魔導書
「ところで、君の名前は?」
「僕は『青』の一族だから名前なんて無いよ。呼びたければ好きなように呼んで。マイケルでもケビンでも、なんならフィリップでも構わないよ」
なんか気に食わないから全部却下するとして……名前が無いのは何かと不便だ。一応、この子はわたしの教育係らしいし、とても不安ではあるが今のところ頼れるのは存在は『青』の一族しかいない。
長い付き合いにはなりたくものだが、呼称くらいはちゃんとしたいものである。
「じゃあプニちゃんでいいか」
「プニちゃんだって!?」
「うん。プニプニしてるし」
「見た目から名前をつけるなんて聖女様って意外と安易なんだね。まあ、いいか。でも名前なんてつけたら大変だと思うよ」
「だって名前無いと不便だよ」
「聖女様がいいのなら僕は構わないけど。ほら着いたよ」
案内された場所は、お世辞にも村と呼べるものではなかった。村というよりは集落といったところだろうか。小屋の造りは木の枝を積み重ね、草で覆った簡易なものだった。
「ここに寝泊まりしろと?」
「爺ちゃーん! ほら聖女様だよ!」
プニちゃんが声を掛けると、小屋から大量のスライムが姿を現した。唖然としているとみるみる内に地面が青一色に染まっていった。
「おお、正に聖女様っ……! ありがたや、ありがたや」
「まさか……全員『青』の一族なの?」
「僕の家族さ。少し薄い青が三つ上のお兄ちゃんで、少し小さいのが妹。すごく震えてるのが爺ちゃんで、何回もご飯を請求してくるのがお婆ちゃん。えーっと、あとはなんとなくフィーリングで判別してるから細かくは分からない」
わたしにはスライム達の違いは全く理解することはできなかった。全てがまったく同じに見えたのだ。唯一分かりやすいのはお爺ちゃんだろうか。確かにあり得ないほど震えている。
「じゃあ名前つけよっか。全員で百体だから晩御飯までには終わればいいね」
「な、なんでそうなるの」
「だって皆んな一緒に旅をするんだよ。名前が無いと不便だって聖女さまが言ったんじゃないか。それに僕だけ特別扱いなんて不公平だよ。聖女様は公平でなくてはならないんだから」
「えぇ……」
仰ることは分からなくもない。だけどこの数は流石に気が遠くなる。凝った名前なんてつけられるわけがないし、この際、番号とかじゃダメなのだろうか。
「僕の名前だって適当じゃないか。とにかく不公平だけはダメ。さあ、始めよう」
プニちゃんは張り切ってスライム達を順番に並べ始めた。どうやらある程度の統率は取れているらしく、あっという間に一糸乱れぬ列が完成した。
「よろしくお願いします」
一番前に並んでいた子はどうやら女の子のようだった。随分と幼い声をしている。本気で一号、二号、三号と名付けようかと考えたが、いざこうして対面してしまうと、さすがに適当な名付けは申し訳無いと思えてくる。
「じゃあ……タマちゃんで」
「ありがとうございます!」
「簡単な名前でごめんね」
「いえいえ、とても気に入りました!」
こんなに喜ばれると次回以降にプレッシャーが……だけど悩んでも仕方がない。きっとすべての名付けが終わるまでこの子達は一列に並んだままなのだろう。
わたしは無心で名付けを続けた。それはポチ、ニャー、ワン、ピーコ、ミーコ等の小動物系から、イー、アル、サン、スーと数字系まで多岐に渡った。
「えーっと、君はプリンちゃん! はあ……終わった」
「ありがとうございます! やったー!」
「すごい。本当に全部名付けるなんて、さすがは聖女様だね。しかも意外とスラスラと」
「さすがに疲れたよ」
なかばヤケクソだったとは口が裂けても言えないけど。
もう名付けは二度とごめんだ。それでもやって良かったなと思ったのは、皆んなが律儀に名札を付けてくれたことだ。せっかく名前が出来たのに見分けがつかないんじゃガッカリなので、この点に関しては少し嬉しかった。
「名付けは僕達の見分けが出来るようになる他にもメリットがあるよ。『青』の一族は名付けられたことで、眷属としてより聖女様に近しい存在になった」
「眷属になるとどうなるの」
「それはのちのちね。今はゆっくり休もうよ。もうすぐ聖女様のご飯も出来るし、それまで寝床で休んでて」
名付けに夢中で気が付かなかったが、どうやらスライム達はわたしが休める場所を作ってくれていたようだ。草むらに大の字で寝ることも覚悟していたので、これは嬉しい誤算だった。
「その前に少し周りを散歩してきてもいいかな」
「構わないよ。だけどそれなら護衛をつけないと」
少し大袈裟とも思ったが、また変な動物に襲われたら大変だと思い、素直にプニちゃんの言うとおりにした。護衛はイーちゃんと、スーちゃんが務めてくれた。
