第78話:「未来からの来訪者」
――七番街・無人区画。
「……ここか」
荒れ果てた空き地のようにしか見えない一角に、アッシュは車を停めた。
周囲は静まり返り、早朝の薄明かりが地平を赤く染めている。
『あんた、博士のボディガードだったんでしょう?
どうして居場所を知らなかったの?』
アッシュは煙草を弄び、アリアの問いに薄く笑みを浮かべた。
「……博士は日ごとに拠点を変えてた。
ボディガードも、その日に割り振られた場所しか知らされない。
拠点も警護も日替わりでシャッフル――徹底した防犯対策さ」
『なるほどね……さすが博士』
アッシュは隣のリルに目を向けた。
「リル、やれ」
「――了解。コード起動」
リルの義眼が淡く光を帯びる。
直後、地面に隠された認証機構が反応し、乾いた音を響かせた。
荒れ地の中央に円形のハッチが浮かび上がり、振動と共に開いていく。
その奥に、螺旋階段が口を開けていた。
『まるで秘密基地ね……科学者ってこういうの好きなのかしら』
アリアが楽しげに呟く。
アッシュは深く息を整え、暗い入口を見下ろした。
「行くぞ。博士が待ってる」
リルが頷き、三人は静かに階段を下りていく。
降りるごとに都市の喧騒は遠ざかり、かわりに湿った空気と機械の低い唸りが広がっていった。
壁の照明が一つずつ灯り、淡い光で足元を導く。
「どいつもこいつも地下好きだな……」
ぼやくアッシュに、アリアが笑う。
『未来にいようが、過去に戻ろうが……結局は地下。
ふふっ、皮肉ね』
やがて行く手に、分厚い鋼鉄の扉が立ちはだかった。
リルが前に出て、義眼の光を強める。
「――コード認証開始。……アクセス承認」
低い電子音とともに、重々しい扉が開いた。
油と薬品の匂いが混じり、機械の脈動が心臓の鼓動のように響いてくる。
そこは研究所というより、巨大な実験室だった。
配管とケーブルが蜘蛛の巣のように走り、無数のモニターと機材が並んでいる。
中央のターミナルには、幾何学模様のホログラムが淡く回転していた。
「――誰だ?」
低く落ち着いた声が研究室に響く。
白衣の初老の男――博士が現れた。
鋭い瞳に憂いを宿しながら、アッシュの義手へと視線を落とす。
「その腕……サイボーグか」
アッシュは煙草を取り出し、火を点ける。
紫煙が研究室の空気に溶けていった。
「……俺たちは未来から来た。世界を変えに、な。
――あんたの作ったアンドロイド。
そう……ハンスが未来を支配してる」
博士の瞳が細められ、ゆっくりと頷く。
絞り出すような声で言った。
「……そうか。私の研究は、失敗したのか。
彼が人類を導く存在になると……信じていたのに」
その声には覚悟と、隠し切れない恐怖が入り混じっていた。
アッシュは煙草を咥え、ゆっくりと吸い込んでは吐き出す。
「流石に話が早いな。見覚えのないサイボーグがここに立ってりゃ、未来から来たって話も信じちまうか」
義眼の奥に、紫煙に霞む博士の横顔が静かに浮かび上がる。
「天才のくせに読みが甘かったな。
――ゼノもハンスに加担した」
アッシュの言葉に、博士の表情が揺らぐ。
「……なんだと?」
「未来じゃ、ハンスとゼノが組んで研究をリークした。結果、核戦争が起きて世界は終わった」
博士は目を閉じ、沈痛な面持ちで一瞬沈黙した。
そして決然とした声を放つ。
「……わかった。この手で、研究の痕跡を消し去ろう。核戦争など、二度と起こさせはしないためにな」
「あぁ。――研究棟へ急ぐぞ」
博士は静かに頷いた。
その瞳に宿っていたのは、過去の過ちを正す――揺るぎない決意だった。
――Burn the past, change the world.




