第4話 最悪な出会い
1話あたりの文字数が多すぎたので、9話まで分割して再投稿しています。
冬が明け、暖かい春先に差し掛かった4月4日の夕方。ジョージはオルグレン城内にある教会の図書室で、自由時間を満喫していた。手にとったのは童話集で、まだこのアグネス教世界の情報に疎いジョージは、読むのが容易な幼児本で見識を深めていた。どのエピソードも、聖女アグネスが竜王を倒した後の話がモチーフになっているようで、魔法を聖職者以外が用いることを戒める内容になっている。安易に魔法を使えば、竜王が世界を支配する暗黒時代の再来が訪れるというのがこれらの童話が伝えたいメッセージであるらしい。
最後のエピソードを読み終わったジョージは、同じ内容ばかりの童話集に辟易して、のけぞって頭を椅子の背もたれに押し当てる。天井に張られた蜘蛛の巣に捕まったハエが、奮闘むなしく巣の主に捕食されているのを目にして、ジョージは今日の出来事、特に午後の方を思い出す。
午後は、午前のトーマスの遠乗りに同行してから、オルグレン城に戻ってすぐに、エドワード隊長から剣術や体術の指南を受けた。今まさに視線の先で生存競争に敗北したハエのように、蹂躙された記憶が蘇る。
「いいかジョージ。自分が明らかな劣勢の時は正面から相手をせず、向こうの出方に瞬時に対応出来るように予測を怠るな」
「お前は体が小さい。これから大きくなるかは別として、その背より大きい者を仕留める時は相手の力を利用して戦うことが肝要じゃ。今からその術を教える」
そう言って60歳とは思えない体から繰り出される体術の数々は、剣術の訓練の時よりも多彩な攻撃をジョージに浴びせ、途中でたまたまトーマスが立ち寄らなければ、あのままぶっ通しで続けられていたかもしれない。
「小父上が止めて下さらなかったら夕食までしごかれていたんだろうなぁ」
そうぼやきながら童話集を本棚に戻し、図書室を後にする。そうして司祭にお礼を言ってから教会を出て墓地に入った途端、ニヤニヤと気色の悪い笑みをする3人の少年たちに囲まれた。全員見覚えがない、いや、奥の赤みがかった茶髪をオールバックに整えて、煌びやかな服装に身を包む少年のことは印象に残っている。それと、夕陽に照らされて分かりづらいが右頬が赤く腫れているように見えた。──嫌な予感しかしない。
「おい、お前が最近城に来たジョージか」
およそ友好的とは思えない態度をとられたジョージは、視線を一番背が高い男に向ける。まるで村のガキ大将らしい粋がった奴で、こちらの返答など求めていないことは明らかだったが、ジョージは一応返事をしようとした。だが、やはりと言うか、彼らは返答を待つことなくジョージを完全に包囲する。
不穏な予感は最初からあったが、これが現実となることが確定したことを察したジョージは、何とか穏便に済ませようと、3人組のリーダーに直接話しかけることにした。
「……貴方がフランク様ですか?」
確信を込めたジョージの問いには、やや含みがあった。幾度も面会に出席せず、尊敬する養父の顔に皺を追加し続けた元凶が半笑いで目の前に現れたのだ。穏便にしたいという建前が義憤という本音に無意識に押しのけられ、嫌悪がこもった視線が少年貴族へ向けられる。
一方で名指しされた名門貴族の子息は、笑みを崩して眉をひそめた。そんな不穏な雰囲気を察してか、取り巻きが包囲を解いて、ジョージの視線をふさぐように立ちはだかる。
「おい貴様!馴れ馴れしく閣下に話しかけるな!」
いかにも貴族の側近のように振舞う丸眼鏡の少年に詰められて、ジョージは一歩後退りする。だが、そこで引くほどジョージの精神力は弱くなかった。年上と思しき彼らに負けじと言い返す。
「いきなり3人で囲っておいて舐めた態度とはなんですか。名乗りもせず、要件も告げずに、主人の威を借りて吠えるのが貴方がたの仕事ですか?いつもそんな態度で仕えているから、フランク様が周りから煙たがれることをいい加減自覚したらどうだ!」
突然の辛口を浴びせられたお付きの顔が険しくなり、喧嘩腰の方は頭から湯気が立ちそうなほど紅潮している。一触即発の事態に、また半笑いに戻った少年貴族が割って入る。
「まぁ、全員落ち着け。私たちに非礼があったのは確かだ」
