誰かの話ができるまで
私の趣味が夢、ということは誰にも言っていない。
脈絡や論理性のない夢の話は、雑談であっても好まれないからだ。
学生時代のグループで、場繋ぎの雑談のつもりで話し出した子がいたけど──「それって○○って漫画っぽいね」「その先ってどうなるんだろうね」と返されつつ、翌日以降、誰も彼女にその話題を振らなかったし。
私が幼い頃から見る夢は、とても分かりやすくて面白い。
昼間に絵本や動画で見た景色そのままの世界に、ぽん、と私のままで入り込むからだ。
どんな味だろう、と読みながら思ったカステラパンケーキを試食させてもらったり。様々なパンを生み出すお店で手伝いをさせてもらったり。
泣き続ける女の子を、私じゃ無理なんだよねえ、と思いながら宥め続けたこともあったし。
小動物たちが暮らす異国の町で、ニンゲンは大きすぎて町を壊すから入ってこないで、と抗議されたこともあった。ちっちゃな石畳の、綺麗な町並みだったなあ。
むせ返るようなジャングルで遭難して、虫に刺されて熱が出た夢を見た時は──目が覚めてから、ほっとした。
逆に水圧も感じず呼吸も苦しくなく、深海を放浪したこともあった。
ご都合主義や不条理さはあっても、基本的に「目にしたものの延長線上」。なので、混乱することもなく、訳の分からない展開や設定の混同もなく、淡々と楽しい思いばかり味わっていた。
面白味のない、平凡な私にとっては、完全にコントロールできる娯楽であり、特技であり、物心ついた頃から飽きずに見続けている趣味、だった。
他人には読書や映画鑑賞といった、嘘ではないことを趣味と言っている。
前置きが長くなった。
そういうわけで、私が毎晩楽しんでいる「夢」は、完全に既知のものであった、のだ。
今日までは。
□ □ □
「……これなに、ここどこ?」
完全に見知らぬ「夢の世界」に、思わずそう言ってしまった。今晩は旅行っぽい夢がいいなあ、と帰宅してから地中海の紀行番組の録画を観た、はずなんだけど。
私の周囲は薄暗く、地面も天井も壁も柱もなにもない。私に体はなく、シャボン玉のようにぷかり、と宙に浮かんでいて。
時々、電気信号のような遠雷のような、弱い光が薄暗い空間のあちこちに走る。
「うっかりヘルスドキュメンタリーのCMでも、目にしちゃったのかなあ」
神経細胞のCG映像とかが、こんな感じだった記憶がある。私が私でなく、無形で意識しかない、というのははじめてだったけど──鳥瞰映像を観て、空を飛び続けた夢のお仲間かな、と解釈した。
ふよふよと浮きながら、周囲を見る。
モデル人体の中、という設定なら、私が体を持たないのは合理的だ。サイズそのままだと、モデルになった人の体内に収まりきらないだろうから。
細胞サイズなのかなあ。
「うーん」
困った。
あまり面白くない。
朝まで細胞観察をするしかないのかなあ、とガッカリしていたら──ぴか、と光った先で不思議なことが起きた。
「えっ」
薄暗がりの向こうで、半透明の立方体が湧き出して、どんどん積み上がっていったのだ。見る見るうちに見上げるほどの大きさになった立体物は、刃物で削がれるように変形を繰り返し、建物になった。
「なにあれ」
現代日本の建築物じゃなかった。直方体のコンクリート低層団地、の上に、違法建築が繰り返されたような。言葉でしか知らないけど、九龍城というやつだろうか。
でも、見たことがないものを夢で見たことはないので、それがなにかは分からない。動画リンクで飛びまくってた時に、ちらとでも見かけたのかしら。覚えてないけど。
謎の建物を観察していたら、また何処かが光って──下からぶっとい蔦が生えてきて、壁や屋根に絡まった。
「……ドキュメンタリーじゃ、ないわね」
こんな風に蔓延られる、ということは、廃墟なのかしら。廃墟のタイムラプス映像なんて、観た記憶はないんだけど。
ふよふよ浮かびながら眺めていたら、その廃墟の端が爆発した。規則的な弾痕が銃声と共に外壁に走り、裏側で火の手が上がり、半透明の人型──輪郭線しかない、おばけみたいなものが建物から次々に出てくる。
「えっ、戦争?」
おばけたちは私の近くまで来ることなく、途中で蒸発して消えていく。廃墟からは放射的に石畳が生えては爆発し、隣接する建物が急ピッチで生えては壊れ、燃え、崩れていく。
