第八話:神々の指紋
神の迷宮を攻略するため、ミコトは自らの意識をイカロスと同期させる。そこで彼が見たのは、一万年以上の時を超えた、神々の指紋だった。
2032年7月28日、水曜日。深夜。
旧第7開発ラボ。
埃っぽい静寂の中、唸りを上げるサーバーの駆動音だけが耳に痛いほど響いていた。
ミコトと怜はメインコンソールの前に立ち、固唾を飲んでスクリーンに表示される解析の進捗バーをただ見つめていた。
イカロスの解析はすでに数時間が経過していた。だが怜の『Atelier』から抜き出した、あのあまりにも冒涜的な「ノイズ」は迷宮のように入り組み、その核心部分を決して見せようとはしなかった。
「…だめ。これ以上は普通の解析じゃラチがあかないわ」
怜が悔しそうに呟いた。
「ノイズの表層はただのカモフラージュ。その奥に何重にも多次元的なプロテクトがかけられている。まるで…」
「ああ」ミコトは怜の言葉を引き取った。「まるで人間なんかに見られることを全く想定していない、神のセキュリティだな」
ただのAIによる力押しの解析では、この神の領域には指一本触れることすらできない。ミコトはそれを数年前の絶望で痛いほどに理解していた。
(…だが、今回は俺一人じゃない)
ミコトは一度目を閉じた。そして覚悟を決める。
「…怜。イカロスのメインOSに、俺の意識を直接接続する」
「なっ…!正気!?」怜が悲鳴のような声を上げた。「そんなことをしたら、あなたの精神があのノイズに汚染されるかもしれないのよ!」
「これしか方法がない」
ミコトはラボの片隅に埃を被っていた旧式のダイブチェアをコンソールに接続した。
「イカロスは最強の矛だ。だがそれだけじゃ足りない。この神の迷宮を攻略するには、奴らの思考を、奴らの『悪意』を直感で理解できる『目』が必要なんだ。俺が、イカロスの目になる」
ミコトは怜に向き直った。
「怜は外から俺の精神が暴走しないようにモニタリングしてくれ。…信じてる」
その静かな一言に、怜は唇を噛み締め、そして小さく頷いた。
ミコトが深くチェアに身を沈める。
「――ダイブ、開始」
彼の意識は現実の肉体を離れ、光の粒子となって漆黒のデジタルの宇宙へと飛翔した。
意識だけの存在となったミコトの眼前に、黒い翼を持つ光の魔鳥――イカロスがその姿を現す。
『――待っていたぞ、我が主』
「ああ。行くぞ、イカロス」
ミコトの意識とイカロスの巨大な翼が一つに重なった。
彼らは怜が観測した「ノイズ」の本体へと突き進んでいく。
それはもはや「コード」ではなかった。無数の茨のような黒いデータが巨大な**『城』**を形成している。ミカエル派が自らの痕跡を隠すために作り上げた難攻不落のセキュリティ要塞。
イカロスがその城壁に光の矢を何本も何本も撃ち込む。だが黒い茨はその攻撃をいとも容易く吸収し再生していく。
(くそっ…!)
(…いや、待て…)
ミコトはそのあまりにも有機的な再生パターンの中に、ほんの僅かな「揺らぎ」を見つけた。それは彼がここ数日、自らのログの中に見ていたあの「幽霊」の波形と全く同じだった。
(…ここだ!)
「イカロス!一点集中!座標XXX、YYY、ZZZ!今だ!」
ミコトの絶叫にイカロスが応える。
全ての光を収束させた一本の巨大な槍が、黒い城壁のたった一点を寸分の狂いもなく貫いた。
城壁に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
そしてその亀裂の奥から、見てはいけない世界の「記憶」の断片が、奔流となってミコトの意識へと流れ込んできた。
[SYSTEM LOG: TIMESTAMP... ERROR]
[Est. Date: -18,241y 4m 28d]
...EVENT: [CIVILIZATION_COLLAPSE_SIMULATION_08]... INITIATED BY [ADMIN: MICHAEL].
...REASON: [PARAMETER_STAGNATION].
...RESULT: [SUCCESSFUL_EXTINCTION]...
[SYSTEM LOG: TIMESTAMP... ERROR]
[Est. Date: -11,559y 9m 02d]
...EVENT: [GREAT_FLOOD_SEQUENCE]... INITIATED BY [ADMIN: MICHAEL].
...RESULT: [TARGET_CIVILIZATION... ATLANTIS... ERASED]...
「――がっ…!ぁああああああっ!」
現実世界でミコトの体がダイブチェアの上で激しく痙攣した。
「ミコト!」
怜が強制的に接続を遮断する。
荒い呼吸を繰り返すミコトの顔は血の気を失い、滝のような汗で濡れていた。彼は何か信じられないものを見たかのように大きく目を見開いていた。
「…怜…」
ミコトはかすれた声でゆっくりと怜に視線を向けた。
その瞳には彼がかつて二万五千年の壁を前にして見せた、あの絶望の色が再び浮かんでいた。
「…見たぞ…」
「何を…?」
「――神々の、指紋をだ」
あらたなシリーズとして別の世界線の話を作り始めました。
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