わたしとして
『澪様!』
グリモワールはわたしを抱えると、転がるように岩陰に身を潜めた。咄嗟の判断は流石の一言だ。
「ねえ!」
「なに!? 聞こえないよ!」
「アルデラまでは安全だって言ってなかったっけ!?」
「だから聞こえないって!」
アルデラまでは二日ほどの道のりだ。路面はある程度の整備は施されており、若干の遠回りになってはいるが、野生動物や魔物との遭遇率も低く比較的安心なルートとされている。
それなのに、なぜわたし達は銃撃戦に巻き込まれているのだろうか。
『私が説明しても?』
「あ、頭の中にグリモワールの声が響いてくるんだけど」
『念話です。脳内にダイレクトに干渉しています。とはいえ、あまり長時間使用すると澪様の脳は……とにかくこの状況を説明しても?』
「どうなっちゃうの!?」
わたしの脳がどうなってしまうのか——などと聞く暇はない。岩を挟んだ向こう側では、今も争いが続いている。
『彼らが使用しているのは魔銃と呼ばれる最近流行りの銃器です』
「じゃなくて! わたしが知りたいのはなんでこの人達が争っているかってこと!」
『それは——』
本当に突然の出来事だった。ことはトットから数キロ離れた地点で、大型のキャラバンが現れたところから始まる。キャラバンは目を奪われるほどの大きな荷台を引いており、荷物を覆い隠す真っ黒な布を被せていた。周りには馬に乗った警護を数人引き連れて、見るからに物々しい様子だった。
途中何人かの旅人とすれ違ったのだが、その誰もが愛想良く挨拶をしてくれた。どうやらこの世界ではこれが常識のようだ。
しかし馬を引く男はこちらを一瞥すると、すぐに目を逸らしたのだ。まるでこちらと関わりを持ちたく無いかのように。
触らぬ神に祟りなし。いくら鈍いわたしとはいえ、流石にそんな気配を感じとった。キャラバンを横目にそのまま会釈もせずにすれ違う。隣で歩いていたグリモワールも澄まし顔で見向きもしなかったので、その判断はあながち間違ってもいなかったようだ。
ここで事態は急変する。茂みから黒装束を纏った連中がキャラバンの前に飛び出すと、開口一番こう叫んだのだ。「荷物を今すぐ降ろせ!」と。
もちろん、キャラバンの男達も黙っていない。懐から銃を取り出しすと躊躇なく発砲した。
「賊が出たぞ! 荷物は絶対に守りぬけ!」
「撃て! 撃て!」
『澪様!』
と、そんな流れで、そばずえを食い今に至る。
大事に至らなかったのは、グリモワールが瞬時に防壁を張ってくれたからである。それは流れ弾を全て受け流す鉄壁の防御壁だった。もしもそれが無かったら、わたしは大怪我を負っていたかもしれない。
しかしプニちゃんは何発か凶弾を見舞われる悲劇に襲われた。まさかのノーダメージだったが。イーちゃんにも言えることだが、スライムというのは見た目に反して意外と頑丈なようだ。
とにかく、わざわざ岩陰から出て危険に身を晒すわけにはいかず、手詰まりの状況が続いているというわけだ。
『恐らく荷台の中身が目的なのでしょう』
「それはそうだろうね。見れば分かるよ」
『プニ公は風穴を増やされたいようですね」
「グリモワールって最初からそんなキャラだったっけ? もっとこう業務的な話し方してなかった?」
『あの荷台からは生体反応があります。恐らくは奴隷、もしくは希少な生き物が閉じ込められているのでしょう』
「まさかのシカト!?」
黒装束達が追い剥ぎだとするなら随分と豪快だと思う。これはもはや襲撃だろう。こんな場面でさえ、この世界では珍しくないのだろうか。少なくともわたしにはこんな経験は無い。
『……』
「まあ、僕達は蚊帳の外だし、ルートは外れてしまうけどこのまま森を突っ切るのも手じゃないかな」
確かに身を守ることを最優先に置けば正解だ——だけど放っておいていいのだろうか。こんなに激しい戦闘で怪我人が出ないわけがない。
