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本の中の世界

 それは本当に突然のことだった。本を開いた次の瞬間、わたしは新緑生い茂る森の中に佇んでいた。


「は、はい!?」


 鳥の囀り、温かな木漏れ日、目の前には見たことがない謎の生物。わたしは咄嗟に本へと視線を戻した。すると、さっきまで真っ白だったはずのページには文字が浮かび上がっていた。


『この物語の主人公は貴女です。自由に生きてください。そして願わくば、貴女の手で物語の締めくくりを』


 人はあまりに理解が及ばない状況に晒されると、頭が真っ白になるのだと身をもって実感した。力の抜けた両の手からは本がするりと滑り落ちた。


 だが、勘の悪いわたしでも、今すぐこの場から離れなければならない事だけは理解出来た。


「……わたし、おいしくないよ?」


 馬の体躯に鹿のような角を持つ謎の生物は、わたしに明らかな敵意を向けている。鼻息荒く蹄を打ちつけ、今にも襲いかかって来そうな雰囲気だ。


 物語の冒頭で命の危機に陥るなんて「なんてベタなんだ」と一瞬脳裏を過ったが、それを口に出す余裕は一切ない。わたしは一目散にその場から駆け出した。


 木々をかき分け、脇目も振らず、ただひたすらに森の中を逃げ惑った。すると、いつの間にか蹄の音が鳴り止んでいることに気づいた。どうやら逃げ延びることに成功したようだ。


「た、助かった……」


 運動と無縁な生活をしていた割に、なかなか動けるものなのだなと思ったが、命の危機に瀕すればこれくらいは動けるものなのかもしれない。火事場の底力ってやつだ。

 

「ふうー……まずは落ち着こう。落ち着け、わたし」


 辺りを見渡し危険が無いことを確認してから、まずは状況の整理をすることにした。


「今日は祝日で仕事は休み。友達と昼から図書館に行って――」


 そうだ、図書館で不思議な本を見つけたんだ。分厚い革表紙に羽付きの万年筆が嵌め込まれた不思議な本。それはいかにも古臭くて、タイトルも無くて、でも妙に目について思わず手に取ったんだ。


「それでページを開いたら……って、何これ!?」


 視線の先には先ほど落としたはずの本が浮いており、万年筆は誰かに操作されているかのように何かを書き殴っている。その様子を呆然と眺めていると、本はわたしの手にふわりとおさまった。


「ポイントを、取得……」


 意味も分からずページをめくると、そこには様々な項目が記されていた。


「体力、俊敏性、腕力……これにポイントを振り分けるってこと?」


 振り分けることで、その項目が強化されるのはなんとなく理解出来た。しかしそんなことはどうでも良かった。夢だとしたら冗談きついし、悪夢ならば覚めてほしい。


 だけど土の香り、風の感触、太陽の温もり、五感を刺激する全てのものがこれは現実なんだと告げてくる。


「に、人間」

「ひゃっ! だ、誰」


 突然の声に、わたしは恐る恐る振り向いた。が、そこには誰も見当たらない。キョロキョロと周りを見渡していると今度は足元から声がした。


「命だけは……」

「……?」


 視線を落とすと足元で丸い物体が小刻みに震えていた。どうやらこの球体が言葉を発したようだった。


「い、命だけはお助け下さいませ」


 先ほどの獣に加え今度は言語を操る謎の球体。この瞬間、明らかな別世界に来てしまったのだと認識した。


「……本気でいってんの?」

「本気です! どうかお見逃し下さい!」

「あ、ごめん。こっちの話。命なんて取らないよ」

「お助けを、どうかお助けを……」

「そんなに怯えなくても。わたしだって大変な目に遭ったんだよ。大きい馬……それとも、鹿なのかな。とにかくすっごく追いかけられたんだから」

「その獣は馬鹿です。命の危険を感じとり、殺られるくらいなら殺ってやるの気概で、貴女に立ち向かったのでしょう」

「馬鹿呼ばわりは良くないよ」

「……? しかし呼称が馬鹿なのでそれ以外に呼び方がありません」


 あ、悪口じゃなくて名前なのね。なら仕方がないけど随分と不憫な名前をつけられたものである。名付け親の顔を拝んでみたいものだ。


「そんなことはどうでもいい! さあ、ころせ! 一思いに踏み躙るがいいさ!」


 この見た目は……恐らくスライムなんだろうな。ゲームなんかで出てくるチュートリアル的な魔物。それにしても助けを求めたと思ったら、命を差し出したりと、随分と情緒不安定だ。人間に酷いことでもされた過去でもあるのだろうか。


「わたしはそんなことしないよ。約束する」

「まさか!? 貴女は聖女様では!?」


 ……なぜいきなりそうなる。聖女なんてむず痒くなるような呼び方はやめてほしい。


「しばしお待ち頂けますか!?」

「え、嫌だよ。帰りたいもん」

「お待ち頂けますか!?」

「いや、あの……」

「頂けますよねっ!?」

「……はい」


 すごい剣幕で押し切られた。

 

 しかし、不思議な体験の連続に、思わず笑ってしまいそうになるのは心に少しだけ余裕が出て来たからだろうか。そう考えるとスライムには感謝しなくてはならない。


 しばしスライムを待つことにして、わたしは再び本を開いてみた。


「……自由に生きて、かぁ」


 それが出来るのなら煩わしい人間関係に胃を痛めることもないし、面倒な仕事ともおさらばだ。そんな風にひたすらにダラダラと生きてみたいものである。

 

