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第四話:観測不能な悪意

「あなたしかいないもの」――怜の言葉が、ミコトを再び世界の深淵へと引き戻す。二人が観測した『悪意』は、同じ一つの根から伸びていた。

 2032年7月28日、水曜日。夜。

自動ドアが開いた瞬間、火照った肌を祝福のように冷気が包んだ。

外の喧騒が嘘のような、静かなジャズが流れる店内。

ミコトは慣れた足取りで奥へと進む。 窓際の、いつもの席。そこに彼女はいるはずだ。

(最後に会ったのは、いつだったか。…いや、思い出すまでもない。俺が自ら全てに鍵をかけ、彼女の前から逃げ出したあの日からだ。俺たちの時間は、止まったままだった。合わせる顔など、本当はあるはずもなかった。)

席に結城怜が座っているのが見えた。

彼女がミコトに気づいて軽く手を挙げた。

数年会わないうちに、彼女はすっかり落ち着いた大人の女性になっていた。

だがその瞳の奥にある芯の強そうな光は昔のままだった。

その変わらない光が、変わってしまったミコトの胸をチクリと刺した。

「待たせたな」

「ううん、私も今来たとこ」

昔と同じ何気ないやり取り。だが二人の間には、数年という時間の壁が見えないガラスのように横たわっていた。

「…それで、お前が言ってた『とんでもないもの』って?」

ミコトが本題を切り出す。

怜は頷くと、自分のAtelierをテーブルの上でスライドさせた。

そこから投影された空中のログデータは、怜の指先で目まぐるしくスクロールされていく。

「これよ。私のAIが数ヶ月前から観測し続けてる『ノイズ』。最初はただのシステムエラーだと思ってた。でも解析を進めるうちに気づいてしまったの。これはエラーなんかじゃない。誰かがこの世界の…OSに直接書き込んだ、あまりにも異質な…」

「…ソースコード、か」

「ええ。まるで神様が書いた設計図みたいに美しくて、冒涜的なコード。ミコト、これ、一体何だと思う?」

ミコトは腕を組み、怜が示すデータに視線を走らせる。

(…この、痕跡の消し方…)

それはただのデータ消去ではなかった。

まるでその場所に「最初から何もなかった」かのように、空間ごと論理法則が書き換えられている。

第二話でミコト自身が感じていた、あの「幽霊」と全く同じ、不自然で冒涜的な手口だった。

「…こいつ、俺のシステムを徘徊してる奴と同じだ」

「あなたのを!?」

「ああ。だが問題はそこじゃない」

ミコトは怜の目をまっすぐに見た。

「怜。お前が見つけたこのコード…。俺はこれとよく似たものを、昔見たことがある」

「え…?」

「父さんの研究データの中でだ」

怜が息を呑む。

ミコトの父、神須創が狂人として社会的に抹殺される、その引き金となった禁断の研究データ。

怜は悔しそうに唇を噛んだ後、何かを決心したようにミコトの目をじっと見つめた。

「…ねぇ、ミコト」

彼女の声のトーンがわずかに落ちる。

「あなたが昔、私に何も言わずに封印した『アレ』と、何か関係があるの?」

「アレ」という一言で、全てが通じた。

父の無念を晴らすためミコトが全てを捧げた研究。

そして怜が、家族を失ったミコトと共に新しい未来を創ろうと夢見た、二人だけの理想。

――『αグリッド改』。

カフェの穏やかな喧騒の中、二人の間の空気だけが再び張り詰めていた。

あらたなシリーズとして別の世界線の話を作り始めました。

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