「この子達が一番護衛として頼りになるかな。じゃあ僕は用があるから。またあとでね」
どうやら見た目は一緒でも、スライム達にはそれぞれ得意不得意があるらしい。
「聖女様、よろしくお願いします!」
「この命に変えても必ずお守りします!」
「ありがとう。でも、散歩するだけだからね?」
最初こそ張り切っていたイーちゃんとスーちゃんだったが、途中から集中力が切れたのか、草を食べたり石を食べたりとウロチョロし始めた。
「全然護衛って感じがしない。ま、楽しそうだし、別にいっか」
そんな楽しそうな二匹を眺めていると、突然魔導書からアナウンスが聞こえてきた。
『名付けによりポイントを獲得しました。振り分けを推奨します』
「ポイント……?」
あったな、そんなこと。確か色んな項目があって、ポイントを振り分ける感じだった。散歩のつもりが二匹の散歩になってしまったので、魔導書について色々と調べてみるのもいいかもしれない。
魔導書をめくってみると、相変わらず色々な項目が記されている。その中でも興味を引いたのが『魔法』、『案内人』、そして『スキル一覧』だった。
魔法は……まあ、大体想像がつく。使えるもんなら使ってみたいものではある。ポイントを振り分ける候補の一つだろう。
案内人とは魔導書のことを指すとプニちゃんは話していた。つまり魔導書自体の性能を強化する、そんなところだろうか。
スキルに至っては何ページにも渡って記載されていた。今すぐ選べと言われると少し悩んでしまう。ポイントは貯めておくことも出来るようなので、本当に必要になった時まで保留にしておくのはアリかもしれない。
「そう考えると『魔法』と『案内人』に絞られるわけか。いざ選ぶとなると悩んじゃうな。パッと思い浮かぶのは自衛のすべが欲しいところだけど」
イーちゃん、スーちゃんがいくら護衛向きとはいえ、わたしが追いかけられた謎の生物のような相手だと、ひとたまりもないだろう。なんせスライムはどこまでいってもスライムなんだから。
かといって、わたしが華麗に魔法を操り危険な相手と渡り合う姿も残念ながら想像できない。魔法を使うなら灯りをつけたり、怪我を治したり、そんな感じのほんわかした魔法が使いたい。
「となると『案内人』なのかなぁ。歴代の聖女に付き従ったってプニちゃんも言ってたし、頼りになる存在なのは間違い無いしね」
恐らくこの魔導書こそが、わたしをこの世界に連れてきた張本人だということはひとまず置いといて。
「よし。少しだけ『案内人』に振り分けてみよう」
『それでは案内人にポイントを振り分けます。本当に宜しいですか?』
「いいですよーっと。さて、どうなるのかな——」
「うわああー!」
「な、なにごと!?」
「聖女様! イーちゃんが野犬に連れ去られました!」
や、野犬に!?
「早く追いかけなきゃ——ええっ!? もうあんなに遠くまで」
野犬は遠くで尻尾を振りながら、イーちゃんを振り回している。まるでおもちゃのぬいぐるみと戯れているようだ。
「あれは野犬のボスであり私達『青』の天敵なのです。まさか食事中を狙ってくるとは」
……食事中じゃなくて、護衛中なのでは?
しかし今はそんなことを言っても仕方がない。ことは一刻を争う。あんなにぷるぷるのボディーに鋭い犬歯が刺さったら大変だ。甘噛みで済んでるといいんだけど……。
こんなことなら『魔法』とか『スキル一覧』にポイントを振り分けていれば良かった——ん、待てよ。まだポイントは沢山残っている。今からでも魔導書から野犬をやっつける方法を選べば。
「って、あれ? 魔導書がいなくなっちゃった。な、なんで!?」
「ああっ! イーちゃんがシャチに打ち上げられたアザラシのように空へと放り投げられました!」
「この世界ってシャチとかアザラシいるの!?」
「どうしよう。イーちゃんが死んじゃう。僕なんかを庇ったばっかりに」
やばいよ。ここで手をこまねいてる場合じゃない。このままじゃ……イーちゃんが!
「スーちゃんは『青』の皆を呼んできて! わたしは野犬を追いかけるから!」
「で、でも」
「いいから早く!」
スライム一体一体の力が弱くても数の力で押せばなんとかなるかもしれない。それにわたしだって時間稼ぎ程度には戦える……はず!
『遠雷』
「……え?」
それは本当に一瞬の出来事だった。
少女の声が頭上から聞こえた瞬間、野犬の頭上に真っ黒な雲が渦巻き、轟音と共に稲光が走ったのだ。
「……」
『目標撃破。同時にイーちゃんの生存と軽微の負傷を確認しました。治療を施しますか』
「えーっと……どちらさまでしょうか」
『……? 魔導書ですが』
「あ、そうですか」
これは驚きだ。魔導書にポイント振り分けたら、金髪青眼の美少女が漆黒のドレスを身に纏い、遠くの野犬に雷を落としたぞ。
どうなってんだ、本当に。