グリモワールとルディウス
分かっていたつもりだったが、どうやらわたしは見誤っていたようだ。グリモワールがこれほどまでとは思っていなかったのだ。もしかしたら彼女はこの世界でも指折りの実力者なのかもしれない。
現に今も傭兵の凄まじい攻撃の数々を最小限の動きで躱し、いなし、弾き飛ばし続けている。相手も決して弱くないはずなのに……むしろ化け物の類と表現しても大袈裟ではないのだ。
身体の使い方、敏捷性に長けた動き、太刀筋の鋭さ。そのどれもが一目で只者ではないと察するに容易く、少なくともそこらへんにいる腕自慢では到底彼に及ぶことはないだろう。
しかし、そんな猛攻を持ってさえ、決してグリモワールには届くことはないと断言出来る。それほど両者の実力には大きな隔たりがあった。
「……くそったれが」
『よく鍛錬を積んでいる。それでも人間の範疇は超えぬがな』
「そっちの嬢ちゃんは……確か、聖女とかぬかしてたな」
ちょっとやめとくれ。わたしが許せないとか、見逃せないとかそんなことを言ったのは事実であり否定のしようがないのだが、お二人の戦いに巻き込まれたら一巻の終わりだ。
唐突な問いかけにどう返せばいいのかと悩んでいると、余計なことを言うのが仕事みたいになっているプニちゃんは自慢気に言い放った。
「ミオは東の聖女だよ。更に言うなら僕は眷属であって、無理して偉そうな口調で話をしてるその子は『魔導書』のグリモワール」
もう言いたくて仕方がないんだろうな、きっと。後で余計なことを口にしないよう釘を刺しておかないと。
「冗談だろ。にわかに信じ難いな」
『それを聞いたところでなんになる。さて、そろそろこちらからも行かせてもらうぞ」
語気は強いが、グリモワールは大きな怪我を負わせることはないだろう。わたしがそれを嫌だと分かっているからだ。
だけど、そうなるとだ。あの腹が立つ商人の元に傭兵が逃げ帰った後に、わたしが聖女だと吹聴されるのはまず間違いないだろう。別に知られたところでどうなることではないと思うが、変な奴に目をつけられるのは避けたかったのが本音である。
あいつ面倒くさそうな奴だったしなあ。
「それが本当なら……いや、本当なんだろうな。だとしたらこの化け物じみた強さも納得だ」
「あ、あの。とはいえですね、わたしはこの子達を助けることが出来ればいいわけで、あなたを傷つけようとは」
「はっ、情けねえ上に情けまでかけられちまったか」
ぐっ……そう取られてしまったか。尊厳を傷つけないように、矛を納めるように伝えたかったのだが……。
「負けだ、負け。俺の負け」
『らしいですよ。澪様』
「どう足掻いても勝てる気がしない。完敗だ」
『だそうですよ。澪様』
「う、うん。お疲れ様……です」
傭兵は剣を地面に突き刺すと、その場にドカリと座り込んでしまった。胡座で腕組みをしながらなにやら覚悟を決めた様子だ。
「殺せ」
『とのことですよ。澪様』
「なんでそうなる」
武士かお前は。
今時いないぞ、そんな奴は。
「依頼の失敗ならば悪評が立つだけで済む。それでも傭兵にとって生活に関わる大打撃なのは変わりはないが、今回の依頼主はあのドゥライヤだ」
「あのドゥライヤだとどうなるの?」
「どのみち殺されてお終いだ」
傭兵とは思ったより大変な仕事のようだ。こうやって命懸けで戦い、失敗したら生活が困窮する。それどころか依頼主によってはその命まで……。
絶対畑耕してた方がいいと思う。この世界に畑があるのか知らないが。しかし参った、どうやら決心は固そうだ。
「おーい、この子達どうするの?」
「……嘘でしょ。なにやってんの!?」
プニちゃんは半透明で光のあたり具合でキラキラと輝く不思議な生き物であり、その上、体に包めるものならなんでも食べる雑食だ。
そのプニちゃんの体内に黒装束の珍種達がプカプカと浮いている。じっくり溶かして栄養にするつもりなのだろうか。可愛く見えてもプニちゃんは立派な魔物である。見た目に騙されて甘く見ていた。
「た、食べちゃダメー!」
「失礼な。食べてないよ」
「嘘だ、そんなに身体大きくしちゃって欲張りに三体も珍種を食べるなんて! 見損なったよ!」
