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グランディア戦記  作者: aik


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第1話「転生」

雨粒が街全体を包んでいた。

 アスファルトに弾ける無数の水滴。

 街灯の光が濡れた歩道に反射してゆらゆらと踊っている。

 その中を一人の男が傘も差さずに歩いていく。

 足音だけが静寂を破っていた。

 髪から一筋、また一筋と雫が頬を伝う。

 まるで涙のように。

 しかし静也の表情は相変わらず平坦だった。

 感情という名の色彩を失った顔。

 足が、一歩、また一歩と前に出る。

 機械的なリズム。

 その歩調に合わせて街の風景が流れていく。

 閉まったシャッター、薄暗い窓、誰もいない公園のブランコ。

 静也の肩越しに見える店内。

 暖かい光に包まれたコンビニ。

 ガラス越しに見える普通の日常。

 彼はその境界線に立っていた。

 内側の温かさと、外側の冷たさの間に。

 コンビニの自動ドアが開く音が響く。

 蛍光灯の光が網膜を刺した。

 

「いらっしゃいませ」


 店員の若い女性が声をかけた。

 静也と同世代ならもしかしたら結婚して家庭を築いているだろう。

 普通の人生を歩んでいるだろう。

 静也は唐揚げ弁当を手に取った。

 いつものメニュー。

 変化を求める気力もエネルギーもない。


「温めますか?」

「はい、お願いします」


 静也の声は平坦だった。

 感情を込めることができない。

 それが彼の長所であり同時に短所だった。

 レジの音が鳴る。

 店を出ると雨が強くなっていた。

 静也は弁当の袋を抱えて歩き始めた。

 実家まで徒歩十分。

 歩きながら、彼は冷静に自分の人生を振り返った。

 優秀な成績で大学を卒業後大手商社に入社。

 しかし感情を表に出すことを嫌い、常に論理的でいようとした。

 その結果、誰とも深い関係を築けなかった。

 上司との激しい衝突、会議室での冷たい空気。


「君の論理は正しいかもしれないが、人の心が分かっていない」


 転職面接での失敗。


「もう少し熱意を見せてもらえますか?」


 同僚との協調性に欠け、上司とも感情的な対立を生んだ。

 引きこもってからも静也は冷静に現状分析を続けていた。

 しかしプライドが邪魔をして誰にも助けを求められない。

 交差点の向こうに見える実家の灯り。

 静也のことを心配しながらそれでも温かく迎えてくれる母親。

 申し訳ないという気持ちで溢れそうである。

 信号が青に変わった。

 静也は横断歩道を渡り始めた。

 その時だった。

 大型トラックが雨で滑りやすくなった路面でコントロールを失い、信号を無視して突っ込んできた。

 静也は立ち止まった。

 逃げることもできたかもしれない。

 反射神経は悪くない。

 しかし、なぜか足が動かなかった。


「ああ、これで終わりか」

 

 冷静にまるで他人事のように思った。

 ヘッドライトが近づいてくる。

 世界がゆっくりと回り始める。

 雨粒が宙に止まっているかのように。

 静也の足が、地面から浮き上がったまま。

 時間が粘液のようにとろりと流れて。

 不思議と恐怖はなかった。

 むしろ、安堵に近い感情があった。

 もう頑張らなくていい。

 もう孤独に耐えなくていい。

 母親の顔が頭に浮かんだ。

 きっと悲しむだろう。

 でもこれ以上迷惑をかけ続けるよりは、いいのかもしれない。

 冷静に、静也は自分の死を受け入れた。

 これが自分の運命なのだ。

 受け入れるしかない。

 トラックのヘッドライトが視界を埋め尽くした。

 轟音が耳を支配した。

 金属がきしむ音。

 誰かの悲鳴。

 氷川静也の人生は雨の夜の交差点で終わった。

 上空から見下ろせばそれはまるで運命の交差点だった。

 四方から延びる白い線。

 その中央で立ち止まる小さな人影。

 迫りくる光の塊。

 そして降り続ける雨という無数の針がこの場面を静寂の中に閉じ込めていた。

 最後に聞こえたのは、遠くから響く救急車のサイレンだった。

 

 何も見えない。

 何も聞こえない。

 完全な無。

 意識が、ゆっくりと浮かび上がってくる。

 自分が死んだのだということが、妙にはっきりと理解できた。

 氷川静也は死んだ。

 不思議と、恐怖はない。

 悲しみもない。

 ただ、静寂だけがある。

 その時——

 何も見えない世界で、ただ一つの音だけが響く。


 「ほう」


 声が、無の中に落ちてくる。

 まるで石を静寂の湖に投げ込んだように。

 どこから聞こえるのか分からない。

 上から?下から?それとも自分の内側から?


「あっさり死を受け入れるのか」


 軽やかな声だった。

 威厳があるわけでも、神々しいわけでもない。

 どこか飄々として、人を食ったような響き。

 静也は答えようとしたが、声が出ない。


「ああ、まだ口がきけないか。まあ、聞いてればいいよ」

「僕は神だ。」


 声が空間に響く。

 どこまでも続く広がりの中で、言葉が何度も跳ね返る。

 神。

 静也は冷静にその言葉を受け入れた。

 死んだのなら、神が現れても不思議ではない。

 遠くで、小さな光が点滅している。

 蛍火のように、弱々しく。

 その光に合わせて、声が大きくなっていく。


「君みたいなタイプは珍しいなぁ。普通の人間は、ここで泣いたり動揺したりするものなんだけど」

「二十九年間、ご苦労さま。まぁまぁだったね」


 まぁまぁだった。

 まるで映画でも見ていたかのような口調だった。


「冷静に論理的に生きようとして、結果的に孤立しちゃう。で、最後は運命を受け入れて死んじゃう。可哀想だね」


 他人事のように分析される自分の人生。

 しかし、静也は怒りを感じなかった。


「でも、つまらない終わり方だったなぁ。」

「君の命は、使い方次第でもっと面白いことができそうだ」


 面白いこと。

 この神は、人の人生を娯楽の一つとして見ているのだろうか。


「そこで提案なんだけど、もう一回やってみない?」

「別の世界で、別の人生を。どうかな?」

「どうなるかは分からない。幸福になるかもしれないし、不幸になるかもしれない」

「まあ、どっちに転んでも僕は知らないけどね。君が選択していくことだから」


 無責任だった。

 神らしい慈悲も、導きも感じられない。

 ただの好奇心だけがあった。


「ちなみに、僕は時々様子を見に行くかもしれない」

「でも基本的に放置だから。自分のことは自分で決めてよ」


 静也は考えた。

 いや、考えるまでもなかった。

 この人生には、何も残らなかった。

 それが現実だった。

 

「返事はいらないよ。君の心はもう決まってる」


 無数の光の糸が、次元を越えて伸びている。

 一つの世界から、別の世界へ。

 静也の魂が、その糸の一本を辿って移動していく。

 神は、そのシステム全体を眺めながら、満足そうに呟いた。


「じゃあ、行ってらっしゃい。面白いことになりそうだ」


 光が差し始めた。

 その向こうに、石造りの天井がぼんやりと見える。

 現在の暗闇と、未来の世界が二重写しになって。

 境界線が曖昧に揺らいでいる。

 しかし、その光に神の意志は感じられない。

 ただ、システムとして機能しているだけのような。

 氷川静也という存在が、ゆっくりと溶けていく。

 そして——

 別の何かが、目覚め始めた。

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