第六話:ゴーストの輪郭
「今夜、ラプラスに行く」――封印を解く覚悟を決めたミコト。彼の選んだ手段は、あまりにも無謀な、深夜の潜入作戦だった。
2032年7月28日、水曜日。夜。
カフェを出た後、二人はどちらからともなく、学生時代によく入り浸っていた大学の古い資料室へと向かっていた。今はもうほとんど誰も使っていない、埃と古い紙の匂いがする場所。
ミコトは壁のコンセントから、自らの『Atelier』へと直接電力供給ケーブルを繋いだ。
「…それで」
先に沈黙を破ったのは怜だった。
「あなたの言う通り『イカロス』を再起動するとして、どうやってあの場所まで行くの?」
ラプラス・ソリューションズ、旧第7開発ラボ。
世界のどこにもバックアップが存在しない、『αグリッド改』の心臓部が眠る唯一の場所。
「私が明日の朝、普通に出勤してアクセスしてみる。昔の研究データが必要になったって言えば…」
「だめだ、絶対に」
怜の最も現実的な提案を、ミコトは食い気味に否定した。その瞳から、すっと光が消える。
その声は怜が今まで聞いたこともないほど冷たく硬かった。
「え、どうして…?一番安全でしょ?」
「安全じゃない。全く逆だ」
ミコトは立ち上がると、資料室の窓から煌めく東京の夜景を忌々しげに睨みつけた。その瞳の奥には怜も見たことのない、深い深い闇が渦巻いていた。
「怜、俺の親父を殺した『奴ら』はな、銃や暴力なんて使わなかったんだ」
「…え…?」
「奴らはもっと静かで陰湿な方法で親父を殺した。メディアを操って学会を動かして、論文を、研究を、その存在価値の全てを、社会から静かに完全に『消去』したんだ。…俺はそれをすぐ隣で見てた」
ミコトが恐れているのは物理的な危険ではなかった。
怜が正規のルートで旧第7ラボにアクセスした、その「ログ」が残ること。そのログをあの「見えざる悪意」が見つけること。
そして怜がかつての父のように「会社に不利益な動きをした不審な研究者」として、社会的に静かに抹殺されてしまうことだった。
「俺たちが今追おうとしてる『ゴースト』が、親父を殺した『奴ら』と、同じものだっていう確証はまだない。でも」
ミコトは言葉を区切った。
「もし同じだった場合、お前が『調査』していると気づかれた瞬間、お前は終わる。俺の親父と同じように」
怜は言葉を失っていた。ミコトのトラウマから来る、それはほとんど妄想に近い恐怖。
だが彼女は知っていた。目の前の男が、決して根拠のない憶測で物を言う人間ではないことを。そして彼の瞳の奥に宿る「恐怖」が、あまりにもリアルな色をしていることを。
「…じゃあ、どうしろって言うのよ」
「やるなら**『誰もそこにアクセスしたことに気づかない』**方法でやるしかない。ラプラスのシステムに一切のログも痕跡も残さずにあそこへ侵入して、『イカロス』の謎を解き明かすんだ」
それは怜が提案した「表からのアクセス」とは全く逆の、完全な「裏からのステルス潜入」。
「…正気?」
「正気じゃないさ。だがこれしか方法がない」
怜は数秒間逡巡した。だが彼女の脳裏に、自らのAIが観測したあの、あまりにも美しく冒涜的なコードがよぎる。
あれは見てはいけないものだ。だが一度見てしまった以上、科学者としてその正体から目を逸らすことなどできはしない。
そして、その謎を解ける可能性を持つのは、世界でただ一人。目の前にいる、この傷だらけの天才だけなのだから。
「…分かったわ」
怜は覚悟を決めたように頷いた。
「あなたのその最悪のシナリオに乗ってあげる。…それで、具体的にはどうするの?」
ミコトはまるで昔、二人で徹夜でコードを書いていた頃のように、不敵に口の端を上げた。
「簡単なことさ。――今夜、ラプラスに行く」
あらたなシリーズとして別の世界線の話を作り始めました。
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