『アレはあれでも珍種達の回復に努めているのですよ』
「プニ公ならまだしも遂にアレ呼ばわりだと?」
ああ、そういうことか。……ほ、本当かなあ。そんなことが出来るなんて初めて聞いたよ。プニちゃんみたいな自己顕示欲高めのスライムなら、そんな便利な能力を持っていたら直ぐにでも自慢して来そうなものだけど。
「凄いでしょ。『青』の中でもこれが出来るのは僕くらいのものさ。そうだね……この子達の怪我の様子から察するに三日もあれば全回復ってところかな」
三日——ちょうどアルデラに到着する予定日数だ。この際だから、このまま連れて行ってもいいのかもしれない。キャラバンはアルデラ方向から来たので、この子達の棲家からも遠ざかるということは無いだろう。
『澪様の決断にお任せしますよ』
「ほっとけないもんね。中途半端に手助けするくらいなら、ちゃんと故郷に送り届けてあげたいな」
「なあ、取り込み中悪いんだが、俺のこと忘れてないか」
……忘れてた。しかし、この人もこの人で取り扱いが厄介だな。巻き込んでしまったといえば巻き込んでしまったし。
『死ぬなら勝手に死ね』
「ちょ、ちょっと言い過ぎじゃない!?」
辛辣にも程がある。この人だって死にたくて殺せと言っているわけじゃ無いだろうし。グリモワールには少し人の気持ちを考えて発言するようにしてもらいたいな。
『他者に生死を委ねるなど厚かましい奴だ。それに加え一度の敗北であっさりと身を引くとは……やり返すという気概も無い腑抜けめ。少しは見込みがあると思ったが所詮は飼い犬にしかなり得ない負け犬か』
「言ってくれるじゃねえか」
『死んだところで何も残らない。お前が生きた証など長い歴史に埋もれた石ころに過ぎない』
……励ましてるのだろうか。煽りに煽って「こなくそ」と思ってくれれば万々歳だが、人によっては心を折られそうな激励だ。
『命を捨てるなど馬鹿げたことを言う位なら、死んだつもりで燃えかすになるまで生きろみせろ。澪様のお側で偉業を見届ければ自ずとそうなる』
「そうだよ。簡単にそんなこと言ったらダメ……え?」
「この嬢ちゃんに?」
『捨てるつもりの命ならば、全てを澪様に捧げてみろと言っているんだ』
良いこと言ってる風にして勧誘してた。いや、確かに味方にいれば心強そうではあるけど……。それに何よりもこの人は人間だ。
今の所わたしが気を置ける相手は超絶辛口の魔導書と、『青』の一族のみだ。とてもじゃないが人間社会には溶け込めないだろう。その点、傭兵の仕事を通して様々な経験がありそうなこの人がいてくれたのなら、随分と頼れる存在にはなってくれそうだ。
「あ、あの。わたしからもお願いできないかな。命を捧げるなんて大袈裟だし、そんなことする必要も無いんだけど、わたし自身先行きが分からない旅だからあなたが居てくれると心強いというか」
「……俺なんか連れてても役に立たねえよ。情けない姿をを見たばかりだろう」
それは例外として心に閉まっておくのが良いのではないだろうか。誰が相手でも結果は変わらない気がするし。
「あの腹立つ商人——ドゥライヤに狙われたらグリモワールが退治してくれるし」
『……澪様?』
「当たり前でしょ。仲間だったら守るのは当然だよ。誘ったグリモワールにも責任はあるんだからね」
グリモワールはわたし以外に対して冷たすぎるところがある。これで少しでも仲間意識を持ってもらって仲良くやってもらたい。
すっっっごく嫌そうな顔をしてるけど。
「……ルディウスだ」
「それじゃあ——」
「但し、一つ条件がある。俺には金が必要だ。これだけは絶対に譲れない」
これがルディウスが傭兵をやっていた一番の理由なのだろう。この世界で稼ぐのは傭兵として危ない橋を渡るのが一番手取り早いのかもしれない。
『ふむ。いいでしょう』
「ねえ、グリモワール?」
『それは澪様がお支払いします。いくら必要なのか言いなさい』
「ちょ、ちょっと」
「二百万ディールだ」
『決まりですね。さあ、行きましょう』
「払えるのかよ」
『そんなはした金なんぞ澪様にとっては楽勝です』
「……なら決まりだ。よろしく頼むぜ、嬢ちゃん達」