「待ってやだ怖い!」
そう叫んでみるけど、建造と破壊は止まらない。戦地を再現しようとしているのか、と途中で気付いたけど、こんな「夢」を見ようと準備した覚えがない私には、ひたすら不安だった。
見る夢を選べないというのは、こんなに怖いものだったのか、と思った。
理屈が分からない、先が読めない。ルールが無茶苦茶で、次がどうなるかがまるで分からない。
「やめてよぅ!」
そう叫んだ自分の声で、目が覚めた。
冷や汗でパジャマは湿っていて、読書灯のタッチボタンに触れて灯ったいつもの明かりに、心底ほっとした。
□ □ □
布団から這い出て、パジャマと下着を脱いだ。替えのパジャマがないので、座卓に引っ掛けていた部屋着と新しい下着に着替える。
「……最悪」
充電が終わっているスマホ画面を確かめたら、午前二時だった。アラームまで四時間以上ある。
快眠快夢で毎朝スッキリ、だったルーティンが呆気なく壊れたことに、腹が立った。悔しかったので、花畑の動画を探して、観てから寝直した。
□ □ □
スマホのアラームに起こされて、嫌な気分のまま目を開けた。安アパートの、いつもの部屋。
着替えずに洗濯機を回して、出勤準備に取り掛かる。
冷凍ご飯をお茶碗に入れて、レンジで温める間に卵とソーセージを焼いて、お椀に入れたインスタント味噌汁とマグカップの緑茶のティーバッグに保温ポットのお湯を注ぐ。昨夜買った半額引きの野菜の煮浸し惣菜は、冷えたままでいい。
洗顔と歯磨きを終え、納豆を混ぜながら出来合いだらけの朝食を掻っ込んで。
朝のニュースバラエティをつけっぱなしにして、歯を磨きながら食器を洗う。布団を畳んで軽く掃除。着替えて化粧に勤しんでいたら、洗濯機が終了を告げてきた。
天気予報は一日晴れ、信じてベランダへ繋がる掃き出し戸を開けて、干す。
トイレと化粧を終えて、一番大きなマイバッグを入れた通勤鞄を掴んで部屋を出たら。
同じタイミングで、隣の男性も出勤のようだった。
鍵をかけながら会釈をすると、ラフな格好の彼も無言で頭を下げてくる。
スーツやノータイでもいい職場って、なんの仕事をしてるんだろう。
□ □ □
同じ轍は踏まない。
今日は冷凍食品と割引弁当を買い込んで、おまけにミルクティーとクッキーまで買っちゃってから、帰宅した。
冷蔵庫とレンジと座卓上にそれぞれ収めて置いてから、洗濯物を取り込んでお風呂の準備をする。化粧を落とし洗顔、歯磨きをしながらアイロンをかけて、それぞれ押し入れ箪笥とクローゼットへ。明日着る一式を出して重ね、鴨居に吊るしてから入浴だ。
晩御飯をゆっくり食べながら、昨夜も観た紀行番組をもう一回。建物は白く、空と海は青く、自動車が使えない幅の道にはラバが闊歩する。
ミルクティーとクッキーを口にしながら、肘をつく。
そう言えば、昨日の夢には匂いがなかった。
□ □ □
スマホを充電器にセットして、十時半に布団に入る。ようし、バッチリ。今夜こそ。
果たして夢は地中海。よっしゃやったね、ラバちょっと臭いわね、なぁんてホクホク坂道を歩いていたら──暗転した。
「……勘弁してよ」
戦場になった廃墟の町、は昨日より広がっていた。死体や匂いがないのがありがたいと思えるくらい、ぼろぼろだった。
私はどうやら実物大の人型、で。
崩れた石畳の上に立っていた。半透明で、輪郭線だけで。
「やだ、なんでおばけなの」
妙に悔しい。
とは言っても、自力移動が叶うだけ、昨日よりはマシなのかもしれない。弾痕と黒焦げだらけの廃墟を、おっかなびっくり歩いてみた。
誰もいない、なにもない。
ニュースくらいでしか観たことがない、悲しい、痛ましい映像が立体化したらこうなるのかも、と思った。千切れたぬいぐるみや、誰かの焦げた靴なんて見たくないけど。熔けたり割れたりしたガラス、原型が分からない家具や家電、燃え残った生活用品。目にするだけで辛くなる。
「……もうやだ」
泣きそうになりながら足を止めると、彼方でなにかがきらり、と光った。
またなにかとんでもないことが起きるの、と身構えていたら、光が消えて子どもが現れた。小学生くらいの、日本人じゃない男の子。
「……」
半透明の、おばけじゃない。
