第35話:「龍を喰らう死神」
――地下ネストシティ・リヴィアのアジト研究棟。
紫煙と薬品の匂いが漂う、冷ややかな無機質の空間。冷却装置の低いうなりと、モニターの微かな電子音だけが静寂を支配する。
ガラス張りの壁の向こう――鉄と蒸気の街、ネストシティ。その遥か奥に、核融合エネルギー施設のシルエットが、不気味な影を落としていた。
「――で? その依頼ってのは?」
アッシュの問いに、リヴィアの指がホロスクリーンを軽く叩く。
映像が切り替わり、長い黒髪の男が映し出された。
感情の欠落した眼差しが、見る者の内側までも貫いてくる。
まるで、死神――否、それを超えた、静かなる終焉の化身のようだった。
「データを盗んだ男の名はセヴェル。
私の組織の元・実行隊長よ。
そして――私が実験を行った最初の“ヴァイロン”」
リヴィアは淡々と告げる。
その声音には、怒りよりも興味が勝っていた。
「彼はこの街に粗悪な強化薬をばら撒いて、秩序を壊すつもりらしいわ。
……まぁ、盗まれたのはそれだけじゃないけどね」
彼女の唇が、珍しく皮肉めいた笑みに歪んだ。
アッシュは義手の拳を握りしめ、少し目を細めた。
「なぜ始末しねぇ?
お前ならできるだろ。場所も把握してるはずだ」
「ええ、場所は分かってる。
でも――誘われてる気がしてね」
リヴィアは肩をすくめ、ホロに映るセヴェルを一瞥する。
「向かわせた部隊は何人も潰されたわ。
あの男を倒すのは、ちょっと骨が折れるのよ」
「さすが百龍の元隊長。無敵の男ってやつか」
ジンが口笛を吹く。
リヴィアの目に、静かな光が宿る。
「アッシュ。あなたに、彼の始末を依頼するわ」
「へっ。冗談じゃねぇ。
お前らの内輪揉めに、俺を使うな」
アッシュが鼻で笑って背を向ける。
だが、リヴィアは一歩前へ出て、わずかに声を低めた。
「あら? あなた――
私に借りがあるんじゃなかったかしら?」
ホロスクリーンが切り替わる。
映し出されたのは、淡青い髪と無垢な瞳を持つ少女、リル。 小さく微笑むその姿。
『リル……アッシュ、しょうがないんじゃない?』
脳内に響くアリアの声と同時に、義眼がわずかに揺れた。
「ちっ……わかったよ」
ジンが笑いながらアッシュの背を叩く。
「頑張れよ、アッシュ。
俺は危なそうだから、家でのんびりしてる。
リルとアシェンと待ってるぜ」
「待ちなさい、ジン」
リヴィアが冷たく遮る。
再びホロスクリーンを操作すると、今度は別の男が映し出される。
茶髪、鋭い眼光。ジンの表情が一変した。
「こいつは……!」
リヴィアが続ける。
「そう。あなたの“馴染み”の彼も組織を抜けたの。
……セヴェルと同じタイミングでね、果たして偶然かしら?」
ジンは拳を握りしめ、呟いた。
「ケイン……ネストに流れ着いてたのは知ってたが……まさか“百龍”だったとはな」
『アッシュ、ケインって?』
「さぁな」
アッシュは煙草に火をつけ、静かに煙を吐き出す。
「……リヴィア、まさかこいつにも遺伝子操作を?」
「私の手で強化された人間しか組織に入れないなんて――誰が決めたの? 優秀なら、それで十分」
彼女は艶やかな笑みを浮かべ、ジンを真っ直ぐに見つめる。
「ジン。あなたも、入らない? 歓迎するわよ」
ジンは冷笑を漏らし、視線を窓の外へ逸らした。
「アイツ……何を企んでやがる……」
アッシュが黙って肩を叩いた。
「行くぞ、ジン。ゴタゴタは後だ」
部屋を出ようとする二人の背に、リヴィアが声をかける。
「頼んだわ、アッシュ……“始末屋さん”」
科学者の冷酷と、女帝の執念が混じった声だった。
アッシュは義眼でリヴィアを一瞥し、無言で踵を返す。ジンも続く。
扉が閉まりかけた、その時。
リヴィアがぽつりと呟いた。
「……さて、今度の賭けはどうなるかしら」
* * *
――地上・四番街・拠点。
雷鳴が空を裂き、壊れた窓から灰色の風が吹き込む。
リルはアシェンを膝に抱き、静かに外を眺めていた。瞳の奥の“NEXUS”のロゴが、わずかに瞬く。
「アシェン、怖ガラナクテ、イイデスヨ」
リルが呟く。
アシェンが「クゥン」と鳴き、リルの手に鼻先を擦り寄せる。
リルは目を閉じ、そっとアシェンを抱きしめた。
「アッシュ達……
マダ、帰ッテコナイノカナ……?」
灰色の空に、雷が走る。
“死神”が――
闇の向こうから、ゆっくりと迫っていた。
――See you in the ashes...