よろしく言われても通貨の単位自体初めて聞いたんですけど。グリモワールだってわたしに支払い能力が無いこと知ってるはずなのに……。
ルディウスが仲間に加わったのは喜ばしいことだが、新たに問題が発生したのは頂けない。それに、なんだか騙している気分になっているのは気のせいだろうか。
プニちゃんが金額聞いた瞬間に固まって、小さい声で「ひゃー」って言ってたの見逃して無いからね? だけどグリモワールにも何か策があるのかもしれない。
「さてと早速だが、嬢ちゃん達はアルデラに向かってたのか?」
「うん、そうだよ。仕事を——」
「あん? 仕事?」
「ゔゔんっ、ごほん! あー、聖女としての使命がはっきりとしてないからね。その間に世界を旅して回るのさ」
「当てのない旅って奴か。若い頃は憧れたもんだ」
あ、あぶね。お金払うって言ったのにお金無いのがバレるところだった。プニちゃんの機転に助けられる日が来るとは思わなかった。
「だけど、残念ながらそれは無理な話だな。既にいくつか問題が発生している」
これ以上問題を抱えるの? 何も達成せずに問題ばかりが増えていく一方だ。大したことじゃなければいいけど。
「まずドゥライヤに狙われる。俺がとんずらするからな」
「そっか、でもそれは仕方ないよね。それはグリモワールに頼めばいいよ」
いまだに嫌そうな顔をしているが、いざとなったらちゃんと動いてくれるだろう。多分。
「それに伴い、俺だけではなく嬢ちゃん達も狙われる」
「ああー。それも、まあ、うん」
「次にその珍種達だ。回復したら間違いなくドゥライヤをつけ狙うだろう」
なんか狙ったら狙わられたり大変なんですけど。なんかこんがらがってきたぞ。
「因みに、俺から見た嬢ちゃんの印象だが」
「は、はい」
「少なくとも一度目をかけた相手を放っておくタイプではないだろ。つまり珍種達が無茶をしたら引き止める、もしくは手助けをしてしまう。違うか?」
……多分、そうかも、しれない。
「そうなるとアルデラに辿り着いても、そこから蜻蛉返りする羽目になる。現時点でアルデラ行きの計画は頓挫しているってわけだ」
『脳に筋肉が詰まってる部類かと思ったが、中々考えてて感心ですね』
「傭兵は考え無しに生きられる世界じゃないからな」
「えーっと。つまり珍種に対するアフターケアにドゥライヤへの対応、そして計画の練り直しが発生しているというわけだね。こりゃあ大変だ。あはは」
プニちゃんは無邪気に笑っている——いいね、楽しそうで何よりだ。だけどこれくらい気楽でいることも大切なのかもしれないと感じた。このままだと想像以上に苛烈な世界に飲み込まれてしまいそうになる。
あくまでも、わたしは現実に帰ることが目的であって、その過程で心が折られてしまっては達成出来ることも出来なくなってしまう。そうなったらもう元の世界には帰れないだろう。
この際、聖女であることはもう受け止めよう。いつまでも嫌だ嫌だでは済まなくなってきた。
『では一度トットに帰りますか』
「そうだね。ドゥライヤを討伐すれば全部解決するし」
『次はプニ公も戦って下さいね』
「討伐って……わざわざ物騒な方向に行かなくてもいいじゃん」
「いや、あながち間違ってねえ。ドゥライヤは奴隷商人としての顔と造船会社の社長としての二つの顔を持つ。とにかく顔の広さが半端じゃねえ。大元を絶たねえと死ぬまで追われるのが目に見えてる」
それであの悪趣味な装飾品か。なるほど合点がいった。ただの商人では無いわけだ。だけど相手はあくまでも人間である。血生臭いことは絶対にしたくない。
「しかも相手は名の知れた有名人だ。あんなのに歯向かうってんだから、お前らはスケールが違うな」
「えぇ……。もしかして、変なのに手出しちゃってる?」
「今更気付いたか。俺を誘っといて、今更逃げ腰は無しだぜ?」
聖女であることは認めるとしても、なるべく目立たないようにするつもりだった——しかし、どうやら相手が悪いみたいだ。そんな有名人を相手に大立ち振る舞いをしたら、どう転んだって目立ってしまう。
そしてそれは、世間を賑わす悪目立ちになってしまうかも知れない。