赤茶色のぼさぼさ頭、あちこちが煤に汚れた、大きな緑の目をした子だ。
「だぁれ?」
荒んだ顔をしていた。こんな世界じゃ仕方がないんだろうけど、勿体ない。普通にしていたら、可愛い顔をしてるだろうに。
男の子はぼんやりと周囲を見回し、静かに泣き、瓦礫を崩しながらなにかを探し、また泣いた。
見てるだけで、辛くなる。
私にはどう慰めればいいのか分からないし、半透明おばけだからあの子に近づいていいのかも、分からないけど。
まごまごしていたら、男の子がこっちを見た。
「だぁれ?」
変声期前の、可愛い声。
それを聞いた途端、私の体がぐちゃ、と崩れた。文字通り、泥人形が泥に戻るように。
「やだ! いかないで!」
男の子が駆け寄ってくる。ううん、気遣いは嬉しいんだけど、おばけと思ってたら半透明の泥人形だったなんて、なんて無茶苦茶な夢なのかしら。なにがどうしてこうなった。
「ねえ、だれなの? おねがい、へんじをして!」
いやあの、私はどうやら泥のようなので。
「だれ!?」
「だれだろうねえ」
おっと、声が出た。
男の子は不定形に広がる私を見下ろしたまま、唖然としている。そうよねー、私が逆の立場だったら、そりゃもうビックリだわー。
「……だれなの?」
「だれだといい?」
名乗っていいのか判別できず、私は困り果てて鸚鵡返しをしてしまう。
「……つよいひと、ぼくを、たすけてくれるひと」
「ほほう」
親兄弟や友達じゃなく「強い人」か。どんな感じだろう。戦場でも生き抜く力、でぱっと浮かぶのはハリウッド映画の筋骨隆々なマッチョ男性。個人的には古い邦画のサムライ系が渋くて好みだけど、日本刀では機関銃に勝てそうにない。
「つよいひとかー」
繰り返す私に頷く男の子は、半透明の泥を信じてくれている。やだ、健気すぎる。大人として期待に応えたいところだわ。
「こんな感じかなあ」
えいや、とイメージして体を起こす。起こせた。やったね。わけわかんない夢に勝てたっぽいわ!
「……おじさん?」
ちょっと半透明だけど、革手袋を着けたでっかい手。太いマッチョな腕を覆うのは、頑丈そうな──軍服ってやつ?
胸元を見下ろせば、元の体よりでっかい……大胸筋よね、わお。
腹部に触れれば防弾着らしい硬さがあって、その下は多分シックスパック。ぶっとい太股にごっつい革ブーツ。頭に触れば、短くちくちくした……角刈りかしら。
「どう? 強い人に見える?」
「みえる! おじさんすごくつよそう!」
変な夢二日目、私は角刈りマッチョに性転換して、可愛い男の子を相棒にしました。
いや、なんで?
□ □ □
スマホのアラームで目を覚ます。
昨日よりは気分がいい。いいけど疑問が拭い切れない。
「……なんでおっさんに……」
職場の昼休み、コンビニのサンドイッチを食べながら同僚に、はじめて夢の話をしてみた。前提と設定解説は面倒だし望まれていないだろうから、マッチョおじさまに変身した夢を見た、とだけ。
無茶苦茶、笑われた。まあいいや、笑い話になっただけ役立った。
係長たち男性陣は、洋画に出てくる最強キャラの話で盛り上がり、私はついでとばかりに作品名を聞き出しに回る。
つまらなさそうな顔をした隣の席の先輩に、日本の男性俳優だとどうですかねえ、と水を向けたら、ぽつぽつと有名なベテランの名を返された。
「え、あの役者さんってイケオジのイメージしかないです」
「あー、今はそうかー。十年前とか凄かったのよ」
「先輩、おすすめ出演作教えて下さい。多分あの夢は、私にマッチョの神が天啓を」
大爆笑した先輩の顔を、はじめて見た。クールなお局様だなんて、言ったの誰よ。
□ □ □
その日は開き直って、カレーを作った。煮込んでる間に、サブスクで皆から聞いたマッチョのバトルアクション映画を検索して観た。
係長は反社会的衝動があるのかもしれない。オススメ映画は流血と爆発と痛そうな描写がてんこ盛りで、時々スマホから目を背ける羽目になった。
先輩のオススメは、時代劇でした。着物で腕や腹筋見えないじゃない、と思ってたら、いやあ鍛練やらなにやらでバンバン大胸筋やら腹筋が。ほえー。
カット野菜で作ったサラダとカレーを食べながら、時代劇を観終わって。入浴と歯磨きを終えて布団に入った私は、妙に高揚していた。
さあ、どんと来い夢!
