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第十一話:調和の世界(ハーモニー・ガーデン)

ここでは『死』を『卒業』と呼ぶ。魂が星の海へと還る、調和の世界の理。

男の名はアオ。 彼は朝靄の中で目を覚ました。

彼が「家」と呼ぶ寝室の壁は半分が岩肌で、半分が乳白色に脈打つ生きた水晶だった。

彼が眠っている間、水晶は彼の精神の波長を読み取り、最も安らげる夢を見せてくれていた。

部屋の中央には天井から伸びた巨大な蓮の花が淡い光を放ち、夜の間の空気を浄化してくれている。

アオがゆっくりと身を起こすと、その動きを感知した蓮の花びらが朝日を迎えるために静かに開いていった。


アオはテラスへと歩み出る。

眼下に広がるのは、森と一体化した巨大な垂直都市の姿だった。

天を突くほどの高さの『螺旋樹スパイラル・ツリー』が何本も何本も雲を突き抜けてそびえ立っている。

樹の内部は空洞になっており、そこがアオたち何百万もの人々の住居となっていた。

樹の幹には『樹守きもり』と呼ばれる人々がそっと手を当て、巨大な樹の健康状態を対話するように確認している。

樹と樹の間には、虹色に輝く植物性の繊維で編まれた吊り橋が架かっていた。

街の全てのエネルギーは空の中心に浮かぶ、たった一つの建造物から供給されていた。

天頂の玉座に鎮座する巨大な四角錐。

その黒曜石のような表面は朝日を浴びて神々しい光を放っている。

その頂点からは目に見えないほどの清浄な力が滝のように地上へと降り注いでいた。

人々はそれを畏敬の念を込めて『天のいしずえ』と呼んだ。


アオは吊り橋を渡り、中央広場へと向かう。

広場は生命の喜びに満ち溢れていた。

子供たちが意思を持つかのように飛び回る水の塊を、歓声を上げながら追いかけている。

広場の畑では『翠声すいせい』たちがこれから芽吹く種に向かって優しい歌を捧げていた。

その歌声に応えるように大地が喜びに震えているのがアオにも伝わってくる。

人々が身にまとう衣服は『光織ひかりおり』たちが光そのものを編んで創り上げたもので、一人一人の感情に呼応するように淡い光の波紋を揺らめかせていた。


その時、広場の一角が静寂に包まれた。

森の奥から『風追い(かぜおい)』たちが戻ってきたのだ。

彼らの纏う光の衣服はところどころが破れ、その肌には生々しい傷が刻まれている。

彼らの表情に疲労の色は濃いが、不思議と悲壮感はなかった。

彼らは二つのものを運んでいた。

一つは山のように巨大な牙を生やした猪。

その圧倒的な生命感は絶命した今もなお見る者を畏怖させる。

そしてもう一つは、その猪との戦いで命を落とした一人の若い『風追い』の亡骸だった。

広場の人々は悲鳴を上げることも涙を見せることもしなかった。

ただ静かに道を開け、戻ってきた狩人たちと二つの「命」に深くこうべを垂れる。

それは恐怖でも憐れみでもない。 世界のことわりに従い勇敢に戦い、そして世界の循環の一部となった二つの魂に対する最大限の「敬意」だった。


やがて『星詠み(ほしようみ)』の老婆が静かに歩み寄り、亡くなった狩人の額にそっと手を置いた。 老婆が古代の「言霊コード」を静かに紡ぎ始める。

それは歌のようであり祈りのようであり、そしてシステムの深淵にアクセスするための神聖な呪文でもあった。

すると亡骸から無数の光の粒子が蛍のように立ち上り、一つの大きな光の球となった。

光の球はゆっくりと空へと昇っていく。

天頂に浮かぶ巨大な四角錐――『天の礎』の中心へと吸い込まれるように。

「…また一人、星の海(Ω世界)へ還られたな」 誰かが誇らしげにそう呟いた。

この世界でその生を全うし立派に成長した魂は、こうしてサンサーラ・ゲートを通り、本来いるべき場所へと還っていくのだ。

人々はそれを「死」とは呼ばず、「卒業」と呼んだ。


星詠みの老婆は次に巨大な猪の亡骸に向き直り、同じように深く頭を下げた。

「我々に生きる糧を。そして我々の魂をより高みへと導く、尊い戦いをありがとう」

その言葉を合図に人々は二つの亡骸に静かに手を合わせ始めた。

そこには命のやり取りへの絶対的な感謝と敬意だけが満ちていた。


アオに「仕事」という概念はなかった。

彼が担うのは『役割』だ。 彼は都市の最上階にある静かな庭園へと向かう。

そこが彼の「職場」だった。

庭園の中央には星空を映す巨大な水鏡が置かれ、その傍らで『星詠み』が世界の過去と未来の兆候を静かに読み解いている。

アオの役割は『調律師』。

彼は水鏡の前に座り意識を集中させる。

『天の礎』から流れてくる膨大なエネルギーの、その流れを「聴く」のだ。

それはまるで壮大なオーケストラのような完璧な「調和」の音楽だった。

その音楽にほんの僅かでも「不協和音」が混じっていないか。それを一日一度確認する。

それがアオがこの世界のために果たせる最高の喜びだった。

彼は水鏡に手を浸す。

完璧な調和の音楽が彼の魂を優しく満たしていく。

誰もが誰かを思いやり、誰もが世界の一部として自らの役割を誇りに思っている。 争いも妬みも飢えも孤独もない。

――かつて、この星は楽園だった。 神々が夢見た、理想郷の完成形。

あらたなシリーズとして別の世界線の話を作り始めました。

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