そう言って彼は髪を両手で整えながら、取り巻きの前に進んでジョージに挨拶をした。
「初めまして。私はヘンズリー家前当主ゴードンの息子、フランクだ。君のことは叔父貴から聞いてるよ……。記憶を失ったんだってな?」
挨拶と言いつつ、小馬鹿にする態度にジョージの神経が逆撫でされる。しかし、名乗られたからには返事をしなければならない。ジョージも背筋を伸ばし、足を揃え、右手を胸に添えたまま頭を下げた。
「お会いできて光栄であります、フランク様。僕、いえ私の名はジョージ・ウェブスターと申します。父は騎士ダニエル。クラガン村の代官をしておりました。既に小父上……トーマス様からお聞き及びと存じますが、フランク様の側仕えを命じられました。今後ともよろしくお願いいたします」
10歳の少年とは思えない受け答えを愉快に思ったのか、フランクは口元を緩める。だがその返事は相変わらず非好意的なものだった。
「あぁ聞いているとも。もちろん、何度もな。……けど私に君は必要ない!私には既にノエルとニコラスが付いているし、貴族でもない君を従わせては私の格が落ちるというものだ」
名を呼ばれた取り巻きの2人──知的そうな丸眼鏡を掛けるノエルと、腕っぷしに自信がありそうなニコラス──が「そうだそうだ」と言わんばかりに何度も頷き、
「たかだか騎士爵家の遺児がデカい面をするとはけしからぬ」
「村1つ守り切れず死ぬ輩のガキが、フランク様にお仕え出来るわけがなかろう!」
などとほざいた瞬間、ジョージは心臓の鼓動が激しくなっていくのを自覚した。今までの義憤の感情が明らかに違う、どす黒いものへと変わっていく。だが、我慢だ。無礼を働いてはならない。この人達は僕よりも遥かに偉い立場の人間だ。もし逆らえば、貴族社会で生きていけないことぐらい記憶を失っていても理解出来た。
──それでも、ジョージは、父と家名を傷つけられたことを笑って見過ごすことが出来なかった。何かあっても小父上がなんとかしてくださるに違いない。そう期待したジョージは、頭を上げながら、ついさっき読んだ童話集の感想を伝えるかのような、自然な声色で3人の嘲笑を遮った。
「それにしても……」
ここで一呼吸置き、相手の意識がこちらに向いたのを確認してから、続きを口にする。
「それにしても、なぜ今になって僕とお会いしていただけたのでしょうか。……小父上に何か言われましたか、フランク様?」
ジョージから向けられた笑顔を見て、フランクの表情が固まる。
「今日に至るまで一度も僕と会ってくれなかったのに、何で急に会いに来てくれたんですか?」
言い返そうとするフランクより早く、ジョージは遂に家臣としての一線を越えた。
「その右頬、大丈夫ですか?ま、十中八九、小父上に殴られたんでしょうけど。……手を上げられた鬱憤を、格下に晴らしに来た気分はどうですか?」
フランクはハッとして、手で右頬を隠した。その行動で確証したジョージは、養父トーマスに言われた言葉を繰り返した。
「“記憶を忘れても誇りだけは忘れるな”……小父上から頂いた僕の大切な言葉です。貴方がたは僕だけじゃなく、父ダニエルの名誉とウェブスター家の誇りに傷を付けた」
正面切って喧嘩を仕掛けたジョージに対し、フランクの顔は夕陽よりも激しい紅色に染め上げられている。ノエルとニコラスも、フランクの一歩前へ進んで臨戦態勢だ。2人に守られながら、怒りに駆られたフランクは、声を震わせながら殺意のこもった言葉を言い放つ。
「……クソガキ、誰に向かって口をきいていると思っている?」
「二人称は“君”じゃなかったのか?お貴族サマ」
躊躇いのないジョージの煽りが、フランクのプライドと自制心を粉々にした。次の瞬間、頭に血が上ったフランクが、ノエルとニコラスを押しのけて、ジョージに殴りかかる。対照的にジョージは冷静だった。明らかな暴走行為で繰り出される右拳は遅く、視線でどこを狙っているか丸わかりだ。
フランクはジョージの顔目掛けて振りぬいたが、拳は空を切る。
「うぉっ!?」
勢い余ってバランスが崩れたフランクの体は、仰向けに転がりながら、顔への攻撃を避けたジョージの反撃によって、空中へと放り投げられていた。10歳のジョージが、4つ歳上のフランクと正面から戦ったところで勝ち目は薄い。そこでこの栗色の髪の少年は、武芸の師であるエドワード隊長から教わった体術を駆使して、フランクの体を投げ飛ばしたのだ。
