第6話二人だけの秘密と資格
「どうしてそういう話になるんだよ」
「だってそうでしょ? 両家の家族に挨拶するってことはつまりそういう事なんだから」
「い、いくらなんでも話が飛躍しすぎだろ」
俺は動揺しすぎて洗い物の手が止まってしまう。華はそんな俺の手を優しく握ってくれた。
「飛躍しすぎでもないとは思うけど? 亮太にその気があるなら、本物の関係になってもいいんだよ?」
そして彼女はそんな言葉を俺の耳元で囁いてきた。
「ま、まだ俺達付き合って二日目だろ? そ、それにこれはあくまで偽物の関係だし」
「この関係は確かに二日目だけど、私達は小さい頃から一緒だったんだよ? なら、そういう関係になってもお父さんもお母さんも納得してくれると思う」
「そう、かもしれないけど」
俺は華の目を見る。彼女の青い瞳はいつになく真剣で、とても冗談を言っているようには思えなかった。
「華、俺は」
次の言葉を発しようとした時、家の扉が開く音がした。
「ただいまー、外からカレーの匂いがしたけど、今日の夕飯はカレーかし、ら?」
何とも最悪なタイミングで親プラグを回収してしまった。
「亮太から話は聞いていたけど、本当だったのね。まさかうちの愚息が華ちゃんとお付き合いするなんて夢にも思わなかったわ」
何とも最悪なタイミングで母親が帰ってきてしまったことにより、俺と華はそのまま質問責めに合うことになった。
「実の息子を愚息って言うなよ」
「だってそうじゃない。貴方達幼稚園の頃から一緒なのに、くっつくどころかそんな雰囲気すらなかったでしょ?」
「いや、まあそうなんだけどさ」
「華ちゃんはどうしてこんな息子を選んでくれたの?」
「それは、その」
本当は偽物の関係とは話せず華はどう答えればいいか分からず困っているので、俺が助け船を出す。
「俺の方から告白したんだよ。それでオッケーしてくれたんだ」
「へえ。たまには男らしいところを見せたじゃない」
「ま、まあな」
助け船を出したつもりが、俺もやっぱり言葉が詰まってしまう。学校よりもボロを出してしまってもリスクは高くないが、言葉はしっかり選ばないと駄目だ。
そうでないと華の父親に命を狙われかねない。
「とにかくお母さんは安心したわ、亮太。一生彼女が出来ないと思ったもの」
「俺だって生きていれば彼女の一人くらいできるよ。一応真っ当に生きてきたんだから今日まで」
「そうかしら?」
「私も同感です。亮太はちゃんと格好いいですし、私を何度も助けてくれました。多分そういうところが格好いいんだと思います」
こっちが恥ずかしくなるような台詞を続けて言ってくれる華。それが本心なのか、それとも嘘を隠すための嘘なのかは俺には分からないけれど、面と向かってそんなことを言われると恥ずかしい。
「とにかく折角お付き合いになることになったんだから、幸せにしなさいよ亮太。華ちゃんも何かあったらすぐに報告してちょうだいね」
「分かりました。何でも報告させてもらいます」
「本人目の前で失礼なことを言うなよ」
でも恥ずかしいけど、内心では喜んでしまっている俺だった。
2
その後一時間ほど母さんから散々質問責めにあった後、お開きとなり俺は華を家の前まで送ってあげた。
「こういうとき家がすぐ近くって便利だよな」
「そうかしら? もっと話したいときとかにすぐに到着しちゃうから、私は少し寂しいけど」
「物は考えようだな」
しばらくお互いの間に沈黙が流れる。多分俺も華もさっきのことを思い出しているのだろう。
ー偽装カップルではなく本物のカップルになる。更にはその先の結婚まで。
俺と華はまだ高校生だ。結婚は考えすぎかもしれないが、嘘を本当にしてしまってもいいのかもしれない。
ーけど本当にそれでいいのか?