「ミオ? ……まさかクビ突っ込むつもり?」
なにより改めて観察をしてみて気付いたことがあった。黒ずくめの連中は商人達と比べ体格が劣っていた。明らかにまだ子供なのだ。
激しい銃撃戦を繰り広げ、俊敏に立ち回っているとはいえ、このままでは結果は目に見えている。現に苦戦しつつではあるが商人達が争いを制し始めている。
「放っておけないよ」
『解析完了しました。やはり荷物の中身は奴隷です』
「あの子達の目的って」
『仲間の奪還と考えるのが妥当です』
「じゃあ助けなきゃ!」
幼い子供が仲間の為に命を賭けて戦っている。どんな理由であれ奴隷なんて許せない。
『人とは限りませんが……』
「……?」
『さて、澪様。ここで手を差し伸べるのは簡単です』
「だったら——」
『しかし物事には必ず理由があります。それを紐解けば、非は黒装束達にあるかもしれません』
「でも、だとしても……」
わたしには信じられないし、到底許せることではない。
『奴隷商人も馬鹿ではありません。無闇な人攫いなど愚の骨頂。先ほども述べた通り、理由があるのです。そうですね……例えば借金や罪を抱えた者が、その清算として自らを売り払った、なんてことも』
「グリモワールはドライだね。ミオにとってはそんなの関係ないんだって」
『黙れ。どんなに大きな争いも最初は必ず小さな火種がある。黒装束を助かる選択は、その火種になる可能性があると言っているんだ』
「こ、こわ。でも……少し大袈裟じゃない?」
グリモワールは見て見ぬふりをしろと言っているのだろうか。プニちゃんもわたしの気持ちを汲んでくれてはいるが、最初は逃げることを前提に話していた。
だけど……仮に、本当は今でも嫌なのだが、わたしが聖女だと仮定したとする。だとしたらこの状況を見逃すことは果たして正解なのだろうか。
『決めるのは澪様です』
「……プニちゃんはわたしの眷属?」
「ん? そうだよ」
「グリモワールは?」
『……貴女を側で支えるのが私の使命です』
「じゃあ二人共。わたしがどんな苦境に立たされても……絶対に助けてね」
『っ! 澪様!』
今思えば少し気が大きくなっていたのかもしれない。現実離れした現実に、辟易したふりをして、本当は心が躍っていたのかもしれない。わたしは岩陰から飛び出すと自分でも驚くほどの大声で叫んでいた。
「やめなさい! これは聖女としての……」
えーっと、命令です? なんか偉そうな言い方。指示します……でもない気がする。
「命ずるとか命じるじゃないかな」
「そう、それ! 聖女として命じるんだよ!」
「うーん、なんか惜しい感じだなあ」
一瞬の静かさの後、この場の全員がわたしを睨むように視線を移した。今しがたまで殺し合いを繰り広げていた者達の目は恐ろしいほど血走っており、その迫力に思わずたじろいでしまった。
「うっ」
「……聖女だと?」
商人達の中で一際目立つ服装をした男は静かに言った。男は悪趣味で派手な装飾品を首から下げており、いかにも金を持っていそうな雰囲気だった。
「そんな酷いことは今すぐにやめなさい!」
「ふむ、自称聖女様はどうやら勘違いをしている。酷いことをされたのは私達であり、これはそれに対する自衛の手段なのだ」
「だとしてもやり過ぎだよ。相手は子供でしょう」
「子供?」
男は取り巻きと顔を合わせると豪快に笑い始めた。悪役が似合いそうな人を小馬鹿にした汚らしい笑い方。背筋に悪寒が走るのを感じた。
「聖女を名乗る卑き女。蛮勇は身を滅ぼすと知れ」
「ドゥライヤ様、ここは私が」
「片付けておけ」
「待ちなさい!」
「おい、出せ」
ドゥライヤと呼ばれた男は御者に命ずると、キャラバンに乗り込んだ。
「ちょ、ちょっと!」
「生き延びたら話くらいは聞いてやる。生き延びることが出来たらな」
「なんなのあいつ……腹立つなあ」