「フランク様!」
ノエルの悲鳴にも近い声が発せられたと同時に、ニコラスの巨躯が、ジョージの無防備な起き上がりを蹴り飛ばそうと突っ込んでくる。そして、その勢いを乗せた左足が振り上がった瞬間、ジョージは寝転んだまま全身を回転させ、ガキ大将の左足の脛に右足で力一杯の横撃をお見舞いした。
「っ痛!」
思い描いた通りにニコラスはバランスを崩し、奴の足蹴りはギリギリ頭の上を通り過ぎた……かと思われた。ニコラスが倒れない。痛がる素振りを見せたし、確実に脛に一撃を打ち込んだはずなのにニコラスは痛む右足そのまま、吠えながら左足を振りぬいた。
「ぉぉおらぁ!!」
体が浮き上がる感覚の後に鈍い痛みが腹を襲う。体勢が完全ではないのにもかかわらず、ニコラスの攻撃は、ジョージの小さな体を空中へと蹴り上げた。
(受け身をっ)
咄嗟にエドワード隊長に投げ飛ばされた時を思い出して、空中で体勢を整えようとするが、墓地に無数にある墓石に背中を打ち付けてしまった。
(ダメだ立て直せない!)
せめて落下時のダメージを最小限にする為に、ジョージは頭に両手を伸ばして覆い、後は神に祈った。幸いなことに墓石にぶつかったり、石畳の地面に落ちたりせず、草むらの上に落下した。無事を確認したジョージは飛ぶように起き上がり、状況を確認する。特にあのガキ大将の追撃には最大限の警戒を……と思っていたが、あのゴリラの姿が見えない。最初に投げ飛ばしたフランクを助け起こしているノエルの姿は視界に捉えたが、どこにもいない──。
(あの巨体でどこに隠れた!?)
目線を上下左右に向けまわし、周囲の音を集中的に聞き分ける。フランクの繰り言、ノエルの上ずった声、木々のざわめき、呻き声──ん?呻き声?
苦悶の声が聞こえる方へ視線を下げると、そこには墓石か何かに頭をぶつけて、血を流しながら失神しているニコラスがいるではないか。どうやら神はコイツには微笑まなかったらしい。
これで1名ダウン。残りは2人。ノエルの方は貴族の取り巻きらしく狼狽えるばかりで大した相手じゃない。……しかし、多対一の戦闘でいつまでも優勢が続くとは限らないことを、ジョージはエドワード隊長との訓練で知っていた。ここらが引き時だ。そう判断したジョージは、起き上がってからずっとブツブツ言っているフランクに向き直った。
「怪我人もいることですし、このあたりで止めにしませんか。この騒ぎを聞きつけられて困るのはお互い様ですし」
ジョージの大人びた余裕のある態度にノエルは驚いていたが、その視線がフランクの手元に向けられた途端、彼は目を見開いて口をパクパクさせている。つられてジョージもフランクの手元を見ると、その右手は左腰に提げた剣の柄を握りしめていた。
「フランク様!丸腰の相手にそれは!!」
ようやく喉から声が出たノエルが、大慌てで引き留めようとするが、フランクにその静止は届かない。徐々に刀身が引き出されるのと同じ速度で、一歩、また一歩とフランクがこちらへ歩み寄って来る。それと同時に、彼が発する繰り言がジョージの耳に届き始める。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
フランクの目の焦点が合っていない。声色も上ずったり、急に低くなったりと安定しない。彼の状況を一言でいうなら、そう、激怒だ。
一方でジョージは血の気が引いていた。単に命の危険だけであれば逃げ切る自信があったが、挑発に乗って戦う選択肢を選んだことが、ここまで相手を怒らせる結果になるとは露ほども考えていなかった。この後の関係修復は絶望的と言わざるを得ない。養父トーマスに何と説明すれば良いか。ジョージは後悔と焦りを内包した独り言をポツリと溢した。
「最悪な出会いだ……」
登場人物
・ジョージ・ウェブスター……革新派の襲撃を受け、記憶と両親を失った。トーマスの被保護者。
・フランク・ヘンズリー……前オルグレン辺境伯爵の遺児。
・ノエル……フランクの側近。父が男爵。
・ニコラス……フランクの側近。大柄で力持ち。