こんな簡単に自分のことを許してしまっていいのだろうか。
「なあ華、さっきの話なんだけど」
俺は意を決してその事を口開こうとしたとき、ふと彼女の人差し指が俺の唇に当てられた。
「んうっ!」
「駄目」
「んぇ(だめ)?」
「窓からお父さんが見てる」
華に言われて彼女の家の二階の窓を見ると、そこから覗いている見覚えの陰があった。
(す、凄まじい殺気を感じる......!)
あれは完全に獲物を狩る目をしている。
「この前の話の続きは、また今度しよう亮太。それまでは」
華はいたずらっぽく片目を瞑ってみせる。
「私達二人だけの秘密ね」
華はそれだけを言い残すと、家の中に入っていった。残された俺はすぐに帰らないといけないはずなのに、その場を動けなかった。
いや、動けるはずがなかった。
(もう抑えられないわ、これ)
このまま華との関係を偽物で終わらせるなんて無理だと、俺は確信した。
(このままストーカーの問題が解決したら、関係を終わらせたくないな)
華がそれを望んでくれるか分からないけど、俺の心は今ので完全に奪われてしまっていた。
それから一週間後。
特に何か大きな問題は起きることなく、俺と華は偽装カップルを演じた。最初は周囲も騒いでいたが、それも三日経てば落ち着き、学校ではいつもの俺達、放課後はなるべくデートをしたりする時間を過ごしていた。
そしてこの日も俺はいつものように華の部活の終わりを待っていたのだが、
(遅いな)
最後のチャイムが鳴っても華の姿は現れなかった。何か少し嫌な予感がした俺は、一度校内に戻りバドミントン部が練習している体育館へと向かった。
『ちょっと、やめてください先輩』
『何でだ氷室。この俺を振っておいて、他の付き合うなんて』
『そんなの私の勝手ですよね? 先輩は何も関係ないはず』
『関係あるさ。俺は君の彼氏になるはずだったんだから』
体育館の入口まで来たところで、華ともう一人の争う声が聞こえる。どうやら俺の嫌な予感は当たってしまった。
「華!」
俺は体育館の扉を開く。すると反対側の壁でガタイが良さそうな男に迫られている華の姿があった。
「りょ、亮太?!」
「ちっ」
俺は華に駆け寄る。男は一度華から離れて、舌打ちをした。
「お前が氷室の彼氏の天野ってやつか」
「人の彼女にこんなことをするなんて、趣味が悪いですね先輩」
俺は華と相手の間に入り、彼女を庇うように立ち塞がる。
「たかが一週間一緒にいたからって、彼氏面なんて随分偉そうだな後輩」
「期間なんて関係ありませんよ。俺と華は立派な彼氏彼女です」
「確か幼馴染みだって聞いたな。だったらあの話の張本人はお前って訳か」
「あの話?」
と答えたのは俺の背後にいる華。俺は彼が何を言おうとしているか予想が出来てしまい、冷や汗を浮かべる。
「過去は過去ですよ先輩。それこそ貴方には関係の無い話ですよ」
「いいや、関係あるね。あんな事をしたお前が氷室の彼氏としている資格があるかどうか、そしてそれを本当は氷室がどう思っているのか、それを知る権利が俺にはある」
「資格......」
急に言われたその言葉に、俺はつい黙ってしまう。
(俺に華の彼氏でいられる資格......たとえ偽装カップルであっても、その先のことを考えても......本当にあるのか?)
ずっと頭の片隅にあった考え。胸の痛み。二年前のあの時から、消えることのない後悔。
「亮太?」
「はん、やっぱり図星か。まあいい、今日はあくまで挨拶だ。だけどよく覚えておけ、俺は何一つ諦めてないからな」
先輩はそう言い残して去っていく。俺はもうそれ以上先輩に反論できるような言葉は出てこなかった。
「華......ごめん、俺」
「謝らないで」
「本当に......ごめん」