第12話:「電脳都市アーク」
乾いた風が吹く。
灰色の空の下、錆びついたビルの残骸が、崩れかけたまま沈黙の中に佇んでいた。
「“神様を倒せ”か……ふざけた依頼だな。
しかも依頼人はジョー?
アイツ、俺に借金あるんだぞ」
アッシュが唾を吐くように呟く。
ジンがハンドルを握ったまま笑う。
「また借金取りか」
放射線警告の標識が軋む音を立てて風に揺れた。
「マスク、ちゃんとつけとけ」
ジンの声は静かだった。
ホバーバイク《ナイトフォール1500》。
マットブラックの車体は鋭く、重厚。
三人乗りでもブレない安定性を誇る、ジンの愛機。
アッシュは無言で頷き、防毒マスクを装着する。
バイクが低く唸り、二人を乗せて瓦礫の海を滑るように進み出す。
脳内に、女の冷静な声が響いた。
『空気中の放射線レベル上昇中。
これより危険区域に入るわ』
AI・アリアの警告。
道中、焼け焦げた車両の影から現れたヴァルス。
黒き外殻から火花を散らし、不気味に明滅する単眼の光。
アッシュは即座にマグナムを抜き、ジンは滑るように敵の背後へ回り込む。
無駄のない動き。
戦場をくぐり抜けてきた者同士の連携。
「次で最後だ、踏ん張れ」
「わかってる」
一発。
ヴァルスは火花を散らし、崩れ落ちる。
バイクは煙と灰の中を、再び滑るように駆け抜けていった。
——かつて地下鉄の入口だった場所。
今は鉄の扉で封鎖され、“地下都市”への数少ないアクセスルートとなっている。
アッシュはバイクを降り、マスクを外す。
『アクセスライン発見。ハッキングを開始するよ』
アリアの声とともに、淡いホログラムが目の前に浮かぶ。 情報の迷路が空中に拡がり、ノイズ混じりの閃光が走る。 アッシュの指が舞い、パスコードが次々に解除されていく。
『……解除完了。アークシティへの道が開いたわ』
重い音を立て、鉄扉がゆっくりと開いていく。
その先に広がっていたのは――異質な楽園。
人工空の下に広がる、あまりに整いすぎた静寂。
ネオンは冷たく光り、高層ビルが整然と並び立つ。
列車とドローンが、誤差ひとつなく空を滑っていく。 無音のエレベーターが動き、人も乗り物も、まるで同じ速度で流れていた。
ジンがポツリと呟く。
「……慣れねぇな。
昼も夜も、作られた空の下ってのはよ」
脳内で、アリアの声が響く。
『まるで電脳に支配された、魂のない箱庭ね』
アッシュは無言のまま、足を踏み入れた。
指定された路地裏。
ネオンに照らされ、ひとりの影が立っていた。
あどけない顔の少年——依頼人。
「お前、ジョーの……」
アッシュが目を細める。
「……父さんが“神様”ってやつに連れてかれた。
あんたら、なんでも屋だろ? 助けてくれよ」
震える声。隠しきれない怒りと不安。
ダンは一瞬、目を伏せると、震える手でリュックを引っ張り出した。
「母さんがいなくなってから、父さん、変な宗教にハマったんだ。最初はちょっとしたものだと思ってたけど、だんだん変わっちゃってさ……」
ダンは、苦しげに言葉を詰まらせながらも、なんとか話し続けた。
「ついには家にも帰ってこなくなった。
あいつら、父さんを騙してるんだよ!
……あんなに優しかったのに、もう、全然……」
その声には恐怖と絶望が込められ、瞳の奥には必死な決意が宿っていた。
「助けてくれよ、お願いだ。
父さんがあんなことするはずがないんだ。
あいつに取り込まれちまったんだ……」
アッシュは黙ってその目を見返す。
そのまっすぐな眼差しには、ダンの心の中にある必死な願いが伝わってくる。
「はぁ……ガキの依頼かよ……」
アッシュは、面倒くさそうに頭を掻く。
「ガキじゃねぇ、もう10歳だ。……ダンって名前だ」
赤くなりかけた目が、まっすぐアッシュを見返す。
「金、あんのか?」
ダンは一瞬、言葉に詰まるが、すぐにリュックを開いた。そこから出したのは、小さな金属製の貯金箱。
塗装は剥げ、角には無数の凹み。
だが、それを抱える手は、震えていなかった。
「父さんがくれたやつなんだ。中身は少ないかもしれないけど……俺にとっては全部だ」
アッシュは沈黙した。
ほんの一瞬。遠い記憶が、瞳の奥をかすめる。
「……分かった。行こうぜ、その“神様”のとこにな。
それに、てめぇの親には借りがあるんだ」
アッシュは立ち上がる。
ジンがダンをバイクに乗せる。
向かうは、富裕層の中心街タワーの最上層。
――そこには奇妙な仮面をかぶった“教祖”がいた。
その言葉ひとつで、信者たちは恍惚の笑みを浮かべ、まるで意志を失っていた。
「派手な宗教だな。……火遊びにはちょうどいい」
アッシュが呟いたその瞬間。
空気が変わる。
『警備ドローン多数接近中。アッシュ、逃げて!』
アリアの声。
ジンのホバーバイクが、闇を切り裂いて走り出す。
電脳に支配された都市。魂の無い箱庭。
“戦い”の火蓋が、静かに切られようとしていた――
――See you in the ashes...