなんて事するはずがないのだ。 「そんな風に心配してくれただけで私は十分だから。だから駆は重荷に感じずにこの部屋を出て行っていいんだよ?」 そうだ、あの時のように逃げればいいんだよ。今回は相手だってその事を認めてくれてるんだ。 父さんから逃げ出したように風歌の前から逃げ出してまた明日からいつもの生活に戻ればいいんだ。
そうやって生きてきたじゃないか。だから今回だって……。
……。
駆は風歌をもう一度しっかり見る。最初に見た楽しそうな笑顔がとても懐かしく感じる程、今の彼女の顔は寂しそうに壊れてしまいそうに見えた。
たぶん彼女は前にも他の誰かに逃げられたんだろう。
何通も何通も手紙を出して友達を見つけようとしてきたんだ。何人かはこの病室にたどり着いたはずだ。
それでも今の彼女に友達がいないのはその人達全員に逃げられてしまったからだ。
風歌の病気の事を知り、その友達になる重さを感じ、そして逃げたんだ。
その度に風歌は嬉しい気持ちになりながら同時にそれ以上の寂しさと裏切られ感に会ってきたんだ。
出会ってからほんと少ししか経ってはいない。それでも分かる。風歌はこんな風に悲しい顔をしながら生きるべき女の子でない事が、そして自然な微笑みが似合う女の子だと。
逃げたい。また逃げ出したい。そうすれば何も恐れずに毎日を過ごせる。何にも立ち向かわなくて済むんだ。
だけど、今回はどうしてもそれが嫌だ。逃げてばかりの俺だけど、今回ばかりはそうも出来なかった。
なぜだか分からない。分からないけど今はそんな理由はどうでも良かった。
駆はベッドへと距離を縮める。そして小刻みに震える手にそっと手をおく。
風歌はハッと顔をあげる。目には涙が溜まっていた。
「なんで……帰らないの?…私の事を全て知ってなぜ帰らないの?」
風歌はつっかえつっかえに言葉を繋ぐ。
駆は震える両手をしっかりと握りしめた。
「俺がその病気治してやる。その不安を取り除けばいいんだろ?だったら俺がその役を担ってやるよ」
風歌は一瞬驚きを見せるがすぐに唇を噛み締めた。
「そんなの無理よ、無理に決まってる。私は10年近くこの病気と戦ってきてそれでもまったく治る気配がなかったのよ。それを一般人の駆が出来るはずないじゃない」
最後は叫ぶように言い切る。
いつもの俺ならここで負けているかもしれない。ここまでよくやったと褒めていたかもしれない。
だけど今日は一歩前へと踏み出す。
「俺は知識がないかもしれないし、今日風歌に会ったばかりだ。でも俺は風歌のその辛い過去を塗り替えたいんだよ。調子に乗ってるのかもしれないけどそれでも俺に手伝わせてくれよ」
握る手に力を籠める。さっきまで強がっていた女の子の手とは思えない程細い手は力をちょっといれただけで今にも折れてしまいそうだ。
風歌の目に溜まっていた涙は筋となってどんどん溢れてきた。
しかし風歌はまだ首を振り続ける。
「その気持ちは嬉しい。……でもどうやってこの病気を治してくれるの?10年近く悩まされ続けたこいつはそう簡単には治らないわ。治らないと分かっているのに駆を巻き込みわけにはいかないわ」
「それなら俺が風歌の為に物語を書いてやるよ。その過去を忘れちゃうくらいなやつを」
「えっ……」
風歌はその言葉の意味が分からないらしくぽかーんとしてしまう。
俺が出来る事なんて限られてる。だから俺しか出来ない事をする。
「黙ってたけど俺は実は小説家なんだよ。そして今ちょうど新しい話を書こうとしていたんだけど思いつかなくてな。それでその話に自己精神隔離病について書かせて欲しいんだ」
「で、でも……」
駆さらに風歌の両手をとり自分の両手で包んだ。
「俺がこの病気で風歌を幸せな気持ちにさせる、過去の思い出を塗り替えるそんな話を書いてみせるから。だからどうか俺に手伝わせてくれないか?」
その言葉を聞くやいなや風歌がこらえていた涙はボロボロと落ちてシーツに染みを作った。
「……っ……初めて会った女の子を初日で泣かせるなんて…駆は最低な男ね。……でもなんで私にここまでの事をして…くれるのよ?」
泣きながらも強がりを言う風歌。うん、このくらいが風歌らしいな。
しかし風歌にここまでする理由はなんか口にするのは恥ずかしい。あん恥ずかしい事言ったら男のプライドがずたずただ。
だから駆は嘘をつき違う理由をいう事にした。 「お、俺と風歌はもう友達だろ?だったら助けるのは当たり前だろ」
…………
………今の発言恥ずかしすぎるだろ。顔が火照ってきたし体の芯までもが熱い。
何が「友達だろ」だよ。俺は今高校生だよな!16歳だよな!
やばい、さっきの時間を返して欲しい。マジやり直したいです……
駆は顔を覆ったまま悶える。今が逃げ出したい時だとそんな風に思いながら。
すると駆の服が軽く二回引っ張られる。駆はまだ赤みがかかる顔のままそちらをみる。
そこには白い手が服を掴んでいて、その手は風歌から伸びていた。
風歌の顔にはもう涙はなかった。跡は残っているのだが今はもう目立たない。
風歌は満面の笑みだった。新しいおもちゃを与えられた子供のように楽しそうな笑顔だった。
「わかった。それじゃ、私の病気を治すのを手伝って下さい。お願いします」
ベッドの上で一礼してから風歌が手を差し出してきた。
扇風機がまた大きく風歌の髪を巻き上げる。
駆はすかさずその手に自分の手を差し出して握手をする。
「こちらこそ、不甲斐ないけどよろしくな」
がっちりと握りあう。力を入れつつ、それでいてこのか弱い手を折らないように優しく。
風歌のその辛い過去について俺はまだ何もしらない。だからもしかしたらでしゃばった事しかしてないのかもしれない。 だけどここならば自分も変われる、そんな気がしたのだった。