○第六話○辛酸
「ち、ちょっと待って下さいよ…」
七番通りをひた走っていた俺は、背後からかかる声に気付いて初めて、フーミルの息が切れ始めていたことに気づいた。
「ああ、魔法を使ったんだもんな。そうだな、もう少しで隠れられそうな場所もあるんだけどな…」
「そ、それも有りますけど…」
彼女か途切れ途切れに言った。
所在なさげに雑草が生えていた墓地近くの路地はもう過ぎ去ってしまったが、いかんせん、隠れられそうな場所が見当たらなかった。
フーミルの体力のことも考慮すれば、このまま俺たちがギル達から走って逃げ切るのは少し厳しい。
ギルが連れていた騎士団も、元々俺を連れ出すのが目的だったんだし、流石に近衛騎士のような王族直属の超玄人では無いだろう、恐らく何でも屋、ギルドのよこしたギルダーの類だ。
…ギルとギルダーってややこしいな。
まあ、何でも屋と言ってもあれだけの装備、もしかすると王国から貸し出している可能性も否めないが、それでもある程度は武闘派で実績もある何でも屋と見た。
体力だってフーミルの比ではないのである。俺は…体力だけが取り柄なので面目の為にも省かせていただく。
そして、それらの脅威を大きく上回るのが、ギルだ。
あいつの名は、ギル=クク=ノーストン。真ん中にもう一つ名があるのだが、『神名』持ちかもしれない。何故なら、ククのつく神を一つ知っているからだ。さっきは当然はったりだと思っていたが。思いついてしまった。たとえ偽名でも神を名乗れば因果がめぐる。許されないことであり、それ相応の覚悟がなければ務まらない。としたら、彼は本気で神を名乗っている。
神の名を持つという事は、『圧倒的な魔力量』もしくは、『超特異な能力又は技術』を持つということだ。もし本当にそうであれば、
俺たちがギル達から逃げ切るということは、ギルの目をどう欺くかという意味に変換しても大した違いはない。
だから真っ先にギルの注意をこちらに向けさせたのだ。
そして、フーミルの魔法である程度の時間を稼いだ。
あのまま実力的にこちらが上であれば、フーミル様々でギル達が追ってこれない様にとっちめておいたが、残念ながら実力でもこちらは上回れないだろう。そんな時はことごとく逃げるのが正しい判断だ。
後は、借りを作るのが嫌だったということもあった。自分より二つも三つも年が離れたフーミルを、神や王やと崇めたくは無い。骨にも、芯の通ったプライドがあると思いたい。
とにかく、早急に隠れる必要がある。だとすれば1番適しているのは…。
「ゴミ箱かな」
と、俺が言うと、フーミルは整った顔をしかめた。
恐らく、自分の顔の美醜の程度に気づいていないのではないだろうか?
「ええ…他に無いんですか、例えば家に隠して貰うとか」
「家に隠してもらおうにも全部閉まってるんですなー」
俺が残念そうに言うと、フーミルは目を皿のようにして、次の隠れ場所の候補を探していた。
「…家の裏とか路地とかは」
「ギル君たちはそこを徹底的に見ると思うぜ?誰もゴミ箱に隠れてるなんて思わないって」
「そうですかね…」
フーミルは不服そうに眉をひそめるが、俺は心を鬼にしてスルーした。
確かに年頃の女子がゴミ箱に入って追っ手をやり過ごすなんてちょっと絵にならないし、気分も良くないだろうが、何もブタ箱に入るよりマシだと思う。そのような言い訳を心の中で並べ立てていると、
しかし、何か思いついたかのように、突然フーミルは目を輝かせた。
「そうだ、使えていた御屋敷はどうですか?」
「良い案だな。俺も思ったし、採用したいんだけど、近くには無いんだろ?それじゃ走ってるうちに追い付かれる可能性大だ」
「…でも、」
理解もできるし納得もしているようだが、人としての尊厳がゴミ箱に入るのを拒否しているのか、彼女は渋る。
どうしたもんかな。いつもの七番通りだったら、人が沢山いて、選択肢も増えるんだってのに…。
待て、七番通り…?
そうか、そこがあった!!
「…それより良い案があるぜ」
「本当ですか!?」
「下水溝がある!!」
「分かりました。ゴミ箱に隠れます」
「え?何で?」
※
「全く、ここまでやらなくても良いのに…」
ギルは服についた土を丹念に払った。ついすこし前にギルが生き埋めにされていた穴からは、どういうわけか脱出を果たしたようだ。
「大丈夫ですか?早く出てきてくださーい」
どうにか生き埋め状態から力で脱そうと四苦八苦する騎士風の集団、ギルド、名は「アルバトロス」を急かしながら、ギルはスケルトン達の消えていった路地を見つめていた。
全く、『アルバトロス』なんて、罪な名を付けたものだ。とギルは思う。本当の意味を、果たして彼らは知っているのだろうか?
