第二話:二万五千年の亡霊
父の亡霊、数字の亡霊、そしてログに現れる新たな『幽霊』。ミコトは、この熱に浮かされた世界で、過去に囚われ続けていた。
2032年7月28日、水曜日。午後三時過ぎ。
東京、品川。アスファルトを陽炎が揺らす。
高層ビル群のガラス窓に容赦なく照りつける太陽は、地上に焼き付けるような熱を送り続けていた。ここ数年、夏の最高気温は狂ったように更新され続け、今年は観測史上最速で40度の壁を突破した。横断歩道を行き交う人々は、誰もが慣れた様子でパーソナル日傘を広げている。
信号待ちの自動運転車が、静かに列を成していた。
神須ミコトは、自らのデスクでARゴーグルを装着していた。彼の視線の先、空間に投影された半透明のウィンドウの上を、指先が滑るように動く。
彼の相棒であり仕事道具でもある『Atelier』。それは父が遺した一枚の黒い金属板だった。一見すると時代遅れの旧式モデル。だが、その内部はミコト自身の手で、長年魔改造とも言えるアップグレードが繰り返されてきた、彼だけのモンスターマシンだ。
「よしっ、と…。こんなもんかな」
ミコトは一つ息をつくと、ゴーグルを外しこめかみを揉んだ。完了したのは提携先企業の業務用AIに組み込む、ありふれたデバッグモジュール。AIオーケストラの指揮者などと世間では持て囃されているが、実態は他人が作ったAIのご機嫌を伺う退屈な作業の繰り返しだ。
(…まただ)
納品前の最終チェック。ログの片隅に、昨日と同じ**「幽霊」**がまた記録されていた。認識できないはずの座標から意味不明の信号が一瞬だけ送られては、綺麗さっぱり消えている。
ミコトは、その異常なログを誰にも報告することなく、ただ淡々と削除した。見なかったことにする。それが彼の処世術だった。
「ちと休憩~、と」
ミコトは呟くと、デスクの引き出しから**古びた金属板『AURA』**を手にオフィスを出た。無機質な廊下を抜け階段を上り、重い鉄の扉を開ける。
途端に、むわりとした熱風が肌を撫でた。屋上だ。手すりから身を乗り出すと、巨大都市の情景が目に飛び込んでくる。
人々は、この異常な暑さを「異常気象」と呼ぶ。だがミコトは知っていた。これは気象だけの話ではない。世界そのものが、高い熱に浮かされているのだ。
(――父さん。あんたが見ていた世界も、こんな風だったのか?)
彼の脳裏に、灼けつくような過去の記憶が蘇る。
ミコトの父、神須創は天才的な物理学者だった。父はこの世界の仕組みにずっと疑問を抱いていた。自作のAIで何度シミュレーションを重ねても、地球がここまで混沌とする未来にはどうしてもならないのだ、と。
そしてある日、父はその「不自然なパラメータ」の存在を突き止めてしまう。それを学会で発表した父は「狂人」のレッテルを貼られ、社会的に抹殺された。
全てを失った父は自ら命を絶った。母も心を病み、幼いミコトの前から姿を消した。
天涯孤独のミコトを結城家が引き取ってくれた。怜だけがずっと彼の隣で傷を分かち合ってくれた、唯一の家族だった。
だからミコトは誓ったのだ。
父の研究は間違っていなかったと、この手で証明してやると。父を殺した、この世界の「悪意」の正体を暴き出してやると。
その一心で、彼は全てを捧げた。怜と共に青春の全てを賭けて、神の領域へと挑んだ。
だが、その果てに彼が見つけた答えは、あまりにも残酷なものだった。
『解の発見は不可能。但し――二万五千年以上、過去の世界線においてはその限りではない』
科学では、常識では、決してありえない数字。
それは父の無念を晴らすという、彼のたった一つの希望を叩き折るには、十分すぎるほどに冷酷な「壁」だった。
「……亡霊が」
ミコトは小さく呟き、手の中のAURAを強く握りしめた。
世界の真実に触れ、狂人として死んでいった愛する父の亡霊。
そして科学を信じる彼の心を根元からへし折った、二万五千年という数字の亡霊。
二つの亡霊が、ぎらつく夏の陽光の中で陽炎のように揺めいていた。
そしてその二つの亡霊に重なるように、今また新たな『幽霊』が、この熱に浮かされた世界を静かに徘徊し始めていることに、ミコトは言い知れぬ悪寒を感じていた。
あらたなシリーズとして別の世界線の話を作り始めました。
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