スキル
現在、わたし達は『魔の沼』と呼ばれる湿地帯で激闘を繰り広げている。沼には強い瘴気が発生しており、その影響で野生動物達が変異種として大量発生しているからだ。
変異種は人里に多大なる被害を出す特定駆除対象として指定されおり、これらを退治し金銭を稼ぐ冒険者も存在するらしい。
とはいうものの、わたしはどうしても命を奪う行為には前向きになれなかった。だが変異種を野放しにしておくと人間への被害ばかりか、在来生物が絶滅する可能性すらある為、それならばと重い腰を上げた次第である。
『変異種に思考や感情はありません。身体の感覚さえ瘴気に侵されている生きる屍です。輪廻転生も叶わずこの世を彷徨い続けることはとても残酷なこと。楽にしてあげることこそ、一番の手向けとなるでしょう』
そんなグリモワールの言葉も、わたしを後押しした。
こと戦闘に関しては全く自信が無かったが、聖女にはある程度の身体能力や様々な耐性が備わるらしく、なんとかやっていけている。どうやら馬のような化け物から逃げ切れたのは、この世界にやってきた恩恵のおかげだったらしい。
「おおー、動きが見違えたよ。さすがは聖女様だ。街の皆も喜んでいるし、この作戦は成功だね」
「プニちゃん、その聖女様って呼び方やめない?」
「なんでだい? 聖女様は聖女様なんだから仕方ないじゃないか」
それが嫌だからやめてって言ってるんだよね。だって絶対に悪目立ちしてしまうし。わたしとしては、変に注目を浴びるのはご遠慮願いたいのだ。
「聖女様がそれでいいなら構わないけど」
「じゃあ決まりね。澪でいいよ」
「分かったよ、ミオ」
『プニ、邪魔しないで下さい。邪魔です』
「二回も言わなくてもいいじゃないか。なんだか機嫌悪そうだなぁ」
『邪魔です。邪魔です。邪魔なんです』
「そんなに?」
変異種の駆除にはいくつかメリットがあった。聖女としての役割をこなすこと。わたしを戦闘に慣れさせること。更にポイントを稼ぐという三点である。しかし、このポイント稼ぎは元の世界に戻る為のものではなかった。
わたし達には旅をするにあたり、どうしても無視出来ない問題が一つだけ残っていた。それはこの大所帯をどう扱うかっていくかである。
スライムも積もれば山になる。一匹、一匹が小さいとはいえ、さすがに百匹は多すぎる。それに伴って食事の問題だって出てくる。なんでも食べるからとはいえ、なんでも食べられてしまっても困ってしまう。
なによりも、どこまでいってもこの子達は魔物なのだ。『青』は聖女の僕として、その存在は人間に広く認められているとのことだが、一部の人達からは良く見られてはいないらしい。
旅をする上で不安要素となり得る可能性があることは出来る限り潰していった方が無難だろう。
『では何かしらスキルを獲得しましょう』
ここでのポイント稼ぎは、その問題を解決すべくグリモワールから提案されたものだった。
「それで調子はどうなんだい?」
「うーん、結構貯まったと思うんだけど」
『全然足りません』
「グリモワールはこの一点張りなんだよね」
「ふーん。僕はポイントに関しては全く分からないけどさ、とりあえず今日はこの辺にしといた方がいいってことは分かるよ。さあ、今日はもう終わり。宿へ戻るとしよう」
トットという街は『青』の棲家からほど近く、住人達はスライム達に対しとても友好的だ。変異体に悩まされているということもあり、今回の『魔の沼』での駆除もとても喜んでもらえた。
とはいえ『青』を引き連れて来ると迷惑がかかるので、グリモワールとプニちゃんの帯同のみで、他の皆にはお留守番をしてもらってる。
『文句があるなら聞きますよ』
「ま、まだ何も言ってないじゃないか」
『何か言いたそうだったので』
「グリモワールはずっとその話し方なのかなって」
『なぜですか?』
「ミオが嫌がるだろう」
『私は何も言われてません』
「そうなの?」
「あ、嘘ついてる。わたし、何回も言ってるよ。敬語はやめてねって」
『……』
グリモワールが表情を変えないのは、単に感情を出すのが苦手なのだろう。その証拠に、こうして少し困った表情を見せる時がある。
『乱雑な言葉使いは余計な感情移入を招きます。職務に支障をきたす可能性があるので、その提案は却下です』
「支障出てもいいよ。べつに」
『良くないです』
「グリモワール、こっちおいで」
『しかし』
「いいからおいで」
『なんでしょうか』
「わたしはそんなこと気にしないよ。今までの聖女様がどんな人達だったかなんて知らないけど、わたしはわたしだから」
『……検討します」
わたしはグリモワールの頭を撫でると、とても分かりやすく嫌そうな顔をした。撫でられたのが嫌だったのか、それとも口調を崩すのが嫌なのか。前者であるなら少しショックである。
「グリモワールって頑固だね。ミオはそんなことを気にしないのは、少し話してれば分かりそうなものなのに」
『はぁ?』
「じょ、冗談だよ」
グリモワールは好意的ではあるが馴れ合いはしない。それは職務ゆえなのか、それとも他に理由があるからなのか。
『澪様』
「どうしたの?」
『じつのところ、既にポイントは貯まっています。余ったポイントは自衛の為に使って頂こうと思い黙っていました』
「そうなの!? ……でもそれ助かるかも。わたし本当に戦いに自信ないから」