現近衛団長の名字を付けることで、知名度をあげようという魂胆は賞賛に値するが、いかんせん実力面で勝算が無いのだ。
ギルのような貴族の関わった任務は、資金面がカツカツのギルドであれば、誰もが喉から手が出る程受けたくなるものである。
お手軽で任務も簡単で、更には多額の報酬が出るからだ。
しかし、今回は護衛任務とは名ばかりのお散歩とは違う。言うなれば人さらいである。餅は餅屋と言うように、人さらいなら人さらいのプロを雇うべきであった。
こんな名前だけが一人歩きして中身が伴っていない有名無実なギルドを雇ったのはギルの失敗であった。
顔合わせの時に、何故か全装備で固めてきていた時から何か嫌な予感が、きな臭い匂いがしていたが、ギルが無視して任務を優先させてしまったのも事実である。
外見だけ整えていれば、貴族は簡単に信用すると思われているのであった。
まあ、舐められているのである。やはり、貴族という生き物はリゼ王朝になってから衰退の一途を辿ってきたという事実が、やはりここにも色濃く残っているのだ。
すると、ようやく生き埋めから脱したリーダー風の、といっても騎士装備であまり分からないが、動きと鎧の可動域からして体格の良さそうな男、リップスがギルに尋ねてきた。
「どう致しますか?追いましょうか?」
「…もう良いんじゃないですか?」
「えっ…」
リップスが絶句する。ギルの答えに。
それもそうだろう。彼は貴族にモノを聞く以上選択権をこちらに委ねてはいるが、彼らにとってスケルトン達を追うのは当然であり、ギルがはい、と答えるのは必然であったからである。
今回の任務は人さらいであるので、人をさらって来ないといけないのだ。そうでなければ、報酬を大幅に削られるのだ。それが彼らの最も忌避するものであったのは想像にかたくない。
「だって、フーミル嬢がいるのですよ?勝てませんよ、ね?」
「なっ…!!」
兜の中からくぐもった声が聞こえる。さっきの言葉が心外で、自らを侮辱されたと感じたのだ。
しかし、リップスはそれでも言い募る。
「で、でも貴方の力と我々が合わさればいくら彼女といえどーー」
「相手はフーミル嬢だけではありません。相手は王子です。次期ではない。「元」ですよ。『元』。あれは、ただのスケルトンではないですよ。私のよく知った、『王子』なのですから」
「くっ…」
リップスは口籠る。
雀の涙程度の魔力しかないスケルトンにどれだけビビってやがるんだ……というくぐもった声が聞こえてきたが、ギルは無視した。無理もない。
スケルトンが王子だったのはもう10年も前であるし、私の全盛期もそれくらい前であったのだ。リップスらはまだ鼻水垂らして遊んでいた頃の話である。
しかし、ギルは確信した。
目の前の、折られたあとのある十字架。
折って、地面に転がしたはずの十字架。
それが、水と砂で接着されて、元のように立てられているその十字架に確信した。
彼はスケルトンでないと確信した。
彼は、元第一王子の『ハウエル』だ。
彼は、私たちに捕まるリスクよりフーミル嬢、ひいてはリオネスの死を守り切ったのだ。
ただ、後ろめたかっただけなのかもしれない。私に水魔法を行使してわざと墓を荒らす要因を作ったことに。
しかし、一度折ったはずの十字架が、また立っている事が、彼の在り方そのものなのだ。
やはり、変わっていない。
私が初めて彼に会った時、いいしれようのない戦慄を覚えた時から。
やはり、伝説。されど、もう伝説の話。
舐めるのも無理はないし、伝説は、このように忘れ去られていくものなのだろう。
「重ね重ね申し上げますが、私は追いませんよ」
「……ッ!!!」
それでも、随分舐められたものだ。
ギルが答えた途端に、リップスは据わった雰囲気を醸し出し始めた。そして握り拳をつくる。
……殴って言う事を聞かせる気だ。
後のことをもう少し考えていただいてから舐めて欲しいが。
しかし、ギルは親切なので、教えてやることにした。
「先程、身の程を知ることが大切、そう言いましたがーー」
高潔な、とか古くさい生き方に準じ、
金勘定と口ばかりが上手く、
それでもまだこの世界を成り立たせている、
こんなどうしようも無い、貴族という生き物を舐めると、
「あれは君のことですよ、リップス君」
…いつか、辛酸を舐めることになると。
ギルは自らの内に渦巻く魔力をほんの少しだけ開放した。
それだけでよかった。
リップスは膝から崩れ落ちた。膝が笑い、ガタガタと鎧から震え、甲冑を着ていても怯えているのが見て取れる。
少しオーバーすぎるリアクションだが、まあ良い。格というものを見せたつもりではないが、彼が現実というものを見つめ直す一助となれば幸いだ。
ギルはただ、そう思うと七番通りの路地に消えていった。