「おい、女」
走り出したキャラバンに腹を立てていると、護衛の男が声をかけてきた。ただでさえ長身の上、馬に跨っていることで尚更大きく見えた。
「な、なに」
「行けよ。ドゥライヤには上手く言っといてやるから」
「この子達はどうするの?」
「そこまでの面倒は見れん」
『下賤の者よ。澪様はやめろと命じたのだ。それはその者達に危害を加えるなとの意味を持つことを理解出来ないのか。ここまで砕かんと通じぬか』
「分かってんだよ、そんなことは。俺も奴のことは好かんが、あいにくこっちも仕事なんでな」
長身の男は明らかにドゥライヤとは毛色が違っていた。わたし達を見逃そうとするあたり、根っからの悪い奴では無さそうだ。しかし、グリモワールに対しては少しピリついた表情を浮かべている。
「俺達は見ての通り雇われの傭兵だ。金という信頼で依頼主と繋がっている。譲歩出来るのは嬢ちゃん達を見逃すまで。これ以上は俺達の今後に関わる」
『関係ない。ならば力尽くで阻止するがいい』
冷たい眼差しに加え遥か上からの見下した様な物言い。まるでグリモワールの方が悪役のようだった——話が通じそうな相手になら話し合いで済ませたいとこではあるが……。
「まあまあ、お二人とも落ち着きなさいな。ところでそこの君、倒れている子達をどうするつもりなんだい?」
「……なんだ、お前?」
「僕は『青』の総司令であるプニちゃんだよ」
「そういうことじゃねえよ」
「合ってるよね? 『プニちゃん』が名前でしょ? それとも『プニ』だった?」
恐らく、急にスライムが場を仕切り出したことに対する「なんだ、お前?」だったのだろう。男は怪訝そうな顔でプニちゃんを見つめている。
『下がってなさい、プニ公。この不届き者に鉄槌を下します』
「待て待て待て。女子供とやり合う趣味はねえんだよ。なんなんだよお前ら」
「その子達だって子供だよ」
「まだ分かってねえのか。こいつらは子供じゃねえ。ああ見えても立派な成体だ」
あの子達が大人——しかしどう見ても黒装束達は大人の体型ではない。グリモワールと同じか、それ以下にも見える。
「こいつらは野犬の変異種だよ」
「変異種って……瘴気に当てられた突然変異の」
「ああ、そうだ」
変異種は人間に害する存在だ。それは『魔の沼』で戦ったわたしにも分かる。ということは、商人達は別に悪いことをしていなかった……てこと?
『彼等は人型に変化した珍種です』
「グリモワールは知ってたの?」
『はい。解析しましたから』
「……へえ。そうなんだね」
さて、と。
どうやって収集をつけたものか。
勢い余って首を突っ込んだものの、それが盛大な勘違いだったという訳だ。
「理解してくれたか?」
「はい。なんとなく」
「じゃあもう行け」
信じられないくらいにぶっ飛んだ勘違いだ。「聖女として命ずる!」なんて恥ずかしすぎる。グリモワールが引き留めようとする訳だ。だけどもう少し早く言ってくれれば良かったのに……。
「す……けて」
「え?」
「助け……て」
声の方を見ると、黒装束が地面を這いずりながらこちらに近づいて来ていた。傷だらけの顔に思わず顔を逸らしたくなった……しかし、その目からは大粒の涙がポロポロと流れていた。
その姿を見た瞬間、心臓の音が頭のてっぺんまで鳴り響いた。耳の先まで熱くなって、思わず拳を握り締めた。
「……ごめん。わたしは間違えているかもしれない。だけど——」
やっぱりダメだ。
変異種だろうが、珍種だろうが、そんなの関係ない。
『プニ公、澪様を死んでもお守りしなさい』
「なんだよ、結局やるのかよ」
『澪様の意思に従いお前を駆逐する』
「やるなら手加減しねえぞ」
これは間違った選択なのかもしれない。
聖女として、間違った選択なのかもしれない。
だけどわたしはわたしとして、あの子を助けたい。
そう思ったんだ。