「最初はどうなるかと思ったよ。へっぴり腰だし、沼に頭から突っ込むし、右に敵がいるぞって言ったら左向くし」
「ぐっ……」
これがでまかせならまだしも、残念ながら全て事実なので否定のしようがない。
『私がお側に仕えているとはいえ、ポイントに気を取られ集中を欠いては大怪我の恐れもありましたので、僭越ながら秘密にさせて頂いておりました。しかし今日の動きを観察した限り、もうその心配もないでしょう』
グリモワールなりの気遣いだったらしい——まあ、わたしのあの動きを知るものならば、グリモワールの心配は当然なのかもしれない。
だけどポイントが少し勿体無い気もする。自衛の為に何を取得するのかは見当もつかないが、出来ることなら元の世界に戻る為に節約したいのが本音である。
今回でそれなりに戦えることも証明出来たわけだし、あとでポイントの使い道を相談してみるのもいいかもしれない。
「ちょうど沼地の駆除も終わりが見えてきたし、目標を達成したのなら良かったよ。それで……どうやって『青』の皆を連れて行くの?」
『スライム達は小さくして持ち運びます』
「それって僕達に影響ないの?」
『なんら影響はございません。あくまで大きさが変化するのみですから』
それは魔法なのだろうか、それともスキルなのか。どちらにせよ、グリモワールの判断であるならば、余計な心配は不要だろう。
「じゃあ、持ち運ぶ為の入れ物が必要だね」
『いいえ、空間収納系のスキルがあります』
「先代の時は『青』はまだ数匹だったから特に問題はなかったんだけどね。だけどそんな裏技があるなら安心だ」
『不測の事態に対応するのも魔導書としての大切な役割ですから』
収納系スキルは振り分けたポイント分により収納スペースが決まるもので、スライム達を運ぶのはもちろん、旅をするにはうってつけのスキルらしい。
さすが歴代の聖女と旅をしていただけある。グリモワールがいれば快適な旅が約束されているようなものなのかもしれない。
「ミオの自衛には何を覚えさせようとしたんだい?」
『[左右を間違えないスキル]と[沼に頭から突っ込まないスキル]です」
「いいね! 完璧だ!」
「……完璧なの?」
随分と局地的に活躍しそうなスキルだった——節約の件は真面目に相談した方がいいかも。いくら鈍臭いとはいえ、日常的に左右を間違えたり、沼に突っ込むことはないのだから。
『あとは[へっぴり腰にならないスキル]です』
「痒いところに手が届く……そんなスキルだね」
「本当に必要なの、それ?」
『はい。必ず役に立つと自負しております』
なんだか随分と自信ありげな物言いだ。そこまで言い切るのなら今回はグリモワールに任せてみてもいいのかも。絶対に必要ないとは思うけど。
こうしてわたしは五つのスキルの習得に成功した。これでようやく旅立つことができそうだ。
翌日、グリモワールは瘴気を抑える為、『魔の沼』に浄化魔法を使用した。見た目は変わらないが、これで変異種の数は激減するらしい。街の皆も安心するだろう。
「さて、最後に旅の必需品を揃えて帰りたいところではあるけど」
「空間収納は重量を気にしないでいいのも便利だね」
「重量気にするほど買い物は出来ないよ。現状、僕しかお金持ってないし」
確かにプニちゃんの仰る通りだった。お財布なら鞄に入っていたが、こちらの世界では価値など無いだろう。
「それに、大きな問題が一つある」
「……?」
「ミオの移動手段さ」
「そっか、ずっと歩きっぱなしも疲れちゃうよね」
「僕達がミオを運ぶ分には問題ないんだ。その為の荷台が必要ってこと。人間一人乗せるとはいえ、かなりの金額になるはずだ」
プニちゃんの提案は予想だにしないものだった——確かに荷台を引いてくれるのなら楽ができそうだが、それはそれで重いとか思われそうですごい嫌だ。
「僕達はミオの眷属。こういう時こそ出番なんだよ」
『澪様、プニ公の言うとおりです』
「プニ公!?」
『聖女は花様以外に三人います。僕が主に尽くしていないなんて知られたら、格下に見られてしまいますよ」
「そう、グリモワールのいう通り。ってことで、荷台のお値段だけでも覗きに行こう」
……なんか勝手に決まっちゃった。まあ、運んでくれるっていうなら甘えちゃおうかな。こき使ってるみたいで、少し気が進まないけど。
「見てよ。あの店なんていいんじゃないかな」
「しかもセールだって」
『安物買いの銭失い。長く使う物こそ、しっかりした物を購入すべきでは?』
「でも激安だ。グリモワールは金持ってるの? 自慢じゃないけど、僕は必要最低限しか持ってないよ。ミオだって無一文だし」
プニちゃんの言う通り、こちらの世界の通貨など持っているわけがない。宿だって街の管理者が経営していた為、『魔の沼』での仕事の代価として使わせてもらっていた。
「壊れたら修理すればいいじゃん」
『澪様はそのような経験が?』
「ないない」
『なるほど。これからも先立つものは必要になってきます。対策を練った方がいいかもしれませんね』
金は天下の回りものとは言うが、まさか異世界に来てまでお金に困るとは想像していなかったな。
「本当は荷台なんかじゃなくて、ちゃんとしたキャビンがいいんだけどね」
「それこそ手が出ないよ。とりあえず価格帯だけでも見にてみよう」
最悪アルバイトでもして稼ぐのもいいだろう。郷に入れば郷に従え。こっちの文化に慣れるいい機会なのかもしれない。