□ □ □
「おじさん、かわった?」
「変わったかもねえ」
夢の中では、サバイバルグッズとライフルと脇差を備えた私と、あれこれ集めてきたっぽい男の子が夜を迎えておりました。
ちょっと、昨日まで時間も空もなかったじゃない。どういうことよ。
という文句は、言わないことにする。あって便利なものは生えてきてもいい、大歓迎。
でも、どう見ても飯盒炊爨でキャンプっぽいのはなんでだろう。しかも鍋の中身、晩に食べたカレーなんだけど。サラダはどうした。
「おいしいねえ、おいしいねえ」
男の子が笑顔全開で、美味しそうにおかわりまでしてくれるから、まあその不問にしますがね。でもどうせならサラダ食べさせたかったなあ、胡麻ドレと和風ドレの合掛け。
ところで、名前も扱い方も知らないライフル銃? の手入れや充填を、私がテキパキこなせるのは何故でしょう。なんか私の周囲に、アルファベットと数字が点滅しながら浮いてるように見えますが……気のせいかな、気のせいだな、うん。
別にやりたいわけでもないのに、準備運動とかはじめちゃうし。意味もなく上着を脱いでポージングとか、どういうことなのかしら。
あと、いきなり髪が伸びて体格が縮んでびっくりした。ええい、前置きか先触れはないのかこの夢には。
「おじさん、またかわった? おにいさん?」
「みたい。なんでだろう」
ブランケットに包まって、うとうとしている男の子を見ると、彼もまた外観が変わっていた。赤茶色のぼさぼさ頭だったのに、もっとさっぱり、短くなっている。
「ぼくもかわった、カレーがすき、つよいおにいさんすき、がんばっていきたい」
生きたいのか、行きたいのか。どっちだろう。
「ぼくはキョウ。おにいさんは?」
「私? エイ」
焚き火を眺めながらの会話で、夢が終わる。
□ □ □
アラームが鳴る前に、スマホを引き寄せスワイプする。何故か目覚めはいい。開き直ったからだろうか。
歯を磨きながら、風呂掃除もやってしまう。解凍したご飯に昨日の残りのカレーを混ぜて、カット野菜も刻んで朝から納豆カレーチャーハンにした。インスタントのコーンスープが、贅沢感を増してくれる。
化粧水が空に近くなっていたので、今日は帰りにドラッグストアだ。トイレットペーパーや洗剤シャンプーの残りを確かめて、詰め替え各種をスマホにメモる。出でよ、肩掛けできる大型マイバッグ。
アパートの階段を下りていたら、お隣さんがジャージ上下で飛び出してきた。
おはようございます、と挨拶したら、同じ挨拶を返される。
財布と畳んだレジ袋を掴んだまま、カレー、カレー、と繰り返す姿に、笑いが漏れた。
□ □ □
それから半年間、私は夢の中でキョウ君と大冒険を繰り広げた。
いつの間にか、私の謎荷物から銃は消え。現代的なサバイバルグッズは、前時代的な雰囲気ある木製革製金属製、へと入れ換わっていった。
どうでもいいけど、防弾チョッキとアウトドアブーツとライター返してよ。お陰で山歩きの難易度と危機感が上がったわ。
あと、スナップボタンとジッパーの便利さを思い知りました。
毎朝起きて、部屋中にある文明の利器に感謝するようになりましたとも。
スマホ凄いわよねえ、電話とTVとPCと目覚まし時計の機能が全部入ってるんだもん。
キョウ君は、いつの間にか超能力か魔法みたいな力を手に入れていた。なにそれすごい、と思ったら私も使えてびっくりです。
エイせんせえ、と呼ばれて、先生じゃないよ、と返したら。
師匠と書いてせんせえ、だそうです。分かるような、分からないような。
何故か時々、二人で格闘技の組手みたいなことをしている。
銃器の存在や軍隊、戦争の気配が薄れ。
先月、戻った最初の廃墟からは弾痕がなくなり、巨大な爪痕や足跡が上書きされたようになっていた。
夢の世界の設定が、なにかの理由で変更されたらしい。
□ □ □
週末に先輩と、一緒に映画を観に行った。制服じゃない通勤着じゃない先輩の私服はシックなワンピースで、雰囲気が違ってびっくりした。
「江井さんこそ、普段はデニムなのね」
「動きやすいのが一番です」
「もっとフェミニンだって思ってたわ、だからこれ、引っ張り出したのに」
二人で笑って、観た時代劇コメディは面白かった。
通りすがりの本屋の店頭、キョウ君に似たキャラクターが構えてる表紙が平積みにされてるのを見た。
ああ、あの絵を何処かで目にしてたから、あんな夢を見るようになったんだなあ、私。
それが漫画雑誌で、新連載の主人公だったなんて、知らなかった。
お隣さんが漫画家と知った私の驚きと、主人公より人気が出た男性キャラのモデルが私だったと知ったお隣さんの驚愕は、果たしてどっちが上だったんだろう。
夢を共有してたことよりは、下だったと思うんだけど。
閲覧下さりありがとうございました。
ご反応頂けると幸いです。