「お、お待たせ致しましたー!」

「そんなに待ってないよ。……あのさ、その口調どうにかならないかな。なんか逆に話しづら——」

「そういうの早く言ってよね。僕だって敬語は疲れるんだから。全く聖女様は気が利かないなぁ」


 すっごく滑らかにタメ口へと移行した——それを望んだわけだし別にいいんだけどさ。


「ところで聖女様。僕の一族には使命があるんだ」

「へえ、そうなんだ」

「聞きたい?」

「ううん。特に」

「知りたい?」

「それよりもここが何処なのか知りたいな」

「僕の一族は、かの有名な『青』だ」

「……あ、はい」


 スライムは基本的に話を聞かないらしい。自分の意見を押し付けて他人の意見は右から左へ。そんな人はよく見かけるが、まさかスライム界隈にも存在するなんて目から鱗だった。


「『青』には聖女様を命を賭して守り抜く天命があるんだ。僕達は聖女様によって救われた存在だから」

「そうなんだ」

「だから僕達はいかなる時代も聖女様にお支えする。ある時は下僕として、そしてまたある時は食料として。囮に使われたりする不遇の時代もあった」


 話の内容自体は嘘には聞こえない。だからこそ食料のくだりは信じがたいし、信じたくもないものだ。どんな状況に陥ればスライムを口にしようと思うのだろう。


「お腹が減るのは辛いもんね」

「そして聖女様の出現——それ即ち、歴史が大きな唸りを起こす合図なんだ」

「ふうん。君達も大変なんだね。じゃあわたしはこれで」

「うん。またね……って、おおぉいっ!!」


 まさかスライムのノリツッコミを拝む日が来るとは。

 

「なんでやねん! あんさんが聖女様言うとるやろ!」

「違うよ」

「違くないよ。君は聖女――」

「違う」

「な、なんて頑ななんだ」


 目立たず静かに暮らしたいわたしにとって、聖女なんてものはまっぴらごめんだ。いきなりそんなこと言われてもいい迷惑だよ。


「とにかく絶対に違うよ。君だって勘違いして変な女について行ったらダメ。それが一族の使命なんだったらなおさらだし、いつか悪い人に騙されちゃうよ」

「えー、だけども皆も聖女だって言ってるし」

「皆……?」


 『我が一族』、『僕達の使命』、気にしないようにしていたが、同じようなスライム達が他にもいるのだろうか。なんだか……とても嫌な予感がする。


「うん、皆言ってた。それに、聖女様の魔導書(グリモワール)が何よりの証だよ」

「魔導書って……これ?」


 魔導書と呼ばれた本は、わたしの手を離れ、再びふわふわと浮いている。一体どんな原理なのだろうか。一つだけ分かるのは、この本が今の状況を生み出したということだろう。


「……ん? 何か文章が増えてる」

「後ろでずっと万年筆が動いてたよ」

「え、早く言ってよ」

「だって魔導書はそういうものだから。なんで知らないの?」

「なんでって言われても」

「なんて書いてあるの?」

「えっと――」



         ◇◇◇◇◇◇◇◇


        陰陽歴四千百年 蛇の月 


東の聖女・(みお)は、従順なる(しもべ)であるスライムと出会い、己の使命を知る。澪は世界を救うべくスライム達を引き連れ、時代の唸りに身を投じることとなるのだが、それはまだ先のお話。貴女はまだこの世界に生まれたばかり。すなわち赤子も同然です。まずはスライムからこの世界の一般常識を学び、才美を兼ね備えた聖女になるべく共に旅に出ましょう。このままでは貴女は無知で愚鈍な暗君となってしまい、世界を滅ぼしかねません。頑張って下さいね。私も影ながら応援させて頂きます。


                親愛なる聖女様へ。

                魔導書より愛を込めて。


         ◇◇◇◇◇◇◇◇



 愛を込められても困ります。


 さっきまでは自由に生きて下さいって書いてあったのに、今度は使命とか書いてあるし。


「本当に魔導書のこと知らないの?」

「だって――」


 図書館で本を読んでいた――そんな話をしたところで、果たして信じてもらえるのだろうか。スライムから一般常識を学ぶ世界に図書館が存在するのかも怪しいものだ。


「……知らないよ。分からない」

「魔導書はその名の通り、すべての魔術を司る書物であり、聖女様の案内人(ガイド)でもあるんだ。歴代の聖女様は魔導書と共に世界を旅したんだよ。そんな大事な相棒を知らないなんて前代未聞だよ」

「そんなこと言われても」

「でも……逆に面白いかも。僕は新たな歴史の生き証人として、そして聖女様の教育係として生きていくことになるわけだ。これほどワクワクすることはない」


 そんな風に期待されてもなあ。そもそもの話、わたしには旅をするつもりもないし、時代の唸りに身を投じるつもりもない。それどころか、この現実から抜け出したいとさえ思っている。


「ここで話をしていても仕方がないね。とりあえず今晩は僕の村に行こう。みんな喜ぶよ」


 これはいわゆる異世界転生、もしくは異世界転移なのだろうか。だけど、わたしはそんな夢物語に胸が高鳴ることはないし、使命に駆られて世界を救おうとも思わない。


 ただただ平穏を願う普通の人間だ。


「他の聖女様はどんな方達なんだろうね。今から会うのが楽しみだよ」

「はあ……。いいね、楽しそうで」

「それはそうだよ。これこそが『青』の生きがいだから。それでは改めまして。ようこそ『地上の楽園(アンダーエデン)』へ。よろしくね、聖女様」


 楽園……ねぇ。

 今の所そんな感じは全くしないのは、わたしの気のせいなのだろうか。






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