第11話「夜明け」
リリアは母を抱きしめたまま泣き続けていた。
森の中に嗚咽だけが響いている。
レイヴンはリリアの隣に座っていた。
リリアの肩に手を置いたまま。
何も言わない。
ただそこにいる。
レイヴンの視界にリリアの姿が映る。
銀髪が乱れている。
血と涙に濡れている。
母の遺体を抱きしめている。
その姿が重なった。
別の光景が脳裏に浮かぶ。
トラックのヘッドライト。
(ああ、これで終わりか)
冷静にまるで他人事のように思った。
すべてを諦めたのだ。
(結局、何も言えなかったな)
(父さんと和解できなかった)
(母さんにありがとうも言えなかった)
後悔だけが残った。
(もう会えない、永遠に)
視界が暗転した。
レイヴンは、目を開けた。
森の中。
現実に戻る。
リリアの嗚咽が森に響く。
レイヴンはその震える肩を見つめた。
その姿が自分と重なる。
彼は静かに口を開いた。
「リリア」
低い声。
リリアの嗚咽が止まる。
しかし顔は上げない。
母を抱きしめたまま。
「少し話をしてもいいですか」
リリアがわずかに頷いた。
レイヴンは少し離れた場所を見つめた。
「リオン」
リオンが近づいてくる。
「部隊を少し離れた場所で待機させろ。私はリリアと少し話をする」
リオンは頷いた。
「承知しました」
兵士たちが静かに離れていく。
森の中に二人だけが残されレイヴンは深く息を吸った。
「私にも似た経験があります」
リリアの顔がわずかに上がり涙に濡れた赤い瞳がレイヴンを見上げる。
彼の唇が開く。
「私は家族と和解できなかった」
レイヴンの声が低く沈む。
リリアの目がわずかに見開かれる。
「父と対立し部屋に閉じこもった。」
レイヴンの視線が遠くを見つめている。
その瞳に映るのはもうここにはない景色。
リリアは静かに聞いている。
「母が毎日食事を運んでくれました。でも私は一度も扉を開けなかった。返事もしなかった」
レイヴンの声がわずかに震える。
彼の拳が震える。
「明日でいい、明日話そう。毎日そう思い続けて」
声が途切れた。
喉が上下する。
言葉を飲み込むように。
沈黙。
「でも」
「明日は来なかった」
「何も言えないまま」
風が止まり、森が息を潜める。
リリアの目がレイヴンを見つめる。
「父との和解の機会は永遠に失われました。母に感謝の言葉も伝えられませんでした」
レイヴンがリリアの方を向いた。
「後悔だけが残りました」
その目が揺れ、やがて伏せられた。
「だから......あなたの痛みが少しだけ分かります」
リリアの唇が、震える。
「あなたは......」
か細い声。
「あなたも何もできなかったんですね」
レイヴンは頷いた。
「はい。何もできませんでした」
二人の間に、沈黙が降りる。
しかしそれは冷たい沈黙ではなかった。
地面に座る二人。
リリアは母を抱き、レイヴンは膝に手を置いている。
月のない夜空の下で。
やがてレイヴンが再び口を開いた。
「でもリリア」
その声は、違った。
悲しみの底から、這い上がってくるような。
確かな、強さを持った声。
「あなたにはまだ前に進む道がある」
リリアが顔を上げる。
「私はもうやり直すことができませんでした。でもあなたは違う」
レイヴンの手が、リリアの肩を掴む。
温かい、生きている人間の温もり。
五本の指がリリアの肩を掴む。
強く、しかし優しく、確かな力で。
「生きること。強くなること。それがご両親への供養になります」
リリアの目に涙があふれる。
一筋、また一筋。
頬を伝う。
リリアの唇が震える。
「でも私は......」
「あなたは何も悪くない」
レイヴンの声が、力強く響く。
「ご両親はあなたを愛していました。最期まで」
リリアの肩が震える。
レイヴンの手の下で。
嗚咽が、再び込み上げる。
レイヴンの目がリリアをまっすぐ見つめる。
リリアの目が、レイヴンを見上げる。
「後悔する必要はない。あなたの父上はあなたを守った」
リリアの涙がまた流れる。
その瞳にわずかに光が戻り始めた。
「私......」
「私、どうすればいいんですか」
レイヴンは静かに答えた。
「前を向いて生きてください。強くなってください」
リリアの手が母の手を握りしめる。
「そして」
「あなたが誇れる自分になってください。ご両親が誇れるような」
リリアは母の顔を見た。
冷たく動かない顔。
リリアはゆっくりと母を横たえた。
地面に。
そして立ち上がった。
涙で濡れた顔を、袖で拭う。
赤い瞳がレイヴンを見た。
その瞳は悲しみを湛えながらも、同時に力強い光が宿った。
「ありがとうございます。レイヴン大佐」
「行きましょう。要塞に戻ります」
レイヴンは頷いた。
レイヴンが兵士を呼ぶ。
母の遺体を布で包み運び出す。
部隊が再び動き出した。
東の空が白み始めている。
長い夜が終わろうとしていた。
リリアは前を向いて歩いた。
レイヴンが隣を歩く。
森を抜ける。
平原が見えた。
その向こうにバスティオン要塞。
夜明けの光が要塞を照らしている。
部隊が要塞に到着した。
門が開いた。
疲れ果てた兵士たちが次々と入っていく中、リリアは立ち止まり要塞を見上げた。
要塞の中庭。
そこに小さな墓地があった。
兵士たちが二つの墓を作る。
父のための墓。
母のための墓。
石を積み上げる。
簡素だが丁寧に。
やがて墓ができあがった。
リリアが墓前に立つ。
レイヴン、リオン、ジョルジュ、アストリア。
そして多くの兵士たちがその後ろに並ぶ。
リリアは墓石に手を置いた。
冷たい。
あまりにも冷たい。
石の表面の細かい凹凸が、指紋に食い込む。
唇が開く。
「父さん、母さん」
声が震える。
喉の奥から熱いものが込み上げる。
涙がまた溢れそうになるが必死にこらえる。
「私、あなたたちが誇れるような人間になります」
リリアの手が拳を握りしめる。
爪が掌に食い込んだ。
「強くなります。多くの人を守ります」
その瞳に炎が宿る。
言葉が途切れ彼女は唇を噛んだ。
「そしてモデルナを許しません」
その声はもう泣いていなかった。
リリアがレイヴンの方を向いた。
ゆっくりと、体が回転する。
銀髪が風に揺れる。
涙の跡が残る頬と瞳。
その目はまっすぐと彼を見つめている。
「レイヴン大佐。私を強くしてください」
東の空から一筋の光。
地平線を越え平原を照らし、要塞に届く。
光がリリアの銀髪を染める。
そしてレイヴンの顔にも届く。
朝日が二人を照らす。
レイヴンは頷いた。
「約束します」
レイヴンの声が朝の空気に響く。
リリアの唇がわずかに微笑んだ。
悲しみの中に希望が混じった微笑み。
朝日が二人を照らしている。
新しい一日が始まろうとしていた。
氷川静也はできなかった。
家族と和解することをもう一度立ち上がることを。
レイヴン・アッシュフォードはリリア達と共に前に進む。
それがこの人生で選んだ道だった。
墓の前でレイヴンとリリアは並んで立っていた。
二人の影が朝日に伸びている。
墓の前で並ぶ、二つの影。
長く困難な道のりが、これから始まる。
しかし二人はもう孤独ではなかった。




