第57話:「業火の失踪」
――五年前。
七番街・シティ・オブ・アカデミア・講演ホール。
磨き抜かれたガラスの天井に、夕映えが差し込む。
国際AI医療・義体工学会議――最終日。
会場には、各国の研究者、技術者、そして国家権力者たちが詰めかけていた。
壇上に立つのは、白衣のエリオット博士。
背後では、中枢インターフェースと義体構造のホログラムが静かに浮かんでいる。
「これは、脳と義体の完全接続を実現するプロトコルです。中枢AIと意識を融合させ、神経制御を代替する。たとえ四肢を失っても、動く身体を――。これは次世代の医療技術であり、希望でもあるのです」
講演の背後、警護に就いていたクレイヴは退屈そうにあくびを噛み殺した。
「……眠てぇ。
ボディーガードってのは、暇すぎる仕事だな」
だが、その退屈は一瞬で破られる。
――非常口が、爆音とともに内側から吹き飛んだ。
白煙が立ちこめ、漆黒の戦闘服をまとった集団が雪崩れ込む。
無音マスク、レーザービジョン。動きに無駄がなく、訓練された一糸乱れぬ侵入。
「全員動くな!」
閃光弾が放たれる。
悲鳴。混乱。
会場は一瞬で戦場と化した。
クレイヴは反射のように動いていた。
スーツの内ポケットから小型拳銃――
GLOCK26を引き抜き、左手に構える。
右腕の“イグニスギア”が低く駆動音を鳴らし始める。
一人目――ヘッドショット。
二人目――イグニスギアの火線が走り、上半身が燃え上がる。
三人目――膝を撃ち抜き、制圧。
「……やれやれ。学会ってのは、もっと退屈なもんかと思ってたんだけどな」
クレイヴの動きは素早く、鋭く、無駄がない。
そこにあるのは、“躊躇のない殺意”だけだった。
「目標を確保しろ! 生死は問わない!」
エリオット博士は警備員に連れられ、退避ルートへと向かう。
そのとき、クレイヴは周囲を見渡し、異変に気づく。
「……ゼノは?」
どこにも、彼の姿がない。
「どこ行きやがったんだ、あいつ……」
その瞬間、床に転がる手榴弾が視界をかすめる。
「――博士、伏せろ!」
蹴り上げる。爆発。
床が吹き飛び、大穴が開く。
さらに、天井のガラスが砕け、ホバーヘリからワイヤーで戦闘員が続々と降下してくる。
「どうなってやがんだ……!」
クレイヴはイグニスギアを展開し、炎で降下部隊をまとめて焼き払う。
そのまま、博士を抱え、手榴弾で空いた床穴から脱出した――
* * *
――五年前。七番街・車内。
ネオンが流れる都市の夜景を背景に、黒のスポーツセダンが音もなく滑るように走っていた。
ルームミラーには、遠ざかる高層ホールが、赤く揺れている。
ハンドルを握るクレイヴの表情に、苛立ちが滲んでいた。
「……博士、護衛って話だったはずだ。
軍隊を相手にするなんて聞いてねぇぞ」
助手席からエリオット博士が、息を整え答える。
「……情報が漏れた可能性がある。“計画”が、他国の知るところとなったのかもしれん……」
クレイヴは鼻で笑った。
「幕開けの花火にしては、派手すぎるな……
――下手すりゃ、このまま戦争になるぞ?」
博士の顔が一瞬、硬くなる。
「君はすぐにエリスのもとへ戻り、身を隠せ。
私はラボに戻って、計画データを封印する」
「……了解」
しばしの沈黙。
「……で、ゼノはどうする?」
その問いに、博士は何も答えなかった。
車内に沈黙が落ちる。
ダッシュボードに映る都市の光が、青白くクレイヴの頬を照らしていた。
そのとき――
背後から、鋭い金属音とともに何かが車体に命中する。
「……後ろか」
ミラーを覗いた瞬間、後方から二台のSUVが高速で迫ってくるのが見えた。
どちらも市販モデルを改造したもの。
窓は全て装甲で覆われ、ボンネットには小型の銃座まで載っている。
「随分と準備がいいぜ……ったくよ」
クレイヴはハンドルから手を離し、センターコンソールに手を伸ばした。
手動切替スイッチをひねると、運転席側のコントロールが淡く光り、自動操縦に切り替わる。
車体の後部が静かに開き、格納されていた車載銃座がせり出してくる。
「便利なもんだ……科学技術ってのは素晴らしいぜ」
皮肉めいた笑みを浮かべて、クレイヴは背後のパネルを開け、後部の操作アームに手をかけた。
敵の車が徐々に距離を詰めてくる。
一台はサイドに回り込み、車体の隙間から連射式の発砲。弾丸がセダンの側面をかすめ、スパークを上げる。
「……逃げるだけってのは性に合わねぇんだよ」
照準を合わせ、引き金を引いた。
重低音とともに、セミオートの砲弾が発射される。
――命中。
追跡車両のフロントに直撃し、エンジンごと爆発。
破片が弧を描いて宙を舞い、街へ散らばっていく。
「一台目、終了」
もう一台が左右に蛇行しながら回避機動。
クレイヴはそれに合わせて銃座を旋回させ、相手が撃つより一瞬早く、連続で二発を撃ち込む。
着弾――車体が跳ね、窓が吹き飛び、まもなく炎に包まれて路上に沈んだ。
静寂。
ミラー越しに見えるのは、燃え上がる車体の残骸と、散った火の粉。
「……さて、邪魔は片付いた」
クレイヴは操作パネルを閉じ、ゆっくりとシートに体を預けた。
自動操縦に切り替わったセダンは、冷静に都市の縁を回りながら滑っていく。
助手席の博士は、無言のまま視線を前に向けていた。その顔には、わずかに苦悩が浮かんでいる。
クレイヴは目を閉じるように、ひとつ息を吐いた。
「……ゼノ。お前は、どこで何をしてやがんだ」
誰にでもなくそう呟くと、ふたたび都市の光が車内を流れていった。
――See you in the ashes...